頭がどうかしちゃったのか
自衛隊初の特殊部隊「海上自衛隊特別警備隊」の創設者の一人で、このほど『国のために死ねるか』を上梓した伊藤祐靖氏。国連職員などを経て、東チモールやアフガニスタンの紛争解決に取り組んできた伊勢﨑賢治氏(現東京外国語大学教授)。命をかけて国のために任務を遂行してきた戦闘のプロフェッショナルと、紛争解決のプロフェッショナルが、憲法改正の現実味が増す中で、戦争のリアルと、憲法改正について語り尽くす。
【前編はこちらから】
伊勢﨑:僕はもともと自衛隊にも9条にも興味なかったんです。それが、PKOで外国の軍隊を扱って、日本に帰ってきてからしばらくして、どうも日本は違うぞ、と気がついた(笑)。しかし、今でもその違いを、どう説明しても日本人に理解してもらえないんです。
今でも軍隊のことを〝人殺し〟と言う人がいますね。そりゃ、殺される人にとっては、犯罪者に殺されようが、警察に殺されようが、軍隊に殺されようが同じかもしれませんが、その行為に対峙する法体系はまったく違うわけです。英語では単語からして違う。メディアでも、犯罪者が人を殺すことはmurderですが、軍隊の場合は、それじゃなく、manslaughterのような単語を当てることが多い。
軍隊は、戦時国際法/国際人道法に則って、同法で規定される「敵」を合法的に殲滅するわけで、そういう感覚が日本では一般の人にも、政治家にもない。だから「防衛費は人殺し予算」みたいな言説で、政局が消耗してしまう。
伊藤:そこに問題があるということにさえ誰も気づいていない。下手すると自衛隊員も気づいていない。たとえば、自衛隊の現実は、上官が、「もっとスピードを上げろ」と命令して、スピード違反で捕まったら、逮捕されるのは命令した上官ではなく、運転していた部下なんです。こうしたおかしいことが日本の現実なんだときちんと説明して理解させないと、自衛隊は機能しないはずなんですが……。
伊勢﨑:日本政府は南スーダンのPKOに自衛隊を出していますが、あそこは日本のPKO派遣5原則なんてもともと成り立っていないんです。それでも、日本政府は「停戦が保たれている。平和だ」と言い張っている。それに対して反対派は、「もう内戦状態なんだから自衛隊は帰ってこい」と。今、撤退できないんですよ。
すでに述べたように、現代の国連PKOは、住民を見放さない、という考え方になっています。もちろん、日本政府の判断で自衛隊を引揚させることはできますが、それは「人道に悖る卑怯者国家」というレッテルを受け入れ、国連外交を放棄する覚悟でやらなくてはならないことなのです。
自衛隊は軍隊じゃない、なんて言いますけど、別にみんな私服では行きませんよね(笑)。正式な戦闘服で行く。これは、戦時国際法/国際人道法上の「義務」であるからです。軍隊であることを敵から識別できるような格好をして交戦しなくてはいけないというのが、その国際法です。同法が最も禁止するのが、民間人/非戦闘員の殺傷ですから、着ていないと、わざと民間人の犠牲を企んでいると見なされるわけです。
さらに、PKOの隊員は、右肩に国連章を付けますね。これは国連の指揮下にあることを示しています。左肩に各所属国の国旗を付けるのは、軍事組織としてその法的な存在の根拠が、その国の法体系にある、ということを示すためです。
つまり、戦時国際法/国際人道法上の違反をした場合、国内の法律……ほとんど全てにおいて軍法、日本にはありません……に従って処罰されることを示しています。これは自衛隊にとっても同じで、つまり、指揮権は国連にあって、東京ではないんです。東京にあるのは、撤退させるという外交力だけです。
伊藤:そういうことは、自衛隊員に明確に説明されません。だから行けるということもあるかもしれませんね。もし指揮権が自分たちにないとわかっていたら、私なら派遣命令を断ります。現場にとって、「誰の言うことを聞くのか」は大問題です。その人の価値判断で誰かを殺し、誰かに殺されるのが仕事なのですから、戦勝国の組織の知らないオッサンの価値判断でなんて、死ねませんよ。われわれは奴隷じゃないのですから。
それをきちんと説明しない政府もダメですし、それを許す雰囲気を作っている自衛隊もダメです。もっと言えば、そこに敏感にならない自衛官もよくないと思います。私が現役のときは、PKOの任務に携わったことがないので正直考えたこともありませんでしたが、「やっぱりおかしい」ということを誰かが言わないといけません。
