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初めてまして

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2016年 8月 4日(木)19時09分42秒
  恐ろしい祈りをされるんですね、全部自分にかえってくるのに、本当に怖いですね。  

広宣流布の南無妙法蓮華経如来の別名は...

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 8月 4日(木)18時44分40秒
  仏意仏勅の公明党。だそうです。反安保法制の学会員は第六天の魔王。悪鬼入其身。反安保学会員撲滅唱題会をしませう。水に落ちた犬を叩け!婦人部幹部のご指導ですよ。(笑)  

名誉毀損の狂言告訴が査問・除名理由であれば?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 8月 4日(木)18時03分13秒
  374919事件は、隠蔽したい事実であったと言う事なのです。だから、口封じに大量会員除名をやっちまった(-_-)

馬鹿丸出し、谷川はリンカン・ゴウカンマだと言う事を査問委員会が自ら証明している。

これからも、査問・除名活動推進で同じように波田地一派だの遠藤文書を聞かれたら、『あなた方は、あのリンカン・ゴウカンマの狂言告訴をした谷川一派ですね~?』とシカトしましょう\(^o^)/

何を聞かれても『あなた方は、リンカン・ゴウカンマの狂言告訴をした谷川一派さん』と応える。繰り返し応えてやると、いくら学習能力無い創価村のサイコ大患部でも分かりますから、十回でも二十回でも繰り返して
『あなた方は、リンカン・ゴウカンマの狂言告訴をした谷川一派さん』と言って教えてあげましょう\(^o^)/
 

(無題)

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2016年 8月 4日(木)17時58分1秒
  法華経の行者をいじめてはる患部さん達は1日も早く、自分の命をみつめるお題目を唱えて反省会をしておくれやす。
ご本尊様のお叱りは本当に怖いどすえ、うちは沢山みてきてますよ!
 

ヨネ島京都長へ

 投稿者:迎賓館  投稿日:2016年 8月 4日(木)17時03分19秒
  まとまったお金が入ったから

貸してあげるよ

金銭貸借は

幹部になれば

免除されるやろ?
 

ヘタレ裏局に次ぐ

 投稿者:京都西京区乃虎(京都のおとこ)  投稿日:2016年 8月 4日(木)16時30分57秒
編集済
  いつまで待たせるんどすか。
処分待ってるんどすえ。
魔の通力が消えずに困ってるんどすが?
儲かりすぎて大変なんどすが?

ヘタレ裏局の方たちお身体は大丈夫どすか?
裏局事務長ヤンキーモッコリ森井役職上がらないどすえ。
裏局副事務長保身モッコリ中村次期京都長は確実どすえ。
裏局書記長電話登録魔モッコリ竹本将来関西長を虎視眈々と狙っておすえ。
裏局使いっ走りヘタレのビビリー岡本次期京都書記長をゲットしますおすえ、家族のためどす。
裏局新人雑用係超ヘタレの自分の頭では考えず権力になびくモッコリ男西京区の区長を狙う松下へっぴり腰松下でちゅ。
裏局盗聴係、現右京区区長、たまには飲酒で運転する、その名も田村タムタムどす。

森井ちゃん、最近人殴ってないか?
中村ちゃん、最近女遊びしてないか?
竹本ちゃん、相変わらず、勝手に人の電話番号登録してないか?
岡本ちゃん、今の調子で池田先生よりも家族を守って一生悔いの残る戦いしてよね。
タムタムも、これからも飲み会の度に盗聴して、上に報告あげてよ。(飲んだ後は代行呼んでね)
松下ちゃん、お前は根っからのアホやから、かわいそうやけど権力になびくやつは、そこでアウトやねん。
兎にも角にも処分待ってるで。
俺も忙しいから、8月の友好期間に処分してね。

追伸
森井雑魚ちゃん、矢野裁判なんで和解した理由を、ここに出てきて説明せいや。

 

自公政権が造りだす怖い時代!

 投稿者:八風  投稿日:2016年 8月 4日(木)16時23分8秒
  先の参議院選挙で隠しカメラで人の出入りを監視し記録を残した。どこかの組織で電柱に
登った思考停止なやつ等と同類か?いつか来た道を悪の執行部とコンペイトウ
が拓いてどうする。馬鹿めら!

大分県警が民進党候補者を監視?参院選期間中に隠しカメラ

■注目ニュース■毎日新聞

 7月10日に投開票された参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居する大分県別府市の建物の敷地内に、同県警別府署員が選挙期間中、隠しカメラを設置し、人の出入りなどを録画していたことが、3日分かった。

▽大分県警別府署:隠しカメラ、「民進党」関連建物敷地内に

http://mainichi.jp/articles/20160803/k00/00e/040/195000c?fm=mnm
 

【374919事件】 査問と現罰

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 8月 4日(木)16時15分7秒
  査問担当者の論調は、聞いたところによると、大体このようだ。

「分派活動をした波田地一派は悪。具体的には組織内組織を作り、その中で幹部批判をした。それは破和合僧に通じる。」と。

分派活動と言う前に確認すべきは「幹部批判の内容」です。
幹部批判の内容とは、「A4用紙3枚の文書」にある374919事件に関する内容。
それが査問の原点です。

この内容が名誉棄損だと刑事告訴をしたが、東京地検で不起訴処分となった証言が投稿されました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/53325

幹部批判(374919事件)が、根も葉もない噂とは言えなくなった事実。
ならば、今までの査問の意味が変わるのは言うまでもありません。

ローカル(地元地域の)幹部は、本部職員ではなく、一般の方が多い。
真面目に信心を貫き、地域からも信頼の厚い方々です。
その方々の、良心と信仰心に付け込み、査問をさせた職員幹部の罪は重い。
しかし、知らなかったとは言え、与同の罪からは逃れられません。

重ねて言うが、査問とは仏法的に、どれほど大変な重罪であるか心得るべきです。

現罰が必ず出るのです。
だからこそ現罰が出る前に、気付いて頂きたい。
全てを失ってから後悔しては遅いのです。
人生の最後を「悲惨」の二文字で終わらせてはいけない。
何のために、今まで信心をしてきたのか、よく考えて下さい。

査問担当者は、池田先生の指導を読み、罪の重さを認識して下さい。
あなた方が査問をした会員は、池田先生の指導を基に声を上げた法華経の行者なのです。

まいえっくす爺様、明確な先生のご指導を投稿して頂きまして誠にありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~
「小事ですらこうした現罰があったのである。いわんやこの迫害の大悪事に、どうして現罰がないわけがあろうか」(同1125㌻、通解)
 末法において、法華経の行者を迫害する者には必ず現罰がある。そう断言しておられる。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(同1039㌻、通解)
 法華経の行者を誹誘すれば仏罰がある。そうであれば、反対に妙法に生き抜く人々に、絶大な福徳があるのは当然ではないか。
 そう明快に述べておられるのである。

