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カトハヤの「本では言えない本当の話」

IQ150〈自称〉の辣腕経営者が、人間・社会・自然科学について独自の視点で鋭く語ります。(管理人略歴  世田谷生まれ、三宮育ち 京都大学法学部→起業→会社経営者・文筆家)

競争について

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昨日、日本の教育システムや日本の成功者の平均的な価値観を批判的に論じました。

要は競争で勝った人間が自分を正当化するように社会を語るのは間違いだ、ということです。

しかし、なかなか難しいのが、「では、負けた人が苦汁を飲まないように一切競争をなくしたらいいのか?」というとそれはそれでまた間違いな気もします。

沖縄の話の時も論じましたが、やはり競争によってハイクオリティーなものが生まれ、そしてハイクオリティーなものは社会全体にメリットがありますから、競争を否定するのもまた皮相な考えです。

ですから私としては、「いかに負けた人間が自己肯定感を失うことなく生きられ、かつハイクオリティーなものが社会に出てくる仕組みを作るか」か一番の関心事です。

これは原理的には二律背反なので、ある程度「妥協案」に近いものにならざるを得ないのですが、私は競争自体は否定しませんけれども、極力「一度勝った人間が既得権益で30年40年食っていける仕組み」はなくすべきだと思っています。

要は、「常に競争がある」ような形が理想です。

そして競争の土俵は多ければ多いほど良いと思っています。

今の日本の社会システムの最大の問題は、18歳や22歳でのパフォーマンスが極端な話50歳や60歳になっても効力を発揮してしまう点です。

18歳でたまたま受験に失敗してしまえば、それだけでそこから4年間必死に勉強しても一部の企業はエントリーシートすら見ません。

そして22歳の就職の段階で、実質的に「生涯賃金」は大方決まります。

「仕事ができれば給料が上がる」などというのは完全なる幻想で、一度三菱や三井などの財閥系の企業に入ればどれだけ仕事ができなくてもクビになる事はほぼありませんし、一度就職に失敗して派遣労働にでも従事してしまったら、「アリ地獄」です。

いくら頑張ろうとしても頑張る方法が実質的にはないのです。

たまたま大器晩成型のタイプで30歳から上に行こうと決意しても、日本社会ではほぼ道は閉ざされています。

「起業すればいいじゃないか?」なんて言う人もいるかもしれませんが、お金もコネも学歴もない人がいきなり起業しても残念ながら成功する確率は極めて低いと言わざるを得ないでしょう。それは強者の発想と言うほかありません。

要は、後からの逆転が極めて困難で、一度有名企業に入ってしまえば、それなりの地位は一生保証されるし、一度転落するとどうやっても上にいけない、という極めていびつな構造になっているのです。

「一度負けたら這い上がれない」と言っても過言ではないのが日本社会なんです。

特に東京は社会的な成功を善とする価値観が強いだけに、這い上がれない人間には苦痛でしかないでしょう。

もちろん所得の再分配などである程度実質の平等を確保することも重要ですが、やはり常に公平な競争があるというのが理想の社会です。

スポーツでもスタメンが固定されてるチームよりは常にメンバーが入れ替わるチームの方が長い目で見て強いですし成長します。

同様のことが社会にも言えるでしょう。

常に公平な競争がある社会を作りたいものです。