先に書きたいことをまとめておくと、
・可視化されているのは生き残った人だけ、あるいはまだ失敗していない人だけ
・本当に大きなリスクは言及されないし、それらのリスクに引っかかった人は単に観測できなくなる
・今可視化されている例からだけ判断し、追いかけるのは危険
・何かにチャレンジする時はちゃんと事前に想像力は働かせた方がいい
・あなたにチャレンジを勧める人は、あなたの人生に対してなんの責任も負わない
の5点になります。忙しい人は上記だけ読んでブラウザを閉じてやってください。
今から当たり前のことを書きます。
何かにチャレンジする時には、当然のことながら、リスクとリターンを考えるべきです。最大リスクにはどんなものがあるのか。それに対して得られるリターンは何か。どんなチャレンジをする際も、その辺は最低限考えておいて然るべきです。
なので、本来、「リターンにはどんなものがあるのか」というのと同じくらい、「リスクにはどんなものがあるのか」という情報は大事なわけです。
ただ、別にwebに限らないと思うんですが、何かのチャレンジについて、「本当に参考にすべき失敗例」が可視化される機会は滅多にありません。本当にありません。
可視化されているように見える失敗例は、殆どの場合
・ある程度成功している人、ある程度軌道に乗っている人が、「俺にもあんな苦労があった」的に、自己顕示の一環として開示する失敗例
・集客などのフックの為に用意された、致命的とは言えない失敗例
のどちらか、あるいはその両方です。
本当に致命的な、「最大リスク」に該当するような失敗例を経験してしまった人は、単にいなくなります。正確には、ごく短い期間で観測できなくなります。
凄く期間を置いてから、また観測できるようになる(復活する)ことも稀にはありますが、そんな場合でも、本当に参考になる「失敗事例」を聞くことが出来る機会は稀です。やはり人間、取り返しがつかないような失敗については触れたくないし思い出したくもない、ということなんでしょうか。
一言でいうと、「失敗例は成功例よりもずっと見えにくい」んです。
例えば、webにおいて、何人かの人たちが新しい試みをするとします。ばーーっとその試みのリターンが喧伝されます。とても華やかに見えます。
けれど、その試みにおいて、「本当に失敗してしまった人」は単に「あれ?そういえばあのひと、最近みないね?」という程度にwebから消えてしまうだけなので、一部の華やかそうに見える成功例だけが可視化され続ける、ということになります。
チャレンジをすることは悪いことではありません。ですが、チャレンジをする際、成功例「だけ」を参考にするのはとてつもなく危険です。しかし、世の中「参考にすべき失敗例」はなかなか見えにくいようにできています。
だから、チャレンジをする前に、「そのチャレンジに伴うリスクは何かな?」という点については、きちんと想像力を働かせなくてはいけない、ということになるわけです。
大体想像して頂けると思いますが、私は今、例えば「ノマド・ライフ」であるとか、もうちょっと古くは「1円起業」のような、ちょっと前にいち時期流行って、最近あまり聞かなくなったものを思い浮かべています。
あの頃、盛んにそれらの言葉を喧伝していた人たちは、今ではまた別なものを喧伝し続けています。そして、そういった言葉に乗っかって「別の道へのチャレンジ」をしてきた人たちの中で、まだ観測できる人はほんの一握り、いや一握り以下です。
それらの一握りに入っていない人は、「これこれこういった成功をした」「これこれこういった失敗をした」という形跡すらなく、ただただ見えなくなりました。web上に存在しなくなりました。たまに、「あれ?あのひとそういえば最近観ないな?」と思って検索をすると、更新が途絶えて二年くらい経つブログが観測される、という程度の状況です。殆どホラーです。
そして現在は、そういった手あかがついたバズワードの他に、新しい魅力的な言葉がまた色々と考えだされ、喧伝され始めているように思います。
繰り返しになりますが、チャレンジすることは悪いことではない、と思います。ただ、「成功例だけを判断材料にチャレンジする」ことは、決して賢明なこととは言えません。そして、あなたに数々の成功例を提示する人達は、あなたの人生に対してなんの責任も負いません。
失敗例は極めて観測し辛い、ということだけは念頭に、皆様には「よいチャレンジ」をしていただければと思う次第です。
今日書きたいことはそれくらい。