全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(5)
07.08.12聖教新聞
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53421
~~~~~~~~~~~~

 

入会させたら放置状態

 投稿者:庶民の怒り  投稿日:2016年 8月 4日(木)15時42分26秒
  とある知的障碍者福祉施設に勤務していた時の話。施設に入所している50代の知的障碍のある女性がご本尊を破ってしまった。私が「偶然に」学会員だということで施設の職員(外部)から相談を受け、苦心して紹介者を探し当て、ご本尊のお取替えをしたことがある。紹介者を探すにあたって、私の所属する地元組織の中心幹部にも相談したが、「いったい何を面倒なことをやっているのだ」と冷ややかな言葉を浴びせかけられたのが忘れられない。
数に追われて、無理やりな折伏を迫られることによって、判断力の弱い、お年寄りや障碍者を入会させてしまう。それはそれで、組織をあげて手厚く面倒を見れば良いのかもしれないが、すぐに次の戦い。戦い。短期決戦。実質、面倒など見る暇もない。そして、このような問題が起きれば、紹介者が責められる。折伏して放置しっぱなしか、と。
こんなことが全国で数えきれないくらい起こっていのだろう。この件では、何と外部の人からの相談でことが発覚したのだ。一歩間違えば、「学会は何をやっているのだ」と信頼を失うことだろう。このような現状の中で、新聞のゴリ押し、選挙のゴリ押しをされて、常識のある外部の人は、「いいかげんにしてくれ」と皆あきれかえっている。
中心幹部が本気で幹部の教育に取り組んでいるならば、こんな問題が起こるはずもない。
常識豊かな行動だの弱者の見方だの後輩を大切になど、実質、スローガンにすぎないのだろう。
 上記の福祉施設では、学会員でない、職員の方が知的障碍のある人と生活を共にし、その生涯をかけて、面倒を見ている。学会員は、ご本尊だけ持たせて、それで終わり。公明党が何をするわけでもない。
 もちろん学会員の中にも個々には、福祉の世界においても身を削るような働きをされている方々も数多くいらっしゃることだろう。身内の介護などを献身的にされている方も多くいらっしゃることだろう。
 だが、学会全体としては、どうなのだろう。「一人を大切に」などといっているが、それがもし、成果につながらないことだと分かると途端に非難をされるのが学会組織の常では、ないのか。
 上からの打ち出しの伝達と成果の数字の報告に明け暮れる活動。信心指導というが、他人の人生を左右しかねない重要なことなのに、カウンセリングの技法や心理学の知見に真剣に学ぼうとすらしない。学会指導だけ信じていればそれでよいと考え世間を一段低く見て、真剣に学ぼうとしない。
もちろんこれは、全体の傾向性を示しただけに過ぎない。個々の学会の方々すべてに当てはまることではない。
「先生や会長は、偉い人だ。だから何を差し置いても犠牲にしても、文句を言わずに守るんだ」これでは、宗門と何も変わらないではないか。いつまで立場の弱い庶民が搾取され、虐げられなければならないのか。
 

あんたは、アホ?

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2016年 8月 4日(木)14時52分38秒
  学習能力のないお方はお帰りやす、ではさいならどす  

原田会長って悪人なの?

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 8月 4日(木)14時35分5秒
  原田会長って、そんなに悪人ですか?
誰が会長でも悪い奴は出て来るんじゃないかなぁ~(-"-)
 

4代以降の会長の実績

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 8月 4日(木)13時38分57秒
  特に長く会長をやった秋谷元会長の実績ともいうべき事実。
圧倒多数の未活動の人を大量生産したこと。

特に原田会長に至っては、さらに除名者を大量に出してること。

「未活動」が大量にいる事実はそのまま4代以降の会長は適切な信心指導ができていなかった証拠というものではないのか。
『54年』で起きたことは「側近のそれぞれ『保身目的』に三代会長を犠牲にした」ということに他ならないのではないのか。
そして4代以降の会長は『保身目的』の活動でしかなかったんじゃなかろうか。
『保身目的』の会長であるから、体曲がれば影ななめなりで、会員側もまた『保身目的』が大量に浸透していったのではないのか。
それが結果的に「未活動」という形で組織を疎遠か、あるいはこの掲示板を妨害してる者のような『保身目的』に他人を潰そうと画策する者か。

原田会長が正しいならば。
なぜこんな大量の未活動ばかりなのか。
なぜこんな大量の除名者が出てるのか。

『未活動』の者が悪いのか?
『除名者』の者が悪いのか?

そうは僕は思わない。
内部ですでに縁してる者にさえ理解されぬものを、外部に理解されるはずもない。
「入会」したら放置状態にされた、なんて最近は特に多く聞くよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

ベストの人材とセカンドベストの人材――池田先生の人材の2つの基準

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年 8月 4日(木)13時23分57秒
編集済
  真・桃太郎 様

はじめまして。おおぐろと申します。

>いやいや、指示されて学会活動する人は、偉大です。未活の一千億倍尊いです。
>「烏合の衆」などと馬鹿にするもんじゃありません。
>新聞啓蒙、折伏、選挙の戦い。皆、勇気を振り絞ってがんばっているんです。

このご意見を見て、ある大幹部から聞いた話を思い出しました。
その方は、青年部時代から今の会長と並び称されてきた方です。

その方が言うには、
「池田先生には、人材についての明確な基準があるように思う。
一つは、学会が新聞啓蒙だと言えば、新聞啓蒙にがんばり、
折伏だと言えば折伏にがんばり、選挙だと言えば選挙にがんばる。
池田先生はそういう実践の方を人材として誰よりも大切にされる。
しかし、先生がそれよりもさらに大切にされ、手放しで賞賛する
人材の基準がある。それは、悪と戦う人、仏敵を倒そうがんばる
人である」と。

「指示されて学会活動する人は、偉大です。未活の一千億倍尊いです」
というのは、おっしゃる通りです。池田先生の思いそのものだと
思います。しかし、「指示されて学会活動する人」は最高の人材か
といえば、そうではない。それは池田先生の考えるセカンドベスト
の人材であって、ベストの人材ではない。ベストの人材は「悪と
戦う人」であるというのです。

では、なぜ、前者よりも後者がより大切か。
それについて、先生が脱講運動にがんばる教宣部の活動について、
「1人の脱講は、折伏10人に匹敵する」という主旨の話を
されたことがあります。

脱講は極悪日顕の勢力を削ぐ活動であり、悪を倒す活動です。
極悪を倒しておかなければ、10人折伏しても全部もってい
かれる可能性があるからです。

日顕の参謀・河辺慈篤の持論は、「大根を抜くのに葉っぱをもって
引っ張ってはダメなんだ、周りを掘っていけばすっぽり抜ける」と
いうものでした。愚直な学会員ががんばって拡大した成果をごっそり
いただこうという算段でした。

日顕はバカだから葉っぱを引っ張って大根を抜こうとしました。
河辺が時期尚早と反対して、「C作戦」の決行が平成2年7月から
年末にズレ込んだのはご存じのことと思います。
河辺は、名誉会長が健在の間はじっくり周りを掘っていき、Xデー
と同時に一気にいただくことを考えていたのです。
河辺は自分の言うことを聞かないで開戦し、宗門を抜き差しならない
状況に至らしめた日顕に失望し、最後は倒すしかないと腹を決め、
戒壇本尊と日禅授与本尊との関係についての日顕の発言を記した
河辺メモを流して亡くなったのでした。

日顕が我慢できなかったのは、名誉会長の“挑発”に乗ったから、
河辺がメモを流出させたのは、名誉会長の“催促”に応えて
だったと見ていますが・・・。
ある宗教学者曰く、「本当に学会(名誉会長)はケンカがうまいですね」と。

話が少しそれましたが、バケツに穴が開いていたらいくら水を汲んで
も貯まらないのと同じように、悪と戦い、極悪を倒しておかないと
いくら聖教啓蒙、折伏、選挙で成果をあげても、すべて悪党に
持って行かれて、悪の勢力を強くする働きしかしなくなるのです。

それが、「指示されて学会活動する人」はセカンドベスト
の人材であって、ベストの人材は「悪と戦う人」であると先生が
考えられていた理由だと思うのです。

そこから考えると、いまの学会は、首脳部が反自民の新進党路線で
進んでいる最中から自公路線を画策し、怪文書「天鼓」事件を
仕掛けて新進党路線派の最高幹部を追い落とすなど、数々の謀略
を巡らして、最後には名誉会長が選んだ理事長まで失脚させた
いわゆる「悪の三位一体」一派に乗っ取られてしまいました。

この結果、まじめな学会員ががんばってきたことがすべて、米軍と
官僚べったりの自民党、日本会議勢力を強める悪の働きしかしな
くなってしまいました。

「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」
――立正安国論のこの御金言をよも忘れてはならない。
 

石原伸晃辞任

 投稿者:天の声  投稿日:2016年 8月 4日(木)13時17分16秒
  都知事選挙の責任とって石原伸晃が辞任

小池支持
自民党支持者51%
民進党支持者31%
公明党支持者30%

本部が指示しなければ、公明は60%小池支持したのではないか?

本部は誰が今回の知事選挙の締め付けを決めたのか?
原田会長
辞任して下さい

蚕の会様
本部は今や、都議会自民党以上のブラックボックス

私怨ではなく、広宣流布をさらに進める為、三代の軌道に戻す会になる一里塚となることを願っています
 

お久しぶりです

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2016年 8月 4日(木)12時48分13秒
  社会福祉の現場が大変な事態です、公明党よ!弱い立場の人を見捨てのか!私達現場の心ある者は悩み苦しんでいる。財源がないと言う前に議員報酬を半分に、防衛費を削減せよ!以上              仏のぐりぐり様、皆様、毎日閲覧させて頂き学ばせて頂いてます。心より感謝申し上げます。  

知ることは努力することだ

 投稿者:モンブラン  投稿日:2016年 8月 4日(木)11時48分5秒
  以前から、幹部の言動が、池田先生のご指導と、あまりに違っていることに疑問をもっていた。ある時期から、御書と入手できる池田先生の著作すべてに目を通すようにした。するとびっくり、組織幹部の言っている内容とは、別世界が、目の前にひらけてきた。御書は、わからないところが多いが、それでも、繰り返し全編に目をとおしていくと、先生の著作の根拠になっている御文を次々と発見できる。特に、この掲示板に遭遇したあとは、気づきの速度が速くなった気がする。

組織幹部の言っている内容が、三代会長のご指導もしくは御書に基づいたものなのか、我見なのか、少しずつではあるが、見分けられるようになってきた。

先生の対談集を読んだ小林節慶応大学名誉教授が、自分も池田先生に守られている一人と気づき、感謝の気持ちをもっていたと、どなたかが、書いておられた。私もまったく同感である。先生の著作は、世界の良識にとって、宝の存在であると思う。

対談集・SGI提言等の内容を、ありとあらゆる工夫をして、学会員に、徹底すべきであると思う。直弟子などと名乗るのであれば、率先して、池田先生の思想を、「普及」すべきである。ましてや、2006年以後の詩やスピーチを発刊しないとは、言語道断。この事実だけで、執行部は、反逆していると私は考える。

佐藤優氏のみならず、私のクリスチャンの友人は、実によく、聖書を学んでいる。御書を常に持ち歩き、質問をすると、御書を開いて、説明してくれる先輩が昔は多くいた。最近は、とんとみない。池田先生の弟子、と自称するのであれば、ぐりぐり様位、三代会長及び御書を研鑽しているのがあたりまえではないか、もっとも私には、佐藤優氏の主張に、同意できない部分が多々ある。

日寛教学を見直すと発表してもう随分時間がたった。さぞかし、内部も敵も、驚嘆するような立派な発表があるのだろう。(皮肉)


昭和54年前後、「池田先生も人間だから」といっていた幹部が複数身近にいた。池田先生は、人間に決まっているがそれが何なんだ、私にとっては師匠だ、あなたたちとは違う、と思っていた。その後、その幹部の一人は、不祥事を起こして、どこかに消えていった。池田先生を何だと思っているのか、許しがたい。

かつて宗門との闘いで、拠点や各家庭のご祈念板に、打倒日顕等書いて、祈っていた。今は、悪の4人組とその仲間たちの名前を書いて、8月24日を期し、学会からたたき出すべく唱題に励む日々である。

職員ではない、一般会員の投稿です。乱文・乱筆はご容赦ください。
 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 8月 4日(木)10時41分51秒
  ダメよ~ダメダメさん

 「涙の谷間に太陽を」の歌のアップ、ありがとうございます。


 職員関係者さん

 蚕の集いの件、良ければ、もう少し詳しく教えて下さい。




ひかり(正義の師子同盟)さん

 「腸内フローラ」の話、ありがとうございます。まさに、「生命の海」ですね。


 

日犬宗は

 投稿者:職員関係者  投稿日:2016年 8月 4日(木)09時02分11秒
  宗門は敵ではない。
学会の中との戦いだ。
 

蚕の集い

 投稿者:職員関係者  投稿日:2016年 8月 4日(木)08時58分29秒
  第二弾、蚕になった職員が
来月決起集会します。
あの3人組とは違います。

 

腸内フローラ

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 8月 4日(木)07時57分57秒
  おはようございます。

朝はヨーグルトやヤクルト、あるいはヌカ漬け、納豆などの、発酵食品を召し上がる方が、多いと思います。

猛暑を乗り切る食品として、点滴と同じと言われている「甘酒(麹で作ったもの)」なども、発酵食品。

ところで、なんでこんな話をしているかと言うと、「腸内フローラ」の話をしたいのです。


「腸内フローラ」は、私が常日頃社会をとらえる基本にしているものです。
組織論というよりは、生物学的な、人間社会へのアプローチ、はっきり言って勝手にそう考えております。

腸内に住み着く腸内細菌は100種類程度。
個数にして100兆個程度。
これが、種類ごとにまとまってびっしり腸壁に生息。
この様相は、花畑のように美しいものらしいです。
それで「腸内フローラ」(腸内細菌叢・ちょうないさいきんそう)というそうです。

そして、皆様御存知の「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」の話になります。
(分かる方は、この辺で何を言いたいか予想がつきますでしょう)


・善玉菌=ヒトの体に有用な働きをする。
・悪玉菌=腸内のものを腐らせたり、有毒物質を作る。
・日和見菌=善玉とも悪玉ともいえず、その時の優勢なほうに味方して作用。

この、善玉・悪玉・日和見ですが、理想的バランスの割合が 2:1:7
常にこのバランスであることが望ましいと。
このバランスであれば、悪玉菌も、有用な働きをするのですね。


生物学的な見地は、踏襲される、というのがひかりの人間観察スキームです。
ですので、悪玉の存在も認めておるのです。

しかし、病態だったり、死に体だったりするときは、悪玉が優勢になり、日和見もそちらに加勢し、
自滅の道を行く、と。

善玉菌が劣勢を跳ね返し、悪玉を黙らせ、有用な動きに変え、日和見にこちらを加勢させねばなりませんね。
と、思っているのです、いつも。


 

わが友に贈る 2016年8月4日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 8月 4日(木)07時10分54秒
  読書は人生の宝。
毎日少しでも
良書に触れよう!
学び続ける人に
真の充実と成長がある。
 

おはようございまさす。

 投稿者:ダメよ~ダメダメ  投稿日:2016年 8月 4日(木)06時12分24秒
編集済
  昭和40年代、かつてのNSA(日蓮正宗オブアメリカ)のメンバーが替え歌にして歌っていたのがこの歌。「アメリカ本部に太陽を」
メンバーが日本の先生を恋慕し、先生をアメリカにと、先生を太陽に置き換えて歌っておられました。
「貧乏人と病人」と言われえていた、まさに当時の学会員の心情でもあると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=PUzpeEJWPFM
 

三宝は一体!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 8月 4日(木)06時01分32秒
   「仏」の生命を「根本清浄」と表現する時があります。「久遠の仏」や「永遠の仏」と同じものです。「清浄」といっても、汚れが一切ない清浄ではない。汚れを凌駕している清浄です。「平穏」といっても、騒ぎがない平穏ではないのと同じです。
 中に汚れを蓄えての「清浄」、中に騒ぎを内包しての「平穏」ということであるでしょうか。

  これは、「円満」が「個」を必ずしも融合したものではなく、「個」として全体の中に存在し、しかも「円」として「満つる」こととも一致します。それは、全体の中で、個が和することと同じだと言えないでしょうか。

  全体の中で個が和するには、個を律するか、統制する働きが必ずあるはずです。
  三毒・四悪を統制、律することを思い浮かべると解りやすいです。統制、あるいは律するものも、その生命体内にあるはずです。あるいは生じるはずです。そうでなければ、個が安定することはありません。
 それが、全く性分が反対のものなのか、あるいは同種のものなのか、それは分かりません。だが、その双方が在ることで、個々は全体の中で、安定、調和する。おそらくは、同種のもの、異なるもの、その両方があるのでないでしょうか。
