この記事は「いいね!」を伝えたいわけではなくて、たっけぇ金払って煮ても焼いても食えないような商業的作品を見させられた私の供養のためでございます。つまり自己満です。語らせてください
映画「天秤をゆらす」完成披露イベントを見に行ってきました。
ネタバレ、批評を含みますので、俳優さんのことが好き、或いはこの一連の作品がとにかく大好きだ!否定的な意見は許さない!みたいな人は読むのをやめておいてください。
しかし、そもそもの話、映画「天秤をゆらす」とは何か分からない方も多いのではないでしょうか。それはまぁそうでしょう。メジャーな映画館ではまるで上映されず3都市限定、しかも公開劇場は1つのエリアにつき1つか2つ、みたいなマイナーもマイナーな映画なのです。この記事を読んで例え「えっ!見てみたい‼︎」と思って頂いたところで、TSUTAYAにもゲオにも置いていませんので自費で5400円払って現物DVDを買っていただくことになります。しかしそこまでしていただくほど価値があるかと言われたら微妙。
そもそもなぜ私がこの「天秤をゆらす」という映画を知ったのか、そこからお話しいたしましょう。
ことの起こりは昨年4月。東京に遊びに来たのはいいけれど、観光したいところもなく、はて?と頭を悩ませていた時、ある名案が浮かびました。明らかに地雷臭のする映画を見てみよう。ピクサーとかディズニーとかそういうのは当たり障りがなくてつまらない、と常日頃から斜に構えた考えで生きている私はその時もひねくれたことを思いついたのです。そうして私は映画.comでその時やっていた映画から、目に見えた”地雷”なタイトルの2本をセレクトしたのであります。それが「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」と「カニを喰べる」。別に中の人が食い意地張ってるから選んだわけではない。決してそういうわけではないから、今、私の茶番に付き合っている人は勘違いされないように。
これらはただ、純粋に「これ、どうしようもなくね?」と盛りあげようのなさを感じた作品である。そして私はタイトルがやばそうな上、かつ上映劇場が新宿にしかないという地雷臭ぷんぷんの後者、「カニを喰べる」をみることにしたのです。
この映画「カニを喰べる」のあらすじを書くとすれば、資格も学歴も仕事も夢も何にもないままなんとなく生きている20代後半の男2人組がかつてのツテを辿り、富山に蟹を食べに行こうとするゆるいストーリー。ちなみにこれは煽りにはロードムービーと書いてあった。
ふーん。だから?というストーリーである。まるで魅かれないでしょうね。しかしいざ蓋を開けてみてみれば意外と面白かった。それはメインキャスト2人、染谷俊之と赤澤燈演じる主人公の徹底したダメダメさと腐れ縁の2人の掛け合いによるものであります。この徹底したダメダメさは、富山に行こうとするが、その車はクビになったバイト先からパクったボロい軽トラであり、しかもガソリン代さえ彼らは出せず、かつ謎のヒロインにその軽トラすら奪われるというロードムービーという前提すらひっくり返す勢いなのです。お金かーして!とゴロゴロ雑草の上に転がってかつての同級生にお願いするシーンや痛いところを突かれて黙りこくるシーン、女の子をめぐって本気で遊びに熱中するシーンなどその至る所に長年付き合ってきた男の友情が自然に描かれていてほぅ、と思ったものです。その感覚を表すとすれば、男2人が遊んでいるのを影からこっそり見ているという感でしょうか。そこには緩さしかないですが、なんだがほわっとしませんかね?
