合意の「源泉無効」を主張する市民団体の立場も分からないでもない。だからといって、元慰安婦支援のための「和解・癒やし財団」の発足式にカプサイシン入りスプレーまでまくことはなかった。周到・綿密ではなかったが、現政権は歴代のどの政権よりも慰安婦問題にこだわり、全世界にその深刻さを知らせてきた。日本とグルになって得をするのは嫌韓勢力だけだ。合意文を発表したからといって慰安婦問題が終結したわけではない。印鑑ひとつで歴史が清算されるはずがない。今始まったばかりなのだ。財団が発足したのだから、慰安婦被害の真相究明からきちんと進めなければならない。慰安婦を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録したくても、研究資料が少なくて惨たんたる結果になるなら恥ずかしいことだ。市民団体も「不可逆的」という言葉に憤慨ばかりしている場合ではない。政府でないからこそできる努力を探してしなければならない。日本が逆らって約束を履行しなければ、その時に覆しても遅くはない。
映画『鬼郷』で最も目を見張るべき場面は最後のシーンにあると信じる。死んでチョウになった2人の主人公が肩を抱きながら「お姉さん、もう家に帰ろう」という。黄色いチョウに生まれ変わった少女たちが故郷の野腹をわたり、母のもとへ飛んでいくシーンで、癒やしとざんげの涙が川の水のようにあふれる。「許すが忘れない」が賠償額よりも重要であり、恐ろしいかもしれない。今は、日本大使館前ではなく70億の世界の人々の胸に慰安婦を象徴する少女像を建てる道を、額を寄せ合って探さなければならない時だ。