 では、反対のものであるにしろ、同種のものであるにしろ、調和に向けて生じるものというのは、一体、何ものなのかということです。

  言うまでもなく、われわれの生命も、十界も、三千も、妙法蓮華経の「変仮相」です。その十界、三千を統制、律するものもやはり、妙法蓮華経であるはずです。そうでなければ「妙法蓮華経」の「法」ではありません。

 こんなふうに仰せです。何回も、引かせて頂いた仰せです。
 「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり、己の心を見るは三千具足の仏を見るなり分身とは父母より相続する分身の意なり、迷うときは流転の分身なり悟る時は果中の分身なり、さて分身の起る処を習うには地獄を習うなり、かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」(御議口伝P797)。

 「妙法蓮華」の知見であるのだから、妙法蓮華から生じた十界の衆生も、三千の群類も、それは皆、妙法蓮華という自身の変化相(=塔婆)を見ることと等しい。十界の相違はあるけれども、己が身を見るのは変化相の三千が具足する「塔」を見るということであり、己の心を見るというのは三千が具足する「仏」を見るということであると。「心身」に立て分けておられます。
 そして、分身とは妙法蓮華の父母から相続する分身の意味であって、迷う時は流転の分身となり、悟る時は果中の分身となると。その、分身の起る処を習うには地獄を習うことであり、その宝塔も妙法蓮華経の五字より外はまったく無いのであって、妙法蓮華経を見れば、宝塔が即一切衆生であって、一切衆生が即南無妙法蓮華経の全体である、と読むことができます。

  つまり、この宇宙は、あの重力を生み出す「ヒッグス粒子」と同じように、同種にも、反対のものにも成りうる、妙法蓮華経という宇宙の根源の「法」が充満していて、必要に応じて、あるいは縁に触れて、いつでも、どこでも、「変化相」となって、顕れ得ると言うわけです。

  六道を律し、治めるのは、梵天・帝釈天です。欲界の頂上には第六天の魔王もいます。
  生命の再生作業というのは、「清浄」を送り込むことではないのか。それが「南無」であり、「帰命」であり、「希望」であり、「善知識」であり、時に、「若い命」や「初生」がそれを代替えしたりするでしょう。根底は「信」です。

  電車に乗っていて、面白い話を耳にしました。少し以前の話です。
 若い女性二人が話します。中央線・車中だったと記憶します。
  「涙が出るあいだは、まだ哀しみにたえられるんだって。お母さんが言ってた」。

  古い世代ならご存じのはずです。それは、もう亡くなりはしたが、島倉千代子の「涙の谷間に太陽を」の一節です。
  それを、娘の母が聞き、娘に語り、その娘が友だちに語っている場に、私が出くわしたというわけです。

 歌の一番はこうです。

 流れる涙 あるかぎり
 まだ悲しみに 耐えられる
 あなたよ 心に燃えている
 若い命を 信じよう
 呼ぼうよ呼ぼうよ 太陽を
 涙の谷間に 太陽を

 確か、島倉千代子はこの時、阪神タイガースの某有名選手との離婚で苦悶にあえいでいた時です。作詞家の西沢爽氏もそんな島倉を気遣ってに贈った詩だったのでしょう。

 「まだ悲しみに 耐えられる」もさることながら、「若い命を 信じよう」の方がより重厚なのではないのでしょうか。
 「若い命」――青年時代。幼少時代。誰もが純情だったはずです。その「心」を蘇すことができれば、人は蘇ります。「若い命」を復活させられます。そして催眠術療法のように、もっともっとさかのぼって、生まれる前の、そのずっと前までさかのぼると、きっと久遠の生命、元初の生命があるのではないか。きっとそれは、「根本清浄」ではないのかと。そう思ってもみるのです。

  その三番には、こうあります。

 木枯らしの道 辛くても
 ひとりじゃないぞ 負けないぞ
 あなたよ 明日の幸せは
 結ぶこの手に 花ひらく
 呼ぼうよ呼ぼうよ 太陽を
 涙の谷間に 太陽を

 「結ぶこの手」というのは、「人と結ぶ手」と同時に、もうひとつは「げんこつ」です。「花ひらく」は自分自身の「分身」です。上記の「分身の起る処を習うには地獄を習うなり」です。「げんこつ」を握るその悔しさが、「明日の幸せ」へ「花開く」ことになるのです。そう読んでみました。そのために必要なのが「太陽」です。「師匠」です。「永遠の師匠」です。

 島倉千代子は、この歌をコンサートの最後に歌っていたようです。ちなみに、私は一回も参加したことがありません(笑い)。

「涙の谷間に太陽を」
 歌 島倉千代子 作詞 西沢爽 作曲 和田香苗

 西沢爽氏の作詞にはこのほか、美空ひばりの「ひばりの佐渡情話」、島倉千代子の「からたち日記」、小林旭の「ギターを持った渡り鳥」、舟木一夫の「仲間たち」「あゝ青春の胸の血は」などがあるようです。いつまでも、青年の心を持っていた作詞家だったのでしょうね。いえ、詩人というのは、本来、そうなのでしょう。池田先生も、桂冠詩人です。

 青年の時代の思い、青年の時代の決意、青年の時代の約束を守る人こそ、真の「青年」です。

 人と組織の関係は、仏、法、僧(=僧伽)の「三宝」に集約されるのではないでしょうか。人間主義の師匠が必要です。その法も不可欠です。そして、善知識としての僧伽(組織)も必要です。だが、伽藍としての僧伽にこだわり過ぎれば、師匠と法をいつしか失ってしまうことになりかねません。仏、法、僧伽の「三宝」は一体のものなのです。


 

ひらがなプロジェクトに源遠長流 安楽産福士 日眼女造立釈迦仏 3編です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 8月 4日(木)02時22分47秒
  ひらがなプロジェクトに投稿します。
源遠長流 安楽産福子 日眼女造立釈迦仏 3編です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、久しぶりに楽しいブログを観させていただけました。
おそらくですが、権力者による会員弾圧の歴史が変革する、

記念すべき一日だったのではないでしょうか。( `ー´)ノ

たかがブログ、されどブログ、この板はすごいですよね。

宝冠様、お願いしますよ。
> 8.24
池田先生の入会記念日
伸一会の日
壇上総入れ替えの日にします! <

ガラガラポンですか、2・3日前までは、「どうしたもんじゃろのう」
と思案投げ首だったのですよ。

大きな古時計(^^♪

大きなのっぽの古時計
おじいさんの時計
百年いつも動いていた ごじまんの時計さ
おじいさんの生まれた朝に
買ってきた時計さ
いまはもう うごかない その時計
百年 やすまずに チク タク チク タク
おじいさんといっしょに チク タク チク タク
いまはもう うごかない その時計

なんでも知ってる古時計
おじいさんの時計
きれいな花嫁やってきた
そのひも うごいてた
うれしいことも かなしいことも
みな知ってる 時計さ
いまはもう うごかない その時計
百年 やすまずに チク タク チク タク
おじいさんといっしょに チク タク チク タク
いまはもう うごかない その時計

まず、この暗黒の時は止まって、数年は動かない古時計と思っていたら・・・。

この歌がいきなり浮かんできて、一つの時代が、やっとうごきだしたって感じです。
 

全国最高協議会全文2

 投稿者:まいえっくす爺  投稿日:2016年 8月 4日(木)02時20分16秒
  全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(5)
07.08.12聖教新聞

8.24 入信60年 師弟は勝った!
恩師は語った最大の苦境で「苦労ばかりかけるが、君の師匠は私だよ」
平和へ! 190カ国に希望の大法

広宣流布のための協議会、ご苦労さま!
 いよいよ、これからが大事である。私は、次の学会をつくるために全力を尽くしている。
 大切な学会の同志が少しでも元気になり、生き生きと戦えるように、あらゆる手を打っている。
 尊き友の前進の力になればとの思いを込めて、懇談的にスピーチを行いたい。

19歳での出会い
 一、まもなく私の入信記念日である、8月24日が巡り来る。
 今年で、私は入信60周年を迎える。
 昭和22年(1947年)の8月14日。友人に誘われて参加した学会の座談会で、初めて戸田先生とお会いした。
 あの日の情景は、今も鮮やかに胸に焼き付いている。
 当時、私は19歳。
 戦後の混乱の中で、自分の進むべき道を必死に探していた。人生の師とすべき人を求めていた。
 〝正しい人生とは何か〟など、私の率直な質問に対して、先生は一つ一つ明快に答えてくださった。
 先生は戦時中、軍部政府と戦い、2年間の獄中闘争を貫かれた方である。
 その言葉には、深い信念が脈打っていた。確固たる哲学と人間性が光っていた。
 この人の言うことなら信じられる──私は、そう直感した。
 そして、その10日後に入信したのである。
 他方、妻の入信は昭和16年の7月12日。小学校4年生の時に家族とともに入信した。
 今年の7月12日で入信66周年となった。
 戦時中、妻の家では、牧口先生をお迎えして、特高刑事の監視のもと座談会が行われた。
 権力からの圧迫にも微動だにせぬ、師子王のごとき牧口先生の勇姿を、妻は幼い生命に焼き付けたのである。
 幼いころから学会の庭で成長した妻は、いわば未来部の〝1期生〟と言えるだろう。

「二人は満点の弟子だった」
 一、仏典には、「六を以て具足の義と為す」と示されている。「六」という数には「具足」──すなわち〝すべて満足して具わる〟との意義がある。
 私が入信した時、学会員は実質、わずか500人から600人ほどであった。まったく無名に等しい教団だった。
 しかし、この60年間、あらゆる難を勝ち越え、今や世界190カ国・地域に広がる、人類の希望と輝く大盤石の創価学会となったのである。
 大聖人は「如説修行抄」で仰せである。
 「真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となるならば、三類の敵人が必ず現れるのである」(御書501㌻、通解)
 私と妻は、その覚悟で三類の強敵と戦ってきた。師匠・戸田先生を、命がけでお守りし抜いてきた。奥様をはじめ、先生のご家族にも最大の心を尽くした。
 先生の事業が挫折した時も、私は一切をなげうって先生を支えた。働きに働いて、莫大な負債を返済した。まだ20代の前半であった。
 夜中に突然呼ばれて、先生のもとへ駆けつけたこともあった。
 そして、弘教の戦いをはじめ、あらゆる広布の戦いで大勝利を収め、広宣流布の道を断固として開いてきた。
 先生は、本当に喜んでくださった。
 戸田先生はご逝去の前に、私と妻に、しみじみと語られた。
 「大作と香峯子は、本当に私に仕えてくれた。
 本当に私を護ってくれた。本当に広宣流布のために、命を賭して、戦い抜いてくれた。
 二人は、満点の弟子だったよ。俺の人生は、二人のおかげで大満足だった」
 そして今、この広宣流布の師弟の道を受け継いでくれるのが、わが青年部であり、わが未来部である。私はそう深く確信している。

入信3周年の日
 一、昭和25年、私の入信3周年の8月24日も忘れ得ぬ日であった。
 この日の夜、突然、戸田先生が学会の理事長を辞任することが発表されたのである。
 私は愕然とした。
 その後で、先生のもとへ行って、お聞きした。
 「先生が理事長を辞められると、これから、私の師匠は誰になるのでしょうか......」
 先生は、ニコッと笑って言われた。
 「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
 当時、戸田先生の事業は最も困難な状況にあった。
 窮地に陥った先生を、罵る人間もいた。先生のもとを去っていった人も数多くいた。
 しかし、私にとって師匠は戸田先生お一人であった。
 どんな状況になっても師匠は師匠である。師の偉大さは変わらない──私は、この信念で戦い抜いたのである。

言論戦の時代
 一、実は、この日の昼前、私は戸田先生とともに、ある新聞記者との会見に臨んでいた。
 先生の事業の破綻を察知した新聞が、悪意と無認識の報道を行ったら大変なことになる。それを何とかして食い止めようとしたのである。
 記者との交渉が終わった後、私は戸田先生と二人で歩きながら、語り合った。
 その際、先生は言われた。
 「言論の自由の時代だ。一つの新聞を持っているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、新聞を持たなければならない。大作、よく考えておいてくれ」
 聖教新聞は、この8月24日の師弟の語らいから生まれたのである。
 広宣流布は、間断なき言論闘争だ。
 仏法の偉大さと学会の正義を、人々に教えていく。民衆を不幸にする誤った思想は、明快に破折する。
 「破邪顕正の言論紙」たる聖教新聞の拡大こそ広宣流布の命脈である。
 このほど、この聖教の拡大をさらに推進していくために、昨年、発足した「広布新聞会議」が新体制でスタートすることになった。 同会議の議長には原田会長、副議長に正木理事長、原田副理事長が就任した。
 また総合議長に秋谷栄之助、最高参与に青木亨、両氏が就いた。
 さらに各方面や県の「広布新聞会議」も、各方面長や県長らを中心に、さらなる拡大の推進に取り組んでいく。
 どうか、はつらつたる大前進をお願いしたい(大拍手)。
 ともあれ、重要なのはリーダーが拡大の先頭に立つことだ。
 信心の世界において偉いのは、だれか。
 それは広宣流布のために戦った人である。実際に、広宣流布を拡大した人である。
 自分は号令だけかけて、皆にやらせるというのは最低だ。結局、「上」が動く以外にない。
 組織がよくなるのも、悪くなるのも、リーダーで決まるのである。

誇る者には大罰信ずれば大福徳
 一、思えば、私が入信して以来の60年間は、大難また大難の連続であった。
 民衆勢力の台頭に恐れをなした権力者による、不当な弾圧もあった。嫉妬に狂った坊主らの卑劣な策謀もあった。
 自らの欲望に負けて同志を裏切り、学会に反逆した輩も出た。
 しかし、広宣流布の和合僧団である創価学会に仇をなした者たちは、最後は皆、敗れ去った。社会からも相手にされず、哀れな末路を歩んでいることは、皆様がご存じの通りである。
 御聖訓には厳然と仰せである。
 「日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう」(御書266㌻、通解)
 また、大聖人は、過去に仏法を迫害した者たちが厳しい現罰を受けた例を引かれ、次のように仰せである。
 「小事ですらこうした現罰があったのである。いわんやこの迫害の大悪事に、どうして現罰がないわけがあろうか」(同1125㌻、通解)
 末法において、法華経の行者を迫害する者には必ず現罰がある。そう断言しておられる。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(同1039㌻、通解)
 法華経の行者を誹誘すれば仏罰がある。そうであれば、反対に妙法に生き抜く人々に、絶大な福徳があるのは当然ではないか。
 そう明快に述べておられるのである。

戸田先生とつくった聖教新聞
リーダーが拡大の先頭に

民衆勝利の歌高らかに
一、戸田先生は指導しておられた。
 「正義の学会を弾圧し、迫害し、愚弄した権力者は、永久に忘れてはならない。
 とともに、善良な学会人を苦しめ、嘲笑い、侮辱してきた権力者を、断じて許してはならない。『仏法と申すは勝負をさきとし』である」
 正義なればこそ、断じて勝つ
 非道の輩は断じて許さない!
 ──この決意で戦い抜いてこそ、勝利を得ることができるのである。
 〝中央アジアのゲーテ〟と讃えられた、15世紀のシルクロードの大詩人ナワイーは謳っている。
 「善を軽蔑するのが悪人の本性だ。そんな者など相手にせず、遠ざけよ」
 私は、光栄にも、この大詩人の名前を冠したウズベキスタン共和国のナワイー市から、「名誉市民」称号の決定通知をいただいている。
 ナワイー市はシルクロードの要衝として栄えた街であり、目覚ましい発展を続ける近代都市でもある。
 創価大学の記念講堂の前には、ウズベキスタン共和国から寄贈されたナワイーの像が、学生たちを見守っている。
 我らもまた、「新しき友情の道」を生き生きと進んでまいりたい。
 民衆勝利の詩を、高らかに歌いながら!(大拍手)

(2007・8・8)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(6)
07.08.14聖教新聞

昭和54年5月5日、快晴。神奈川文化会館で揮毫
我一人正義の旗持つ也
戸田先生の遺言 『第3代は一生涯、会長として指揮を執れ』

一、こまやかな気配り、温かな心遣いで、人々を包容していく。それがリーダーの務めである。
 「ここまでしてくれるのか!」と思われるほど、会員のことを考え、会員に尽くしてあげられる指導者になっていただきたい。
 とくに婦人部、女子部に対しては、本人には当然のこととして、ご家族に対しても、丁寧にお礼を申し上げていくのだ。
 皆、さまざまな家庭状況の中で、一生懸命、広布のために戦ってくださっている。そのことを絶対に忘れてはいけない。
 一人一人の苦労を、深く深く、わかってあげてほしい。冷酷な、無慈悲な幹部になってはいけない。
 うわべだけの言葉や、お世辞などではなく、まじめに、心を込めて、感謝を伝えていくのだ。

人生の最高学位
一、仏法も、人間の生き方も、誠実が根本である。
 学歴や地位が何だというのか。そうしたものは、人間の偉さには、まったく関係ない。ましてや、仏法の世界は、平等な同志の世界である。
 広宣流布のために、どう働いたか。広布の団体である創価学会のために、どう尽くしたか。同志のため、民衆のために、どれだけ汗を流したか。
 それこそ、生命の学位であり、仏法の学位である。人生の最高学位である。
 「私は最高の人間学を修めている」との誇りを持って、勇んで広布に進んでいただきたい(大拍手)。

研修で心を磨く
一、ここで、「研修」の意義について少々、触れておきたい。
 「研修」には、元来、「学問や技や芸などを、みがき、おさめる」との意味がある。
 「研」の字には、「みがく」「とぐ」「きわめる」、さらに「すべて精密にものを仕上げる」「研ぎ澄まして見る。汚れを磨きとって、本質を見きわめる」といった意味がある。
 「修」には「おさめる」「なおす 「ならう」「きよめる」、さらに「でこぼこを取り去り、整える」「欠けている点を補う」等の意味が含まれる。
