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カルマンギア

実は、僕はあまり車に興味がありません。車にお詳しい方は○○気筒、○○CCエンジン搭載、トルク、サスペンション・・。○▽☂※☆△□#・・。

そんなの、どうでもよくって・・。

 

ただ、好みはあるようです。流線型。ここに惹かれるようです。なので、ジャガーを好みました。現在のジャガーは流線型がなくなってしまいましたので、以前ほどの興味はなくなりましたが、ジャガーファンとなってしまいしたので、新しいのも購入してしまいましたが。

 

そんな僕が、昔から気になる車がありまして。偶に見かける車の雑誌などで、「あれっ?」と思う車がありました。

 

「この車何?」

「カルマンギアって言うんですよ。」

「へぇ・・。」

 

それから、また数年後、またまた気になる車が現れました。

 

「おっ!この車何?」

「これですか?カルマンギアです。」

 

またまた、カルマンギアでした。それ以来、その車が頭の中に入ってしまいました。しかし、買うことはないだろうと。カルマンギアは1955年に製造された車です。オールドカーです。なので、中古車センターでしか、手に入りませんし、もうボロボロになっているものが殆どです。でも、惹かれたんですよねぇ。

外形が好きなんです。あの曲線がたまらないんです。それを、敢えて「顔」と呼びましょうか。その顔にやられたんです。もちろん、排気筒などへの興味はありません。

 

CHAGE&ASKAに「vision」という楽曲があります。そのプロモーションフィルム撮影の時でした。目の前に一台の車が現れました。一目惚れです。

 

「こ、この車何?」

「カルマンギアですよ。」

 

この車と縁を感じました。撮影では僕が運転することになるのです。ドアを開け、シートに座ります。決して乗り心地はよくありませんでした。オールドカーなので、操作はオートではなく、マニュアルでした。それでも、良いんです。

巡り会った恋人のような気持ちになりました。しかし、撮影後は、また普段の生活に戻り、カルマンギアのことは忘れていきました。

 

仙台に友達がいます。彼は、車のディーラーをやっていました。ジャガーを手に入れたのも、彼からです。色は、イングリッシュグリーンでした。それはもう、大のお気に入りでした。その彼に、ふとカルマンギアのことを話したんです。

 

「えっ!?ASKAさん、カルマンギアが好きなんですか?それはつうですねぇ。」

「いやいや、車のことはまったく知らないんです。あの顔と言うか、スタイルが好きで・・。」

「僕のよーく知ってる車屋さんが、カルマンギアの専門店でね。紹介しますよ。」

 

話の流れで、カルマンギアを購入することになりました。どうせ、買うのだったら、あり得ないことを注文してみたのです。

 

「外見だけカルマンギアで、エンジン、内装は現代仕様になりませんか?」

「うーん・・。それはどうでしょう。一応、相談してみます。」

 

数日後、返事がありました。

 

「そんなオーダーをされるのは初めてです。」と。しかし、「やってみます。これは、カルマンギアの新しいビジネスになるかもしれません。」

 

3ヶ月後に届くとのことでしたが、納入されたのは半年後のことでした。

カラーはブラックで、新車のようでした。ピカピカなのです。内装は、従来のカルマンギアのままでしたが、とても中古には見えませんでした。

 

「すごいですねぇ。新車じゃないですか?」

「開発チームが、これは新しいビジネスにしようということで、8台のカルマンギアを、1台にしたんですよ。」

 

値段ですか?

5千万円。

 

嘘です。

 

5千万円引く4千700万円。

つまり、300万円ほどで手に入れることができました。

開発チームの心意気、新しいビジネスへの試作品ということで、破格の安さで制作してくれました。エンジンはフォルクスワーゲンのいちばん新しいエンジン。本来ならあり得ないマニュアルからセミオートマ(クラッチが無い)、クーラー、そしてナビゲーション付き。

 

カルマンギアマニアの方たちから言わせれば、そんなのカルマンギアではないと、言われそうですが、いいんです。現代に蘇ったカルマンギアですから。あの形、あの顔の車で街を走るのが好きです。ネットでは、マニアの方たちが、

 

ASKAさんを、カルマンギアメイトに入れよう。」

 

と、言ってくれています。ありがとうございます。どうぞ、仲間に入れてください。

 

これは、またまた偶然なのですが、宮崎駿さんと「ON YOUR MARK」でコラボしました。みなさんにはお馴染みの作品です。あのアニメの中で、ふたりが乗っている車。カルマンギアなんです。僕のところへ来るべくした車なのだと思っています。

ASKA

 

散文詩について

みなさん、今日も暑い日でしたね。熱中症になってはいませんか?

