前回第二回のあらすじ&ネタバレ感想はコチラ↓
「そして、誰もいなくなった」第三話あらすじ
「終わりの日から6日前」
弁護士の西條に、「公安警察に監禁された自分を外に出してくれ」と依頼した新一。しかし、西條の助けは一向にやってこない。
何者かの細工によって、新一が監禁された部屋でスプリンクラーが突然発動し、その混乱にまぎれて新一は外に脱出する。
西條からの情報により、はるかが自分のことを見張っていたことを知った新一。
さらに斉藤からは、「はるかは大学卒業後、新卒で入社した会社を二か月で辞めて以来、ずっと働いていない」という事実を聞かされる。
仕事をしていないはずのはるかが、なぜ「東京には出張に来ている」と嘘をついたのか、なぜ自分の前に出張を装って現れたのか、新一ははるかに対する疑惑を深める。
一方、公安警察は新一の母親・万紀子を訪ねて、万紀子の息子である「藤堂新一」は新潟で婦女暴行事件を起こした男なのか、それともミス・イレイズを開発した男なのかを写真を見せて尋ねる。
万紀子は自分は新一の父親の後妻であり、新一とは血がつながっていないことを明かしつつ、「ミス・イレイズを開発した男が、自分の息子の新一である」と告げる。
また公安は、新一の上司である田嶋にも話を聞きに行く。
新一ははるかが泊まっているホテルへ行き、はるかに事の真偽を問いただす。
はるかはまだ自分が新一を愛していることを告げ、ホテルの窓から飛び降り自殺をはかる。
はるかは病院へ運ばれ、小山内も病院に駆けつける。
小山内は、はるかがずっと働いていなかったことを知っており、本当は大学院に進もうと考えていたはるかが新一に研究室の椅子を譲ったのだと告げる。
「何も知らなかった」と呆然とする新一を、小山内は「お前は、いつも自分のことばかりだ」と責め、はるかが目覚めたとき新一はいないほうがいいと言って、新一を強引に病院から追い出す。
手術は失敗に終わり、はるかは死ぬ。
新潟から駆け付けた斉藤は、はるかの死の責任は新一にあると考え、復讐を誓う。
病院から出た新一の下に、「ガキの使い」から「今すぐテレビのニュースを見てみろ」という連絡が入る。
ニュース番組では、偽藤堂新一こと川野瀬猛が藤堂新一として、自白の強要をされたことを訴える会見を行っていた。
第三話ネタバレ感想
【閲覧注意】強烈にディスっています。
このドラマを好きな方や楽しんでみている方は、読むときは自己責任でお願いします。
以上を踏まえたうえで、読んでくださる方はコチラへ
↓
↓
↓
↓
このドラマの問題点は色々とあると思うのですが、主に二点だと思います。
①演出、脚本の構成が下手
②脚本家の都合で、物語も登場人物の性格もコロコロ変わるのが透けて見える。ドラマではなく「脚本家の都合」を見せられている気分になる。
あと個人的には、
③登場人物の感情が支離滅裂なうえに、一貫している点ですらまったく共感ができない。
今回は見ていて余りに頭にきすぎて、血管が切れそうになりました。
思い出すだけでイラつきますが、せっかくなので細かく説明したいと思います。
①演出、脚本の構成が下手
このドラマは、一部、倒叙ものの手法をとっています。
つまり「主人公は知らないけれど、視聴者は知っている情報がある」ということです。
例えば「はるかは新一のことが、まだ好きで新一のことを見張っている」とか「小山内は、何かしら企んでいて暗躍している」「バーテンダーの日下も、新一の指紋を採取したりしている」などの情報ですね。
倒叙ものの難しい点は、視聴者が知っていることを主人公は知らないで行動しているので、うまく描かないと主人公がただのバカに見えてしまう危険性があるという点です。
たいていの作家はこういうことを承知しているので、よほどうまく構成できる自信がない限りは主人公と視聴者を同じ視点で設定するか、もしくは犯人視点で描くという手法をとります。
このドラマは、まずその点が失敗しています。
新一は「頭がいい」という設定なのですが、どうみても頭が悪そうに見えてしまいます。
これは「新一が本当に頭がいいかどうか」「実際に自分が新一の立場に立ったら、新一以上のことができるのか」という問題ではなく、物語の見せ方の問題、脚本の構成上の問題です。
新一が新たな事実を知って驚いても、視聴者は既に知っている情報なので、「ふーん、知っているけれど??」という感想しか抱けません。
あと、サスペンスやミステリーでは「必然性のない(伏線ではない)、不自然なことはやってはいけない」「偶然という事象は、極力、排除する」という暗黙の了解があります。
何故なら、サスペンスやミステリーは「起こったことすべてが、手がかり(伏線)ではないか」という気構えで読者は見ていますし、「偶然」は推理しようがないからです。
今回、起こったことで見てみると、「はるかが大量のゴミ袋の上に落ちた、という事実」は物語の構成上は、偶然ではなく何かの伏線でなければならないわけです。(例えば、「ゴミ袋の上に落ちたから死ななかった」という結果の伏線。)
この後、はるかが結局死んだのならば、これはただ単に「脚本家が病院の待合室のシーンを書きたかったため」ということになってしまいます。
②登場人物の性格が物語の都合で、コロコロ変わる。
はるかが病院に運ばれるシーンの話が出てきたので、ここを例にあげて話すと、小山内は何で、新一にあんな理不尽な説教をかまして、病院から追い出したのかという話なんですよ。
どうして、そんなにはるかに入れ込んでいるの???