 学会の研修会は、牧口先生、戸田先生以来の伝統である。
 正しき師匠に薫陶を受けてこそ、自分自身の心をまっすぐに正していける。
 師のもとで、わが生命を磨き、清め、正し、深め、広げ、強めていくことは、最極の研修である。
 戸田先生は、あるとき幹部にこう言われた。
 「君が同志だから、私は厳しく言うのだ。人間は、厳しく言われなくなったら、おしまいではないか!」

「最も尊敬する人物」の一人に
一、きょうは責任ある最高幹部の集いである。
28年前、私が第3代会長を辞任した当時の話をしたい。
 昭和54年(1979年)の4月24日、火曜日。私は、第3代会長の辞任を新宿文化会館で発表した。
 全国から集った代表幹部からは、「どうして先生が辞めなければいけないんですか!」「先生が辞められることは、納得できません!」との声があがった。
 その後、私は聖教新聞社のロビーで記者会見を行った。
 歩いて自宅へ戻ると、妻が、いつもと変わらず、微笑みながら、「ご苦労さまでした」と迎えてくれた。
 5月3日、創価大学で、会長辞任の本部総会を終えた後、私は、そのまま神奈川文化会館へ向かった。
 学会本部には、私の指揮を執るべき席はなかったからである。
 時として、小さな管理者室で執務することもあった。それほど冷たい執行部だった。
 この5月3日付の「読売新聞」の朝刊に、日米の国民の意識調査の結果が掲載された。
 そこには、日本人が「過去、項在を問わず最も尊敬する」日本人の名前が、上位20人まで挙げられており、第6位として私の名前が出ていると、ある幹部が教えてくれた。
 吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして昭和天皇と続き、その次が私であった。
 会長を辞任して迎えた5月3日の記事に、私は不思議な感慨を覚えた。
 無名の庶民の代表として、私の名前が出たことを、同志がどれほど喜んでくれたか。
 一方、その意義を感じられず、嫉妬の眼で見つめる愚劣な連中の心は、本当に浅ましかった。

世界広布へ!
一、5月3日から6日までの4日間、私は、神奈川文化会館で指揮を執った。
 この折、神奈川文化会館の前の山下公園通りでは、横浜港の開港120周年を祝う「みなと祭」のパレードが盛大に繰り広げられていた。
 妻は「素晴らしい行事です。まるで、あなたを歓迎してくれたようですね」と言った。
 この間、幾千、幾万の学会員が、私を求めて、連日、神奈川文化会館へ来られた。
 私のいる窓に向かって、山下公園から手を振る同志に、私も、妻と共に手を振って応えた。
 広々と海が見える神奈川文化会館で、私は全世界の広宣流布の構想を練り、人知れず、手を打っていった。
 この時の戦いが因となって、当時、90カ国ほどであったSGI(創価学会インタナショナル)は今日、190カ国・地域への拡大という大発展を遂げたのである。
 5月5日、快晴。この日、私は「正義」の揮毫をしたためた。脇書には、「われ一人正義の旗持つ也」と記した。

陰で戦った人を決して忘れない
一、当時、神奈川文化会館で、陰で戦ってくれた方々のことは、絶対に忘れない。
 代表の方々の名を挙げれば、婦人部では、大曽根洋江さん、岡本雅子さん、大場由美子さん、川井三枝子さん、さらに平塚貞子さんをはじめとする皆さんである。
 運転手の小早川欣也君も、変わらず、そしてひたむきに、奮闘してくれた。彼は平凡な人間だが、根性は立派だった。
 私の運転をしている間、ただの一度も、病気をしなかった。
 役員も、大石秀司君を中心に、本当に真剣に護ってくれた。

学会の常勝の道
一、初代・牧口常三郎先生は、一生涯、会長であられた。
 第2代・戸田城聖先生も、一生涯、会長であられた。
 戸田先生は、遺言された。
 「第3代は、一生涯、会長として指揮を執れ!
 第3代が、一生涯、会長として指揮を執ることこそが、創価学会の常勝の道である」
 第3代会長を、皆で一生涯、護れば、必ず広宣流布できる──これは、執行部が、皆、戸田先生から厳命された遺誡であった。
 しかし、名聞名利に溺れ、嫉妬に狂い、権力の魔性に屈した人間たちが、第3代の私を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした。
 その陰には、提婆達多のように卑劣な謀略の輩に誑かされた最高首脳がいたことは、よくご存じの通りだ。
 一、昭和54年の5月6日、私はいったん信濃町へ戻った。
そして5月11日からは、大東京の開拓の新天地・第2総東京の立川文化会館へ向かった。

婦人部・女子部のご家庭に深く感謝
慈愛のリーダーたれ
「ここまでしてくれるのか!」と気配りを

この日、私は一詩を詠んだ。

西に 満々たる夕日
東に 満月 煌々たり
天空は 薄暮 爽やか
この一瞬の静寂
元初の生命の一幅の絵画
我が境涯も又
自在無礙に相似たり

私は、いかなる嵐の中にあっても、御聖訓を拝し、日天・月天と対話するような心で、悠然と未来の勝ち戦の種を蒔いていった。

世界からの賞讃
一、昭和54年の当時、私が受けていた名誉博士号は、「モスクワ大学名誉博士」の一つであった。
 以来、28年の歳月を経て、私は、皆様の代表として、世界の大学から多くの名誉博士号をお受けした。〈世界の大学・学術機関から名誉会長に贈られた名誉学術称号は、「218」を数える〉
 現在、我らの平和・文化・教育の運動と、人間革命の希望の哲学に、世界中から賞讃が寄せられている。
 透徹した仏法の眼から見れば、三類の強敵、三障四魔と戦い抜いた、創価の三代の正義を讃嘆する、厳然たる「普賢菩薩」の守護の象徴であり、「多宝如来」の赫々たる証明である(大拍手)。

学会厳護の矢面に立つ
「昭和30年(1955年)3月、身延派との「小樽問答」で私は司会を務めた。
 私は第一声から、身延派の信者が続々と学会に入会している事実を挙げ、身延派の誤りを鋭く指摘し、突破口を開いた。学会側の圧倒的大勝利は、この第一声で決した。
 昭和32年(1957年)の6月、北海道・夕張の炭鉱労働組合が学会員を弾圧した「炭労事件」では、戸田先生が、「行ってこい」と私を派遣された。
 そして、私が指揮を執り、完全に勝った。
 炭労事件を解決すると同時に、私は、大阪へ飛び、まったく無実の罪で逮捕された。露骨な宗教弾圧の陰謀であった。
 体の衰弱されていた戸田先生を、断じてお護りし抜くために、私は一身に難を受けきった。
 関西の同志は、私とともに、本当によく戦ってくれた。
 関西は、常に勝っている。師弟の精神で、真剣に尽くしている。
 西口総関西長、藤原関西長、中尾関西婦人部長はじめ、関西のリーダーは、私が先の先を見すえながら、手づくりで、全魂を注いで育て上げた一人一人である。
 今も、その活躍と成長と、人生の勝利を真剣に祈り、じつと見守り続けている。
 守ってあげよう。偉くしてあげよう。これが本当の指導者の心だ。
 私は戸田先生から師弟の血脈を受けた、真の弟子である。広布の指導者の魂を厳然と受け継いでいる。

宗教の弾圧は「人権の弾圧」
一、ともあれ政治権力は、つねに宗教を弾圧しようと狙っている。とくに、日本の風土においては、そうである。
 宗教の弾圧は、人権の弾圧であり、民衆の弾圧である。
 宗教を躁欄する人権破壊の勢力とは、断じて戦わなければならないし、戦わざるを得ない。
 とともに、宗教を理解し、その宗教の価値観を大事にする人々とは協力し、日本のため、世界のために、行動していくべきである。
 ともあれ、「信教の自由」は基本的人権の根本であり、それを死守することは、民主主義の根幹である。
 この基本に立ち、それに反する勢力とは、殉難の決心で、勇ましく、楽しく、戦い抜くことだ。
 事実、私は、そうして戦ってきた。後を継ぐのは、青年部である。

(2007・8・9)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(7)
07.08.15聖教新聞

君よ創価の厳窟王たれ!
恩師と学んだ大逆転の劇(ドラマ) モンテ・クリスト伯
強くなれ! 希望を持て!

一、これからを生きる人々に、イギリスの大歴史学者トインビー博士が与えた〝第一の助言〟は何であったか?
 それは、「死ぬまで青年の精神を保て」であった(毎日新聞社外信部訳『未来を生きる トインビーとの対話』毎日新聞社)。
 ひとたび決めたら、まっしぐらに突き進む!
 燃え立つ心で、新天地へ飛び込む!
 わが身をなげうって、希望の道を開く!
 これが青年だ。
 事業の最大の苦境の時、戸田先生は、私に言われた。
 「広宣流布のために、大作、〝男の生きざまとはこうだ〟というものを、二人でこの世に残そうじゃないか」
 思えば、朝から晩まで戸田先生に仕えきる毎日であった。

阿修羅の如く!
 一、また、先生はおっしゃった。
 「大作、広宣流布のために、君は男として、阿修羅のごとく戦ってくれ。
 たとえどのような結果になっても、すべて御本尊におまかせしよう」
 私は戸田先生が逝去された年(昭和33年)の12月、男子部総会で、「天魔の働きや、三類の強敵がおそいかかってきたときには、阿修羅のごとく力を出しきって戦っていきたい」と叫んだ。
 私は、恩師の言葉のままに戦った。これが報恩の道であると信じて、戦い続けてきた。
 一、戸田先生が愛した小説に、「巌窟王」がある。
 19世紀フランスの文豪、大デュマの傑作『モンテ・クリスト伯』を日本語に翻訳した際、名訳者の黒岩涙香《くろいわるいこう》が、「巌窟王」と訳した。
 主人公は、若き船乗りダンテスである。
 ダンテスは、周囲の悪党に陥れられ、冤罪で捕らえられる。そして、地中海に浮かぶイフ島の監獄、シャトー・ディフに幽閉されてしまう。
 かつて、このイフ島を、フランスの青年たちとともに、マルセイユの港から眺めたことは、懐かしい思い出である。
 監獄でダンテス青年は、師と仰ぐことになるファリア神父に出会い、万般の学問を授かった。とともに、モンテ・クリスト島に埋蔵された、膨大な宝の秘密を教わる。
 投獄から14年後、ダンテスは脱獄に成功し、「モンテ・クリスト伯」と名乗り、社交界に現れた。
 そして、知恵と巨万の富を自在に駆使して、かつての恩人に恩返しをしていく。
 さらに、自分を陥れた怨敵たちに次々と報いを与え、仇討ちを果たしていくのである。
 戸田先生は叫ばれた。
 「私は、宗教界、思想界の巌窟王である。広宣流布の巌窟王である。必ず必ず、獄死させられた牧口先生の仇を討ってみせる!」
 戸田先生が妙悟空のペンネームで書かれた小説『人間革命』の主人公は巌九十翁《がんくつお》という名前だ。言うまでもなく、戸田先生ご自身のことである。
 先生は、あるとき「大作いよいよ、今度はデュマの『巌窟王』をやろうじゃないか!」と言われた。そして、私をはじめ青年部の精鋭が集う「水滸会」で、教材とされたのである。
 一、今も世界中で愛読されている『モンテ・クリスト伯』。
 ダンテス青年は、師に対する感謝を述べている。
 「宝とは、あなたがわたしの頭にそそぎ入れてくだすった知識の光のことなのです」
 「これによって、あなたはわたしを富めるもの、幸福なものにしてくださいました」
 「わたしの得られる真の幸福、それはあなたのおかげなのです」(山内義雄訳、岩波文庫)
 師のいる人生は強い。師と弟子の交流こそ、幸福と勝利の源泉である。
 恩人の息子に、モンテ・クリスト伯は語りかける。
 「お嘆きになるのはたくさんです。男らしくおなりなさい。強くおなりなさい。希望をおもちなさい。わたしがついていますから」(同)
 また、小説の末尾の一節「待て、しかして希望せよ!」は、あまりにも有名だ。この一言に励まされた人は多い。
 戸田先生は、牧口先生の獄死を知った時の心情を語られた。
 「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した」
 この戸田先生の〝巌窟王の執念〟も、根底には「広宣流布」という、燃えさかる「希望」があった。
 戸田先生が、どれほど牧口先生を慕っておられたか。牧口先生の三回忌法要で、戸田先生は「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」とおっしゃった。
 生命の奥底から発せられた、この一言こそ、創価学会の実相である。また、学会の師弟論の真髄である。
 殉教の牧口先生にお仕え申し上げた戸田先生。その戸田先生が復興した学会の勢力を、私は、何倍にも発展させた。師の正義を世界に宣揚した。
 一、平和と文化の言論紙・聖教新聞が創刊されたのは、昭和26年(1951年)4月20日。当初、月3回の発行で、部数は5000部だった。

恩師と学んだ大逆転の劇 モンテ・クリスト伯
強くなれ! 希望を持て!

新しき常勝を築くには?
「師と一緒に」「共と一緒に」前進

記者も少なく、皆、素人だった。
 私は、戸田先生の事業を支える激務のなか、記事を書きまくり、創刊号から、聖教新聞を護っていった。
 学会本部は当時、西神田にあった。
 私は、神田中をまわって、聖教新聞を自ら拡大していった。
 「聖教新聞を、日本中の人に読ませたい」──師の夢の実現のため、足元から行動していったのである。
 昭和30年の1月。私は、「若き日の日記」に記している。
 「素人一名乃至二名で始まったこの紙弾(=聖教新聞)。今、数十万部に近い勢力となる。人々は笑った。素人になにが出来るか、と。(戸田)先生のいわく〝素人も、五年たてば玄人になってしまう〟と」
 私と妻は、常に率先して、聖教新聞の拡大を行ってきた。
 御聖訓には、「仏は文字によって人々を救うのである」(御書153㌻、通解)、「(法華経の)文字変じて又仏の御意となる」(同469㌻)などと説かれている。
 聖教新聞の拡大は、即、仏縁の拡大であり、広宣流布への大折伏の意義があることを、知っていただきたい。
 思えば戸田先生当時、学会の会館は五つであった。現在は1200会館に発展した。SGI(創価学会インタナショナル)は、190カ国・地域に広がった。
 だれもできなかった広宣流布の実証を残してきた。
 勝負はこれからである。皆さんとともに、さらに盤石な、師弟勝利の歴史を築いていきたい(大拍手)。

ミケランジェロ
 「おまえのために働いてくれた人の恩を忘れるな」

「信心」で立て「信心」で戦え
 一、イタリア・ルネサンスの大芸術家ミケランジェロは、味わい深い手紙を多く書き残している。
 ある時、ミケランジェロの甥から手紙が届いた。
 それは、甥の父親──すなわち、ミケランジェロの弟が亡くなったことを知らせる便りだった。
 しかし、便りの中身は粗雑で、肝心の、弟の臨終の様子などが、よくわからなかったようだ。
 ミケランジェロは返事のなかで、甥の杜撰な書きぶりをたしなめた後、「おまえのために働いてくれた人(=甥の父親)の恩を忘れぬように気をつけるがいい」と綴っている(杉浦明平訳『ミケランジェロの手紙』岩波書店)。
 人の心というものは、細かいところ、思わぬところに、にじみ出るものだ。
 これまでの学会の歴史において、大恩ある師匠が迫害の集中砲火を浴びせられている時に、それをせせら笑っている人間がいた。後に退転した者もいた。
 そういう者たちは、最高幹部でありながら、だれ一人として「信心で立つ」「信心で戦う」という根本の姿勢がなかった。悪縁に紛動されたその姿には、信心のかけらもなかった。

リーダーは心と心を結べ!
 一、「師匠を護る」とは、どういうことか。それは大難の時にわかる。
 私と妻は、戸田先生ご一家を、現実の上で、徹してお護りした。口先だけの人間とは、天地雲泥であった。
 先生は、何かあるたびに、「大作!」と私を呼ばれた。その信頼にお応えし、活路を開いた。
 学会全体の弘教が、戸田先生の思うように進まない時があった。
 「このままでは、広宣流布は何千年もかかってしまう」。先生は深く嘆かれた。
 私は戸田先生からの命を受け、低迷している各地の組織に勇んで入っていった。
 そのなかに、東京の文京支部もあった。文京の折伏成果は、当時、最下位クラスだったが、私が支部長代理として戦い、一気に大躍進を遂げたのである。
 かけがえのない、青春の鍛えの日々であった。
 ともあれ、学会の幹部は、断じて偉ぶってはいけない。だれであっても、蔑んではならない。皆、同じ人間である。
 偉ぶるのは増上慢であり、増上慢は人を不幸にする。どんな人も、尊い仏の生命が具わっているととらえるのが、仏法である。
 皆さんは、どこまでも信心根本で、人の心のわかるリーダーになっていただきたい。そのために、どこまでも自分自身を鍛えていただきたい。
 常勝の伝統を築くには、核となる人間が一緒に」進むことだ。
 「師匠と一緒に」「同志と一緒に」──その心があれば、強い。魔に、付け入るスキを与えない。
 離れ離れでは力が出ない。心と心を結ぶのがリーダーの智慧である。
 新しき常勝の歴史を、ともどもに築こうではないか!(大拍手)

(2007・8・9)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(8)
07.08.16聖教新聞

さあ出発だ! 昇りゆく太陽のように
友に勇気を!それが仏法の魂
最も意義深いのは「一対一の対話」

大胆に 新鮮な精神 で進め
ロートブラット博士 青年の情熱を燃やし続けよ


 一、さあ、きょうも、新たな気持ちで出発しよう!
 昇りゆく太陽のように、わが生命を赫々と輝かせながら、生き生きと前進するのだ。
 一日一日が、勝負だ。
 一日一日が、研鑽だ。
 一日一日が、人間革命の闘争だ。
 戸田先生は語っておられた。
 「信心で、白身を磨いていけ! いい輝きが出るようになる」
 大事なことは、リーダー自らが日々、白身を磨いていくことだ。
 自身の弱さと戦い、自分の殻を一つ一つ打ち破っていくことだ。人間革命していくことだ。
 戸田先生は言われた。
 「生命力が弱っていては、戦は負けだぞ!」
 覇気のない幹部。惰性に流された幹部。自分は何もしないで、人にやらせてばかりいる幹部。
 そうした人間に対して、先生は本当に厳しかった。激しく叱咤することもあった。雷鳴のごとき師の叫びに、震え上がる人間もいた。
 多くの人を守り、支えていくリーダーなればこそ、先生は厳しかった。すべて、本人の成長を願っての厳愛の指導であった。
 先生はこうも語っておられた。
 「幹部が自らを指導し、自らが自己を磨いていけば、会員は自然と育っていくのである」

全員が尊き仏子
 一、皆さんは、同志に勇気と希望を送る存在であってもらいたい。
 「人々がどう自立し、生命力強く生ききっていけるか。宗教は、その点に鋭く目を向けねばならない」