さて、先日もお伝えしましたが、散文詩は今の僕の気持ちを反映したものではありません。今、ご覧になっている散文詩のほとんどは、去年の10月頃までに書かれたものです。そして、退院後から、また少しずつ書き始めています。

 

悩みや、葛藤を表現した作品の多くは、その頃のものです。このブログのコメントに対して、思いを馳せたものではありません。

 

子供の頃には、言葉では上手く表せないという思いから、喧嘩もしましたが、

少しずつそれもなくなり、他人に刃を向けることはなくなりました。なので、他人からも刃を向けられることもありません。つまり、刃を知らないので、防御も知らないのです。

 

このブログを開始したのは、あまりにもいい加減なマスコミの報道によって、みなさんの心が振り回されているだろうなと考えたからです。「公式の場で」という発言も目にしましたが、現在、公式の場はありません。ここが公式です。スタッフは、毎日目をとおしてくれております。

 

僕は、転院先の病院で「700番 第2巻」を、書き上げました。1 月の入院騒動から退院までのことです。今、それを、どのように公開するか考えているところです。書籍化するかもしれません。第1巻のようにネット公開するかもしれません。しかし、公開されると困る人たちがいます。追い詰めるという行為になって、それはやがて僕の元へ、そのまま返ってくるでしょう。まだ、迷っています。実は、2巻を書き上げた夜、その本は、いとも簡単にパソコンから削除されてしまいました。しかし、書き上げて直ぐ、弁護士の元へ送ってありましたので、送信の添付ファイルより、手元に戻って来たという経緯があります。CD-Rにも記録しました。

 

ですので、ブログを始めるに当たって、様々なことを考えました。最後まで、迷ったのが、コメントの開放です。最初の記事にも書きましたが、多くの方から「コメントだけは受け付けない方が良いよ」と、言われていたからです。

 

そして、今、言われています。「あれだけコメントがあって、ブログが荒れていないのは奇跡だよ」と。

 

これまで、みなさんからは、たくさんのお手紙を頂きました。どれも、活動に気力を与えてくれるものばかりでした。ご返信はできませんでしたが、ステージで力いっぱいの気持ちを伝えてきたつもりです。みなさんから頂いた応援が、どの楽曲にも反映されています。僕が、コメントを開放したのは、活動の歴史に基づいてのことでした。それを信じて開放しました。

 

今、僕は、ブログをやって本当に良かったと思っています。すべてを受け入れております。残り、半月ですか。早いですね。僕は、この後二歩目を踏み出します。どうぞ、ご理解の上、このブログを眺めて下さい。ちょいと、真面目になってしまいましたね。みなさん、お気遣いのないよう。足の指がむずむずしてきました。今から、搔きます。

,ASKA

ひとりの群衆

ひとりの群衆

 

 

動作の前に思考がある

気がつかないのは本人だけだ

 

ひとりが死んでふたりになることはない

ひとりを完了するだけだ

 

生きてさえいれば天は見ていてくれる

 

ひとりが叫べば十人集まるかもしれない

十人が叫べば百人が集まるかもしれない

 

百人が叫べば千人

千人が叫べば万人

万人が叫べば群衆となる

 

やがて群衆は国を動かし

自由を勝ち取る

 

部屋に椅子があった

座る人はいない

 

机に本が並んでいた

読む人はいない

 

すべてのことには理由がある

疑いにも疑いは生まれる

 

あっちにもこっちにも左がある

どっちにもこっちにも前がある

 

誰の顔にも顔がある

それを認めて話をすると

それとこれとは別だと言われる

まったくやりづらい

 

当てもない旅に出て得るものは

経験という代物だけだ

だから靴紐がだらりと緩んでしまうのだ

 

僕はいま僕自身と戦っている

ここに居るということがすでに罪なのだ

僕は僕自身の人生の邪魔をしたくない

 

僕は今しわくちゃの下書きでしかない

群衆の先頭に立つのは無理だ

ひとりの強さを持ち合わせていない

 

この世の目を奪う真実は

ありふれた日常のなかにある

 

他人の人生を生きることはできない

生きるように生きることが大切なことなのだ

 

ふと昔の恋人の夢を見た

仕打ちのような別れだったのに

なぜにあんなに優しい目をしていたのだろう

 

目の前の水を一口飲んだ

お茶ではないというそれだけで満足は半分だった

身体が欲してない時にそれを飲んだからだ

 

物事には熟成というものがある

時期待たずして動いてはいけない

 

十年経って届く言葉がある

百年経って認められることがある

 

孤独は受動だが孤立は能動だ

僕はどこをくぐり抜けてそうなった

 

