日本製原爆完成全文』を全文を通して要点をまとめると、、、

1)広島・長崎の原爆は日本製
※原爆は「テニアン島」から出撃したとされるが、広島型(ウラン)原爆は『満州国』からB-29に搭載され発進し、長崎型(プルトニュウム)原爆は『現在の北朝鮮』からB-29に搭載され発進したというのが「真実」だろう。

2)空中起爆ではなく、地上起爆
※当時、原爆を起爆可能な技術は日本だけが開発出来た。空中起爆できる技術など世界中何処にもなかった。

3)使用に先立ち硫黄島(4月15日前後)で地上起爆実験を行った 【日米両海軍共同】
※広島県呉の海軍兵学校の教官の証言

4)広島と長崎での起爆は人体実験
※東邦産業研究所(中央電力研究所)が日本製原爆製造と完成と、広島・長崎での人体実験の主導。それを知るのは限られた50名程の人間。日本は戦前からドイツのバイエルン州の貴族らと太いパイプで結ばれていた。

5)トリニティ実験が世界初の起爆と云うのは日米英3国の虚偽

6)理論面だけ記述されたマンハッタン計画では30世紀になっても完成できない

※カメラ技術(化学薬品を含む)・高速遠心分離器・サイクロトロン・窯業技術(セラミック)・抗生物質のクリーンルーム・化学工業・麦酒産業・乳業・チョ コレート産業・マグネトロン(電磁力・レーダーなど)・電子顕微鏡・分析工学・火薬産業・真空管開発・・・等々綜合産業技術を集積・集結しなければ、原子 爆弾は製造出来ない

7)起爆装置の肝は富山藩の花火技術(硝石乳酸菌培養技術)の応用
※理研の○和発酵が実施

8)日清戦争以後の大日本帝国主義者らの国費を度外視した軍事拡大政策に東アジアは翻弄
※大日本帝国主義者(神道主義・日蓮宗主義)・・・川崎・宇田財閥、名取・広瀬閥

9)日本の意向を受けてキッシンジャーが日本の核兵器技術を世界中に販売
※原爆開発国の日本の技術でなければ原爆は起爆せず、起爆装置は100%日本製

10)湯川秀樹は仁科芳雄の非嫡出子



どこまで真実なのかは確認出来ようもない話で、特に10)などは口をアングリさせてしまう内容。3)の硫黄島実験にしろ、もし起爆実験していたのなら、爆 発時の高温でガラス化が起きるので容易にその痕跡が発見できる筈であるし、戦略上の重要拠点である硫黄島を原爆の放射能で失ってしまっては意味がない。 もっとも硫黄島近郊の海洋上ならば問題もないが、、、このように眉にベッタリと唾付けて聞かないとならない話ばかりですが、

アポロ11号月面着陸といい米国は意外と大ウソを平気でするので、美幌基地地下壕の隠匿原爆の噂もあることから、広島長崎の原爆も日本製というのも有り得る話のようにも思える。実際、ここには妄想として一笑に伏せない深い内容が垣間見えたりもする。


(広島の仁科型原爆は、10%濃縮で水をかけるだけで起爆というもの、という説もあるが)
長崎型と同じ爆縮型の場合、多数のHE起爆装置が同時に起爆して全球面が一様に中心部に向かって爆縮進行する必要があり、また爆縮後、中性子を全方向に正 確に飛ばす中性子起爆装置が必要。早進性と遅延性のある2種類の火薬でぐるりと取り囲まれた2重構造の「爆縮レンズ」を作るには高度な製作技術が必要。そ れだけでなく、多機能(早進性・遅延性)を持ち、純度が高く均一な高性能な爆薬が必要となっている。このような高性能な火薬は探してもそうそうない。

(爆縮【インプロージョン】方式の長崎ファットマン)

(2重構造の爆縮レンズ)

それを解決するのが日本の花火の火薬技術。綺麗な球状に開かせるには、均一性が要求されるが、この良質な火薬は乳酸菌発酵して作られた硝石によって可能となったということだ。


火薬の原料である硝石が無い日本では独自の製法が発達した。

それが「古土法」と「培養法」。

硝石は空気中あるいは土壌中のアンモニアを酸化して硝酸化。いわゆる硝酸菌の硝化作用によって生成されるわけですが、硝化作用の行われている大気中では何 処にでも存在。但し水に溶けやすいため、雨で流出しない処に堆積するわけです。ですから神社の縁の下などには硝石が自然結晶する場合があり、床下から土を 採取し、煮詰めて精製する硝石生産法があります。これを「古土法」という。

中でも富山の五箇山は日本一の硝石製造地として知られ、独特の方法で製造していた。縁の下や倉の土間を掘り1間四方ぐらいの穴を作り、そこに乳酸菌が沢山 いる蚕糞、藁、ヨモギ、土を重ねて入れて人間や馬の小便を入れてじっくり発酵させる。数年寝かせ土に成分が移った頃、その土(塩硝土)を煮詰めて「塩硝」 (硝酸カリ)を抽出する。これは「古土法」と「培養法」の折衷法です。この五箇山の塩硝は大阪石山合戦での本願寺、北陸一向一揆にも寄進されたという。信 長が敵視した理由も頷ける。



■塩硝の道を訪ねて
http://www.spacelan.ne.jp/~sakiur-k/ensho2.htm

この塩硝から作られた良質な火薬が日本製原爆の起爆装置に使われた。

長崎原爆投下についての謎は、爆心地が佐世保海軍工廠(軍隊直属の軍需工場)でなく長崎であるという点。佐世保以外に武器を製造していた小倉造兵舎にして も、終戦間際には本土決戦を睨み、かなりの部分が大分県の日田の地下工場に移転されていた。三菱の兵器工場のある海岸線を大きく外れ、山の中である浦上地 区の長崎キリスト教の総本山である浦上天主堂上空で爆発したとされている。

長崎の原爆は目視投下とい手筈であったが、当日、あいにく雲に覆われていて、命令どおりなら爆撃を中止して海に原爆を投棄して帰還という手筈になってい た。しかし爆撃機は原爆を投棄する事を躊躇し、命令に反してレーダー照準で原爆を投下。その為に爆心地が長崎の中心地ではなく山手になったのだと云われる が、、、

軍人が命令違反を犯すのはどう考えてもおかしい。



この謎も「北朝=陸軍=皇道派=イエズス会傀儡」、「南朝=海軍=統制派=メーソン傀儡」という勢力図式から謎が解けてくる。2.16事件(大江山霊媒衆 の出口王仁(鬼)三郎や九鬼家らの鬼勢力=皇道派=北朝派=イエズス会傀儡勢力のクーデター)以来、極度の精神的ストレスを抱えた昭和天皇及び南朝のメー ソン勢力は終戦時にWW2突入させた北朝勢力(イエズス会傀儡)の隠れた本部をこれで一掃しようとしたのではないのか? それが長崎の浦上天主堂上空への 原爆地上起爆だった!?

※一般的には、広島で原爆が投下された理由は、平面的な地形、市街地の規模、空襲を受けていない軍事施設、軍需工場が集中していたからだと云われ、長崎は 小倉が前日空爆した製鉄所の煙で目視投下出来ず、急遽、長崎に変更したからだと云われるが、、、果たしてコレだけが理由なのか?



『原爆完成全文』では、広島・長崎の原爆は両方とも日本製という内容になっているが、広島型のガンバレル方式は良質な火薬を必要とせず必ず臨界質量超えで 核分裂を起こさせる確実な方式(ただし効率が非常に悪い)であり、ここには日本の良質な火薬技術は不要。よって空中投下して起爆も充分可能。一方、長崎型 はプルトニウムと良質な火薬が絶対必要であり、オイラが思うに後者が日本製原爆であって、長崎だけが地上起爆されただろうと睨んでいる。

つまり、WW2において米国製原爆は一発も起爆されていなかったということ。



では、一連のファットマン画像はいったい何なの?という疑問が当然出てきますが、あれは米国がマンハッタン計画で開発着手したが、最後までうまく起爆出来 ずに終了した試作品の画像を流した囮。長崎で地上起爆させた原爆は、二号計画で完成した全く構造の異なるもっと小型の原爆だろうと思っている。


(ファットマンの内部)

『原爆完成全文』の榎本東洲氏によると、長崎原爆は理研が開発し、東邦電力の創始者で「官吏は人間のクズである」と言い放ち徹底抗戦した「電力の鬼」と呼ばれた松永安左江門が地上起爆させたとある。

う~む、軍部に属していない身で果たしてそれが可能なのかは実に怪しいところではある。但し、ナチスの作った原爆も日本軍が研究して作り上げた原爆設計図が流出してナチスで製造されたものであり、その意味では日本製というのは正しいとオイラも思っている。


※ナチスの急速な科学進化は満州国における日本軍の研究成果が大きく、その流出した設計図が基になっている。これはグリーン・ドラゴン・ソサイエティ=緑 龍会=緑のカラス(イエズス会傀儡のペリシテ人客家)が仲介していたのだろう。つまり、ヒトラーがインスピレーションを得ていたというシャンバラとは、実 は日本のことであったのです。道理でシャンバラのアルザル人がYAP因子を持つとされているのもこの理由。アルザル人とは日本人を暗喩するコードネーム だった?


(ガンバレル方式の広島リトルボーイ)

この日本製原爆の地上起爆を米国製原爆の米国爆撃機投下と偽装することで、終戦間近に「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して参戦したソ連を牽制する為に、 2発の原爆投下で本土決戦に至らず早々に降伏したという米国の役割が大だったというシナリオを描き、日本が東西ドイツや南北朝鮮のように国を「二分割統 治」されずに済んだという側面も持つ。


だが、その裏には日本に巣食うカラス(戸籍を持たない日本人の顔をした渡来人)が、この国を引き続き継続支配する為には1国のままである必要があったのも事実だし、

同時に、壬申の乱、源平の戦い以来、敵対する北朝派(近衛閥)が画策するソ連進出させ日本二分割して共産国家樹立の阻止も織り込んだ。それが為に、降伏には不必要だと誰しも分かっていながら、米国と協議の上、日本製原爆の地上起爆することを同意決断したのだろう。


元々、開戦時にも山本五十六が国力の違いから1~2年は持つが後は知らんと陛下に進言していたが、それでも陛下はやれと言ったという話がある。これも日露 戦争、日清戦争を通じて国内に幅を利かせ出し、国連脱退を演じて戦争に突入させた「皇道派=北朝(地祇系)=イエズス会傀儡勢力」を一掃しようとのお考え だったのかもしれない。

※美智子皇后が妃の時に一時期失語症になったのは、元、クリスチャンであることから皇居内でキリスト教のことを話せるようになったとある皇族が話したのを 聞き、天皇が激怒して美智子妃を叱ったからだという。そのぐらいメーソン側に立つ昭和天皇はキリスト教=イエズス会嫌いであったということだろう。



ただ、軍部(陸軍大将・東條英機)の原爆使用の上奏に対して、「数カ国が新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力 を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは、人類滅亡の悪の宗家に日本がなるではないか。

またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築きあげたところだ。そのような場所に 新兵器を使用することには賛成できない。」といい、昭和天皇は原爆使用を中止させたといわれる。これが本当の話なのか証拠はないが、皇居内の雑草を抜かせ ない..等、海洋生物の研究家生物学に非常に造詣が深い陛下であったことや実際に原爆を使っていないことから、これは史実だっただろうとオイラは思ってい る。


戦後、米軍による原爆投下(?)を非難せずに「やむを得なかった」と語った陛下の言葉に裏には、以上のような複雑な経緯があったのではないだろうかと見ている。

そして、これが靖国神社のA級戦犯合祀と絡んで陛下の靖国神社親拝拒否に繋がったと睨む。(合掌)



以上のように、昭和天皇に少し有利な書き方をした一方で下記のような話もあります。実際に、昭和天皇の口座を持つ横浜正金銀行の口座閉鎖がポツダム命令で未だ解除されず有効なことも知りました。

今回、長崎は日本製原爆で地上起爆されたという前提で洞察を進めてきましたが、さてさて真相はどうなのであろうか?