 これも戸田先生の指導である。
 愛する同志と肩を組む。一人一人と固い握手を交わすそういう思いで、最前線の友が安心し、自信を持って戦えるように、最大の励ましを送っていただきたい。
 そして、どこまでも謙虚に、誠実に、会員の方に接していくことだ。幹部だから自分は特別だと思ったり、威張ったりする人間は最低だ。
 広宣流布に生きゆく人は、全員が導き仏子である。平等に偉大な存在なのである。

納得が力に!
 一、「二人の人間の間で交わされる、一対一の対話においてこそ、その内容は、最も高く、最も深いものとなる。我々の心は高揚し、そこから、内なる天空に輝き続ける思想はうまれる」
 これは、アメリカの思想家エマソンの卓見である。
 一対一の対話ほど、強いものはない。
 学会においても、幹部が一方的に「上から」話す時代ではない。
 大勢の前で話をして、拍手をもらって、広宣流布が進んでいると思うのは、幻想である。夢を見ているようなものだ。
 もちろん、会合には重要な意義があるし、大きな会合が必要な場合もある。
 しかし、それだけでは、「一方通行」になる。魂に入りにくい。牧口先生も、戸田先生も、座談会のような少人数の集いを重視された。
 そして、一人一人が、対話を通し心から納得して、行動を起こした。だから学会は、飛躍的に発展したのである。
 私自身、大人数の会合で話す際も、なるべく、一人一人に声をかけることを心がけている。
 一対一で語り合ってこそ、本当のことが分かる。一対一の触発があってこそ、一人一人の持つ「大きな力」を引き出していくことができるのである。
 すぐに「人を集める」のではない。
 幹部自らが「会いにいく」。
 友の励ましのために、一軒一軒、足を運ぶ。
 その地道な労苦によって起こした「一波」が、「万波」に広がっていくのだ。

善智識の集い
 一、きょうは、海外のSGI(創価学会インタナショナル)を担当する日本のリーダーも参加されている。
 とくに海外では、その人その人に応じた、柔軟な対応が大事になってくる。
 その意味でも、一対一の対話を地道に積み重ねていってもらいたい。
 また、どうしても、人数の多いところは、にぎやかだし、幹部も目がいきがちだ。
 しかし、同志の少ないところ、これからのところに、どのようにして活動の勢いを広げていくか。それが重要である。
 たとえば、会合に集ってきた人が一人であっても、「よく来てくださいました。きょうは、ゆっくりと二人でお話をしましょう!」と温かく包んでいく。
 弘教が進まなくても、「大丈夫ですよ。信心をしている、あなたが生き生きと輝いていることが一番の折伏なのです」と明るく励ましてあげることだ。
 励ましがあれば、相手の心に「張り合い」ができる。
 そこから、「やってみよう!」「がんばろう!」と前進の力がわいてくるものだ。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう」(御書1468㌻、通解)と。
 ゆえに「支える人」が大事だ。学会は、ともに仏道修行に励む〝善知識の集い〟なのである。
 戸田先生は言われた。
 「自分を大事にするのと同じくらいに、人も大事にしたら、人材も出てくる」と。
 ともあれ、メンバーが功徳をたくさんいただいて、一人一人が人生を楽しんでいくための仏法である。
 そうなるために、真剣に祈り、手を打ち、地道に行動していくことが、リーダーの戦いである。
 海外を担当する皆さん方は、使命ある世界広布のパイオニアである。苦労も多いと思うが、自分自身の大きな歴史をつくっていくのだとの強い気持ちで、勇敢に進んでいっていただきたい。
 一、だれも見ていないところで、どれだけ真剣に祈れるか。広布のため、同志のために尽くせるか。指導者の真価は、これで決まると言っても過言ではない。
 私は見えないところで全同志の幸福のため、学会の発展のために、最大に力を尽くしてきた。命を削る思いで、あらゆる手を打ってきた。
 だれが知らなくとも、諸天善神は厳然と我々を見ている。御本尊が賞讃してくださることは間違いない。
 これが大聖人の仏法である。信心なのである。

平和を語り継ぐ
 一、ノーベル平和賞受賞者のロートブラット博士は、私との対談の中で述べておられた。
 「若者の情熱はとても大切です」
 「青年の情熱、力、意気込みは、時には過激すぎたり、極端になったりしますが、それでも重要です。
 私はいつもそれを、広い心で包み込み、踏みつぶしたり、消沈させたりしないように努力してきました。反対にその情熱を燃やし続けるよう激励してきました」
 博士は90歳を超えてなお世界を飛び回り、平和のため、核兵器の廃絶のために戦っておられた。自身が青年のごとく戦うとともに、若い世代の育成に全力を注がれた。

戸田先生 信心で自身を磨けばいい輝きが出てくる

同時多発テロ事件から間もない2001年10月、私が創立したアメリカ創価大学を訪問し、1期生たちを前に記念講演を行ってくださったことも忘れられない。
 若き世代に、平和への思いを語りたい。青年に、すべてを託す以外ない──そういう思いで、生命を振り絞るようにして講演してくださったのである。
 青年が大事だ。
 青年こそ世界の宝である。平和への希望なのである。
 大きな事業を完成させるために、必要なものは何か?
 ドイツの詩人ゲオルゲは、それは「若い力」と「大胆な企てを敢行する新鮮な精神」であると綴っている(富岡近雄訳『ゲオルゲ全詩集』郁文堂)。
 新しい人材を見つけ、育てていく。不屈の闘争精神みなぎる青年を育成していく以外に、学会の未来もない。
 指導者の皆様は、この一点を深く命に刻んでいただきたい。

勝ち戦の指揮を
 一、この協議会には、信越の代表も参加しておられる。
 先月の新潟県中越沖地震で被災された皆様に、改めてお見舞いを申し上げたい。
 また、地震の直後から青年部を中心として、多くの友が被災者の救援活動に全力で取り組んでくださった様子は、詳しくうかがっている。
 私は妻とともに、愛する新潟の同志が雄々しく立ち上がり、幸福の大道を歩みゆくことを真剣に祈っている。お題目を送り続けている。
 一、ともあれ、いよいよ新たな戦いのスタートである。戦うからには、断じて勝つことだ。勝ち戦をすることだ。
 そのための最高の作戦と行動をお願いしたい。 各地では猛暑が続いている。体調にも十分気をつけて、充実した毎日を過ごしていただきたい。
 各地域に戻られましたら、尊き同志の皆様に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 新たな歴史を断じて勝ち開こう!
 また、お会いしましょう!(大拍手)

(2007・8・10)
 

全国最高協議会全文1

 投稿者:まいえっくす爺  投稿日:2016年 8月 4日(木)02時19分25秒
  全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(1)
07.08.08聖教新聞

皆に『喜びを与える』のが指導者
青年を育てよ! 正義の炎を未来へ
真剣と誠実は勝利! 要領と口先は敗北!

一、はじめに、上半期の全同志の奮闘に、最大に感謝申し上げたい。本当に、ご苦労さまでした。ありがとうございました(大拍手)。また、伝統の夏の最高協議会の開催、ご苦労さまです。
 広宣流布のために、次の戦いを、しっかりと勝つように、心一つに打ち合わせを進めてまいりたい。「勝つ」ことが、全会員の喜びであるからだ。
 そしてまた、「勝つ」ことが、広宣流布が進むことであるからだ。
 仏法は勝負である。勝たねばならない。
 勝つことで、子孫末代も幸福になる。
 勝ち抜いた福徳は、親から子へ、そして未来へ永遠に伝わっていくのである。さあ、創立80周年(2010年)へ新たな出発である。
 断じて勝とう! そのための最高協議会である(大拍手)。
 一、「真剣」と「誠実」は勝利である。
 「真剣」とは、環境や状況がどうあれ、わが責任を果たし抜くことである。
 「誠実」とは、だれが何と言おうが、自分が犠牲になって、勝利に尽くしていくことである。
 その通りに、私は行動してきた。
 最も大変なところで、常に勝利の証しを打ち立ててきた。

苦労は自分が
一、「要領」と「口先」は敗北である。
 叱ったり、号令をかけるのは、指導者ではない。親分だ。
 苦労は自分が背負って、皆は楽にさせてあげる。
 学会を守る。一生懸命に戦ってくださっている会員を大事にする。
 それが指導者である。この「正しき道」を最高幹部がつくっていってもらいたい。
 人を動かそう、人にやらせよう──その怠惰な命は叩き切っていく以外にない。根本の魂を変える以外にない。
 人の心をつかむ人が、指導者である。
 皆を喜ばせてあげる。
 元気にさせてあげる。
 それが本当の指導者である。
 指導者は同志に好かれることが大事だ。
 「いつもありがとうございます!」「本当にご苦労さまです!」と頭を下げて、同志を讃え、感謝を伝えていくことである。
 広布に戦う学会員ほど、尊い存在はない。
 だれもが等しく大切な「仏子」である。
 この尊き司志を守ろう! 真剣な同志に応える戦いをしよう!──その心がある人が伸びていくのだ。
 反対に、同志を軽んじたり、広布の和合僧である学会を私利私欲のために利用する人間の末路は厳しい。
 御聖訓に説かれている通りだ。

弟子が立て!
一、「『師弟』を知った人は、真実の人間である。
 まっとうな人間の世界は、すべて『師弟』があるのだ。
 そして、その人は、勝利の人生を歩む。
 『師弟』をおろそかにする者は、畜生の世界である」
 これが牧口先生、戸田先生の確信であられた。
 私も青年時代から、戸田先生に仕え切った。
 戦後間もなく、戸田先生の事業が挫折。
 再建の見通しはなく、大勢の借金取りに追われ、先生のご心痛は、どれほどであったか。まさに地獄であった。
 その時、私が一人、師子奮迅で立ち上がり、戸田先生の事業を支えた。
 何カ月も月給はもらえない。
 もらえないどころか、私が何とか工面して、また、私と妻の実家にもお願いして、戸田先生をお守りしたのである。
 それから考えれば、皆は恵まれている。
 偉大な戸田先生を貶めようと、悪意のウソを書き立てる人間もいた。
 戸田先生を師匠と思えない慢心の幹部もいた。
 そうした輩と、一切の妥協なく、戦い抜いたのも私である。
 私は祈った。
 ──広宣流布の真実の指導者は、戸田先生しかいらっしゃらない。
 断じて戸田先生に次の会長になっていただくのだ。
 そのためなら若い私は、どんなに犠牲になってもかまわない。
 絶対に私が戸田先生を会長にするのだーと。
 そして、昭和26年(1951年)の5月3日、戸田先生は、晴れて第2代会長に就任された。

新たな前進へ!
〝鍛えの夏〟が到来
「勝つ」ことが広宣流布
リーダーは 自ら戦い
同志を守り抜け
先生は勝った!
 弟子も勝った!
 先生は、すべて分かっていてくださり、「悪いな、大作。ありがとう、大作」と涙を流されたのである。
 さらに私は、生涯をかけて、戸田先生の偉業を全世界に宣揚してきた。
 古代ローマの哲学者セネカは綴った。
 「賢者が偉大である理由は何か。偉大な魂をもっているからだ」(大芝芳弘訳『セネカ哲学会集5』岩波書店)と。
 創価学会の偉大なる「師弟の魂」を、心賢き皆さんに受け継いでいただきたいのである。

言葉の励ましから最高の力が
一、青年時代、私は戸田先生のもとで多くの古典や文学作品を学んだ。吉川英治氏の『三国志』も、その一つである。
 ある時、先生が「諸葛孔明の、あの言葉はよかったな」と言われて、次の一節を紹介されていたことがある。
 「言葉をもって励まして、初めて責任も一層強く感じ、相手の認識も新たにすると申すものです」(講談社)
 孔明が、主君である劉備玄徳に対し、部下への接し方について述べた言葉である。
 「大丈夫だろう」「わかっているだろう」では危ない。大事なことは明快に声に出して伝える。励ましを送る。
 そうであってこそ、相手は深い責任感に立って、最高の力を発揮することができるのである。
 私は「その通りだと思います」とお答えした。
 どんな時でも、文学や哲学をめぐって、師弟の語らいは花が咲いた。
 知っていることは、すべて教えておきたい──先生は、そういう思いで私に万般の学問を授けてくださった。日々の語らいも、すべてが訓練であった。本当に偉大な師匠であった。
 青年を育てる。青年を偉くしていく。それが本物の指導者である。
 戸田先生は、徹して青年部を大事にされた。婦人部を大切にされた。
 若い人や女性を手下のように使って、軽んじる──それは真実の指導者とはいえない。
 一、中国の古典である『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、こう記されている。
 「始めにおいて勤めなければ、終わりに悔いることがありましょう」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』明治書院)
 何事も、真剣に努力して取り組まなければ、満足する結果を得ることはできない。最後は後悔しか残らないであろう。
 特に青年部の皆さんは「私は全力を尽くした」と言える、完全燃焼の青春を生き抜いていただきたい。

行き詰まったら題目をあげよ
一、現在、全国の会館や研修道場では「夏季フリー研修」が活発に行われている。
 また、各地で人材グループなどの代表による研修が予定されていると、うかがっている。
 夏の研修会は、創価学会の偉大な伝統となっている。
 牧口先生の時代には、昭和11年(1936年)8月に、第1回創価教育学会修養会(研修会)が開催された。
 以後、牧口・戸田両先生が投獄される前年の昭和17年の夏まで、毎年、行われたのである。
 この研修会では、朝はラジオ体操を行ったり、夜は座談会を開催したりするなど、心身錬磨の研修が活発に進められた。牧口先生にとって、本山(大石寺)で開催する研修会は、烈々たる「破邪顕正」の闘争の場であった。
 昭和16年の研修会では、牧口先生は「法罰論」を誹謗する宗門の坊主の邪義を、厳しく破折されている。
 先生は、宗門の坊主の臆病な主張を破折して、師子吼しておられた。
 「御本尊は偉大な力がおありになる。罰なくして、大利益があるわけがない」
 「御本尊をじっと拝んでみよ。『若し悩乱せん者は頭七分に破れん』との御本尊のおおせが聞こえないか。御本尊が罰をおおせではないか」
 烈々たる大確信の叫びであった。

偉大なる師弟の魂を受け継げ
私たちには、偉大な御本尊がある。
 行き詰まったら、まずは題目をあげることだ。祈って、最高の智慧を湧きいだす。そして行動していく。
 乗り越えられない困難など、絶対にないのだ。
 一、戸田先生もまた、出獄された翌年、昭和21年8月に戦後第1回となる学会の夏季講習会を開催された。
 ここでは御書講義、質問会、座談会などが行われている。
 以後、逝去の前年となる昭和32年の夏まで、毎年の伝統として、こうした講習会を実施された。
 この夏の研修を一つの前進のリズムとして、75万世帯の弘教達成への上げ潮はつくられていったのである。
 さらに戸田先生のもと、男子部の精鋭による「水滸会」の野外研修が行われたことも忘れ得ぬ思い出である。(昭和29年9月、奥多摩の氷川キャンプ場、昭和30年6月、山梨の河口湖・山中湖で)
 私は、こうした伝統をさらに発展させ、夏の研修や夏季講習会を通して、人材の育成に全力を注いできた。

原点に立ち返れ
一、水許会の野外研修の際、キャンプファイアーの燃え盛る炎を指さされ、戸田先生はこう語られた。
 「この燃える薪は、私たちの生命である。そして信心の炎であり、学会精神である」
 先生は、一回一回の研修に全魂を注いでくださった。〝広宣流布の炎〟を断じて青年に託すのだとの思いで、一つ一つ訓練してくださった。
 先生のご指導は、すべてが遺言のごとく、私の胸に焼き付いている。
 また、同じく野外研修の際に、バンガローや旅館では勤行・唱題が思うようにできないことから、「将来、思う存分に、信心と人生の鍛錬をする所が必要である」と述べておられた。
 現在、日本中、そして世界中に、数多くの学会の会館や研修道場が設立されている。
 私が、こうした施設の建設に力を注いできたのも、恩師の願いを実現したいとの思いからであった。
 いよいよ〝鍛えの夏〟本番である。
 まずは最高幹部が団結し、新たな勝利のために真剣に協議していくことだ。もう一度、原点に立ち返って、自身の信心を磨き抜いていくことだ。
 十分に英気を養いつつ、さらなる前進への万全の土台を築いてまいりたい(大拍手)。

(2007・8・6)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(2)
07.08.09聖教新聞

わが勝利劇の火ぶたを切れ
キング博士 断固たる勇気ほど素晴らしいものはない
鍛えなくして成長なし
戸田先生
 訓練を受けた人は延びる
 苦労した人が幸せになる

一、「今こそ勇気が、今こそ確固たる心が必要だ」(大芝芳弘訳『セネカ哲学全集6』岩波書店)
 古代ローマの詩人ウェルギリウスの言葉である。
 人生には、さまざまな試練の時がある。
 広布の途上には、いくつもの困難な山がある。
 そこを勝ち越えれば、新しい世界が、大きく広がっていく。未来が、晴れ晴れと開けていく。
 そのために、最も大切なものは何か。
 それは「勇気」である。
 逆境に揺るがぬ「確固たる心」である。

未来は今の行動で決まる
アメリカの人権闘争の指導者、マーチン・ルーサー・キング博士は、公民権運動の歴史を大きく開いたモンゴメリーのバス・ボイコット運動で、ともに戦ってくれた同志を見て、こう語った。
 「断乎とした勇気よりもすばらしいものは世に何もない」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波書店)
 いわんや私どもには、究極の信仰がある。宇宙大の仏法を持っている。何も恐れる必要はない。 強く、強く、生き抜いていくのだ。攻撃精神を忘れてはならない。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「闘争を開始するからには、それだけの準備と決意と闘魂をもって、断じて勝つのだ!」
 インド独立の父、マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「未来は、私たちの今の行動にかかっている」
 「未来」のために「今」を勝とう! ともに、心新たに出発しよう!(大拍手)

不正義に対する女性の怒りを!