あまりに現実離れした話には人間は白けるものだが、まぁありそうだなーというレベルで話が進行するのでそのあたりもよく考えられております。
染谷さん演じる田宮は普段は冷めているけれど、ピンチの時は熱くなるキャラクター、赤澤演じる青島は普段はチャラケて突飛だけれどいざとなったら冷静なキャラクターである。この2人どちらも現実世界にいそうな、自然体である。特に赤澤さんの演技がうまい、というのもボケの進行に過剰さがないのである。芝居臭さがない彼の演技はもっと世に知られるべきであります。「カニを喰べる」の俳優のビジュアルはどうか、といえば染谷さんは舞台俳優では割と知られているほうだろう。顔立ちはそうですね、女顔といったところでしょうか。赤澤さんは小悪魔系?というか目がぱっちり!お目目クリクリ!ではないけれど、やんちゃな目をしています。キャラクターにあっているお顔とでもいいますか。ヒロインもいましたが、別にヒロインの可愛さを楽しむ映画ではなかったので省略。すまねー
しかしどうも制作費がかけられなかったのか、専門の音楽、タイアップ曲がないのに加えてカメラワークがまるで素人のそれ。ぶれるわぶれるわ。こんなガチャガチャカメラワーク見たことない!お金ないんだな…と思いながら見ていましたが、それも私にはなかなかオツなものに見えた。制作費10億円‼︎アカデミー賞受賞俳優、3D、有名監督、スペクタクルアクションなど、メジャーな映画にはやはりそれだけお金がかかった魅力があるけれど、こじんまりとした映画を時に見てみるのはちょっと楽しい。お金がかかっていないなりに工夫されていた、ダメダメな2人のグダグダな道中のゆるい描写は肩の力を抜いて楽しめる。
結局、彼らは富山にいくことはならず、そのへんのおばちゃんからアルミの鍋で茹でられたカニをもらって、食べただけです。当初の目的であったカニは食べれたものの、短い旅を経て、彼らの中で何かが変わったかといえば、そんなことはない。ちゃんと仕事をしようとか絶対何かを成し遂げてやるとか考えないで、彼らは結局これからもぼんやりと生きていくのです。映画の醍醐味には「人が何かを経験して成長する姿」があるが、本作品にはそうした教訓的なものはまるでないのです。しかし私はそこもリアルで気に入っています。ただ小旅行をしたところで何を人は学べるというのだろうか。28年間ぼぅっと生きてきた人間が1週間そこらで変われるとしたらそっちの方が驚きです。何度も言うが、その”変なリアルさ”が私が気に入っていたのであります。
そして時は流れて昨年の秋頃。「カニを喰べる」の続編、第2弾「羊を数える」の完成披露イベントが行われると偶然知った。勿論私はそれに参加した。あの緩い雰囲気を楽しもうと。今度は映画館ではなくて、一ッ橋ホールを訪れることとなる、先行公開のイベントだから当然です。1枚3000円也。私が参加したのは本編披露の2部一般席である。チケットを取るのは案外大変で時間ぴったりにサイトにアクセスしたのに混み合っていました。アクセスできた頃にはそれぞれプレミアムの、メイキング披露の1部、朗読劇兼ハイタッチ会の3部は早々に売り切れていた。プレミアムはちなみに5000円なのです。なんということだ、みんな映画そのものよりも演者に興味があるというのか。
そして当日、会場では写真くじを買い漁る女子がひしめいていおりました。そもそも女しかいない。1枚200円のくじを何十枚と購入し、所狭しとテーブルに並べていた。そしてA4サイズのバッグに俳優のブロマイドを収めるクリアファイルも持ってきていました。1部1000円のパンフレットも飛ぶように売れていく。彼女たちの潤沢な資金は一体どこから湧き出ているのだろうか。私はそこに小さなコスモをみました。