この地上で大切なのは生きる理由だ

もう一度人生を考え直す

ひとりの群衆として

札幌カウントダウンライブ

2003年のできごとです、札幌ドームで「カウントダウンライブ」をやることになったのです。2003年から2004年を迎えるカウントダウンライブです。キャッチフレーズは、

 

「今年は札幌に決定いたしました」

 

春先から準備が始まりました。イベンターと、何度もやり取りを交わし、不備のないよう綿密な打ち合わせを繰り返したのです。オーディエンスは、全国から足を運んでくれるでしょう。まずは、ホテルの確保です。旅行代理店などが、それを行うことになりました。次に足回りです。真夜中の1時から1時半にはライブは終了となります。ライブ成功の絵を浮かべていました。そんな時、問題が発生したのです。電車、バスが最終時刻を回り、動かないと言うのです。

 

「申し訳ありません。ここにきてどうにもならない状況になってしまいました。」

 

「交渉はしているが、上手く運びそうにない」とのことでした。ライブ後にオーディエンスが、家へ、ホテルへ帰る手段が無くなってしまったのです。真冬の札幌です。

 

「それでは、お客さんが困ります。もう、発表してしまってます。」

「今も、何とかできるように交渉を続けています。」

「確率はどのくらいですか?」

「ほぼ、ありません。」

「何としても100%にしてください。お願いします。」

「・・。」

 

僕らは、路頭に迷いました。

 

大きな問題です。そのようなライブはやる側もテンションがあがりますので、タイムスケジュールどおり、きっかり1時にライブを終了することができるでしょうか。もし、そのような場合が発生してしまった場合のことを想定して、電車、バスの始発まで、ツアーの記録映画、ライブの二部構成など、いろんなアイデアがバトルされました。イベンターは、それでもそうなるようにバス、電車会社と何度も交渉を繰り返してしてくれたのですが、最終結果はノーでした。前例がないということでした、僕らはデジタル時計のような、時間に狂いのないライブを強いられることとなったのです。その頃、行っていたライブツアーの先々で、「カウントダウンライブ」の発表。そして、オーディエンスに向かい「大晦日は札幌に集まろう!」と、ステージから投げかけ回ってました。全てを計画通りに進行させなくてはならない立場に立たされました。準備は着々と進んでいるかのように見えたのに・・。

 

もう一度言いますが、札幌です。真冬です。記録映画、二部構成が間に合わなければ、お客さんに、始発まで時間を潰してもらわなくてはなりません。ライブの中止も考えました。しかし、ここに来て今更な話です。最悪のできごとです。

 

そして、更に問題が発生いたしました。ドームのスケジュールを押さえることはできていたのですが、札幌ドームを管轄する警察から「中止のお願い」が来てしまったのです。警備ができないとのことでした。4万人以上が集まる場所には、いろんなことが起きます。その警備ができないというのです。ふたつの問題の前では、開催はもう無理であろうということを伝えてきました。悪夢です。

 

上で、述べましたように、カウントダウンライブの発表はしてしまっています。どうにもならない物理的な問題。目の前に大きな壁が立ちふさがってしまいました。どう、中止を発表すれば良いのでしょう。今更、退けません。警察は、頑なでした。僕は、もう自ら動かなくてはならないと考え、ドームを管轄する警察署長に会いに行くことを決めました。しかし、会ってくれないというのです。署長も人です。会ってしまうと、断れなくなるというということでした。

 

人を動かすのは、最後には情熱です。話だけは聞いて頂きたいと伝えました。何度かやり取りが交わされ、やっと、お会いできるところまで、たどり着けたのです。そのツアー中、僕は青森のライブ翌日に、札幌へ飛びました。

署長はとても穏やかな方でした。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。」

「初めまして。ASKAです。」

 

署長は開口一番、

 

「まず最初に、コンサートはできないということを、お伝えしなければなりません。」

 

話は、結果から始まりました。

 

「話は伺っております。今日は、思いの丈だけを述べさせてください。」

 

20分ほど話したでしょうか。情熱は十分に伝えました。しかし、聞き入ってくきれません。とうとう署長が切り札となる話をしてきました。

 

ASKAさん、警察官の我々も人なのです。部下たちにも家族があります。元旦は休ませてあげたいのです。どうか、ご理解ください。」

 

僕は、黙ってしまいました。そのとおりだなと。家族を持ち出されては、どうすることもできません。ほぼ、諦めの境地に入ってしまいました。その時です。

 

ASKAさん、今日はどうしたんですか?」

 

剣道仲間のひとりが、僕が署に訪れているということを聞いて部屋に入って来ました。

 

「おお!久しぶり。」

 

署長が言います。

 

「お知り合いですか?」

「ええ、先日練習をつけさせていただばかりなんです。」

 

みなさんもご存じのように、警察官は「柔道」「剣道」らに、たいへん力を注いでおります。空気が変わりました。

 

