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【首都スポ】福島大輔、リオを駆ける 障害馬術80年ぶり日本団体入賞へ2016年7月13日 紙面から
千葉県佐倉市の乗馬クラブから、38歳が初めて五輪に出場する。障害馬術のリオデジャネイロ五輪代表、福島大輔(38)=STAR HORSE。明大馬術部から日本中央競馬会(JRA)を経て、現在は実家の佐倉ライディングクラブ(RC)をベースにする。そのベテランが、リオの大舞台で1936年ベルリン五輪(6位)以来、実に80年ぶりの障害馬術団体入賞という目標に挑む。 (藤本敏和) 千葉県佐倉市。城下町の面影が残る市街地に近い国道沿いに、佐倉RCがある。高校程度の敷地に、馬場や厩舎(きゅうしゃ)が並ぶこぢんまりとした家族経営の乗馬クラブが、リオデジャネイロ五輪障害馬術代表・福島大輔の故郷だ。 「馬術を始めてからずっとオリンピックは目指してきました。やっぱりうれしいですし、関わってきたすべての人と馬に感謝したいです」 38歳で初の五輪は、選手生命の長い馬術でも遅咲きだが、チームからの評価は高い。東良弘一・障害馬術監督は「エースの杉谷泰造(杉谷乗馬クラブ、五輪6大会連続出場)に次ぐ実力者。特に大舞台でも気後れしないのは大きい。団体戦のオーダーはまだこれからですが、一番手として出場してもらうことも考えています」と、実力に太鼓判をおした。 そんな男がなぜ、今まで五輪に縁がなかったか。理由は馬術の特殊性にある。 馬術は人と馬の双方が重要な競技だ。楽しむだけなら価格の安い元競走馬で十分だが、一流大会で競うレベルになると、人にどれだけ技量があっても力ある馬に乗れなければ勝負できなくなる。 日本ではあまり知られていないが、馬術馬は競走馬に勝るとも劣らない高値がつく。五輪なら最低でも1頭5000万円レベル。10億円以上で取引されることすらある。資産家でもなく、大きな乗馬クラブに所属しているわけでもない福島が、そんな馬と巡り合うチャンスはそうなかった。 成績は少年時代から抜群だった。敬愛学園高1年から3年まで国体を3連覇(佐倉RC登録)。高2では全日本大障害選手権で予選2種目と決勝をすべて制す完全優勝を果たし、17歳という大会最年少優勝記録も樹立した。 そんな福島が、就職先に選んだのはJRA。かつて一般選手が世界を目指すには最良の環境とされてきた。 競馬の売り上げ低迷などでなかなかチャンスは巡ってこなかったが、入会8年後の2008年、ようやく海外挑戦の番が回ってきた。ベルギーの元世界王者ランシングさんに師事して腕を磨き、ウェルダン(JRA所有、ベルジャンウォームブラッド種)とコンビを組んで10年世界選手権の出場権を獲得。初めての世界トップ大会で、人馬103組中、上位30組しか進出できない決勝に進出して24位と、見事に結果も出した。 だが、2012年ロンドン五輪への挑戦はJRAから否定される。世界への情熱に火が付いていた福島はこれに満足できずJRAを退会。佐倉RCをベースに世界を目指す道を選んだ。 そこからの道も険しかった。小さな乗馬クラブが、実力馬をすぐ手に入れられるわけもない。「実はロンドン五輪を目指さないかという話もあったんです。ただ、その話であがっていた馬では五輪に出られたとしても出ただけで終わってしまう。性格的にそれでは満足できず見送りましたが、世界に挑戦したくてJRAを退会したのに五輪に挑むこともできないという状況に歯がゆい思いはありました」と、福島は振り返った。 後ろ盾のない福島に、もう一度チャンスが巡ってきたのが15年だ。日本馬術連盟が、東京五輪のため何としてもリオの団体出場権を獲得しようと、ドイツの大規模生産者で自身も元欧州王者であるポール・ショッケメーレさんをナショナルチームGMとして招聘(しょうへい)し、有力選手を同氏の持つ有力馬に乗せて出場権獲得を目指すことを決定。福島はコーネット36(ウエストファーレン種)とコンビを組んで杉谷、桝井俊樹(乗馬クラブクレイン)、林忠寛(北総乗馬クラブ)とリオ五輪地域予選に出場し、豪州を下し団体1位となってリオの団体出場権を獲得した。 ただ、連盟のサポートはここまでだった。援助による人馬のコンビは解消され五輪の選考は16年に改めて行われることになる。五輪出場のためには、実力馬を自ら調達する必要があった。 だが、福島は4年前のように引き下がりはしなかった。障害団体は入賞を狙える力をつけている。そこに貢献できるなら、五輪に挑む価値は十分ある。そう考えてクラブの会員にスポンサーとなってもらい、GMと折半という形でコーネットの所有権を取得。正式に自馬として五輪に挑み代表に選出されたのだ。 五輪での第一目標はもちろん団体入賞。「コーネットは大きな障害も簡単に飛べる馬ですがスピードはない。スピード勝負になってくる個人の上位入賞は難しいですが、最低限の減点で回ってチームに貢献したい」と、冷静に分析する。 福島は同時に、東京五輪も視界に入れている。「リオは個人としてはベスト30入りが目標。その経験を糧に東京五輪でメダルを目指したいです」と表情を引き締める。障害を越えてようやく五輪をつかんだ38歳は、まだまだ跳び続ける。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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