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ケーススタディの人生

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あなたの師匠はどんなひとですか? 「こんな大人になりたい!」より

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師匠やメンターを持つのはいいことですが、注意すべきことがあります。
それはできるだけ高いレベルのひとを選ぶこと。
師匠のレベルがあなたのレベルを決めるといっても過言ではなく、憧れるひとのレベルというのは意識的に高くした方がいいでしょう。
もしあなたが世界的に有名になりたければ、国内でとどまっているひとではなく、世界的に活躍しているひとを師匠に選ぶべきです。

 

 

師匠がどうのこうのという議論は、上から目線ということでよく思わないひともいるでしょう。
しかしながら自分が成長するにあたっては、メンターを選ぶという考え方はとても大切。
成長の限界のみならず成長速度にまでかかわってくるので、誰を参考にするか、誰の話を聞くかというのは気をつけるべきところです。

また、自分の才能というのも考慮すべきでしょう。
これは自分のできるできないに限った話ではなく、メンター選びにも通じる話です。
天才的なセンスで活躍するひとをセンスのないひとが参考にしても効果はありませんし、振りきれたタイプのひとを中庸主義なひとが参考にしても無意味です。

つまるところ、

  • 自分の才能を理解する
  • 才能をもとに師匠を選ぶ

というのができるひとは素早く成長し、結果が出るというもの。
誰のもとにつくかというのはそのまま思考回路に影響しますし、判断基準を学ぶということから弟子の限界を決めてしまうのです。

 

師匠があなたのMaxを決める

 あなたには「将来あんな人になりたい!」という憧れの人はいるだろうか。
 あなたの憧れの人は、あなたの将来を決める。
 あなたの憧れの人が、あなたの将来のMaxだと考えて間違いない。

憧れのひとからの影響は想像以上に大きいです。
あなたが誰かに憧れている場合、そのひとの発言が情報として頭に入ってくることになりますし、考え方もなんとなくわかってしまうもの。
結果として、憧れているひとというのはあなたの思考回路に大きな影響をおよぼします。

憧れのひとによって思考回路が作られる以上、誰にあこがれるか、誰を師匠とするかは重要な要素となります。
小さなコミュニティでとどまっているひとを師匠にすれば、あなた自身も小さなコミュニティでは活躍することができるでしょう。
しかし見ている世界の大きさという点を考えると、成長の限界がその程度でとどまってしまいがち。
師匠としては、大きい規模で活躍するひとのほうがいいのです。

憧れのひと、師匠とするひとによって限界が決まってしまう以上、できるだけビッグなひとを師匠とするのが吉。
特に自分の分野・業界ではみんな知っているというひと、できれば世界規模で動いているひとを選ぶといいでしょう。
人生を捧げているひとは考えていることそのものがちがいますし、ずば抜けた結果が出ているということは何かがある証拠です。

注意点としては、師匠として参考にする・コピーすることはあっても、崇拝はしないようにしましょう。
「このひとすごい!かっこいい!」で終わってしまっては成長なんてあったものではないですし、学ぼうという姿勢がなければ成長することもありません。
否定せずに真似するのはだいじですが、やるべくは思考回路のコピーであって、拝むことではないのです。

 

才能は自然の摂理

 成功者というのは、自分の勝ちやすい分野で確実に勝ち続けている人間なのだ。あなたにも報われやすい分野が必ずあるはずだ。
 本気で成功したければ、頑張ってできたことではなく、たいして頑張らなくてもできたことに専念することだ。

得意なこと、それほど努力せずにできることというのは、成功の可能性があるということでもあります。
ムリに頑張らなくてもできることというのはそれだけあなたの向いていることですし、努力を努力と思わないことというのは大抵結果が出やすいです。
そのようなことこそがあなたが成功しやすい分野であり、だいじにしていくべきもの。
並程度の努力で並以上の成果が出せるのなら、本気を出せばずば抜けた成果を出すことができます。

才能があるというのは、それがあなたにあっているということです。
文筆が得意ならば文筆があなたの才能ですし、運動が得意ならば運動があなたの持っている能力です。
能力があるところにリソースをつぎ込むというのは大切な考え方で、それができるかどうかで成功するかどうかも決まってしまうもの。
あらかじめ能力があるところで努力した者が、大きく成功することができるのです。

逆に、才能のないところにリソースをつぎ込んでも無意味です。
苦労してようやくできるようなことというのは、リソースをつぎ込んでも並程度で終わってしまうでしょう。
運動が苦手な人間が運動を頑張ってもフツー程度で終わってしまいますし、文筆についても同様です。
無理なくできることを頑張るというのが合理的かつ成功しやすいです。

この手の話になると「好きなことと得意なことはちがう」的なのがよく出てきます。
たしかに、好きなこと≠得意なこととなっている段階ではそう考えてしまうでしょう。
しかしリソースをぶち込むぐらいになるとちがうもので、得意なことであれば結果が出やすいので、モチベーションにつながりやすいです。
得意だから結果が出る→おもしろくなってさらに努力してしまうという繰り返しにより、どんどん成長していきます。

