広島の原爆はB-29(エノラゲイ)が空から投下し地上500メートル上空で爆発したというのが通説となっております。
しかし、通説とは違い原爆は地上で爆発したという論説が存在します。
上の写真は広島の原爆が爆発した瞬間の写真です。
空中ではなく地上で爆発したように見えます。
写真自体は本当に広島の原爆かどうかは判断が難しいです。
けれども、私が以前から疑問に思っていたことと照らし合わせると、原爆が地上で爆発した可能性は高いのです。
写真をご覧下さい。
これは何かの装置の写真ですが、何かを気づきませんでしょか?
この装置の影のことです。
影は原爆が爆発したときに放つ放射線によって出来ました。
もし、本当に高度500メートルで原爆が爆発したというのならば放射線による影はもっと下の方についていなければならないのです。
ところが、写真は真横から放射線を浴びたかのように影が壁に映っています。
次をご覧下さい。
写真は広島に原爆を投下したとされているB-29(エノラゲイ)です。
現在、機体はスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターという博物館に展示されています。
こんな図体のでかいプロペラ機が原爆を投下後に直ちに旋回して爆風から逃れることができるのでしょうか。
本当に原爆を投下したのであれば、機体は解体されるかまたは海に投げ捨てるはずなのです。
放射線を浴びて二度と使い物にならないのですから。
博物館に行く機会がある方は機体を放射能測定器で試しに測ってみて下さい。
放射線は全く検出させませんので。
また、原爆の開発(マンハッタン計画)には18億4500万ドルもの巨額が費やされているのに、護衛の戦闘機も無しにたったこの一機のみで飛んでくるのです。
そして、写真は原爆が爆発したときの写真ですが、原爆を投下したB-29(エノラゲイ)がそのときの模様を撮影したとするものです。
本当にエノラゲイが撮影した写真なのでしょうか?
歴史に残る大事な場面を写真で撮影しなければならないので、予備として飛行機を複数機飛ばしてどちらかのフィルムが上手く写っていなくとも大丈夫なようにするのが普通の考え方ではないでしょうか。
私には既に爆発地点があらかじめ決まっていて、その付近を飛行機が飛んで撮影したかのような写真に見えてしまいます。
もっと踏み込んだ話をすると、二つの写真を見比べて下さい。
上側は911のWTCの爆発の瞬間で下側は先にお見せした原爆の爆発の瞬間です。
WTCビルは528メートルの高さです。一方、原爆も500メートルの高さで爆発したとされています。
本当に原爆が500メートルの高さで爆発したならば爆発の火の玉がWTCのように空中になければならないのです。
ところが、下側の広島の原爆は爆発時の火の玉が地面にあるのが確認できます。
正確なデータを取らなければならないわけですから原爆を空から投下したり、ましてやパラーシュートをつけて落としたりはしないのです。
なぜならば、風に吹かれて目的地点を大きく外れるからなのです。
人の少ない地域に落ちては意味がないのです。
写真は核実験の現場です。
今も昔も同じですが地上で爆発しています。空中で爆発はしてはいません。
空中で爆破させるのにはリスクが伴います。
実験でも同様に爆弾が風に流されるからなのです。
写真はエノラゲイの搭乗員の面々です。
戦争にはヒーローが必要なのです。戦闘意欲高揚の為にです。
でも、実際には原爆を投下してはいません。
エノラゲイの搭乗員はアポロ飛行士と一緒で作られたヒーローなのです。
ですから、B-29(エノラゲイ)は原爆とは無関係ですし、原爆も空中爆発はしていないのであります。
そして、最後ですが原爆ドームの話です。
原爆ドームが核兵器の惨禍を今に伝える為に、あるいは平和の象徴の為に存在すると学校で習ったかもしれません。
しかし、そうなのでしょうか?