ここの小山内の行動の動機がよく分からないんです。
小山内というキャラクターを考えたとき、表向きは新一の友人ではるかのことも友人なのですから、二人への距離感は等距離なはずです。
だから、はるかのことも心配でしょうけれど、はるかと同じくらい、身分もなくなって、目の前で元彼女に自殺未遂された友人である新一のことも気遣いませんか????
それを十年も前のことで説教をかまして、何もかも新一のせいみたいに言い出すなんて、斉藤が憑依したのか???と思いましたよ。
これを斉藤が言うのならば、分かるのですよ。
斉藤ははるかにずっと片思いしていて、新一のことをあきらめきれないはるかのことをずっと見てきたのですから。
しかも視聴者は小山内が暗躍していることを知っているので、新一に対して「お前はこんなときも自分のことばかりか」っていう小山内に対して「お前が言うな」と思うわけです。
脚本家というのはそういうことも考えて物語を構成している(と思う)ので、視聴者は脚本家の心理を推察して、これは何らかの理由で小山内は新一とはるかを会わせたくないに違いない、小山内がはるかを利用していたのではないか、はるかは小山内の暗躍について何かを知っているのではないかと考えるわけです。
「十年も前の傷を引きずっている、故郷の女友達を思いやる小山内」
「十年来の友達を、気遣うふりをして陥れる小山内」
この二つは、よほど理由がない限り、一人の人間として成り立たないはずです。(斉藤のように、はるかに恋しているなどの理由がない限りは。ただその場合、新潟と東京で離れているのに、ずっと好きだったのかとか、それはそれで疑問が浮かびますが)
後者の「十年来の友達を、気遣うふりをして陥れる小山内」がここ三話までで固定されている小山内保のパーソナリティーなので、当たり前ですがここを基準にして小山内という人物の行動原理を考えるわけです。
そうすると「はるかを過剰に気遣うのは、はるかを気遣っているのではなく、何か新一とはるかと会わせたくないなどの理由があるのではないか」と考えるのが自然です。
どうもそうではないらしいとなると、
「今は斉藤と新一を会わせないことによって、次回、斉藤に行動を起こさせる」という物語上の都合のためじゃないの?
物語の都合で、小山内はパーソナリティーにない行動をしているんじゃないの???
という疑問が浮かぶわけです。
これが多少ならば、「ドラマだし……多少の矛盾やご都合主義は仕方ないか」と思うのですが、このドラマは、こういうことだらけなんですよ。むしろご都合主義ではない箇所を探すほうが大変です。
公安も、プロなんだから見張りは複数人でするだろうが。
あんな古典的な手で、素人に逃げられるなんていうことは絶対にないと思います。
わざと逃がして泳がしている、という伏線じゃないだろうか???
とか、思うんですよ、見ているほうは。
まさか、物語の進行のためのご都合主義だなんて思いもしませんよ。
それなりに作り手を信じて見ていますから。
いちいちそんな風に考えて、そのたびに
「ただの物語の進行上の都合だから、別に何もありませんでした」
「ただ、物語をドラマチックに見せるためだけの演出上の都合でした」
ということの連続なんで、いい加減まともに考えることをやめました。
このドラマの一番正しい見方は、心を無にして、ネタドラマとして楽しむことなんだと思います。
いちいち「そんなことがありうるはずがない」とか考えると、疲れるだけです。
疲れるだけですが、はるかの行動は結局、ヤンデレだけが理由だったんですかね。
ヤンデレでスーツまで買い込んで、新一を付けまわしていたんですか??
