リオデジャネイロ五輪には「難民五輪選手団」が参加する。開幕前から暗い話題が先行してきた今大会で、本来のオリンピズムの精神をあらためて問い直したい。
リオデジャネイロ五輪のイメージを思い浮かべてください−。日本の街行く人たちに、このような問い掛けをしてみたい。
ほとんどの人はジカ熱、治安の不安、ロシアのドーピング問題、競技施設や選手村の不備、などを挙げるのではなかろうか。
過去の五輪も諸問題は少なからずあった。だが、これほどのネガティブイメージが積み重なる中で開幕を迎えたことはなかった。
そこに光を差し込んだのが「難民五輪選手団」の結成だった。内戦などで祖国を追われたトップレベルの十人の選手に対し、国際オリンピック委員会(IOC)は特別参加を認めた。内訳は南スーダン五人、シリアとコンゴ(旧ザイール)が各二人、エチオピア一人。渡航費用などの支援基金も設立され、IOCの大英断といえる。
難民選手団には国旗も国歌もなく、開会式ではオリンピック旗を掲げて入場行進する。
五輪は国同士が競うのではないのか? こんな疑問を抱く人がいるかもしれない。だが五輪憲章には次のように明記されている。
「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」
五輪とは選手たちのもの。表彰式での国歌演奏や国旗掲揚もセレモニーの一つの形として行っているのであり、実際は国別メダル獲得数の一覧表もIOCは公式に作成しない。
さらに同憲章の「オリンピズムの根本原則」には「スポーツをすることは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない」とある。
世界にはびこる国、人種、宗教の対立。日本では障がい者への差別意識が悲惨な事件につながってもいる。
オリンピズムとはそれらを乗り越え、人としての尊厳を重視する社会を育てることにある。難民選手団が参加するリオ五輪は、そのことを再認識するだけでも価値がある。この流れを四年後の東京につなげていく責任は、われわれ日本にある。
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