あまりにも悲しい事件が起きました。
平成元年以降、最大の犠牲者が出た相模原殺傷事件。
この事件の最も恐ろしい部分は、犯人の異常なまでの合理的思考です。
それも単なる合理的思考ではなく、経済的な合理性と言ったほうが正確かもしれません。
「障がい者は邪魔な存在なので、消したほうが良いと思った」と、犯人は言っていたらしい。うろ覚えですが、同じニュアンスのことを犯人は言っていたとテレビで知りました。
この思考は、事件直後、ネットで話題になったように、第二次大戦中のナチスの思考、哲学ですね、犯人もナチスの思想に共感していたようです。
実際に、当時、ナチスは障がい者を戦力外通知をするかのごとく消して行き、その思考の果てにユダヤ人の差別、虐殺にまで発展しました。
僕らの国は、これまで経済成長の名のもとに、競争し、世界で上位ランクに入る経済大国になりました。
誰かの役に立つ事が当たり前、競争で勝って行かなければいけないのは常識中の常識。
そんな生産的な存在になる事が義務づけられた現代の中で、経済的に非生産的な存在はどうやって生きていけばいいのでしょう?。
また、どうして相模原事件の犯人は、事件を起こしてしまったのか?
なぜ、犯人は「非生産的」と障がい者を判断し、その想いが差別的な殺傷事件にまでなってしまったのか?
そうです、今回のテーマは、『非生産的』というワードです。
これは、僕がずっと考えて来た『貧困』、『生活保護』の問題と直結します。
誰しも高齢者になったり、不慮の事故に合い、経済社会の中で「非生産的」な存在になる可能性があります。
一緒に考えてみましょう。
ダースベーダーはなぜダークフォースに負けたのか?
テレビであの事件の犯人が車の中でニヤリと笑う場面にゾッとした人もいるでしょう。
あの場面をテレビで観て、不謹慎と言われるかもしれませんが、僕は「あぁ~、ダークフォースに負けてしまったなぁ」と、思ってしまいました。
ダークフォースとは、映画「スターウォーズ」に出て来る闇の力の事です。
スター・ウォーズ オリジナル・トリロジー DVD-BOX<3枚組> (初回生産限定)
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2013/11/22
- メディア: DVD
- この商品を含むブログ (5件) を見る
知らない人のために、ちょっとだけ説明しましょう。
映画「スターウォーズ」のストーリーは、宇宙の戦いがベースになっています。
そのストーリーの中で大きな役割を担うのがフォースの力を操るジェダイの騎士です
もともとフォースは誰の中にもあるのですが、そのフォースの魔法と呼べる力を引き出し、コントロールできるのは、厳しい修行を受けたジェダイと言われる騎士だけです。
詳しくは、ぜひ映画史に残る名作「スターウォーズ」を観てほしいのですが、あの作品の中でダーク(闇)に落ちてしまうのがダースベーダ―なんですよ
ダースベーダーはなぜダークフォースの力に身を任せてしまったのか?
僕は2000年代に公開されたエピソード1・2・3を観て、その理由がはっきりと解りました。
その理由とは、『非生産的』なものを拒否し、すべてを操る強い力を手に入れようとしたから、というものです。
では、映画で描かれた『非生産的』なものとは何でしょうか?
一つは、『死』です。ダースベーダーは、自分の恋人の死を必要以上に恐れました。
しかし、老いること、そして『死ぬこと』は誰にも逃れる事が出来ない、人生で最も大きな『非生産的』な行為です。
ダースベーダーは恋人が死ぬことを恐れるあまり、ダークフォースを使って、恋人を死なせない力を手に入れようとしました。つまり、恋人の死をコントロールしようとしたんです。これは、ある意味、恋人を生かすも殺すも自分が判断できる力を得ようとした、と言っていいでしょう
それが、ダースベーダーがダークフォースに負けたそもそもの始まりだったんです
映画「スターウォーズ」の深い哲学は、そこにあります。
闇の力と言うものは、完璧なまでの合理性から生まれるんだ、と映画「スターウォーズ」は教えてくれていると思えてなりません。
「死」すらもコントロールしようとする事。犯罪とは、合理性、合理的なるものを過剰に求める行為なのです。
今回の事件でそれがはっきりと解ったのではないでしょうか。
僕らは自然を見つめていかなければいけない
もう少し突っ込んで、合理的なるものの逆とは何なのか?を考えてみましょう。
合理的の逆、非生産的でコントロールできなくて、めんどくさいもの、それは自然です。
老いること、病気、死。そして生まれながらに障がいを持つこと、これらはすべて誰もコントロールできない自然なこと。
自然とは、人工的に作れないこと。そんなふうに説明すると、解りやすいかもしれませんね
皆さんは、『自然』という言葉を聞いて、森、林、花、などを、すぐに想像するかもしれません。
しかし、何も森、林、花だけに限った事ではありません。人間だって、森や林、花と同じように自然なんです。
今のところ、人間を人工的に作る事は出来ない。どんな人で、どんな性格で、どんな身体を持って生まれて来るのか?は誰もコントロールできない。
そういう意味で、経済社会にとって、子供も非生産的な存在です。よく、子は授かりものと言われますが、あれは言い当て妙と言っていいでしょう。
子供は自然であるが故に、非生産的で非合理的で、コントロールできない。でも、だからこそ、愛らしくて守ってあげたくなる。僕らは、もう一度、その事を思い出せなきゃいけません。
虐待も子供に合理性を求めた親の犯罪と言えるでしょう。本来、人は、合理的なるモノとは真逆の存在なのです。
けして、第三者がコントロール出来るものじゃない。人の死は、その人の老いが決めること。
勝手に他者が終わらせちゃいけない。自然が決める事なんです。
今回のような事件を防ぐ具体的な方法はないかもしれない。しかし、今、僕らが出来る事と言えば、本来、人は合理的なるモノとは不向きな自然な存在であること、それを少しでも思い出す事ではないのでしょうか?
やるべきことは、シンプルです。
人間が作ったものではないこと、自然を見に行きましょう。触れましょう。
そして、コンロール出来ない自然的なる事柄をコントロールしようとしないこと。
なんだかジブリの映画みたいなメッセージになってしまいましたが、けっこう大事な観点だと思っています。
どうだったでしょうか?人は、本来、非生産的でめんどくさくて、合理的じゃない自然な生き物であること。
これは、もちろん、僕が言い出した事ではありません。
数年前に話題になった養老さんの本に書いてあった思想です
- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2003/08/02
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (46件) を見る
今回の事件を見て、思い出したので書いてみました。
共に、自然を受け入れて生きて行こうではないか?!