孤高の凡人

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孤高の凡人

Anarchy in the 2DK.

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またひとりぼっちになった

ぼくが楽器を始めたのは、ぼくが音楽を聴くようになってから5年が経ってからだった。

高校生の頃、音もなく壊れたぼくの精神を救ってくれたのが70年代初期パンクだった。そしてぼくはそれを追うのではなく、まるで命を繋ぐ鮭のようにその大きな川を遡った。そこ道中で出会うロックンロールによって、ネガティヴの権化のようだったぼくは、いくらかポジティブな考え方が出来るようになっていく。キモオタと同じように黒いTシャツを着て、さらなる黒さ、さらなる深さを求め辿り着いた先がブルースであった。情弱で貧乏だった僕はインターネット通販のようなものも知らず、小銭を集めては、ブルースを買いに出かけた。ぼくの求めるブルースは君たちが通っているようなTSUTAYAみたいなお店には置いていなくて、社会にうまく混ざれず、取り残されたようなおっさんが自分の趣味のレコードをそのまま置いているだけのようなお店、そういうところでしか買うことが出来なかったからだ。

20歳になったぼくは、その偏った趣味から同世代の友達とあまり話が合わなくなり、隠居隠居、もう隠居と呟きながら、伝統工芸に仕事をしながら田舎で暮らすようになる。

その時の親方が、趣味でギターを弾いていて、ぼくは10万の給料から2万を払って、初めてのギターを手に入れた。

教則本なんて買えるわけもなく、毎日毎日聞き覚えのあるフレーズを繰り返した。それがブルースの基本であるスリーコードのシャッフルと言う名前がついていることを教えられたのは随分とあとの話である。

地元に帰ってきた説明は割愛するが、そのように同世代と話が合わない偏った趣味を持ってしまったぼくは、地元で40歳以上も年上の友達に上記レコード屋と同じ匂いがするジャズバーのような場所で遊んでもらうことになる。

彼らはロックが現在のように子供の玩具ではなく、本気で世界を変えると思っていた世代で、その冷めかけた鉄のような暖かさでぼくを褒めたり罵倒したりした。

君のような子は、音楽をやり続けないといけない。次の世代の若い子にロックの源流を伝えていかないといけない。ブルースは伝統工芸なんだ。

伝統工芸から離れてしまったぼくは、その言葉に喜んだ反面、なんだか重たい荷物を背負わされたようで、少し苦しかったのを覚えている。

 

やらねばならない。続けなければならない。

これは義務だ。そう思っていた。

 

しかし、30歳になったぼくに居場所はなくなっていた。不摂生な生き方が積もり次々と亡くなっていくイカれた友達。生き残った友達も加齢に伴ってだんだんとライブをしなくなった。ドミノのように倒れていくレコード屋。通っていたジャズバーは、なんの拘りもないジャズチャンネルを流すカフェに変わってしまった。

 

 

ぼくはまたひとりぼっちになった。

 

 

このブログを書き始めて、2ヶ月が経った。

ずっと好きで読んでいたものが『テキストサイト』と呼ばれるものであったり、インターネットというものにも、源流があるのだと知った。

知ったところで、レコード屋が潰れてしまう事を食い止めることは出来ないし、聖地と呼ばれたライブハウスの跡に建ったコンビニの、虫を殺す為の青い光とその虚しくこだまする無慈悲な音を、ただただ聴くことしか出来ない。

 

僕はあなたの事を知らない。

あなたの事を調べないし、興味もない。

それでもあなたは私のような新参に示し続ける義務がある。

やらねばならない。続けなければならない。

 

その伝統工芸を、そのブルースを。

 

この青く光るディスプレイの上で。

 

またひとりぼっちになった - 散るろぐ

 

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