リベサヨとソーシャルのねじれにねじれた関係
都知事選については何も言うつもりはありませんが、それへの批評としてこんな記事が目に付いたので、さすがに一言だけ。
http://agora-web.jp/archives/2020627.html(さようなら オールド左翼)
・・・何れにせよ、今回の鳥越氏の都知事選での惨敗で、多くの人達の目が現実を直視し、彼に代表される様な「オールド左翼」に最終的に決別して、米国のサンダース氏に比肩しうる様な「新しい時代の左翼」を模索する方向へと進んでいけば、大変よい事だと思う。
いやいやいやいや、鳥越氏が「オールド左翼」だって?
こういうリベラルだけは全開だけど、ソーシャルはいかにもとってつけたような表層的ジャーナリストを「オールド左翼」と呼んでしまうくらい、日本の政治思想地図というのはねじれきってしまっているわけですね。
そういうねじれの原因は、つまりヨーロッパのように素直に右派リベラル対左派ソーシャルという対立図式にならない理由は、わたしはずっとアメリカ方言の「リベラル」が諸悪の根源だと(やや単純化して)言ってきたわけですけど、そのアメリカで、自らをデモクラティックなソーシャリストだと公然と標榜するサンダース氏が大統領候補としてあれだけ善戦したことを考えれば、有力政治家の誰一人としてソーシャルを掲げない日本はあまりにも特殊ですね。
少なくとも、サンダース氏の言っていることは、リベサヨがはびこり出す以前の「オールド左翼」に近いはずなので、上の引用文のねじれっぷりは気が遠くなるような思いがします。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)
・・・をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。
・・・よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。
もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。
問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。
彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。
ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。・・・・・
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