 一、私は現在、アルゼンチンの人権の闘士で、ノーベル平和賞を受賞したエスキベル博士と対談を続けている。〈題名「人権の世紀へのメッセージ──〝第三の千年〟に何が必要か」。『東洋学術研究』で連載中〉
 博士は、女性の役割を重視し、SGI(創価学会インタナショナル)の女性の活動にも、平和建設への大いなる希望を見いだしてくださっている。
対談で、博士は述べておられた。
 「不正義に対する女性の怒りほど強いものはありません」
 「女性が沈黙を破り、良心によって立ち上がれば、世界がよりよい方向へ変わっていくことは間違いありません」
 学会はさらに、婦人部、女子部が、大いに力を発揮できる環境をつくっていかねばならない。
 女性が伸びれば、学会は、もっと発展する。広布は拡大する。
 皆が同志として互いに尊敬し合い、楽しく前進していくのだ。
 一方、偉ぶる人間に対しては、厳しく戒めていかなければならない。
 大聖人は、池上兄弟に仰せである。
 「二人が一体で進む姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの翼のようなものである」(御書1108㌻、通解)
 異体同心の団結で進もう! 頑張ろう!(大拍手)
 一、先日、フィリピンの国立南東フィリピン大学から、「名誉教育学博士号」授与の決定通知をいただいた。心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 〈同大学のオルティス学長は語っている。
 「池田博士への名誉学位記の授与は、世界に向けての博士の有益なご貢献に対する賞讃にほかなりません。博士の国籍は『世界』であり、博士を顕彰させていただくことは、わが大学の最高の栄誉です」
 名誉会長が受けた世界の大学・学術機関からの名書学術称弓は、現在、218にのぼっている〉
 知性の世界からの顕彰は、最高の誉れである。
 私は、各国からの栄誉を、その国からの信頼の証しとして謹んで拝受している。
 また、それぞれの国で、懸命に社会貢献に尽くしておられるSGIの同志の励みとなれば、本当にうれしい。

「良き弟子を持って幸せだ」
 一、青春時代、私は学校での勉学を断念せざるを得なかった。師匠・戸田先生をお守りするために、すべてを捧げて尽くしたのである。
 戦後の最大の苦境の中で、戸田先生は、「私のそばにいてくれ」と言われた。そして、「そのかわりに、俺が全部、教えてやろう」と言ってくださった。
 そのお言葉通り、毎週、日曜日になると、先生のご自宅に呼ばれ、一対一の講義を受けた。勉強の合間には、先生自ら食事を用意され、ふるまってくださることもあった。
 私は、この「戸田大学」で、あらゆる学問を教わった。
 やがて日曜日だけでは時間が足りなくなり、戸田先生の会社で、毎朝の講義が行われるようになった。それは、先生のご逝去の直前まで続けられた。
 戸田先生は、ご自身の命を削られるように、自分の持てるすべてを、弟子である私に授けてくださったのである。
 師匠とは、なんと、ありがたいものか。師弟とは、どれほど麗しいものか。
 世界から贈られる知性の栄冠は、「戸田大学」で受けた訓練の結晶である。そう私は確信している。
 これが創価学会の師弟である。
 私は、戸田先生を仏のごとく敬い、先生に仕え抜いた。
 だれが大聖人の御遺命のままに、広宣流布を推進しているのか。だれが三類の強敵と戦っているのか。それは戸田先生だ! この偉大な師匠を命にかえてもお守りするのだ!
 それが私の囲い決意であった。
 「先生!」「先生!」と叫んで最後の最後まで生き抜く。これが真の弟子の姿である。
 「私の人生は、良き弟子を持って、本当に幸せだった」
 戸田先生は、そう言ってくださった。

創価の女性の時代!
ノーベル平和賞 エスキベル博士
 女性が沈黙を破り、良心によって立てば、世界はよりよく変わる

全部、自分のため
 一、戸田先生は、広宣流布の未来のために、一人一人の幸福のために、青年を徹底して訓練してくださった。
 「人材は訓練しなければ人材とはならない」
 これは、恩師・戸田先生の、絶対の確信であられた。
 こうも言われていた。
 「訓練なくして、偉大な人生を歩んだ人は一人もいない」
 「訓練を受けた人間、苦労した人間しか、信用できない」
 「苦労したほうがいい。苦労したほうが幸せである。全部、自分のためになる。苦労しない人は、鍛えられず、必ず最後は弱き人間になり、不幸に堕ちる」
まったく、その通りである。
 人よりも苦労した人、求めて訓練を受けた人、その人が最後に光る。幸福をつかんでいける。
 訓練である。訓練を受けていない人は、いざという時に、力を発揮することができない。
 では、真の訓練とは何か。それは信心を磨くことである。
 折伏の力、対話の力を鍛え抜くことが、最高の訓練である。
 戸田先生は言われていた。
 「信心、折伏、人材としての訓練や指導を、きちんと受けた者は、皆、立派に伸びている」
 「金剛石(ダイヤモンド)は、磨かなければ、それが金剛石であることすら、分からない。真剣勝負で、信心を磨くことだ。そうすれば、無量の福運を積むことは間違いない」
 信心を貫いた人は、まさに、ダイヤモンドのごとき不滅の大福運をつかんでおられる。
 反対に、責任ある立場にいながら、地道な信心の訓練を避け、戦いから逃げて、ずるがしこく振る舞う、そうした輩は、必ず、惨めな転落の人生となっている。
 もしも、そのようなリーダーが増えてしまえば、学会は衰退してしまう。断じて、そうさせてはならない。
 戸田先生は叫ばれた。
 「大聖人の弟子は師子王の子の如し」
 「師子の子は、鍛えれば鍛えるほどたくましくなる」
 学会は、師子の集いである。
 困難があるほど強くなる。圧迫されるほど勢いを増す。それが、師子の生き方である。
 断固として一人立て!
 「師子奮迅の力」を出せ!
 強き心を奮い起こし、わが「勝利劇」の火ぶたを切ってまいりたい(大拍手)。

(2007・8・6)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(3)
07.08.10聖教新聞

一人立てば万人に波動
心理学の綱引きの実験 人に頼ると力が出ない
トインビー博士 〝自分は小さな存在〟と思うな

未来のための連日の協議、本当にご苦労さま!
 後継の友に伝えるべき、一番、大事なことは何か。
 それは、崇高なる師弟の魂である。
 創価の師弟の誉れの歴史である。
 古今東西、正義の人は、正義なるがゆえに迫害されてきた。
 だからこそ、「正義が勝つ時代」を開かねばならない。
 迫害の構図を鋭く見抜くのだ。そこに渦巻くのは嫉妬であり、慢心であり、私利私欲である。
 昭和54年(1979年)の第1次宗門事件も、そうだ。堕落した坊主と、忘恩の反逆者が結託して、正義の学会を乗っ取ろうとした。
 どれだけ卑劣であり、陰険であったか。
 しかし、私は微動だにしなかった。
 ──私は師子だ! 戸田先生の弟子だ!
 師匠を信ずるということは、師匠の言う通りに実践することだ。
 師弟に生き抜けば、恐れるものなど、何もない。
 御聖訓には「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448㌻)と仰せである。
 私は訴えたい。
 後継の君たちよ!
 人ではない。自分だ。富士のごとき、不動の自分をつくるのだ。
 いかなる嵐があろうとも、師子として叫べ!師子として戦え!
 永遠に勝利の道を開きゆけ!(大拍手)

この世で最も誠実な関係
 一、現在、私は中国の著名な歴史学着で、「史学大師《しがくだいし》」と仰がれる章開沅《しょうかいげん》先生(華中師範大学元学長)と対談を進めている。
 章先生の座右の銘の一つは、「薪火相伝(しんかそうでん)」という言葉である。中国の古典『荘子』に由来する言葉で、「薪は自らを燃やすことによって火を伝えていく」という意義である。
 この言葉に触れ、章先生は、次のように語ってくださっている。
 「創価学会において、牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から池田先生へと、三代の会長に平和の信念が厳然と受け継がれてきたことは、まさに『薪火相伝』と呼ぶにふさわしい壮挙であります」
 深いご理解に、心から感謝申し上げたい。
 章先生は、「師弟の精神」をこよなく大切にされている。対談の中でも、次のように繰り返し語っておられる。
 「人間を育てる教育にとって最も尊ぶべきは、師弟の間における思想の交流です」
 「師匠と弟子、教師と学生の関係は、この世で最も純潔にして、最も誠実かつ高尚な関係です」
 章先生の言われる通りだ。
 師弟が根本である。この精神が崩れれば、団体も、個人も、衰亡していく。反対に、師弟の精神ある限り、どこまでも発展し、成長していける。
 師弟の魂を失った者は、すでに心が死んでいるのである。
 「最も哀れなのは心の死である」との警句を章先生は綴っている。
 形式ではない。格好ではない。「心がどうか」なのである。

激動の時代を勝ち抜くには
 一、激動の時代の中で勝ち抜いていくための要件は何か。
 もちろん、さまざまに分析できるが、ポイントの一つは、「人に頼る心を捨てる」ことではないだろうか。
 運動会の伝統の競技「綱引き」に関連した興味深い実験がある。
 一人で綱を引く場合と、大勢で綱を引く場合とでは、力の出し方が、どう違っていくかを調べたものである。
 綱を引く人数が増えればどうなるか。結果は、人数が増えれば増えるほど、一人一人が出す力は減っていく。
 一人の時に出す力を「100」とすると、8人で綱を引く場合には、一人が出す力は「50」以下になってしまうというのである。
 共同作業をする人数が増えると、「一人」の出す力が減っていく。こうした現象を心理学用語で「社会的手抜き」と言う。実験をした人の名前にちなみ、「リンゲルマン効果」とも呼ばれる。
 〝人に頼る心〟がある限り、自分のもっている大きな力を出し切ることはできない。
 力を出し切ってこそ、厳しい現実に勝つことができる。

学園での思い出
 一、「綱引き」といえば、関西創価学園の健康祭(体育大会)を懐かしく思い出す。
 17年前の平成2年(1990年)10月のことであった。
 私が学園に到着し、グラウンドに入ったとき、ちょうど綱引きが始まろうとしていた。
 私はすぐさま、子どもたちのもとへ行き、一人一人を激励した。
 綱の最後尾まで、一人一人に声をかけて歩いた。そして、大熱戦に声援を送った。皆のきらきらした笑顔が、ひときわ印象的だった。
 この綱引きに参加していた児童は、今、公認会計士や、パイロット、母校の教員、さらに、新幹線の女性車掌など、各界に雄飛している。
 創価の青年リーダーとしても、多くの友が活躍している。
 これほど、うれしいことはない。

わが人生の総仕上げを
若々しく青年の心で

目の前の人に励ましを
  一、イギリスの大歴史家トインビー博士は述べている。
 「勝敗の定っていない闘争においては、これに加わる一人々々が重要である。自分がすることあるいはしないことの結果はあまりにも小さいので目立った違いは生じないであろうという弁解のもとに、全力を尽くしておのが役割を演じることを免れる権利は、なんびとにもないのである」(山口光朔・増田英夫訳『回想録1』社会思想社)
 「一人」が大事である。
 本物の「一人」が立てば、「万人」の勝利と幸福につながる。
 人数が多いかどうかではない。一人でも、二人でも、真剣な人がいれば、全体に大きな波動を起こすことができるのだ。
 リーダーは、目の前の「一人」、自分が縁した「一人」を、全力で励まし、伸ばしゆくことだ。

ほしいのは「人材」だけ
 一、今や学会は、平和を築く、世界一の民衆の連帯をつくり上げた。
 私は、何も、ほしくない。ほしいのは「人材」だけである。
 力あるリーダーが必要だ。リーダーが愚かであれば、インチキな悪人にたぶらかされる。怖いことである。
 これまでも、学会のおかげで偉くなりながら、社会的地位や権勢に目がくらみ、堕落し、反逆していった悪らつな人間たちがいた。
 彼らは皆、〝自分は手を抜いて、楽をして、苦労は全部、人に押しっける〟──こういう卑しい心根であった。
 その本性は、思うように他者を支配し、従わせようとする「権力の魔性」にほかならない。
 同志を苦しめる〝地獄の使い〟だ。広宣流布を妨げる〝魔物〟の存在である。
 そうした「一凶」の心を、徹して断ち切っていかねばならない。

人間革命の哲学
 一、先輩は、模範を示すことだ。人生は仕上げが大事である。途中で手を抜き、退転してしまえば、結局、後悔と苦しみの人生となってしまう。
 もう一度、若返って、青年とともに、青年の心で進むのだ。
 先輩が旧態依然とした姿では、青年部が伸びない。女子部がかわいそうだ。
 私は、これまで、いかなる戦いにおいても、全身全霊を捧げて戦ってきた。手抜きをしたことなど、一度たりともない。
 だからこそ、勝利の歴史を開いてくることができたのである。
 ともあれ、一人一人が、自分の力を思う存分に発揮する。皆が、自分らしく、最大限に光り輝いていく。それが、創価の世界である。
 勤行・唱題はもちろん、教学の研鑽、座談会、友との対話など、学会の活動は、「一人一人を変革しゆく、尊き挑戦である。
 私たちは、一人が無限の力を発揮しゆく「人間革命」の哲学を掲げ、堂々と進んでまいりたい(大拍手)。

(2007・8・7)


全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(4)
07.08.11聖教新聞

9月から
青年部が単独で全国幹部会

青年部幹部会の5つの指針
一「破邪顕正」の青年部幹部会
二「広宣流布」の青年部幹部会
三「師弟不二」の青年部幹部会
四「全員指導者」への青年部幹部会
五「日本の柱」の青年部幹部会

一、未来を開くのは、いつの時代も、勇気ある青年である。
 昭和25年(1950年)の7月31日。
 22歳の私は、日記に、こう記した。
 苦境にあった戸田先生の事業を、ただ一人、阿修羅のごとく支えゆく、大闘争の始まりの時であった。
 「炎暑の七月。この七月も、とうとう勝ち抜いた」
 「(八月は)吾等の月だ。再び、若き情熱をもって頑張ろう。
 理想に生きる青年らしく。
 歓喜に燃える青年らしく。
 人生、社会の波は高い。そして激しい。また、その山は嶮しい」
 「正法を受持した青年が、断じて、進めぬわけがない。
 行こう、勇敢に。そして、次の世界を開こう」
 前へ、ただ前へ、進み続けた青春であった。
 弟子の私は、命をかけて、先生をお守りした。偉大なる師を守ることが、学会を守り、同志を守ることであるからだ。
 私が22歳の時、戸田先生は50歳──。
 先生は、若い私を、それはそれは大事にしてくださった。
 地方へ行く飛行機の中でも、どこへ行くにも、一緒であった。
 一緒にお題目をあげ、一緒に御書を拝した。
 天才中の天才の先生から、万般の学問を教わり、広宣流布のあらゆる構想を教えていただいた。
 幸せな弟子であった。

勝利のリズムを
 一、先生への報恩の心で、私もまた、青年を懸命に育ててきた。
 その意義も込めて、きようは、男子部、女子部、学生部の諸君に、新たに青年部独自の幹部会を行うことを提案したい(大拍手)。
 具体的には、「広布第2幕 全国青年部幹部」との名称で、毎月の本部幹部会と同じ意義を持つ、最重要の行事として取り組んでまいりたい。
 第1回は、この9月に開催し、原則として、毎月行い、勝利のリズムを広げていってはどうだろうか(大拍手)。
 壮年部、婦人部の首脳も応援してあげていただきたい。
 この青年部幹部会に寄せて、私は、五つの指針を贈りたい(大拍手)。
 一「破邪顕正」の青年部幹部会
 二「広宣流布」の青年部幹部会
 三「師弟不二」の青年部幹部会
 四「全員指導者」への青年部幹部会
 五「日本の柱」の青年部幹部会
 広宣流布の未来も、日本と世界の将来も、すべて青年にかかっている。
 青年の「熱」と「力」で決まる。
 私も青年部幹部会の大成功を祈り、期待し、見守っている。
 都合がつけば、ぜひ出席させていただきたいと願っている(大拍手}。

まことの時に本物が分かる
 一、「報恩抄」の一節を拝したい。
 「少しの罪もないのに、(法華経を弘めているために)たびたび大難にあう人こそ、仏滅後の法華経の行者であると知りうるであろう」(御書297㌻、通解)と。
 現代において、この蓮祖の仰せ通りに、妙法ゆえの大難を受けきった人はだれか。
 初代の牧口会長であり、第2代の戸田会長である。
 お二人は、国家神道を精神的支柱とする軍国主義と真っ向から対決し、牢獄につながれた。
 牧口先生は信念を貫かれて獄死。
 戸田先生は2年間の獄中闘争を耐えに耐え抜かれた。
 戸田先生以外の弟子たちは、皆、驚き、あわてた。多くは難を恐れ、退転していった。
 「まことの時」にこそ、本物が分かる。信心が試される。
 「石はやけばはい(灰)となる金は・やけば真金となる」(御書1083㌻)と仰せの通りだ。
 日ごろは弟子を名乗りながら、手のひらを返すように、師を罵り、師が苦しむのを陰で笑った者もいた。臆病であり、増上慢であった。
 これが歴史である。

弾圧の魔の手
 一、戸田先生は鋭く語られた。
 「戦後、日本は民主主義の国家になった。私や牧口先生を逮捕するのに使った、不敬罪や治安維持法もなくなった。そして、信教の自由も保障されるようになった。
 しかし、権力の持つ魔性の本質は何も変わってない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧をすることになるぞ」と。
 昭和32年の「大阪事件」では、私も、事実無根の選挙違反の容疑で不当に逮捕され、2週間にわたって拘束された。
 権力の狙いは、戸田先生にあった。
 取り調べの検事は、〝おまえが罪を認めなければ、戸田会長を逮捕するぞ〟と陰険な恫喝を浴びせてきた。
 先生のお体は衰弱している。逮捕されれば命にかかわる。絶対に逮捕など、させてなるものか──。
 恩師をお守りするために、私は、ひとたびは検事の言い分を認め、あとは裁判で無実を証明しようと決めた。
 そして、4年半後、大阪で勝利の無罪判決を勝ち取り、すでに亡くなられていた恩師に、ご報告申し上げたのである。

歴史を忘れるな
 一、第1次宗門事件では、第3代会長を辞任した。(昭和54年4月24日)
 さらにまた、国家権力による宗教弾圧の嵐も吹き荒れた。
 多くの同志が心を痛め、私の正義を叫び、勝利を祈ってくださった。
 しかし、かつての最高幹部のなかには、嵐の時に戦わないどころか、敵と結託して、私を陥れようとした反逆者もいた。
 「怖いのは内部だよ」と言われた恩師の言葉を思った。
