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【首都スポ】

親子2代で五輪陸上男子三段跳び 山下航平、父訓史さんに並んだ夢

2016年8月2日 紙面から

親子2代で陸上男子三段跳びの五輪代表に選出された山下航平。大ジャンプで父の持つ日本記録更新を狙う(内山田正夫撮影)

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 親子2代での大ジャンプをリオの地に架ける。陸上男子三段跳びでリオデジャネイロ五輪代表に選出された筑波大の山下航平(4年・橘)は、この種目の日本記録(17メートル15)保持者でソウル、バルセロナ両五輪代表の父訓史(のりふみ)さん(53)に続く親子の五輪代表だ。リオでは偉大な父の記録を超え、4年後の東京にもつながる跳躍に挑む。 (川村庸介)

 日本記録保持者の息子、親子2代での五輪−。生まれ持った宿命も山下にとっては空を舞う翼となる。「自分の中でプレッシャーを感じたことはない。父が記録を持っていることは素直にすごいと思うし、その息子として活躍できることはうれしい。周りも見ていて面白いだろうなとも感じる。尊敬する選手なので、父について聞かれるのはありがたいこと」。訓史さんの息子であることを誇りと力に感じながら、日々三段跳びのピットに立っている。

 物心がついた時から三段跳びを意識し、日本記録が間近にある環境だった。「僕が生まれた後も父が現役だった時があって、母親に連れられて見に行った記憶がうっすらとだけどある」。自宅には父が日本記録を出した時の新聞が張ってあり、日本代表のスーツケースが押し入れにしまってあったと言う。

 福島大付属小で陸上を始めたのも父、三段跳びが頭にあったからだった。「小学校や中学校では運動が得意ではなかったけど、周りからは『お父さんがオリンピック選手なら足が速いでしょ』と言われる。それもあって足が速くなりたいと思った」。ハードルや走り幅跳びをやりながらも「うっすらと三段跳びをやりたいなというのはあった。父を喜ばせたいというのもあったかもしれない。全然迷いはなかった」と振り返る。

 そして福島県立橘高校に入学、三段跳びを始めるにあたっての師はやはり父だった。父からは「じゃあ教えてやるよ」とシンプルな言葉。別の高校に勤務していた父だったが、毎週末の合同練習会でまずは基本動作のバウンディングから教え込まれた。「へたくそで、笑いながら見られていた。こんなことをやらないといけないのかと思った」。あらためて実感する父の偉大さ。それでもパワー型の父に対しスプリント型の息子というタイプの違いこそあれ、受け継がれたDNAが徐々に覚醒、高3では国体で優勝するなど大器の片りんを表し始めた。

 筑波大を選んだのも、母に国公立大進学を強く勧められたのと、それ以上に父の母校でもあったからだった。その筑波大では父と並ぶ師にも出会い指導を受けた。伸び悩んでいた時期にも「おまえならできる」と励まされ続け、昨年の冬には「来年は16メートル85を跳べる。オリンピックに行けるぞ」と、山下自身も信じ切れなかったリオという目標を掲げてくれた。

 そんな恩師、図子浩二跳躍コーチが6月に52歳で急逝。5月の関東学生対校選手権(関東インカレ)で予言通りにリオ五輪参加標準記録の16メートル85を跳んだことを電話で報告し「よかったな。これでオリンピックに向かって頑張らないとな」と励まされたのが最後の会話となってしまった。リオは天国の恩師へ晴れ姿を届ける舞台にもなる。

 筑波大に入学した2013年の9月には自身の競技人生を大きく左右する出来事もあった。20年東京五輪開催決定。その報に接したのは、かつて父が世界選手権を跳んだ東京・国立競技場で行われていた日本学生対校選手権(全日本インカレ)だった。「まさに主会場、ここでやるんだと思うと、何としてもここで活躍したい気持ちは決まった時からあった。今回リオに出ておくのは、初出場で迎えるのとは全然違う。それは父も言っていた」。25歳で迎える地元五輪へも思いをはせる。

 競技人生をホップ、ステップ、ジャンプに例えると−。そんな質問に山下はこう答えた。「まだ踏み切り準備もしていない、助走路に立ったか立っていないかというレベル。ジャンプは東京で決めたいし、その先もあるかもしれない」。親子2代での五輪出場でひとまず父に並んだのが助走。そこから父が果たせなかった五輪での入賞、そして30年間破られていない父の日本記録更新をホップ、ステップと思い描く。

 「父には『まだ先だろう』と言われるけど、自分は学生のうちに達成したいと思っている。そうなった時にどんな顔をするのか楽しみ」。父の記録を塗り替えるのは自分だけ。日本記録保持者の息子である誇りを胸に、文字どおり父を超える大ジャンプに挑む。

 ▼山下航平(やました・こうへい) 1994(平成6)年9月6日生まれ、福島市出身の21歳。179センチ、69キロ。小4で陸上を始め、福島県立橘高では2年時に三段跳びで全国高校総体(インターハイ)5位。高3時、インターハイは予選落ちに終わるが国体で優勝。2013年に筑波大に進学。大学3年の日本インカレで2位。今年の関東インカレでマークした16メートル85の自己記録は日本歴代6位。

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