======================
(再掲おわり)


これらの裏には、日本に巣食うカラスが、この国を引き続き継続支配する為には、広島長崎で原爆地上起爆の必要があった。

米国軍産複合体のカウンター・パートとして日本側の軍産複合体を代表し、原爆を広島長崎で地上起爆させた中心勢力として、日本に巣食うコードネーム「クロカモ」が、いまも

電磁波兵器攻撃を実行する勢力(犯人)として、この国を支配するもう一つの政府のような機関、国民に知らされていないもう一つの天皇制、そしてそれらを支える非合法武装集団として、存在している。


そして戦後この非合法軍産複合体闇勢力が、日本の各地の地下で核燃料と核兵器の製造プラントを秘かに稼働し続け得たのは、この広島長崎原爆は日本製で日米談合で地上起爆されたという構図に、そこにある技術の特許に、その可能と力の源泉を得ていることに因る。


=fin=




当ブログの関連記事:

日本のいちばん長い醜い日 根源的階層の選択、原爆投下という国民いけにえ儀式
2014.08.15[Fri] 23:53

原爆投下は日米の軍事談合による人体核実験として進められた。

広島の爆心予定地には第二総軍(本土決戦用の関西より西日本の主に陸軍)と学徒たちがいけにえとして集められていた。原爆の爆発は8時15分と日米ともに なっているが、実際には8時6分だった。つまり核が爆発したときはエノラゲイは爆心地上空のヒロシマには来ていなかったのだ。

日米の原爆についての公式見解とは裏腹に、日本には、原爆は「日本製」で、エノラゲイが投下したのではなく、日米の軍事談合として「地上起爆」であった、という説が根深く燻ぶりつづけていた。
 

http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/185

「原爆を造らなければ良かった」と言い残して死んだある日本人技術者

ここ最近、広島・長崎に投下されたとする原爆に関する記事に、
多くの反証コメントが寄せられています。
ある意味、有難いことです。
そういう訳で、この際、メルマガの記事にする事に決めました。

その理由は・・・
ここまでの記事だけでも、かなり、私の身を心配して下さり、
多くの警告やご忠告をいただいております。
今回の記事は、それよりもはるかに危険な内容ですので、
幾ら何でも、ブログでは公開出来ないとの判断からです。

たくさんいただいた反証コメントも、
この記事を見れば全て分かるだろうと考えます。


戦争に行ったアメリカ兵の告発!
「本当の敵はアメリカ国内にいた!」

https://www.youtube.com/watch?v=cR5zoW1W4ac

上の動画は、皆さん、既にご存知のことと思います。
私は日本人の立場で言葉を言い換えたいと思います。

「本当の敵は日本国内にいた!」

メルマガ第9号
『あなたが決して知ってはならない恐るべき日本の闇』

以上の記事に、恐怖したとのメルマガ読者の方より
お便りを幾つもいただきました。
しかし、今回の記事は・・・
言葉を失うくらい驚愕するものです。

国家 対 国家、といった観念は、捨て去るべきです。
それは、私たちが勝手に抱いている幻想に過ぎない事が
よーく分かりました。
明治維新以来、日本の中枢やトップには、ずっと悪魔が巣食っていたのです。

彼等、悪魔にとって、日本国はただの島国で単なる道具に過ぎません。
国民はゴイム、家畜に過ぎないのです。
ある目的の為に、戦争によって何百万人死のうが全く痛みを感じない。
それどころか、彼らにとっては大手柄なのです。
イルミナティとは悪魔のような恐ろしい連中である。

その事に、日本国民はまだ気づいていません。
イルミナティの中でも、比較的、高位にあった昭和天皇ですが、
彼も人並みに、大出世を夢見ていた。
それが、戦前、戦中の大活躍となる訳です。
何を言いたいか、分かる人には分かると思います。
おまけに、原爆実験まで成功させていた。
731部隊は、天皇の軍隊。
彼等がやっていたのは、放射能による生体被爆実験だったのです。
その集大成が、広島・長崎における原爆実験だった。

あの有名な山下教授がやっていることは、
その御意志を受け継いでいるいるに過ぎない。
福島の人達は、その真相をまるで知らない。


戦争による人口削減と莫大な利益をあげた大手柄と、更に、原爆技術を
イルミナティの仲間に提供したことによって、
彼は、飛び級の出世をしたようです。
かつては、エリザベス女王の家臣だった人物が、
そのエリザベス女王さえも追い越してしまった。

イルミナティの階位は、極めて厳格です。
昭和天皇は、世界のイルミナティの中でもトップクラスになった。
無論、天皇家そのものの位置づけも格段に上がったでしょう。

以下の写真は、その事実を物語るものです。
決して、儀礼的なものではありません。
オバマ大統領も他国の国王に対して、
ここまで頭を下げることは無いと思われます。
つまり、オバマ大統領よりも、今や、日本の天皇のほうが、
イルミナティの世界では格上なのです。