いや、そもそも物販で何も買わずにただクラゲのように受付周囲を漂う私こそが異常なのです。場違い感をヒシヒシと感じていました。みんな映画を楽しみにしているというより、映画に出てる俳優を目当てに来ているといった感じです。正直な話、彼らがテレビや雑誌にフィーチャーされることは少ないのです。彼らの活動の場は主に舞台であり、それを逃せば次に彼らをいつ見れるか分からない。毎週のラジオ番組をもっていて、バラエティや音楽番組、ドラマ、雑誌…たくさんのメディアで恒常的に取り上げられるジャニーズアイドルとは違うのです。そうした理由から、彼らのファンの数は圧倒的にジャニーズ達より少ないが、その分1人1人が濃い。そうした彼女達から発される蒸し返るような熱気にあてられて、私は記念として写真くじを1枚買った。染谷俊之さんでした。
映画そのものの感想は私が好きだった「リアリティのある緩さ」が大分失われていた、このことに尽きる。緩くて進化のかけらもないモラトリアムな2人なのは変わらず、掛け合いも変わらず面白い。しかしテンポの良さが失われていました。それはキャストが加わったことによる。廣瀬智紀演じる、お人好しの丸井が私からすれば無駄なのです。彼が舌鋒鋭い彼らのトークに加わると途端にモデラートに変わってしまうのです。強みの一つであったはずの当意即妙なやりとりが失われたことは大きな損失でした。そもそも”お人好し”とは別に”馬鹿”という意味ではないと思うが、なぜか劇中ではお人好しイコール馬鹿の等式が成立し、もはや丸井は知的障害者一歩手前なのです。それくらい何もかも愚鈍なのです。これは明らかなるキャラクターの設定ミスなのです。こんなに頭の弱い人が現実にいるとは思えないし、いたとしても間違いなく精神病棟でしょう。それくらい現実味がないのです。嘘くさすぎて白ける。
そしてストーリー。お人好しの丸井が借金の連帯保証人としてヤクザに追い回され、借金の返済策を考えあぐねる3人の奔走っぷりと2人の前に現れた小さな女の子の正体について、を縦軸横軸にして展開されます。これもまたありえない。暴対法のせいで最近では東京湾に死体を沈めるどころか、銀行口座の開設さえままならないほど社会から厳しく締め出されている暴力団の皆さんが一般市民にそうやすやすと拳銃を向けるだろうか?答えは否です。登場するヤクザの格好の安っぽさでまたも減点。ただ、競馬と登場人物が走る様子をリンクさせたり、女の子の霊が乗り移ったという体での田宮と丸井がハグするシーンなど笑えるシーンもあった。こうしたシャレの効いたシーンこそ、この映画に私が求めていたものです。子役の女の子も可愛い。エンドロールの登場人物で歌うチャチャチャチャーンもなかなか可愛く、 評価としてはまぁまぁ。悪くはない。が、1弾には劣る。というのが、私の評価です。
そしていよいよ先日行われた第3弾「天秤をゆらす」の完成披露イベントについての話に入りましょう。「カニを喰べる」のファンとして今回も早速チケットをとりました。3400円である。普通の映画なら3本は見れる価格です。しかしいち早く観れるということでそこは仕方ない。震える手でセブンイレブンに払い込みに行きました。
そして当日、熱烈な舞台俳優ファンの皆さんに混じる私は今回も浮いていました。相変わらず演者の出自も他の出演作もパーソナリティも知らないまmです。ただ、「カニを喰べる」の一ファンとして、いや、田宮、青島のファンとしてこの映画を見に来ただけです。今回も写真くじは売られていて取引をしている彼女たちをそこかしこで見ました。今回は購入しませんでした。200円あったらアイス食うわ。
さて、結論から言うと、この映画は「とんでもないクソクオリティ」である。どう控えめに言っても「とんでもないクソクオリティ」なのだ。
今回は秘湯に入りに来た田宮、青島、丸井の3人組が1億の入ったバッグを取り違えから手に入れ、そして道中、森の中で迷子になり男性の死体を発見する。そしてバッグの持ち主のヤクザが暗殺者とともに彼らを追う。一方で田宮と青島は喧嘩。丸井もはぐれてしまう。そしてそんな丸井が見つけた2人の少年。丸井は追っ手から逃げながら少年たちとガイコツの滝を目指すことになる…というのが大筋です。
さて、クソポイントの解説をしていきたいと思います。まず、俳優さんは悪くないことを先に述べていく。しかし一方でこんな脚本を作ってしまった脚本家、それを許してしまった監督、プロデューサーには大いに反省してほしい。