これは日本を恫喝する為にアメリカがわざと原爆ドームを残すように強要しているのです。
「アメリカ様に逆らうと同じことをするぞ!」という脅しなのです。
ですから、原爆ドームを撤去することが70年経ってもできないのです。
撤去できないので「平和の象徴」という言葉に摩り替わっているのであります。
元々の広島県産業奨励館として建物を再現するのが本来の平和の象徴ではないでしょうか。
http://ameblo.jp/jam512412/entry-12165305366.html
広島長崎の原爆は、日本製で、地上起爆された、という説。誰がどの勢力がそれ=原爆人体実験をしたのか。
①広島原爆は、日本製、地上爆破、天皇家は原爆の特許所有者。当時、航空機に載せられるような、原子爆弾は存在していない。
②当時米軍には、核兵器は無い、高濃度ウランは、宇宙からの中性子線で爆発して仕舞う、中性子線を防ぐ物質は無い。
以上のような説が最近、ネットでは関心をもたれている。
ようするに、広島長崎の原爆は、米軍機が投下して空中爆発させたのではなく、原爆は日本製で、日本軍が、広島長崎の、地上で起爆させた、というもの。
これについては、
●アメリカ側には、当時、米軍機が投下して、空中爆発させるような、核兵器は無く、また空中起爆を成功させる技術もなかった、ということが前提として言及される。
https://twitter.com/honest_kuroki/status/719567381874409473
本物黒酒
?@honest_kuroki
そもそもガンバレル型のリトルボーイに使用したと米国が広報している「80%の濃縮ウラン235」は、理論上、存在できません。理由は簡単。宇宙から降注 ぐ高速中性子を100%遮断できる物がないからです。一粒の中性子でもその濃縮度のウラン235に当たれば即爆発的連鎖反応@umitosuzu
つまり、B-29のエノラ・ゲイに搭載したとされているガンバレル型のリトルボーイは、広島に着く前に自爆してしまうから、原爆投下はありえない! 地上起爆だという話です
遠心分離器でそれを取り出すことができるかどうかが、原爆開発のキモなわけで、その特許が広島原爆より前に日本から出願されているのだから、日本製原爆の信ぴょう性は俄然と高まる
●日本側は、核兵器開発を進捗させて、良質なウランを入手できて、遠心分離器による濃縮ウランを自力で製造し、自動型起爆も爆縮型起爆も開発していた、ということが言及される。
これの出典になるものは
榎本東洲『日本製原爆完成全文』
広島?長崎の原爆は「新宿 中村屋」が製造使用した。
http://nipponseigenbaku.com/ CD-Rとして記事は配布されているらしい。
榎本東洲『日本製原爆完成全文』を
当ブログでも抜粋しながら転載させてもらった「煩悩くん フルスロット」さん
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html がレポートしている。
広島の仁科型原爆は10%濃縮で水をかけるだけで起爆というもの
●さらには、広島長崎での地上起爆に先だって、現在の大阪府枚方市禁野本町に該当する地にあった日本陸軍の禁野火薬庫で、1939年3月1日14時45分、事故として処理された大規模爆発において、世界初の核実験をおこなった。
参照:福田元昭の「桜の木になろう」
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-741.html
『524.なぜ「枚方市平和の日」は3月1日なのか?』
●広島長崎での地上起爆であったことを立証する、石壁に刻印された人体の影模様が、頭上からの閃光熱線によるものでなく、人体に横方向に近い角度の閃光熱線によるものであったことが、証拠映像として列挙される。
本物黒酒 @honest_kuroki
いいえ、広島の原爆殺烈2分後の写真、国連掲載のは地表から炎が湧き上がっているが、広島のは消されている
http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/13695/ …
http://a-bombdb.pcf.city.hiroshima.jp/pdbj/detail.do?data_id=121439
福田元昭の「桜の木になろう」
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-744.html
『527.原爆地上起爆説につながる証言や写真が日の目を見ないのはなぜか?』
以上の記事で、地上起爆の証拠映像が列挙されている。
そうして、しだいにくっきりと、浮かび上がることがある。
この国を支配するもう一つの政府のような機関、国民に知らされていないもう一つの天皇制、そしてそれらを支える非合法武装集団の存在、「カラス」あるいは「クロカモ」。
彼らが裏の勢力としてなぜ存在できるのか、電磁波兵器攻撃を実行する勢力(犯人)として、裏で日本国民を武力支配することができたワケ、その権威と財力と武力を形作る「力」の源泉がどこにあるのか?