 この歴史の教訓を、青年部は、断じて忘れてはならない。繰り返してはならない。
 〝大難と戦う師匠〟を守るのが弟子である。
 一、格好主義は、仏法の敵だ。
 戦っている格好をする幹部──それが一番ずるい。
 仏法は「不惜身命」である。死にものぐるいである。
 創価学会には、「上」も「下」もない。
 広布に戦う人が偉い。同志を守る人が偉い──これが出発であり、これが結論である。

学会を弾圧した者の末路を見よ
 一、御聖訓にいわく。
 「法華怪には、(法華経の)行者に敵対する者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている」(御書1389㌻、通解)と。
 「法華経の行者」とは、だれなのか。
 総じては、日蓮大聖人の門下として、人々の幸福のため、苦難に耐え、勇敢に妙法を弘めゆく学会員である。
 我ら創価の師弟である。
 さらに、御書を拝したい。

青年は強気でいけ
戸田先生「極悪を世に知らしめて責め抜け」
「仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く。さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる。そのような人々が、どうして安穏でいられようか」(同265㌻、通解)
 学会を甘く見てはいけない。同志を甘く見てはいけない。
 学会は広宣流布の団体である。大切な仏の団体である。
 学会に弓を引くことは、大聖人に師敵対することに等しいのだ。
 さらに、御聖訓にいわく。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190㌻)「彼の一門皆ほろ(亡)ぶるを各御覧あるべし」(同1413㌻)と。
 大聖人は、法華経の行者を迫害した者の末路の厳しさを明確に説いておられる。
 そのままの現罰・仏罰が厳然とあらわれていることは、皆さんがご存じの通りである。

再びの登攀を!
 一、戸田先生は、権力をもって民衆をいじめる者には厳しかった。
 「極悪を世に知らしめて、責めて、責めて、責め抜け! 最後まで!」と。
 青年は強気でいけ!
 そして断じて勝て!
 青年の勇気が新たな勝利の道を開くのである。
 8月は青年の月だ。
 青年の戦う魂が燃え上がる月だ。
 わが青年部よ、私とともに、同志とともに、新たなる民衆勝利の峰へ、再びの登攀を開始しよう!
 勇敢に!
 快活に!
 青年らしく!
 青年部の諸君、よろしく頼む!(大拍手)

(2007・8・8)


 

地元で地道な行動を少しづつ、

 投稿者:地区ブチョー  投稿日:2016年 8月 4日(木)01時50分39秒
編集済
  はじめまして。地区ブチョ?、をしています。掲示板を訪れてだいたい一年くらいになります。
内容が濃すぎて、最初はかなりとまどい、数ヵ月あいたり、また来たりしています。
色々勉強になり皆さまには大変ありがたく思います。今月もまた御書講義します。
先生にはお会いしたことはありません。また、これから先にもお会いすることはないでしょう。
直接お会いできなくても、先生のお心は頭では理解できます。でもそれではダメでこれから先は心で、体で理解できるようにしていきたいと考えています。
大変優秀な患部は先生の近くで直接指導を受けていました。であるのに情けない状態です。直接お会いすることに何の意味があるのでしょうか。
私はお会いしたことはありませんが、それらの患部よりも、先生のお心を深く身近なこととして、この掲示板に訪れて感じることができました。





 

イケディさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 8月 4日(木)00時51分16秒
  イケディさま、こちらこそ、とても感謝しております。
あれほどの批判を浴びながらの、勇気ある行動に感服です。

あ、「サモン」て、「大正製薬」の間違いでした、スミマセン。
 

今日の投稿

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 8月 4日(木)00時36分30秒
  今日は新しい方がいっぱい参加されています
皆さんの溢れる情熱、清新な心に感動しながら読ませていただきました

8.24
池田先生の入会記念日
伸一会の日

壇上総入れ替えの日にします!
 

ぽんさんへ

 投稿者:  投稿日:2016年 8月 4日(木)00時33分34秒
  もっと自分を好きになってください
同盟題目は物凄い
気づきが得られます
おやすみなさい
 

陽光様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 8月 4日(木)00時06分15秒
  戦い抜かれた陽光様の言葉は重みがあります。

>何も分からずに、執行本部の権威の上意下達の言いなりになって動いているローカル幹部。彼らとしては単に仕事をしているような気持であろうが、仏法と言う厳しき三千羅列の因果の二法にあまりにも無頓着なため、悪業を毎日積み重ねているのが実情である。<

まさに、陽光様のおっしゃる通りです。

査問したローカル幹部は、時と共に必ず厳しき実証が現れます。
宇宙の果てに逃げようとも、言い訳しようとも、三世に渡り逃げ場はありません。

命が裁かれる。
これほど厳しいものはありません。

我々を悪人に仕立て上げ、迫害した幹部に怒りが湧きます。
しかし見捨てる訳にはいきません。

悪に染まった幹部は、目が覚めるまで、厳しく諫め続ける以外にないと思っています。


>今一度、初心に戻って我が身を振り返って観じる事が大切なのではないかと心から思います。<

深く同意いたします。

我々の信心の原点は池田先生です。
池田先生の基に帰るべきだと、査問をした幹部に強く叫び続けます!



 

春さま、ひかりさま、ありがとうございます。

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 8月 4日(木)00時02分30秒
編集済
  気づきと言う視点で言えば、
『もし、信平夫婦が反逆しないで組織にいたら?』という事なのです。だから、敢えて古い週刊誌記事と告発手記小冊子を掲載しました。

スカッとする会長であれば、スカッと悪い幹部を除名しているでしょう。毎日、今でも数十通程度の苦情の手紙は学会本部に届いているはずですから。でも実際は、直談判する会員や物申す会員をスカッと査問・除名しているわけです(-_-)

与同罪サイコ大患部と批判されても仕方ないのでは?現場会員の我々はスカッとしたとか、気持ちいい~などとマスさんとマスかいている暇はないのです。じぇんじぇん~スカッ爽やかではありましぇ~ん(-_-)
 

愚かしいにも程がある。

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 8月 3日(水)23時47分3秒
  サモン。
大塚製薬の看板商品ではない。

査問である。

こんな愚かしいことをして、組織を自分達幹部の手でメチャメチャにしてしまった。

査問・処分・解任・除名

愚かしいにも程がある。

もう、やってることがあまりにも愚行すぎて。。。

「で、どうするんです?これから」

アクセンチュアの入れ知恵に従い、工程表通りの段階踏んだら、自滅とか?


不起訴だったって言うじゃないですか。やれやれ。

信平狂言訴訟事件の一連でよくわかる。

内部から訴えがあっても、組織悪を放置し続け、被害者がよくよくになって、大騒ぎになり、
やっときゃつらを除名したのは、相当被害が出てからときてる。

一人だって折伏するのは大変な事です。
活動家になるのはもっと大変なこと。
なのに、それほど大変な過程を経て育った組織を、函館を、どれほど破壊してきたか。

(私の地域も同じです。破壊したのだ、極悪の手で。
嘘を何度もばらまき、これでもかこれでもかと破壊した。)


池田先生お一人に多大な迷惑を押しつけ、アキヤなどは、事件のセンセーショナルに乗じて、
まるで暗躍じゃないですか。
あれじゃ、まんまと会長留任策謀に見えます、それも5回も似たような案配ですからね。
信濃町様のご推察、あながち間違っていないと思えてしまいますね。

つまり、こういうことじゃないですか。
幹部とか、会長という「役職」は、会員を欺く隠れ蓑にも使えるのですよ。

しかし、実際の四人組はじめ大小極悪一派は、どこにでもいるような低俗な人間でした。
やってることが、すご過ぎでしょう。
よく、人間革命の途上なんて言いますが、とんでもない、どこが人間革命の途上なものですか。

今まで組織で彼等はノーチェック。
池田先生の目さえごまかせば、後は涼しい顔だったのでしょう。
だから今、こんな風になってしまったのじゃありませんか。

そろそろお返しに査問してあげましょう。
 

あはは

 投稿者:ぽん  投稿日:2016年 8月 3日(水)23時43分14秒
  春はだれの自演??  

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 8月 3日(水)23時41分42秒
  今晩は
皆様、ありがとうございました
イケディアンさん、信平問題に関する投稿
ありがとうございました
読むのを躊躇しましたが
読んでみて気づけました
複合汚染
読まれない方は、学会の現状も
分からない、気づけないでしょう
ありがとうございました
おやすみなさい
 

Re.過去の悪意ある報道の読み解き方(下) 投稿者:小作人@地上の発心

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 8月 3日(水)23時02分9秒
  小作人@地上の発心 さま、すごい!
よく読んでます。私は第一次宗門問題時は、学生部、第二次宗門問題前に壮年部に移行しました。分析が出来たのは、大病で副ブロック長のままで十数年居れた事です。余計な会合やら見栄を張った人脈と関わり合いを持たずに済みました。役職が低かった?おかげです。
実にスムーズな対話と豊富な人脈を勝ち取る事が出来ました。草創の大幹部(全うな方)の皆さんに大変に可愛がられました。三十代の壮年部で仕事と折伏をやってましたから。オカシナ男子部幹部に成らずに済みました。

身体がガタガタでも、精神が歪んでなければ、どんな事でもどんな何処にでも赴く事が出来るようになりました。すごい体験が出来ました。だから、今も誰と会うにしてもリズムに叶うように的確に連携できます。

信平問題を含めて、様々なご意見を宜しくお願いします。\(^o^)/
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 8月 3日(水)22時59分27秒
  23時に開始します。よろしくお願いします。  

誰の弟子?

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 8月 3日(水)22時31分1秒
  池田先生が本物の悪い奴を名指しで言われた時の本幹同放の本会場に居た大幹部の皆様で、そのことを部員さんに如是我聞していない大幹部の皆様!
もういい加減、本当のことをあらゆる人々へ伝えるべきじゃないですか!!
アナタは誰の弟子なのですか?
 

虹と創価家族様、全面的にそう思います

 投稿者:陽光メール  投稿日:2016年 8月 3日(水)22時04分45秒
  何も分からずに、執行本部の権威の上意下達の言いなりになって動いているローカル幹部。彼らとしては単に仕事をしているような気持であろうが、仏法と言う厳しき三千羅列の因果の二法にあまりにも無頓着なため、悪業を毎日積み重ねているのが実情である。本部の大幹部達は、金力と権力の二本立てで動いているけど、ローカル幹部は悪業を積むことはあっても、彼らの命令に従っていても何のメリットもないのですよ。

それに早く気が付いて、池田先生の指導を根本に悔い改めて自分の頭で考えていくようにしないと三世に渡って大きな後悔を残すことになる。何のために縁あって大生命哲学の日蓮大聖人の仏法に巡り合い、信心を長年行ってきたのか・・・・今一度、初心に戻って我が身を振り返って観じる事が大切なのではないかと心から思います。



>実際に、証人尋問を傍聴した方がいるのが動かせない事実。今後「A4用紙3枚の文書」を、本部職員をはじめ多くの幹部が、完全否定できなくなるのは言うまでもありません。査問をした幹部が哀れで仕方がない。大手企業の組織犯罪は、上位幹部にNOと言えない保身の部下が巻き添えになり与同となるのです。このまま人生を棒に振ってはいけません。いづれ真実が明らかになります。その時「私は何も知りませんでした」は通用しません。

>その理由は、裁くのが御本尊様だからです。命が裁かれるのです。御本尊様に言い訳は一切通用しません。査問は仏法的に見れば、犯罪より大変重い罪である事を忘れないでください。ただし、取り返しがつかない訳ではありません。池田先生はこのように法華経の智慧で仰っています。

法華経の智慧より:
「内なる悪」を自覚し、その克服に努力しなければ、とたんに悪に染まってしまう。その意味で、「善人」とは「悪と戦っている人」です。外の悪と戦うことによって、自分の内なる悪を浄化している人のことです。この軌道が人間革命の軌道です。

>悪がどこにあるか明確になったなら、査問を受けた側に立ち声を上げればいい。悪と戦う時、自身の悪に染まった命は善に変わることが出来るのです。胸に勇気を!!

 

過去の悪意ある報道の読み解き方(下)

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 8月 3日(水)21時50分44秒
編集済
  最後、手前味噌になりますが・・・。

月刊・潮に竹中労の『文闘への招待』、サンデー毎日に野崎勲副会長の『虚構の崩壊』と、いずれも80年代初頭に展開された創価学会バッシングへの反撃と山友・原島ら造反者の糾弾を旨とする雑誌連載が始まって間もない1982年、それらに対抗する形で文藝春秋社発行の今はなき月刊誌『諸君!』にてブラック・ジャーナリスト内藤國夫の『月報・創価学会問題』が連載開始し、以後何度も休載期間をはさみながら内藤の死期が近づくまで十数年、学会攻撃の論陣の中心であり続けた。

当時まだ中学生だった私だが、地元選出のオシドリ議員夫婦が月刊ペン事件以降イエロージャーナリズムの猛攻に遭い、夫人と池田先生が過去になさぬ仲であったかのような醜聞、また大切な一人息子さんがこともあろうに実の父親が先生であるといった悪質きわまりない流言飛語が執拗に流され、甚だ残念なことに組織内でも真に受けてしまうような人が活動家の部類であっても散見された。
件のご子息とは齢も離れているので直接の面識がなかったが、叔父(故人)が少年部担当者として関わっていた縁もあり、多少でも本人たちを知る人間ならば一笑に付す事柄が、どういう風の吹き回しで全国的に喧伝される大スキャンダルに仕立て上げられたのか? この出来事をきっかけに先生と学会に向けられた「言論の自由」を騙るペンやマイクの暴力の背後に蠢くものの正体を見極めようと思い、学会攻撃の急先鋒である内藤のこの連載がひとつのメルクマール(指標)になり得ると考えて「学会ウォッチャーのウォッチング」を開始した。本格的に始めたのは高校入学後である。

①掲載誌の『諸君!』がどういう傾向性を持つ媒体なのか?
②学会ネタ以外での内藤國夫の“ジャーナリスト”としての仕事ぶりはどうなのか?

この2点を念頭に入れて、毎月の雑誌発売日か数日以内に下校時または休日など時間を見つけて書店で立ち読み(カネもかかるし、いちいち買って読む必要はない)で書かれてあることを鵜呑みにしないよう注意を払いながら情報を蓄積していった。
①については詳述すべくもない、現今のネトウヨ的言説の原型とも言える文春ジャーナリズムのエセ保守・権力御用の醜悪な特性を凝縮した論調と編集方針。
②については、毎日新聞退職後にフリーランスとして曲りなりにも取材活動を通して上梓した著書が、『経営とはこうするんや』というワンマン経営者・坪内寿夫の提灯本のほか片手の指で足りるほどの実績で生涯を終えたのが彼の実力を物語る。毎日の記者証を持たなければ碌に仕事も出来ない男だったのだ。この売文業者の本質については『花形記者は転んだ』(丸山実・坂口義弘共著/幸洋出版;1982)に詳しい。

信濃町界隈のゴシップや地方幹部のスキャンダルなども耳目を引くものがあったが、山友らと連動---やがて決別した正信会、浅井昭衛率いる顕正会といった敵対勢力の動向をもえらくご丁寧に紙幅を割いて記述するので、敵の出方を探るには恰好の情報源であった。
都議を引退した竜年光が怪しげな財団を設立し、有機栽培したマコモを日顕に献上したことがあった。
腰痛持ちだったか膝が悪いのか忘れたが日顕が上機嫌で「竜さんがくれたマコモのおかげで体調がすこぶる良いよ」というような話を御講など場所を選ばず方々でするものだから、「日蓮正宗の法主ともあろう御仁が、ありがた~い御講の席でお題目の功力そっちのけでマコモの効能ばかり熱心に説いている」(趣意)と内藤に皮肉られる始末。
が、しかし政治家を辞めた竜が学会組織には戻らずに一線を画したまま日顕と誼を通じていること、日顕を筆頭に大石寺の禿人一同腹に一物抱え面妖な動きを見せているのを再三再四レポートされてきた経緯等を鑑みて、
「これはまた、お山と学会とでドンパチ始まるぞ」と不穏な空気を察知したが、はたして程無くして第二次宗門問題が勃発した。
C作戦などもそれを匂わせる記述が早くから見い出せたので、予期できる材料は毎号限られた紙数にあっても豊富に取り揃えてあったのだ。
世にいう陰謀論者が往々にして陰謀を企てる側のディスクロージャー(情報公開)の役目を果たしているのと同様、自己顕示欲の塊だった内藤という男も「信じるも信じないもあなたシダ~イ」とばかりに舞文曲筆こうした埒もないネタばらし・種明かしを延々続けてどの勢力からも疎まれる存在に成り果てた。

まぁ『土と人間の蘇生の会』に関しては発足まもない頃、月刊『ムー』の矢追純一のコラムでかなり好意的に取り上げられたこともあり、UFO一本で食えなくなってきたミステル・ヤオイが地球環境やエコ関連の分野に食指を伸ばしていた時期だっただけに相当胡散臭い団体なのが手に取るように分かったのだが・・・。

こうして長期間、場数を踏んで定点観測のようなことを続ける中でだいぶ勘が働くようになった。そして日顕宗や公明党もさることながら池田門下が最後に戦うべき悪は学会本部・秋谷体制であると覚知した。
