【あの時・自転車チームスプリント「銀」】(3)直前合宿でまさかの警察連行
井上との五輪代表争いに敗れた永井は「ショックというか、何で僕じゃないのって感じ。納得できなかった」と当時を振り返った。その悔しさをバネに4年後、日本発祥の種目・ケイリンで初のメダリストに輝く。「アテネの件があったから頑張れたと思う。伏見さんもシドニーの時は悔しい思いをしたし…」。一方の井上は言う。「それまでは会えば永井からお土産をもらったりしていたのに、あれ以降はなし(笑い)。よそよそしいというか、フレンドリーな関係ではなくなった」
井上が選ばれたのは、ゲーリーの総合的な判断だが、1000メートルでのタイム比較に加えて、長塚、伏見の強い希望が大きかった。チームワーク―。3本の矢、少しでも気持ちにずれがあれば勝てない。誰かが言った。「このチームは個性的。でも個性がぶつかり合うのではなく、いい具合に調和していた。井上は何事にも動じない淡々とした性格。伏見は真面目で冷静、長塚はヘラヘラしていても、ここぞの集中力がすごい。本番5分前になると目つきが変わる」
メダル獲得に向け、直前の1か月間は、標高2000メートル近いアメリカ・コロラドスプリングズで調整が行われた。シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子はコロラド州のボルダーに拠点を置くなど、当時高地トレはトレンドになりつつあった。3人は「初めてだし、直前にやっても効果はあるのかなって半信半疑だった。でもゲーリーが言うから…」。自転車の短距離チームが高地合宿を行うのは世界でも例がなかった。空気の薄い地の練習は過酷を極めた。
そんな中、あわや五輪断念か、という“事件”が起きる。本番を直前に控え、井上が地元の警察に連行されたのだ。「いやいや悪いことはしていませんから(笑い)。たまたま3人で歩いていたら警官に声を掛けられ、パスポートを見せろと言われたんですが、僕だけホテルに忘れていて…。やばいと思いましたよ」。井上らしいと言えば井上らしいのだが、時期が時期だけに緊張が走った。伏見と長塚は「もうびびりまくり。昌己、何やってんだよーって感じでした(笑い)」。標高3500メートルほどの警察署での取り調べで、五輪に出場する自転車の日本代表だと懸命に説明し、何とか事なきを得た。「昌己のおかげで、さらに標高の高い場所に行けたから心肺機能が上がって、メダルが取れたんでしょうね」。伏見と長塚は、冗談っぽく声をそろえた。(永井 順一郎)
◆ゲーリー・ウエスト 1960年6月8日、オーストラリア生まれ。56歳。中長距離の選手として活躍。84年ロサンゼルス五輪のポイントレースに出場し18位。2002年から06年まで日本代表の指揮を執る。その後、アメリカ、南オーストラリア州のヘッドコーチを務め、08年からオーストラリアのスプリントヘッドコーチ。酒に強く、陽気な性格で選手からの人望は厚かった。