とても楽しい夢をみた
小学生の私は、同じくらいの年の少年ととても仲良くなりました。
こんなに遊びに夢中になるなんて久しぶりだと思いました。
少年も喜んでくれて、自分が好きなお菓子をたくさんくれました。
帰りの時間はあっという間に来て、名残を惜しんでいたときに少年は言いました。
「僕は○○駅の向こう側に住んでいるから、また絶対遊びに来てね!!」
大きくうなずいて帰ると目が覚めて、学校へ行く朝でした。
寝ぼけた頭でまた本当に会える気がして、何よりこんなに楽しい夢を見たのは久しぶりだったから、私は母に夢のことを報告しました。
けれど母はあまり喜んでくれませんでした。
「○○駅って…おじいちゃんのお墓がある場所じゃない。あなたには言ってなかったのになんで。こわいわね。」
父マサルが祖父を嫌ったせいで一家は墓参りに一度も行ったことがなく、墓のことは家ではタブーになっていたのでした。
俗にいう遺産相続の問題というやつで、愛人の息子であるマサルへの取り分が全くなかったそうです。
しかも、権利として裁判で少額もらえるようにくつがえせるはずが、「マサルには一切やらない」という祖父の遺言が出てきて、それで怒っていたそうです。
金額の問題というより、「本家より誰より自分が一番好き」と言ってくれていたのに、遺言で釘をさしてまで「一切やらない」というその姿勢に、裏切られたような気分になったといいましょうか。
死人に口なしというか、問いただそうにも死んで逃げられたというか。
…父が荒れていた当時、そんな話を母は私にしてくれました。
今思えばそれはまるで、少女がぬいぐるみに今日あったことを報告するようだったかもしれません。
当時の私はなんというか、正直言って母の話に呼応する感情を持ち合わせていませんでした。
とにかくその矢先での、私の夢でした。
結局墓に行けずに大人になった
私にも日々優先したいくだらないことがたくさんあったし、何より親の手前、墓にはなかなか行けませんでした。
我が家の門限はいつも厳しくて、出かけるときも「何時にどこへ、誰と、どうして行く。」、そして帰ったらその日はどうだったかなどきっちりチェックされていたので、嘘の理由を作って適当に抜け出すということが非常にやりづらい環境でした。
それに墓といっても情報は駅の名前だけ。
自力でなんとかするにはあまりにも時間が足りなくて、そうしていくうちに私は夢のことを忘れていきました。
二十歳で墓を思い出す
二十歳の夏、気分は最悪でした。
したくもない就職活動を親に押し付けられ、ちょうど会社で人事部に配属されていた父に延々と日々偉そうに講釈を垂れられ(「たいしてコネもないくせに」と言い返せる自我が当時の私にあればよかったのにと思う)、信頼して本音を打ち明けた母親には「そんなことでどうするの!?」と発狂され、好きな人にフラれて、まだ若いのに生きている意味がわからなくなり、心配した知人に紹介された精神科へ通って薬をもらう日々でした。
「若くて恵まれているくせに」
と人から言葉の石を投げられて、薬が切れるたび死を考えたとき、最後の力を振り絞って浮かんだ発想が、
「死ぬ前にできなかったこと全部やろう。」
でした。否、これはとてもきれいな言い方で、厳密には、
「どうせなら死ぬ前に全部壊そう。」
でした。
親と一緒に守ってきた世間体とか、誰かを気遣う気持ちとか、「こんなことしたら人からどう思われるかな。」とか。
投げやりになって、全部徹底的に壊そうと思いました。
好きだった人の苗字が偶然祖父と同じで、まだ仲が良かったころに「墓を探しなよ。」と言ってくれていたことも後押しとなり、私は突然親にも告げずに必死に墓を探し始めたのでした。
「結局自分の問題は見て見ぬふりで私のことばかり、うちの家族はおかしい!!」
病気特有のイライラしたテンションで、私が行かなければという謎の想いがこみ上げ、気づけば友人に連絡を取っていました。
「○○駅のおじいちゃんの墓を探しに行くから、家に泊めてほしいんだ。」
友人一家は急なことにも関わらず私を快く受け入れてくれました。
それどころか車を出してくれて、駅を最寄りとする墓地まで連れて行ってくれました。
とても優しい一家で、そういうはたから見れば意味のわからない不思議なことにも寛容だったのです。
いくつか候補があったけれど、生前の祖父のハデ好きな性格や豪快な買い物癖から、私はすぐに大きなあの寺だと見破りました。
ようやくというところで近くの墓石屋に具体的な場所をきくと「個人情報だから答えられない」と言われてしまったけれど、友人の親が檀家さんであったため、特別に教えていただくことができました。
そうやって私は本当に、おじいちゃんのお墓を見つけたのです。
対面したときはなんというか、「ああ、ある。」というかんじでした。
実感がわかないというか、本当に見つけてしまったというか。
そしてお参りしながら、あの日の夢を今一度思い出していました。
墓の裏の、人がまず見ないであろうところに、あの日夢でくれたお菓子をお供えしました。
生前のおじいちゃんがそんな駄菓子を食べていた覚えはないけれど、あまり堂々と豪勢なものを置いても本家の人に不審がられてしまう気がして、何よりあの日楽しかったから、あえて夢と同じ駄菓子にしました。
夏が来るたび、思い出す
しばらく辛かったときは、物言わぬお墓を支えにしていました。
夏が来るたび楽しい出来事も徐々に増えて、お墓にすがったりはしなくなったけれど、振り返れば振り返るほど不思議な出来事だったと思います。
今でも近くに寄るたびお参りに行きます。
今年の夏は、寄れるかなぁ。