そして戦後この非合法軍産複合体闇勢力が、日本の各地の地下で核燃料と核兵器製造のプラントを秘かに稼働し続け得たのは、どこに、その可能と力の源泉を得ているのか?
原爆日本軍起爆説は、図らずも、これを探りあぶり出すことになってしまう。
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「煩悩くん フルスロット」
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html がレポートしている、
榎本東洲『日本製原爆完成全文』は、
ベンジャミン古歩道のように「眉つば」を混ぜ込んで自分の論をけむに巻く忍法を使うので、山本富士子や藤圭子や西郷隆盛に関する部分は捨てる必要がある。捨て去って残された榎本東洲『日本製原爆完成全文』に関する所をここに再掲しておく。
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(再掲はじめ)
さらに驚くべきは広島・長崎投下は日米首脳の合意に基づく人体実験であったという話がある。
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1)軍は決号作戦 ― つまり本土決戦に狂奔し、本土を2分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六元帥)の担当とし、予想されるアメ リカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えていた。そして最初に本土上陸の敵を迎える第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていたのである。その本拠は 山陽本線広島駅から北へ歩いて5分、元騎兵第5連隊の兵舎の中にあった。ここは広島の中央を流れる太田川が6本に分かれる2番目の分岐点のあたりで、爆心 地から直線で約千3百メートル。参謀部のすぐ北方、高さ125メートルの二葉山には、司令部の防空壕が掘られていた。・・・
この『昭和史の天皇』に書かれた文章を読んだだけでは、第二総軍の意味が何かは理解できない。爆心地から直線距離にして約千3百メートル、そして、二葉山 に司令部の防空壕がつくられたということは、大きな意味を持つのである。どうしてか。司令部の防空壕の中にいた将校たちは多少の傷を負うが(爆風やガラス の破片で)、全員無事だったのである。参謀部の人々もほぼ死者はなし。
2)広島では出来るだけ多くの兵士(3万人)や児童・学生(1万5千人)等の被験者を意図的に集めて行われた、米国のスティムソン陸軍長官主導で日本の トップが協力した一大イベント、人体核実験だった。世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占するロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)は、第 二次大戦後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す必 要があった。
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一方、日本軍部でも大戦中に2つの原爆開発計画が進んでいた。
■二号計画(陸軍)
理化学研究所、東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学が主体
「熱拡散法」でウラン235を濃縮
仁科芳雄、彦坂忠義
■F計画(海軍)
京都帝国大学が主体
「遠心分離法(サイクロトロン)」でウラン235を濃縮
荒勝文策、湯川秀樹
通説として、福島県石川郡石川町での中学生を動員したウラン採掘(石川石=ウランに富むサマルスキー石)、上海の闇市場で130kgの二酸化ウランを購入しても尚、原子爆弾1個に必要な臨界量(46.5kg)以上のウラン235の確保は絶望的な状況であったという。
※ウラン鉱石にはウラン238が約99.3%、ウラン235が約0.7%が含有。二酸化ウラン(イエローケーキ)に含有するウラン235は60%程度。ちなみに、北朝鮮は採掘可能な埋蔵量が推定400万トンで現在一位のオーストラリア【74万トン】を軽く凌駕。