伊勢﨑:最近、現職の自衛官が、新しい安保法制に対して違憲訴訟を起しましたね。伊藤さんは、この安保法制をどう見ていますか。
伊藤:頭がどうかしちゃったんじゃないかと思います(笑)。安倍総理が記者会見でパネルを2枚使って説明していましたが、「邦人輸送中の米輸送艦の防護」とか「駆け付け警護」なんて、集団的自衛権の本質と何ら関係がないことじゃないですか。あれは、一国の総理がやることではないと思いました。
伊勢﨑:僕もあのパネルを見て愕然として、本を書きました(『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』〈朝日新書〉)。
伊藤:それに、日本の国家理念を貫くために死んでこいというのなら、よっしゃーって行く奴は幾らでもいると思いますが、どうもあの法制からは、アメリカの匂いがするんです。現場の自衛隊員が嫌だと言っているのも、わかる気がします。
憲法9条はもうもたない
伊勢﨑:これまで話してきたPKOは、はるかアフリカまで出かけて行っての話ですが、日本近海、たとえば尖閣諸島で何かあった場合、どうなるのでしょう。「日本の領海内だから現行法制のまま行ける」という考えもあるでしょうが、あそらへんが、いわゆる係争地であることは間違いなくて、しかも相手は国連五大国のひとつの中国です。敵国であるわれわれとは立場が違う(笑)。
フィリピンと中国の例を見ても、今回、国際仲裁裁判所が結審しましたが、強制力はもっていませんし……国際法の限界といえば限界なのですが……、結局は当事者同士の交渉もしくは衝突しかない。そういうとき、今の憲法9条のままで、やっていけるのか。非常にむずかしいと思うのです。
伊藤:むずかしいでしょうね。今、あの海域に艦を出港させるにあたって、明確に立場を説明しているのかと言えば、決してそんなことはないだろうと思います。つまり、お前たちはプレゼンスを示すために出て行く。しかし、交戦権はない。しかも、相手は国連5大国の中国ということをきちんと認識させて出しているか。私には、そこをあやふやにして出しているのではと思えてしまいます。
伊勢﨑:東チモールでは、民兵から撃たれた、その時点から「交戦」が始まりました。しかし、日本には「交戦権」がない。9条二項の議論では、自衛隊の問題として「戦力」の否定に目が奪われがちです。でも、「交戦権」の否定の方が重大だと思うんです。なぜなら、常備軍を持たなくても、「戦力」を持たなくても、素手でも「交戦」はできるからです。
「交戦権」。つまり、9条二項の原文のright of belligerencyをネットに打ち込むと、ほとんどが日本国憲法にかかわるものの記事です。そもそも国際法上、「交戦」は、「権利」というより「交戦規定」。歴史的な大戦を経るごとに、「あの殺し方はないよね」みたいな反省のもと、あれはやってはならないとか、こんな武器を使ったらいけない、とかいう言わば軍隊としての行動のネガティブ・リストの集積です。ルールを守って殺しあえという、どちらかというと「権利」より「義務」のニュアンスです。
必要最小限であろうとなかろうと、1発撃てば、それは「交戦」であって、日本流にいう「自衛権」の行使だって、立派な「交戦」なんです。歴代の日本政府が国会答弁の中で定義してきた「自衛権」は、国際法的にはまるで意味がないのです。「交戦」じゃない国家の「武力の行使」はありえないのです。
だって、人類が歴史的にそれを規制しようとしてきた努力の結晶が、戦時国際法/国際人道法なんですから。さもないと、日本の「武力の行使」は、何の規制もされない、野放図な武力となってしまう。逆に危険なんです。
だからこそ、苦し紛れに日本政府は、国家が主語の「武力の行使」と言わず、個々の自衛隊員が主語の「武器の使用」と言ってきたのですが……。つまり、国際法上の過失は、日本では個々の自衛隊員が責任を負う仕組みの法体系しかない。これは、国際社会では、絶対ありえない。これを続けるなら、9条に改良を加えるしかないのです。
伊藤:こういうことが、これだけ複雑になっていること自体が大問題ですよ。現場にしてみると、こういうことはできるだけシンプルにしておかなければ、いざというときに、まったく役に立たなくなります。これだけでなく、日本という国が矛盾の塊のようになっていて、そろそろ整理しなくてはどうにもならなくなっています。
伊勢﨑:憲法9条は、もうもたないと思いますか。
伊藤:誰がみてもおかしいです。