まず、まるで説明が足りなすぎる点。1億円とはなんだったのかがまるで明らかにならないのです。一体なんの1億円なのだろう?これは。この金を見られたからには死ね。というのはごもっともだが、どうか冥途の土産に教えてはくれないだろうか?ヤクザ風の男を殺して奪った1億円なのか、それとも別の筋から作った1億円なのか。そしてヤクザ風の男はなんで死んだのだ。なんで死体が森の目立つとこに置いてあるのですか。横領したから殺したなのか、元仲間でともに強盗して奪った1億円の配分に揉めてカッとなって殺したのか。それはあくまで憶測でしかないがそれぐらい説明してもらってもバチは当たらないのではないか。
次に、見え見えのトリック。青島が序盤で「ここ見覚えあるんだよなぁ」というセリフ。今回は珍しく田宮、青島が幼稚なことで喧嘩をしバラバラになります。そして丸井が出会った少年2人も仲間割れをします。その段階でピンときた。この小生意気なガキは田島と青島の幼少期です。それがなんの因果か現実と過去がクロスしてしまってここにいるのです。この段階でこの映画は私の中で一気に安っぽい友情崇拝ドラマになってしまったのです。はいはい、協力協力、仲間を見捨てない、ね。一気に鼻白んでしまった。先の見えすぎる展開にはがっかりです。
三つめは、2作に勝るリアリティの低さであります。先ほど出てきた死体の男。幼少期の彼らが遊戯王の死者蘇生のカードをお供えすると突然生き返った!ゾンビだ!手を前に突き出してうめき声をあげながら突進してくる。えー‼︎そんな馬鹿なー‼︎ゾンビとか無理がありすぎませんかね?そして熊。どう見てもそれ着ぐるみですね?中に人、入ってますね?森に熊がいることはありえますが、熊の中に人が入っていることはないでしょう。嘘くさすぎて失笑。しかもこのゾンビと熊、存在意義が特にないのです。それなのに何度もしつこく画面に登場し、見せ場まである1ゾンビと1匹。こいつらの活躍を入れるなら、チビ田宮とチビ青島が友達になったきっかけとか、大人な田宮と青島が騒動を終えた後、お互いに謝って友情復活!とか入れて欲しかった。
最後に、丸井さんです。先ほども書きましたが、丸井さんを入れることによってテンポが落ちる落ちる。掛け合いが面白くなるかな?と思った瞬間冷水をぶっかけてきます。なんさ話し方が異常にゆっくりです。「まぁまぁ たみやさん あおしまさん いまは いったん おちつきましょう? ね ?」のように全部ひらがなで、かつ、生ぬるい声でスペースのところですべて息継ぎをする。ついでに一番最初の単語にアクセントをおきましょう。これが丸井の言葉の発し方です。これで貴方も丸井です。思う存分人をヤキモキさせてください。そして彼の浮世離れした考え方と行動にも相当イライラさせられました。彼は天上人か何かなのでしょうか。ハタチ超えた男がこんな馬鹿なわけないだろ!そんなヤツが存在するのは馬鹿なJK対象の少女漫画だけだわ!そして落とし穴に落ちるシーンも完全に「受け狙ってまーす」って感じで白けました。
勿論、素敵なポイントもありました。チビ青島はブラウンと呼ばれているが、その理由は「お母さんの作ったお弁当が茶色っぽいから」という思ってた以上にどうでもいいものだった。でもこういうどうでもいいことでよく悩むんだよね、ガキんちょは。チビ青島はその名前で呼ぶなぁとベソをかきますが、青島(28)は頭をポンポンしながら「そうだよなぁ、でもかあちゃんの炊き込みごはんうまかったよなぁ」と声をかける。このやりとりはすごくあったかいなぁと思いました。しかしいかんせんその素敵ポイントが少ない。その理由は明らかに、田宮青島の出番の少なさであります。圧倒的に少ない。すぐに散り散りになってしまって丸井・子供ペアがクローズアップされ、彼らの出番はないに等しい。
映画が進むにつれて私は疑問に思いました。なぜ、こんなに彼らの出番が少ないのか。なぜ丸井のシーンばかりなのだ。
しかしエンドクレジットが流れて気がついたのだ。
主演:廣瀬智紀
なんと。これは、丸井の映画だったのです。なんということだ。
そもそも特設ページもtwitterもまともに見ていなかった私は気づいていなかったが、
田宮・青島シリーズ第3弾のタイトルが、映画『天秤をゆらす。』に決定!