 

見えないところでも頑張る

 あなたは人の見ていない場所と人の見ている場所のどちらで、カッコ良く振る舞っているだろうか。
 もし本気で人生を好転させたければ、迷うことなく人の見ていない場所でこそカッコ良く振る舞うべきだ。

 見た瞬間に「カッコいい」「幸せそう」と感じる人は、人の見ていない場所でカッコ良く振る舞い続けてきた結果なのだ。

見えないところでどういうことをするか。
見えるところでかっこ良く振る舞うのは言うまでもないことですが、見えないところで頑張れる人間というのは本物の強さがあります。
裏で必死に努力していればそれがオーラのように感じ取れますし、何より安定感があります。すなわち裏でどれだけ頑張れるかによって、見た目もパフォーマンスもぜんぜんちがってくるのです。

裏での努力はほとんど褒められることがありませんが、それこそがそのひとを形作ります。
褒められないにも関わらず努力するというのは精神的に辛いものがありますが、そこで手を抜かずに頑張れるかは見えるところに影響します。
超人的なことをしているひとというのはその裏で相当な努力をしているものですし、そもそも努力のハードルが一般人とちがいます。

努力を努力と思わないことをするのは、ちょうど見えないところで頑張ることに相当します。
自分では努力と思わないことであれば、別に誰かに見られているかどうかに関わらず取り組んでしまうもの。
それはもう手癖のように身についており、一般人からすればとんでもないぐらい。それぐらいのことであれば見えないところでも頑張れますし、ストイックという感覚も案外なかったりするものです。

オンオフの区別なく取り組めれば、見えないところでも自然と努力してしまいます。
やっている本人に努力という感覚はなく、あくまで好きでやっているだけ。
見えるところでありえないぐらいのアウトプットをするのは言うまでもありませんし、顔つきもちがってきます。

 

褒めることで才能に気づける

 自分の才能に早く気づくためには、他人の才能を見つけて褒め続けることだ。

 まず、他人を褒めようとすれば、あなたもその褒める分野において才能が求められるようになる。
 極論になるが、野球をしたこともない人間がプロ野球選手を褒めることなどできない。

 次に、いつも他人を褒め続けていると、今度は相手からあなたの長所を褒めてもらえる機会が飛躍的に増える。

誰かを褒めるのには、それなりの能力が要ります。
また褒めることで相手からも褒めてもらえ、それによって自分に気づくことができます。
つまるところ、褒めることは相手と自分の両方にプラスの効果があるのです。
褒めどころがわかるぐらいの人間になった時点でかなり成長していますし、それぐらいになれるということはあなたに才能がある証拠です。

わたしたちは他人を否定したりすることばかりを覚えさせられ、褒めるということに関してはあまり教えられません。
小さい頃から目の前の相手に褒められたり褒めたりすることそのものをしないように刷り込まれるため、多くのひとにとっては面と向かって褒める行為そのものがめずらしいです。
教え込まれることといえば他人の揚げ足取りであり、デメリットに必要以上に目を向けることを強要されるもの。
そんなのではいいところに気づくというのも馴染みのないものになってしまいますし、いいとこ探しなんてできるはずがありません。

否定だけではなく肯定もできるようになったとき、あなたは成長します。
目の前の相手を褒めることができるというのはそれだけいいところがわかっている証拠ですし、褒めるべきところをわかっているということでもあります。
否定するのはアラ探しするだけなので簡単ですが、褒めるというのはどこが優れているか、どこがすごいのかに関して知っていないとできないこと。
そのうえで口にできるというのは素直さのあらわれであり、成長につながります。

「○○いいよね」と、本人の前で言えるひとというのは少ないです。
しかしスポーツにしろ何にしろ、結果を出しているひとというのはそれが自然体でできるもので、ハッキリとものを言います。
そして褒め言葉がすぐに出てくるというのはそれだけ理解レベルが高いということ。
瞬時に褒めることができる、いいところがすぐにわかるというのは、それだけ能力があるということなのです。

 

まとめ

得意なことで頑張る、目の前の相手を褒める、師匠を選ぶ。
わたしたちはこれらと正反対のことを小さいうちから刷り込まれます。
ひたすらの弱点克服、目の前の相手には否定の言葉しか投げない、上から目線の禁止。
そのような刷り込みから自由になることでようやく成長できます。

多くのひとは否定ばかりの生活を送ります。
そのため自然体で褒めることができるひとは価値がありますし、周囲と大きく差をつけられます。
また誰の話を聞くか、誰についていくかを考えられるというのは、それだけ自分の才能がわかっていないとできないこと。
これらはマジョリティに染まってしまってはできません。主体性を伴ったマイノリティが、最後には成功するのです。