伊勢﨑:歴代の政府は、9条で存在を否定している自衛隊を、13条の幸福追求権で復活させて、あわせ技で、存在してもいいんだと「解釈」してきました。どんな法も「解釈」されるものですが、やっぱりその「解釈」にも限界というものはある。繰り返しますが、「武力の行使」から「交戦」を引いたら=ゼロ、何もないんです。
そういう意味では、ご著書の文中の能登半島沖不審船事件での威嚇射撃、あれ、国際法的には「交戦」ですよ。ただの不審船だったら、あそこまでやらなかったでしょう。日本人を拉致している可能性のある北朝鮮のものと思しき不審船だからやった。国際法真っ青の「先制攻撃」です(笑)。
伊藤:あのときは、艦長の暴走を止めるのに精一杯で、自分たちが「交戦」しているという意識はありませんでした。しかし、頭のどこかに、「始まってしまったんだ」という意識があったことは認めます。歴史の教科書に載ってしまうようなことが、ここでおきているのかも知れないという感じだったです。
警察にも特殊部隊を
伊勢﨑:アメリカが、パキスタンに潜伏していたビン・ラディンを殺害しましたが、あれって暗殺ではなく、アメリカ大統領がその成功を公表し国をあげて祝った軍事作戦なのです。加えて、アフガニスタンだったらともかく、パキスタンはアメリカの「交戦」領域として認識されていない。
まあ、パキスタンへのとんでもない主権侵害なんで、当然オバマさんは、パキスタン民衆の反米意識が高揚するリスク……事実そうなりましたが……をとったのですが、国際社会では「まあ、特殊部隊がやったことですから」みたいな話で片付けられてしまっている(笑)。
そこで、ちょっと考えたのですが、自衛隊じゃなくて警察組織の中に、伊藤さんが創設した特殊部隊を移せないものかと。それならば、日本近海で今まで以上にガンガンやっても平気ですよね。
伊藤:ただ、警察と自衛隊とでは、人間が違うというのもあるんです。警察官は、犯罪を未然に防ぎ、説諭・説得によって投降を促す、という精神が身にしみついているんです。なかなか殲滅というわけにはいかないかもしれません。
伊勢﨑:そのくらいの差であれば、まあ、なんとか訓練の内容を変えて。だめですかね。せっかく陸上自衛隊にも特殊部隊(特殊作戦群)を作ったのですから、これも警察に移す。少なくとも国際社会に対しては「警察力」だと言い張って。そうすれば、何をやっても、形式上、軍事行動ではなくなり、9条問題もクリアできる。漁民を装った武装集団なんかは、警察として、必要であれば殲滅できるのではないですか。
このへんは、僕自身の東チモールのケースや、アメリカのビン・ラディンの殺害にあるように、国際法の運用のグレーなエリアで……これは如何ともしがたいのですが……、逆に、こちらの体制とそのロジックを、何が起きても一貫して説明できる度量と胆力を備えていれば済む話だと思うのですが。
伊藤:法規の解釈に関しては、専門ではありませんが現場とすれば、国が、「これで行くぞ!」というものをきちんと示してさえくれれば、その理屈に多少無理があろうとも、みんななんとかやると思います。ところが、私が現職だったときもそうですし、その後も、国が筋道を通して何かを示したのを見たことがない。それがこの国の特徴でもあるし、そろそろ何とかしなくてはならない問題です。
日本人は流されやすいのか
伊勢﨑:伊藤さんみたいな人が自衛隊には多いのですか?
伊藤:う~ん……私自体があの事件をきっかけに大きく変わりましたから。何が変わったかというと、本気の度合いです。1分後にも出撃が命ぜられ、命のやりとりが開始されるかもしれない。それに備えるために今何をするべきなのか? なんて考えているのはごく一部だと思います。実際に私が見たことがあるのは、陸海の特殊部隊員、空自のスクランブルパイロット、メディック(救難隊員)くらいです。
私で言えば護衛艦に乗って対潜水艦の訓練をしていたときに、心の底からどこかの国の潜水艦と戦闘になる、その時に任務を達成するために今何をすべきか、今の方法でいいのか、他にもっとすべきことがあるのではないのか、と考えていたかというと、そんなことまったく考えていませんでした。決められた訓練の仕方を決められた頻度でこなすということを考えていたに過ぎません。
だからこそ、役所としてはうまくいっていたところもあります。ところが、特別警備隊ができてから、本気でどうしたらいいかを考え、意見を言う連中が増えちゃいました。上からすると、面倒な奴が増えたという一面もあるんです。
伊勢﨑:みんな、そんなに本気じゃないのですか?