日本の史実はムチャクチャ改竄されまくっています。
その事を是非、頭に叩き込んでおいて下さい。

例えば、広島原爆投下は、8時15分とされています。
しかし、実際には、8時6分が正しい。
この違いの本当の意味は・・・
大変大きな意味を持っています。

8時6分に地上で核爆発が起き、しばらくしてから、
B29の観測機がやって来た。
B29の高度は大変低かったと記録されています。
機体の様子がはっきり目視出来たと報告されています。
そして、観測なので速度も低速であった。
その高度とあの低速度で、核爆弾を投下したとしたら、
まず間違いなく、墜落していたでしょう。

これは、100%間違いない。
8時6分前後に、B29は確認されていません。
だから、空襲警報も鳴らされなかったのです。
長崎も同じです。



メルマガ第12号より一部のみを引用します。

広島に原爆を投下されたという大本営発表の
「1945年8月6日 午前7時45分から8時15分」の時間帯に、
『広島市民は誰一人として、B29特有のエンジン音も、機影も目撃した者がいない』
と云う事実である。
しかし、『広島は一瞬にして地上から消えた』訳である。
まるで「手品」である。「手品」には必ず種がある。


この場合の手品の種は「地上起爆の目撃者が全て殺された」と云う事と、
ラジオと新聞報道で「アメリカの爆撃機による空中投下」を繰り返し流し、
テレビ時代に入ってからは、B29の映像とキノコ雲を同時に映像化して、
それらしくシナリオ化している。極めてシンプルな手口である。

広島・長崎での被爆体験記録では、肝心の
『地上に設置された巨大な瓦斯タンク(核弾頭と起爆装置)』の目撃に
関する記述が削除されていることは確かである。

広島市東部から20kmの地点に在る『中野探照灯台』上空附近を飛ぶB29は、
すでに9,630mの高度をとっていたはずである。
つまり、中野探照灯台の兵士たちは9,630mからの爆音を聞いていたということになる。
その時間は、午前8時14分と報告されている。
それから、1分後の8時15分に起爆するのだが、中野探照灯台から2~3分の時間を
必要とするが、原爆機は最高速度600kmを、わざわざ320キロメートルに落し、
広島市上空では「機関を停止してグライダー飛行に入る」のである。

こんな爆撃をしたら「自爆による墜落攻撃」である。
B29の爆弾搭載量は9トンと云うが、5トンが限界である。
乗員11~12名を機長・副操縦士・航空機関士・気象士・爆撃手・通信士・
原爆要員等を考えると、乗員は逆に15名程度に増えるし、
機銃装備を取り除いても2~3トンの削減が限界だろうし、
護衛戦闘機がいないのだから、幾ら超高度10,000mを飛行できても、
高度が上がれば燃料消費量も上がり、往復の燃料にも問題が発生するから、
通常は高度を下げて飛行して、目標地点の近くで高度を上げる事になる。

高度が低くければ、自爆戦闘機(神風)からの攻撃は必至である。
それでは、無防備だから、テニアン島からの往復を考えると、
機銃装備を外すとは考えられない。護衛戦闘機が豊後水道まで護衛すれば、
飛行機のエンジン音は当然大きくなる筈だが、その証言は何処にも無い。

この当時の巨大爆撃機のレシプロエンジン(発動機)を上空9,630mで、
『中野探照灯台(広島市東部)』上空附近から、3機(1機エノラ・ゲイ)が
「機関を停止」してグライダー飛行して、広島上空に侵入して、
弾倉の格納されている「原爆の起爆装置をセットON」して、弾倉トビラを開けて、
フックを外して原爆を投下し、広島市の地上から520~550m上空で都合よく起爆
したとしたら、それ自体でB29は爆風に巻き込まれて墜落である。

長崎では逆に原爆を搭載して、曲芸飛行の様に、10,000mから急降下して
地上すれすれを飛んだのは、広島のB29投下シナリオの「手品」が、
多くの広島市民にばれた教訓として、地上起爆を演出するために、
地上すれすれを飛行して、さも飛行機(B29)が「原爆を投下」しましたよ!
と「手品」をした訳である。

<引用終わり>
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http://ameblo.jp/64152966/entry-12164817035.html

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