「いや、実はね。カウントダウンを札幌でやりたくて署長にお願いに来てるんだよ。」

「で、やるんですか?」

「諸事情があって、難しそうなんだ。」

 

その彼が、署長に声をかけました。

 

「署長。やりましょうよ。やりましょう。やりましょう。」

 

暗雲から青い空が見え始めました。署長は困っています。「部下のために」とう説得でしたが、その部下が、やろうと言い出したのですから。彼は、警察署内で、それなりの立場を持っていたのでしょう。署長は言いました。

 

「少々、時間をいただけませんか?」

 

この時ほど、剣道をやっていて良かったと思ったことはありません。

 

それから間もなくして、許可が下りたのです。ライブをやれることになったのです。後は、タイムスケジュールどおりに、僕らが頑張るだけです。結果、ライブはすべて上手くいきました。

 

 

その警察官は言います。

 

「いやいや、僕の発言でそうなったのではありませんよ。署長が、ASKAさんの情熱に動かされたんですよ。」

 

もし、そうなのであれば、あの日、青森から半ば強引に署長に会いに行って良かったと、心から思っています。人との出会いが道を切り開いて行きます。署長の心の中の変化、本当の決心は、今でも分かりません。ただ、一言。「あの節は、本当にありがとうございました」と感謝を述べさせてください。

ASKA

これから僕にできること

これから僕にできること

 

 

そうか

東京を離れちゃうんだ

 

君とはそんなに頻繁に連絡を取り合う関係ではなかったけれど

電話くれてありがとう

 

お父さんの会社を継ぐことになったのか

音楽を諦められるかい

 

こんなこと僕が言うことではないね

もう君は決心のもと話してくれているのだろうから

 

東京は便利すぎるからなぁ

1日にバスが数本しか走らないところで

君が満足できるか

それが心配

 

田舎でゆっくりと生活がしたいという言葉の裏側を

どうしても切なく受け取ってしまうんだ

 

都会は人が多すぎて住みづらいとみんな言うけど

心の底ではそんなこと思ってはいないはず

 

僕は東京好きだな

この街に住んで35年以上経つけど

僕の故郷は開発が進んでね

街の真ん中に置いてけぼりされたら

自分がどこに居るのかもうわからない

 

君はそれを選んだ

応援するよ

 

君が会社を経営するからといって

音楽を止められるとは思っていない

 

いまはインターネットでどこからも発信できるから

東京に拘る必要はどこにもない

 

長い付き合いだった

これからも連絡くれないか

 

これから僕にできること

都会で起こったいろんな土産話を持って

君の訪問客になること

アクセスログ

おはようございます。僕が、否定的なコメントに振り回されて、心を痛めてるのではないかと、ご心配されている方々がいらっしゃいました。ありがとうございます。僕は、大丈夫です。そのための開放ですから。いろんな思いから、「許せない」という気持ちが先行してのことでしょう。おそらく、今日450万アクセスを超えます。「10日足らずでこの数字は驚異的な数字だ」ということを聞かされました。良い意味でも、悪い意味でも注目をされているのだと思います。

 

ますます、言動に細心の注意を払わなくてはならないと思っています。否定的な意見には、「なるほど」という心構えを持って受け止めています。ただ、揶揄してくるだけのコメントは、心に響きません。4百50万アクセスのうち、そういう揶揄するだけのコメントは、5人ほどです。アクセスログ解析というのがありまして、その方たちの使われているプロバイダーが同じものなので、分かるのです。

 

僕が、これを書くのは僕のためではなく、応援してくれる方たちが、イヤな思いをされているのではないかという見地からです。みなさん、許して上げて下さい。様々な感情によって行動されているだけです。

 

また、毎日ここを訪れるメディアも相当量になっています。一般人を装って書き込みをされているメディアもありす。応援してくれている方たちに、動揺を与えるのは控えていただきたいと願っております。情報収集、保身のためでしょう。僕は、自分の身を証し、すべてを受け入れております。後、半月少々です。これからも、よろしくお願いいたします。

 

また、盗聴集団の嫌がらせは、一切なくなりました。彼たちも必死だったのでしょう。僕のパソコンに侵入しようと一生懸命でした。パソコンのコンソールログには、証拠が残っておりまして、1秒間に40から60の外部アクセスがありました。それらは、姿を隠すために有名なネットショップサイトを踏み台にしてのアクセスでした。今現在は、すっかり無くなっております。ここで発信をすること、逆に手を差し延べることで、それらが無くなったのだと思っております。みなさん、ご心配をおかけしました。ここは複雑なパスワードでログインを行っておりますので、このブログが削除されることはないでしょう。今後も、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

ASKA