— 映画『天秤をゆらす。』 (@tenbin_movie) 2016年5月25日
『羊をかぞえる。』で超がつくお人好し丸井裕之役を演じた、廣瀬智紀さんを主演に迎えたスピンオフ作品です!!染谷俊之さん&赤澤燈さん演じる田宮・青島にもご期待下さい☆ pic.twitter.com/B4xwor5Y3s
ちゃんと書いてあった。あぁ、これほどまでに自分の注意力のなさを呪うこともそうそうないだろう。
ひとしきりダメポイントは語りつくした。ではなぜこんなことになってしまったのか考えてみよう。
まず、第一に制作のハイペースさである。一年でさすがに3本はさすがに多すぎるだろう。ハリーポッターとスターウォーズなんか目じゃねぇぞ、これ。0から1を生み出すことは大変なことだと聞く。それなのにを1年間に3回も脚本を作ってたら、ネタが枯渇するのも仕方ないというか。不思議な何かをシリーズ中に組み込むことを意識している、とイベントで話していたがそんな無理しなくてもいいんだよ?と監督の肩を叩いてあげたくなりました。無理してまでゾンビとか入れなくていいんだよ。入れて楽しくなるって確信を持ってやるならともかく、苦し紛れでやられても観客が可哀想だろう。
第二に、製作者側が舞台俳優ファンを舐めきっていると思われる点だ。そもそも何故完結した世界観に新たなキャラ丸井を投入し、更にスピンオフ作品で主演まで任せてしまったのだろう。それは単純に「出せばカネになる」からでありましょう。廣瀬智紀さんは舞台弱虫ペダルで主要キャストを演じたこともあり、最近売れてきている舞台俳優です。序盤で述べた通り、舞台俳優ファンには濃い人が多く、彼らにはとんでもなくお金を費やす。なので製作者側としては2名より3名に増やした方がより効率よく稼げるのです。いわば集金窓口が2つから3つに増えたようなものであります。事実、第3弾のイベント会場は一般席3400円が450席ほど、プレミアム席5000円も420席程度準備されていた。それが全部埋まっていて、かつ3部まであるのだ。概算で総額1089万円が一日で動いたのです。しかし実際には物販の売り上げもこれにプラスされるのです。オタクの力はかくもすごいものです。そりゃ無理やりねじ込むわけだ。そりゃ作品をガンガン作るわけだ。だってどんなにクソな作品作っても、俳優目当てのオタクは映画の出来には何の文句も言わずに金を落としてくれるんだもの。ただ、「○○君、かっこいい~♪」とツイッターで言うだけだもの。
でも、それをするのはクリエーターとしてどうなのだろうか?単純にお金がほしいなら新宿駅に舞台俳優立たせて募金箱でも下げといた方がいいではないか。しかし「映画」という形でお金をとるならば、それ相応の作品を作り上げてほしい。俳優ファンではなく、作品の一ファンとしては大変残念に思います。
製作者側のオタクに対する甘え、オタクが単なるイエスマンに成り下がってしまっていること、これがこうした歪みが生じる理由であるのです。いいものはいい、わるいものはわるい。作品を、好きな○○さんが出てるからよかった、と何でも評価するのは間違いです。本当に好きならば、私たちはその作品そのものについても考えるべきであるし、役者のビジュアルだけでなく、どう演技をしているか、それは演劇に調和しているのかについても私たちは意見を交わすべきでしょう。勘違いしないでほしいのだが、これは中傷とは違う。よりよい作品が生まれるには、私たちは製作者が作品を単なる集金マシーンとみなさないように監視する必要があるのです。幅広い意見ではなく特定のファンからしか意見が届かないような世界では特にそうであると私は思います。
今回の話では舞台俳優だったが、これはジャニーズについても言えます。特にジャニーズについて人類内には、「ジャニーズならなんでもかっこいい」派(これはジャニオタが多い)、「ジャニーズは何が何でも死すべし」派(これには男が多い)、「ジャニーズとかどうでもいい」派が混在し、この構造により公平な意見というものが届きにくい。
好きなタレントの批判をしたりされたりして、カッとなる気持ちも分からないでもない。しかし一辺倒な意見しかない世界は必ず腐敗します。優れていたものであっても、向上心がなければ堕落し、クオリティは確実に下がっていくのです。
私は今回その最たる例を体験しました。確かに盲目的に愛す、のは簡単なことです。しかし、その先に待っているものは絶望です。ゴミのように劣悪な作品をただオタ人気だけで売るような世界など私は見たくないのです。
どうかジャニオタ諸君には「彼が好きだから。」という理由で作品を評価しないでほしい。正しく作品そのものを評価してほしいのです
観劇が終わった後、キャーキャー言いながら多くの女の子が大きく膨らんだバッグを抱えて周囲の喫茶店に消えていきました。私はその後ろ姿を見ながら、私の愛した映画が死んだ音をその時確かに聞いたのでした。