「ポケモンGO」の日本版リリース開始から10日余り。先んじて米国などで人気を呼び、任天堂の株価が急騰するなどの大きな話題になっていたこともあって、日本でも利用者が一気に広がり、全国各地の街角でスマホをいじる人々の光景が目立っている。
■ ブームが過熱する一方、ネガティブな一面も
ブームが過熱する一方、ネガティブな意見も目にする。内閣サイバーセキュリティセンターも配信前から注意を喚起していたが、特にポケモンGOに興じているユーザーそのものが標的になっているケース。テレビ番組で芸能人やコメンテーターが辛辣な意見を述べたことがネットニュースで取り上げられ、それに対する異論・反論なども飛び交って議論を呼んでいる。
確かにポケモンGOに夢中になるあまり、立入禁止の場所や高速道路に立ち入ったり、盗撮と間違えられたり、ひったくりに遭ったりなどという、さまざまなアクシデントが起きている。先行配信された米国をはじめとする海外でも似たような話は多い。もちろん周りの歩行者や自転車、自動車に注意を払わずにポケモンGOに興じるユーザーは危険だし、犯罪の標的にもなりかねない。横断歩道を渡りながら、あるいは車道を横切りながらのプレーなど許されるはずもない。
ただ、自動車との関係において、ポケモンGOユーザーが一方的に邪魔な存在に扱われる風潮には違和感もある。「道路は自動車が通って当然だ。いつ自動車が通ってもいいように、歩行者や自転車はつねに端を通るべきなのだ」という自動車社会の奢りが感じられる。
実は「道路は遊び場ではない」という考え方は、ここ30年ほどのものでしかない。今年41歳になる僕が子どもだった1970~1980年代は、第2次ベビーブーム後だったこともあって、多くの子どもたちがよく路上で遊んでいた。もちろん幹線道路で遊ぶことはないが、狭い路地などでは誰かしらが遊んでいた。僕自身も電信柱などを使ってボールを投げたり、友だちと馬乗りになったりして遊んでいたものだ。
そもそも、当時は人がよく道路を歩いていたし、道路上で井戸端会議に花を咲かせる主婦も多かった。「自動車の道路」と「人が生活する道路」というのは明確に分かれ、人の歩く道路に自動車がやってくることは多くはなかったから、安心して遊べたのである。
■ 自動車の通行が主体の道路に変わっていった
それも僕らの成長とともに変化していった。バブル前後に自動車販売はピークを迎え、その後、日本経済は停滞しつつも保有台数は右肩上がり。地方都市では「一家に1台」どころか「1人1台」というケースも珍しくなくなった。ベビーブームが終わって子どもの数が減っていき、子どもが道路で遊ぶ光景も少なくなった。人や自転車の往来が多い道路でさえ、いつしか自動車の通行が主体の道路に変質していった。そもそも今は公園で子どもが遊ぶ声すら「うるさい」と言われるくらいに、子どもの声が日常のものではなくなってしまっている。
もっと客観的な歴史を踏まえれば、道路を「車のもの」とみなしてきた歴史は、昭和30年代の「交通戦争」に始まるのだろう。戦後の高度経済成長の中で車と人と路面電車などの公共交通が入り交じるなかで死者数が日清戦争での日本の死者数を超えたことから「戦争」と名付けられたが、実際は「人や公共交通」と「自動車」が道路の占有権を争う時代だった。
交通戦争で「道路を自動車が我が物顔で走るなんて迷惑」と考える人もいたのだろうが、そうした声は抹殺され、東京を支えた路面電車網はその大半が廃止され、安全のためにと道路から人が追い出される形で戦争は事実上終結した。結局は自動車事故によって多くの人間が犠牲になったからである。決して穏当な話し合いで決着が付いたわけではなく、事故の責任を自動車が追わぬままに、強引に終結したといってもいい。
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