伊藤:何人かの将官は真面目に私たちのマインドを広めていこうと考えていたと思いますが、そうではない勢力もあったと思います。面白いのは、真面目な人は陸自に多いんですね。海自と空自は領海、領空を守っているので、敵を見ているんです。その切実さを知っているはずなのに、慣れてしまって、「どうせなんとかなるんだよなあ」と、真面目さを失ってしまう。
陸自は、PKOには出ていますが、それほど殺意をもった敵を見る経験がないんです。それが逆に、こういう問題を真面目に考えているんですね。
伊勢﨑:能登半島沖不審船事件で、「みょうこう」の若い乗組員が、死を覚悟するあたりを読むと、海自の隊員はきわめて真面目に考えているようにも思えますが。
伊藤:彼らこそ普通の若者だったんです。宝くじやパチンコの話しかしない(笑)。それがわずか10分で一気に変わったわけです。そこが私には心配なんです。それまで自分が戦死するなんて考えたことがない人間が、あっという間に「私は死にますから、あとはよろしく頼みます」と言えてしまう。それが日本人なんですね。言い換えると、自分のポリシー、考えよりも、大勢の流れに身を置くことを重んじてしまう。自分の命さえそこへ委ねてします。
伊勢﨑:それは、大義が時間をかけて醸成されなくても、死ねちゃうという。日本人らしい。
伊藤:これは今に始まったことではなく、学徒出陣で特攻に志願した先輩たちもそうではなかったかと思います。遺書を読むと、けっして戦争に向いている人たちではないんですね。それでも、仲間がみんな行くというのに、自分だけ断るわけにはいかないとか、故郷の親が肩身の狭い思いをするとか、そういう理由で命を投げ出したように思えます。これは悲劇でしょう。
日本では、普通の人、ちゃんとした人に限って、コントロールしやすいのだと思う。だから、上に立つ人間が間違えると、たいへんな悲劇になるのです。
9条があるから戦争がなかった、は大間違い
伊勢﨑:だから、自衛隊はきちんと憲法で位置付けなくてはいけないというのは、説得力がありますね。護憲派に対しても。
伊藤:今の憲法は、生い立ちに問題があることは間違いないんですから、少なくとも出し直すということは必要ですよね。極論を言えば、議論をした結果、内容的にはすばらしいものなので、一字一句変えないとしても、出し直す必要性はあると思います。書かれている内容以前に、とにかく、英語の直訳だとか、押し付けだとか言われてるものをそのまま放置しておくということが大問題であり、おかしなものを、おかしなまま放置しておくという姿勢について、ちゃんと考えてみるべきだと思います。
伊勢﨑:「9条のおかげで日本は戦争をしないですんだ」みたいなのは、単なる事実誤認ですからね。僕は今、「新9条論」というのを言い始めています。(https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/160112/)
戦後、9条の下でも「戦争」……自民党小泉政権そして民主党政権でも特措法でやってきた集団的自衛権の行使です……をやってきた日本。
通常戦力で世界5強に入った軍事大国としての日本。
そして、世界で最も戦争するアメリカを体内に置き続ける……それも、ドイツ、イタリア旧敗戦国は米軍基地もしくは空域の管理主権を回復しているのに、まったく変わらない唯一の地位協定を維持し続ける日本。
もう、9条の「解釈」は限界にきているし、この現実を純粋な9条の解釈に戻す政治力は、もう生まれない……。ならば、という気持ちでです。
国として、何を目指すのか
伊藤:憲法改正については、私は、憲法は漫画でもいいし、読みにくい文語でもいい、とにかく国として何がしたいのかがはっきり示されていればいいと思います。国家理念さえはっきりすれば、日本のお役所は文章を作るのだけは非常に上手ですから(笑)、自然にシンプルでいいものができると思う。
ただ、そのときに、私たち日本人が大切にしていることは70年前と断絶しているのか、それとも続いているのか、そこだけははっきりさせてほしいですね。日本人が善とするもの、悪とするものが70年前と変わったのか、そうではないのか。それをはっきりさせてほしいと私は考えています。
もし、終戦時に国家の理念が変わったのだとしたら、国旗や国歌も変えるべきでした。国家の理念を変えるってことは革命と呼ぶべきものなのかもしれません。国が変わるってことでしょ、それをやらなかったのはなぜか。うやむやにせずに、そこをはっきりさせてほしいのです。
伊勢﨑:それは憲法で示すべきものなのか、私はよくわかりません。
個人の大義を後付でもいいから国家が後押しする必要性を言いました。一方では、こんなこともあるんですね。アフガニスタンやイラクは軍事作戦も占領政策も、アメリカにとって完全な失敗だったわけですが、アメリカの一般の兵士の集まりなんか行くと、上官から言われたことをそのまま言っているのでしょうが、「民主主義のため」とか「自由のため」といった言葉がおうむ返しのように返ってきます。アメリカは非常にシンプルな形で、国家の理念を示しているからです。しかし、それは、結果的に、失敗で、間違っているんですね。これをどう考えるか。
伊藤:間違ってますけど、示すものがなにもないよりはマシではないでしょうか。ちょっとくらい怪しくてもいいから示すべきだと私は考えています。それもしないで、人殺しをしてこいというのは、あまりにおかしな話です。
私はシビリアンコントロールを否定するつもりもありませんし、政治家すべてを信用していないわけでもありません。ただ、これから死んでこいと命令するのなら、納得のいく説明をするのが、最低限の〝礼儀〟だと思っています。今の日本にはそれすらないのですから。
伊勢﨑:礼儀というのはいい言葉ですね。それなら納得できます。