さすがにこの辺りは、他の理由もあると思うのですが。
このドラマだと、本当に「ただのヤンデレでした」で終わりそうで怖いです。
③登場人物の性格が支離滅裂なうえ、一貫している感情すら共感できない
今回の話で、一番ムカついた点はここです。
はるかの件で、斉藤も小山内も
「はるかはお前を思いやって行動していたのに、お前ははるかのことを見もしなかった」
「はるかは大学院の定員をお前に譲ったあと、ブラック企業に入社して辞めて、それから働いていない」
って、何もかも新一のせいみたいに言っているけれど、こういう人って発想が逆なんですよね。
「はるかが大学院進学を新一に譲った」 →「はるかがいま不幸なのは、新一のせいだ」
逆でしょ???
「いま、はるかが不幸なことを何かのせいにしたい」→ 「新一に大学院の定員を譲ったせいだ」
自分がいま現在不幸でうまくいっていないことを、誰かのせいにしたいだけでしょう??
それで、十年も前に別れた元彼に執着して、「私はあの人のために、こうしてあげたのに、ああしてあげたのに、何であの人はこうしてくれないの??? だから私はいま、不幸なんだ」って思っているんでしょう???
斉藤だって、自分がどれだけ想ってもはるかを振り向かせられないから、新一を逆恨みしているだけでしょう???
新一のやり方に文句があるなら、お前がいい男になってはるかを振りむかせればいいだけだろ。
しょせん、嫉妬で逆恨みしているだけなのに、相手のことを自己中とか罵るなよ。
こういう発想には、反吐が出ます。
はるかがもし、大学卒業後、いい会社に入って順調に出世しているか、もしくはいい男に出会って結婚して子供でも産んで幸せだったら、新一のことなんて思い出しもしなかったと思いますよ。
自分が不幸なことを、はるかが不幸なことを、十年以上前に別れた元彼のせいにしてんなや。
この一点だけでも、新一ははるかと別れて正解だったと思います。
もうひとつ言わせてもらうと、はるかのような人って「自分のことを考えてくれない人を好きで、でも自分はその人のことを一生懸命考えている。そういう愚痴を友人にたまに言ってしまう」ここまでがワンセットで好きなんだと思うよ。
自分のことを一生懸命考えてくれる、斉藤のような人には見向きもしないじゃん。
自分は斉藤じゃダメなくせに、新一には、早苗にまでストーカーまがいのことまでして振り向かせようとする。
それがバレると「何で、私じゃダメなの?」と逆切れする。
それでもダメだと、当てつけみたいに目の前で自殺する。
はるかのほうがよっぽど「自分のことしか考えていない」と思うのですが、小山内も斉藤もその辺りは何も思わないのでしょうか???
物語の都合が書いてある、脚本を読まされているだけのキャラなので、そんなことを思いつきもしないんでしょうね。
自分の弱さを棚に上げて、何もかもを人のせいにする人間たちが、自分たちが自己中であることを気づかずに、だまし討ちみたいなことをしておいて、主人公にそれを指摘されると逆ギレして主人公を自己中とつるし上げる。
過去最高に、不愉快なドラマです。
で、来週、斉藤がお決まりのトンデモ理論で発狂するわけか。
そのエネルギーをどうして、はるかを口説き落とすことに向けられなかったんですかね。
振られるのが怖くて、たまりにたまった負のエネルギーを、自分に都合のいい理屈を並べ立てて新一にぶつけるわけですね。
ドラマでよくある展開ですが、普通はもう少し自分が身勝手であることを自覚しているものですけれどね。
自分の存在が公的に抹消されるかもしれないという危機に立たされているときに、過去のことをネチネチ「自分のことしか考えていない」と責められて、たのんでもいない彼女のストーキングまでされて、当てつけに自殺までされたのに、「オレは自分のことしか考えていない」と反省する主人公。
仮に新一が自己中だろうが、一人の人間をこんなやり方で陥れる奴らにそんなことを言われる筋合いは絶対にないはずです。
来週、斉藤の嫉妬に満ちたトンデモ理論にまで、反省するんじゃないだろうな。
主だったら、発狂して全員百トンハンマーでぶん殴るな。
というわけで、最終回は新一による、登場人物全員の皆殺しエンドを希望します。
いま、そこに至るまでの伏線を描写している段階なんですよね??
こんな支離滅裂な登場人物たちがトンデモ展開を繰り広げているのも、きっとそんな爽快な最終回のためですよね??
そう信じて、見続けようと思います。
ピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコ。