7月26日に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の事件で逮捕された植松聖容疑者。
28日に横浜の検察に送検された時の不敵な笑みなど、理解し難い精神構造のようだ。
地元の県立小学校・中学校を卒業。八王子市内の私立高校から帝京大学に進んだ植松聖。
小学校の教員の父と、漫画家の母との間に生まれた植松聖はどうしてこのような事件を引き起こすまでに至ったのだろうか?
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植松聖の経歴はごく普通の青年・私立高校から帝京大学
相模原市の知的障害者施設事件で逮捕、送検された元施設職員、植松聖容疑者26歳。
彼は障害者に対して差別的な発言、危害を加える等の発言から精神保健福祉法に基づく措置入院をしていた。
そして今回の重大な事件を引き起こすまでになった彼の経歴を振り返ってみよう。
1990年に神奈川県で小学校教員の父と・動物を愛する漫画家の母との間に生まれた植松聖。
小学校と中学ではごく普通の明るい生徒だった。
その後、八王子市内の私立高校に進学。運動が好きなごく普通の生徒だった。
この頃から近所でも元気に挨拶する、好青年という印象が残ってるという。
特に小学校の教員だった父親も特出して厳しいしつけという情報もない。母親に至っては漫画家をしながら、近所の野良猫に餌付けをするなど心優しい母親のようだ。
その後、この猫への餌付けが原因となって八王子市内に両親は転居して、植松聖が実家にひとり暮らしというネジレ現象が起こる。
帝京大学に入学した頃から植松聖の行動に変化が見え始める。
腕に刺青を入れ始めたのだ。田舎のマイルドヤンキーがやりそうな、少しいきがっただけのように周囲はみていたようだ。
とくに、彼の友人関係は、やんちゃな人間が多かった。
友人がやってるから自分も・・・そんな短絡的な思考で刺青を入れ始めたようだ。
しかし、この程度の馬鹿はどこにでもいる。
一体、どこから植松聖は破滅の道を歩み始めたのだろうか?
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教師になる夢が挫折・施設でも上手くいかない自分と理想の自分のギャップを埋められなかったのか
大学に入学したあたりから破滅の道を徐々に歩み始めていたのだろうか?
大学時代は父親の影響もあって教師を目指していた。
しかし、大学時代がから少しずつ行動が派手になっていく。友人関係も変化が現れる。
大学3~4年生のころ、最初の入れ墨を彫った男性彫師は「就職を控えているから目立たないように」と注文されたことをよく覚えている。
帝京大学教育学部に在籍しながら一方で彫師にも弟子入りしていた。
それも、すぐに挫折。何かを始めてもすぐに挫折をする属性の人間のようだ。
ココで、注意しなければならないのは、挫折は自分が諦めた時点で挫折だ。
教員になれなかったのも、刺青をいれた自分の責任。
入居者が自分の思い通りにならないのなんて当たり前のことだ。
それを、自分よりも弱い立場の人間に攻撃的になってしまうななど言語道断。勝手に挫折してそれを入居者のせいにするなど言語道断。救いようのない思考だ。
基本的に植松容疑者の行動には一貫性がない。さらに教師を目指すのも父の影響。大学を卒業して運送関係の仕事に就いていたがそれも、運送がしたかったわけでは無い。実家から徒歩10分ほどのやまゆり園に非常勤として働き始めた。
非常勤の時は植松聖はとくに問題はなかった。
猫を被っていたのだろう。
常勤として働き始めてから、次第に入居者だけでなく同僚にも暴力を振るうようになっていったという。
入居者の方の手に落書きするなど問題行動を連発。
背中かから腕にかけての刺青をわざと魅せつけて、施設内を闊歩するなど手がつけられない状態になっていった。
刺青が発覚したのが今年の1月だった。
実は、、この時点で障害者施設「津久井やまゆり園」は警察に相談。
2月には、障害者に対する攻撃的・差別的な発言で『他人に危害を加える可能性がある』として、二週間の措置入院となった。
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