ポツダム宣言受諾時、日本の原爆開発は基礎段階を出ていなかったとされているが、実は原爆は完成していたという話もあり、北海道の「海軍美幌基地(現・自 衛隊美幌駐屯地)」の地下巨大防空壕には、簒奪したロマノフ王朝の莫大な資産と13機の完全武装したゼロ戦と共に日本製原爆が今でも眠っているという話が あることを煩フル過去記事に書きました。
■大満洲帝國から採掘、山口県・福岡県・京都府で精錬、静岡県三島市(旧大場町)森○食糧工業でウラン235の濃縮、巴工業の遠心分離器
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大日本帝國 明治大帝(西郷隆盛)の世界覇権という野望」に引きずられて、農耕民族だった日本人は鋤鍬(すき、くわ)を38式歩兵銃と背嚢に持ち替えて、 支那大陸(大満洲帝國を建國)・モンゴル・朝鮮半島・台湾・フィリピン・タイ・インドネシアからインドまでの亜細亜大陸全域を手中に治め、太平洋を島づた いにニュージランド諸島からオーストラリア近くまで領土化し、北アメリカ大陸を領土化する手前で、敗走する事態に直面したが、日本製原爆の製造に成功し、 その地上起爆に成功し、人類史上第1号の起爆によって「人体実験にも成功」した訳である。
この日本製原爆製造と成功は、大満洲帝國{チャムス(佳木斯)近郊}から採掘し、精錬済みされた約2,000トン(満洲の終焉:高碕達之助著)超えのウラ ン鉱石(ウラン238)を、満鉄とトラック(日本通運)で大連まで輸送し、大連から「ばいかる丸(バイカル丸―戦後は捕鯨船極星丸)」にて、山口県・福岡 県・京都府などの軍事工廠、燃料工廠で精錬純度を上げ、ウラン235の濃縮は、静岡県三島市(旧大場町、伊豆箱根鉄道大場駅前)の【森○製菓工場(当時は 森○食糧工業)、戦後は静岡県営住宅アパートだったが、ほどなく撤去された。】で、巴工業の遠心分離器を使用して製造していた。
日本製原爆の基礎研究と応用は理研・海軍技術工廠・陸軍技術工廠・東邦産業研究所・多摩近郊の通信技術研究所から、満鉄中央試験所(四川省の重水工場。現 中国科学院 大連化学物理研究所)・満洲電信電話株式会社(満洲電々)・台湾総督府下の大学研究室・朝鮮総督府下の大学研究室など亜細亜全域に物理化学の 人材を求めた訳である。それが、今日の台湾が「電子立国に成功」した経緯であり、北朝鮮の核開発と繋がっている訳である。
現在、世界中が保有している核兵器の起爆装置は全ての例外なく「日本製品」である。それが、原子力産業の中身である。勿論、イギリス・イタリア・ドイツ・ フランス・アメリカの物理学者らの基礎技術提供がなければ製造は完成しなかった訳である。日本国民は、大日本帝國政府の「大本営=天皇と華族」の云う【鬼 畜米英】に踊らされて、無意味な無差別大量殺戮に(戦争)引き摺られただけなのである。
戦争で肥えたのは【大本営=天皇と華族】らなのである。日本国民もアジア民族もヨーロッパ民族も「天皇家の狂気」の為に、塗炭の苦しみに喘いだ訳だし、そ の図式が現在も変わっていないのが問題な訳である。ムッソリーニもヒットラーももう居ないが、天皇家(日本国)とローマ法王(バチカン市国)は命を永らえ て、次の戦争を準備している。
(日本製原爆完成原文より抜粋)
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ノストラダムスで知られる五島勉氏の『日本・原爆開発の真実』によると、日本の原爆は広島・長崎の原爆とは全く異なり、ウラン238を使用する画期的なも のでウラン使用量はアメリカ原爆の7分の1から8分の1と少なく、ゼロ戦でも運べるミニ原爆だったという。それが上記の美幌基地の原爆なのだろう。
※ウラン採掘地である田舎の石川町をB29での機銃掃射が襲ったという話が載っている。
日本・原爆開発の真実―究極の終戦秘史 (ノン・ブック)
(2001/08/28)
五島 勉
原爆は地上起爆であった確たる証拠ビデオ
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みらいくん
2016-08-04 18:23:39
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