内藤が面白半分にレポートする信濃町内部の権力抗争や地方組織の腐敗も、つまるところは官僚主義に陥り、先生を思慕する学会員の純心を己らの保身と欲得と権益の維持のために利用し搾取する不知恩の輩の驕慢がなせる業である。
矢野や藤原一派などを交えての秋谷と内藤の連携も、内藤が適当にフカシているわけではなく、秋谷が素知らぬふりをしようとも公然の秘密ともいうべきものなのだろう。秋谷の先生に対する面従腹背ぶりも宗門問題以前から合点がいっていた。

十数年「学会ウォッチャーのウォッチ」を続けたことで、学会に起きた様々な出来事の多くをある程度は事前に予測し対応できる能力を身に着けていった。造反者の跳梁、金銭や税法上のトラブルなどもおおよそ見当がつき想定内の事として捉えられたので、現場で動揺する人に完璧とは言えないまでも納得できるまで説明に努め、退転者を未然に防ぐのに資することができた。

それはそれとして、中坊高坊の時分から月に最低一回は書店に足を運ぶ習慣がつき、『諸君!』誌以外にも文春本誌や『中央公論』『世界』のような月刊総合誌にも目を通して知見を広める機会が作れて益すること多であった。『潮』『第三文明』だけで得られない知的刺激が得られたものである。
筑紫哲也編集長時代の『朝日ジャーナル』や先だって休刊した『宝島』などもこの頃よく読んだ。

自自公連立政権成立を目前に内藤國夫は他界した。自分のかつてのスポンサーが結局、生涯にわたる貴重な収入源とも言うべき“取材”対象と野合したのである。どういう面持ちであっただろう・・・結果的に彼にとっては「月報」創価学会ではなく「月給」創価学会として糊口をしのぐ存在だったのだ。
 

【374919事件】査問担当者の皆様、刑事告訴が不起訴となった事実を知っていますか?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 8月 3日(水)21時04分18秒
編集済
  誰か私を呼んだ?様の証言が痛いらしい。
どなたかの焦りが、手に取るように見えてきます。

さて、査問担当した幹部は、心して昨日からの経緯を再確認して下さい。
悪がどこにあるか見極めないと、ご自身が悪に染まるからです。


>驚くことに波田地氏を被疑者に名指しし、名誉棄損での告訴に及んだのは、創価学会次期会長の最有力候補とされる谷川佳樹副会長(57)だ。さらに谷川氏に近い佐藤浩副会長(53)も同様の告訴を行っている。<
◆原文
【374919事件】FRIDAY2013.10.4 創価学会『池田大作後継候補』を襲った怪文書騒動
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53228


上記の記事では、「A4用紙3枚の文書」は「噂話」「怪文書」扱いでした。
しかし、誰か私を呼んだ?様の証言はこうです。


>驚くべきことに、T川氏の起こした刑事告訴が東京地検で不起訴処分になっていたそうです!<
>今年4月に行われた証人尋問を傍聴した方から話を聞くことができました。<
>3△○9○9事件は全くの事実無根と主張して名誉毀損罪で訴えていたわけですから、それほどの内容で、それが不起訴になるとは・・・。
事実無根とは言えなかったということになるのですかねぇ???<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53325


実際に、証人尋問を傍聴した方がいるのが動かせない事実。
今後「A4用紙3枚の文書」を、本部職員をはじめ多くの幹部が、完全否定できなくなるのは言うまでもありません。


査問をした幹部が哀れで仕方がない。
大手企業の組織犯罪は、上位幹部にNOと言えない保身の部下が巻き添えになり与同となるのです。

このまま人生を棒に振ってはいけません。いづれ真実が明らかになります。
その時「私は何も知りませんでした」は通用しません。

その理由は、裁くのが御本尊様だからです。
命が裁かれるのです。
御本尊様に言い訳は一切通用しません。

査問は仏法的に見れば、犯罪より大変重い罪である事を忘れないでください。

ただし、取り返しがつかない訳ではありません。
池田先生はこのように法華経の智慧で仰っています。

法華経の智慧より
>「内なる悪」を自覚し、その克服に努力しなければ、とたんに悪に染まってしまう。その意味で、「善人」とは「悪と戦っている人」です。外の悪と戦うことによって、自分の内なる悪を浄化している人のことです。この軌道が人間革命の軌道です。<

悪がどこにあるか明確になったなら、査問を受けた側に立ち声を上げればいい。
悪と戦う時、自身の悪に染まった命は善に変わることが出来るのです。

胸に勇気を!!


PS
まなこ様、誠にありがとうございました。
今でも、まなこ様の地道な労作業に、心より感謝しています。

法華経の智慧125
http://sgi-shiteifuni.com/?p=7264

 

裏切り者を公表された夏季研修

 投稿者:まいえっくす爺  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時31分49秒
  ロマン様 以前に質問があった回答について

今、無冠様が貴重な全集未収録のスピーチを抜粋され投稿されています。
題名は既に8月2日に投稿されました。

後程、全文掲載します。
 

裏切り者の流れ

 投稿者:まいえっくす爺  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時29分40秒
編集済
  54年夏に公表された裏切り者の流れが今も続く。
裏切り者と生命を同じくする輩から刺激のある生き方や指導を
学べるわけがない。何の感動も受けないからだ!
単に学会史上に名前が残った馬鹿者たちだ。
2007年まで先生の胸の中に秘し守られてきたが、
先生も晩年を迎え、後世のために裏切者の名前を明かされたのだ。
先生辞任より護られた28年間、裏切り者連中は感謝しろ!!


本部執行部よ!選挙のたびに党に圧力をかけるな!
もう子供じゃない、立派な大人だ。一人立ちさせろ!

党執行部よ!いつまでも学会組織に甘えるな!
独自で大衆から慕われ、勝てるようにしろ!
党は誰からも慕われるよう努力しろ!
現場の地区に負担をかけるな! 伸び伸びと信心をさせてやれ!



 

スタンダード

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時20分42秒
  真・桃太郎様

組織人間とは、過去の私であり、組織の問題を、「だったらあなたが理想の組織をつくるしかない」と、結論付ける(一方的)ことも、典型的な組織人間の思考です。仏法は一念の世界であり、自分が変われば回りが変わるという哲学ですので、「あなたが変えればいい」は、誰もがわかっていること。ここで問われていることは何か。それは、共感力であり、同苦です。

組織に対して、問題点や不満を言ったところで、何も変わらないのは当然のことです。だからといって、「あなたが変えればいい」で済ませていいわけではなく、言うならばそれは無慈悲です。組織人間は、この無慈悲に気づくことができない。善かれと思って言っていることが、相手を否定していることに気づかない。では、人間主義だとどうなるか。

人間主義であれば、「本当そうだよね。おかしいよね。問題だよね。どうしたらいいか、一緒に考えていこう」となります。「一緒」にがポイントであり、「あなたが変えればいい」という突き放しとは対極にある。ここが肝です。これが人間の世界であり、戸田先生は、学会の事を「人間宗」と名付けたのはこのことです。

ロマン様が言われているように、組織人間は組織人間である自覚がありません。私も、メンバーの意見を一方的に押しつぶしてしまった経験があります。話をしっかり聞くわけでもなく、「ありえないでしょ」と、決まった結論のみをぶつけてしまった。その時は、善かれと思って言っているわけですが、何年か経った時に、その過ちに気づきました。そしてそのことに対して、本人に謝罪しました。

21世紀は「心の時代」です。それは一層、共感・同苦が求められる時代です。そして、組織から離れていいと私は一言も言っていないし、また、そう思ってもいません。広宣流布は個人戦ではなく団体戦ですから、組織は大事です。また、組織人間の思考は、創造性を自己中心と解釈してしまうところにもあります。組織の方針以外は自己中心という、短絡的な思考に陥ってしまうのはマイナスです。

あくまでも創造的人間の生み出す価値とは、美・利・善に合致しているかどうかです。即ち、美は自分が心からやりたいかどうか。利は、創価学会の組織の発展にとって有益がどうか。善は、会員の幸福(広宣流布)に寄与できているかどうか。こういったことが価値判断になります。自己中心では、美・利・善は整わないことは言うまでもないでしょう。

また、組織人間自体が悪いというわけではありません。もう少し厳密に云うと、「不足」というのが正しい表現かもしれません。まじめに組織活動すること+創造性が加われば最強だよねってことです。それにはワンランク上を目指してほしいという、私の願望です。これが21世紀のスタンダードなのだから。

 

自民党より公明党の方が。。

 投稿者:たまご  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時15分39秒
  ずっとモヤモヤしていたのですが,確かに自民党は改憲草案など読むと時代錯誤も甚だしく恐ろしいですが,むしろずっと理念は守り続けてきた,支持者の声を聴き続けてきたという点においては誠実だったんではと思います,
少なくとも今の公明党よりは。

ガルトゥング博士と安倍総理の奥さんとの対話です。
http://greenz.jp/2015/09/21/johan_galtung/

公明党こそがこういう対話をすべきだったのでは?!

公明党のホームページでガルトゥングを検索すると消えていました。
なんか,おかしい。
私たち,本格的に悪を糾弾していかないと,このままじゃ池田先生を大きく裏切ったことになる。
私たちは先駆者だった。
わかっていたのに,あんなに口を酸っぱく言われていたのに,邪な輩を追い出せなかったことになる。
ほんとに,すごい。
かつて敵だったと思っていた人はもう,師匠になってる。
敵は内部にいるって,こういうことだったんだ。
て,思いました。
 

矢野追撃は池田先生の指示だった それを和解したのかい?谷川さんww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時07分5秒
  これ
ばらされたら困る人がいるみたいwww


【再掲まとめ】抜粋、ハタチ氏と「悪の三位一体」 ③  投稿者:イササカ先生
投稿日:2016年 8月 3日(水)12時22分12秒   通報 編集済
投稿者:くらさい@少し真面目モード  投稿日:2014年10月26日(日)23時21分4秒

■Y尋ら法匪連中(そして秋谷)の最大のピンチは矢野問題。
CPがギリギリねじを巻いていた頃は、二人の胃もさぞキリキリ痛んだことであろう。

■証拠の音声データの改ざんが最高裁で認定された時、弁護士グループは解体しておくべきであった。
ましてや矢野本第二弾「創価学会と暴力団」におののいて和解するとは!!

■法匪連中が一番恐れているのは、矢野裁判、矢野和解の舞台裏を暴かれること。
それを握っている人物二人を解雇では足らず除名処分に付し、
その人間関係を寸断しようとしたのが動かぬ証拠。


おごる平家は久しからず。ナチスも長続きせず滅んでいっった。
「悪の三位一体」も今が絶頂。
あとは、正体を暴かれ転落の一途をたどるのみだ!!
 

これ、すごいよくわかるわ~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時03分45秒
  【再掲まとめ】抜粋、ハタチ氏と「悪の三位一体」 ②  投稿者:イササカ先生
投稿日:2016年 8月 3日(水)12時20分46秒   通報 編集済
投稿者:くらさい@少し真面目モード  投稿日:2014年10月26日(日)23時21分4秒

■2009年、T治一派の横暴は頂点に達した。狂気の嵐が吹き荒れた。
パワハラに心を病んで出社できなくなった記者も出た。
事ここに至ったとき、聖教の若手らが声をあげた。
さすがに、動かざること山の如しの良心派の職員らも一部ではあるが若手を応援した。
声がCPに届いた。T治一派16人が“打ち首遠島獄門”に。
ただし、解雇や除名にはならないあまあまの処分だった。
しかし、T治事件は、下からの告発で上の不正が糾弾された“学会史上初”の前例となった。

■同年夏の総選挙大敗北による自公連立崩壊で、さしもの「悪の三位一体」も息絶え絶えに。
しばらくなりを潜めていたが、2010年夏のCPの病気入院と、民主党政権の自滅で息を吹き返し、
2012年暮れの政権復帰で完全復活。いよいよ本性を露わに。

■宗教性より政治の権謀術数を優先、
CPの思想より学会の組織厳護を優先する「悪の三位一体」の路線が露骨になった。
この動きに、一人の青年職員が告発に立ち上がった。
しかし、結局、2012年春、懲戒解雇に処せられた。
このときも、良心派の職員らは青年を守ろうともしなかった。そして、2013年・・・。

■「悪の三位一体」は、11・18の大誓堂落慶の時を、
自分たちの独断専行による学会改造総仕上げの決着点と定めた。
春から大御本尊の意義改変、日蓮世界宗の旗揚げ、会憲の制定をごり押しし始めた。
一方、T川は都議選、参議院選で一般会員が奮闘している最中、
11・18の会長就任への行程を練っていた。
「私は11・18で会長になります・・・」

■障害は二つ。一つは不適切な関係がバレてしまった女子職員の処遇。
もう一つは最大恥部374919事件の証拠を握るH氏の社会的抹殺。
参院選が終わるやいなや障害の排除に動き出した。女子職員には寿退社を理由に退職を。
投票が終わるや、早々に、職場の同僚や地元組織の誰にも告げず夜逃げ同然で転居した。

■H氏には同じ週に四谷警察へ刑事告訴。
不正ログインして入手した文書や、デッチ上げの自作自演怪文書を根拠に警察を動かし、
H氏を逮捕、起訴させ、それを理由に学会を除名にする作戦だった。
ところが、学会本部から漏れ伝わってきていた情報でH氏が逆襲。
作戦は結局不発に。

■9月に入って、「悪の三位一体の連中」が大御本尊問題、
会憲問題の決着を急がなければならなくなった時、教学部が立ち上がった。
T治事件の時も立ち上がった人たちだった。

いよいよ良心派の職員らも立ち上がり始めた。
大御本尊問題、会憲問題も、教学部の踏ん張りによって、
CPから「拙速に急いでやるようなことではないのではないか」
「今は、もめ事を起こす時ではない。裁判なんかも少なくして」等の回答が引き出され、
「悪の三位一体」も結局、引き下がらざるを得なかった。

■しかし、立ち上がり始めた時は、すでに時遅しか!?
カギをにぎっていた人々が「悪の三位一体」一派に取り込まれ、良心派の職員らがついに標的に。
この掲示板でT治一派の残党職員から暴露があったように、昨年12月には、
良心派の副会長二人が局長から外され、今年6月にも局長兼任の副会長が。
7月には教学部の二人も更迭された。

-------------------------------------
こう見てくると、
「悪の三位一体」一派による学会乗っ取りを潰すチャンスは幾度もあったと分かる。
「天鼓」事件の時、葬儀屋を潰しておくべきだった。
「悪の三位一体」の最初の大ピンチだったかも知れない。
9年間で5000万円のタカリも、T治だけでなくS藤の仕業でもあるのだから、
この時、セットで追放すべきであった。
 

この板の主題は組織悪、それも最高幹部の悪を問題にしているのね~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 8月 3日(水)20時01分6秒
  イササカ先生
お初です
わかりやすいまとめをありがとう~

本来なら職員の幹部がこうした悪と戦うべきだが
もう期待しててもね~
全くダメなわけねー

だから皆さんが怒って立ち上がろうとしている

池田先生が病に倒れて
申し訳ないことに最晩年にこんな事態にしてしまった

なんでこんな事態になったのか
これからどうすればよいか
でしょう


【再掲まとめ】抜粋、ハタチ氏と「悪の三位一体」 ①  投稿者:イササカ先生
投稿日:2016年 8月 3日(水)12時20分0秒   通報 編集済
投稿者:くらさい@少し真面目モード  投稿日:2014年10月26日(日)23時21分4秒


■悪の三位一体が「天鼓」でA見を攻撃したとき、H氏は声をあげた。
しかし、良心派の職員らは何もしなかった。

■悪の三位一体のY尋が葬儀屋に妙観講盗聴事件の訴訟指揮を任せ、
重要証人の陳述書のスリカエデッチ上げなどデタラメなことをやった。
このときも、H氏は声をあげた。しかし、良心派の職員らは何もしなかった。

■2001年、悪の三位一体らがH頭氏を追い落としたときも、H氏は声をあげた。
しかし、良心派の職員らは何もしなかった。
これ以後、聖教ではT治らがのさばるようになった。

■2006年春、T治らが9年間で5000万円もD出版社にたかった事件が発覚し、
同社経理部長が外郭に飛ばされた。このときも、H氏は声をあげた。
しかし、良心派の職員らは何もしなかった。

--------------------------

結果、T治はお咎めなし。逆に、同年夏、声をあげ続けたH氏が諭旨退職させられた。
しかし、良心派の職員らは何も動かなかった。それどころか、T治は編集局長に昇進し、
副会長にも抜擢された。すさまじいパワハラの嵐の始まりである。
 

無題

 投稿者:誰でもない人  投稿日:2016年 8月 3日(水)19時55分12秒
  師弟を軽んじる策の幹部など、
何人敵にまわしても平気。
組織を通じて嫌がらせぐらい出きるだろうが、
それだけのこと。
自分は理性的な人間だから因果律の罠には落ちないとでも
思っているのだろう。
 

会長は無謬か?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 8月 3日(水)19時46分14秒
  組織は間違えないのか?
会長は無謬なのか?

それを問うているんですよ

組織は不要とは
会長中心は間違いだとか

そんなことを言ってないよねー
誰も

だから
アンポンタンなんだよねー
 

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