あらかじめ言っておきますが、私は別に彼のことが嫌いではないです。
しかし、はっきり言って彼の基礎学力はかなり落ちる。
話してて不自然なくらい頭が悪いので、思わず聞いてしまいました。
「早稲田に一般入試か学院や本庄経由で入ったの? その知識を知らないというのはちょっと早大政経生としてありえないと思うんだけど・・・」と。
こういった人間を早稲田のしかも看板学部に入れる早稲田大学はいかがなもんでしょうか。
私もそれなりに高いレベルでスポーツをやってた人間ですから、むしろスポーツの価値は認めています。
しかし、だからといってスポーツができるから大学に行けるというのは普通に考えたらおかしいです。
なぜなら大学は建前としてはやはり「勉強・学問をする場所」なんですよ。
なぜ勉強する場所で運動ができる人が選ばれるのか。
疑問で仕方がない。
「多様性を認めよう」みたいな議論はわかりますよ。
でも、それは一見正しそうで間違ってます。
「逆」を考えたら「おかしさ」がわかるでしょう。
私も中学生の時にJリーグのユースチームのセレクションを受けて、マリノスやアントラーズのようなJ1のビッグクラブは全て落ちて、J2の弱いチームに入る羽目になりましたがw、そこでのセレクションはまず身長や体格で書類選考。つぎに、100メートル走、一対一の強さ、ボールコントロールのうまさ、ミニゲームでの貢献度、持久走etc 「すべて」運動能力に関わる試験しかありませんでした。
スポーツのセレクションでペーパーテストやイケメンであるかの審査があったら非常におかしいですよね?
誰もが異を唱えるでしょう。
しかしスポーツ推薦で一般に偏差値が高い大学にいけるというのはこれと同じ位おかしいことなのです。
広末やスポーツ推薦の人間が当たり前のように早稲田のような一流大学に行けるとなると非常に問題があります。
なぜなら、出身校はシグナル効果の一材料のはずだからです。
もちろん同じ学校の出身でも「能力の幅」はあります。
しかし、やはり「この大学だったらこれ以下の知的能力や知識量ってことはないだろう」という「下限」はやはり間違いなくあります。
「早稲田の一般入試を突破してるならさすがにこれ以上バカってことはないだろう」という「下限」はやはり学歴でわかります。(「上限」は入学以降のその人の努力次第と言えますが)
しかし、AO入試やスポーツ推薦等、明らかに本来のルートから外れた人がワンサカ早稲田政経に来てしまったら、難しい一般入試を突破してきた人間や高等学院などの本流の付属高から来た優秀な人間からしたら迷惑だと思います。
また外部の人間から見ても、「ワセダ」というシグナル効果は極めて不安定ということになります。
この点例えば、一橋大学や大阪大学あたりであれば、「一定以下の能力の人間は絶対にいない」という意味でシグナル効果に非常に安定感があります。
しかし、早稲田に限らず慶応もそうですけど、有名私立大学が経営のために能力が足りていない人間を違う枠でどんどん入れてしまうと、長い目で見ると絶対に大学にとってマイナスなはずです。
しかもタチが悪いことに、一般入試の枠を減らしたほうが皮肉にも「見かけ上の偏差値」は上がるのです。
単純に一般入試の定員が減ったら一般入試の競争は厳しくなりますから、偏差値はどんどん上がります。
一橋大学が偏差値67だとすると、一橋大学の学生の「下限」は偏差値67と言えます。(全員最低67以上)
しかし早稲田政経が偏差値67だとしても、「実質偏差値67レベル」の基礎学力を持つ人間は実は定員の3割くらいしかいないらしいです。
「早稲田政経」を名乗りながら、実質的には偏差値40位の学生も紛れ込んでいるということです。
「下限」がこれでは、シグナル効果としては極めて不安定です。
こんな感じで、早稲田のしかも看板学部である政治経済学部で「けん玉ができる」とか「バレーボールで全国大会に行った」くらいの人が入ってくれてしまっては、外部からの信用がガタ落ちですよ。
私の提案としては、推薦やAOを続けるなら、学位証にも「早稲田大学政治経済学士(スポーツ推薦)」と書き、FBにも「出身校 早稲田大学政治経済学部(スポーツ推薦)」と綿密に明記して欲しいですね。
外部からのシグナル効果へのためです。
それか、そもそも論を言えば、単位認定を鬼のように厳しくするしかないですね。
馬鹿じゃ卒業できないようにする。