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これから僕にできること

これから僕にできること

 

 

そうか

東京を離れちゃうんだ

 

君とはそんなに頻繁に連絡を取り合う関係ではなかったけれど

電話くれてありがとう

 

お父さんの会社を継ぐことになったのか

音楽を諦められるかい

 

こんなこと僕が言うことではないね

もう君は決心のもと話してくれているのだろうから

 

東京は便利すぎるからなぁ

1日にバスが数本しか走らないところで

君が満足できるか

それが心配

 

田舎でゆっくりと生活がしたいという言葉の裏側を

どうしても切なく受け取ってしまうんだ

 

都会は人が多すぎて住みづらいとみんな言うけど

心の底ではそんなこと思ってはいないはず

 

僕は東京好きだな

この街に住んで35年以上経つけど

僕の故郷は開発が進んでね

街の真ん中に置いてけぼりされたら

自分がどこに居るのかもうわからない

 

君はそれを選んだ

応援するよ

 

君が会社を経営するからといって

音楽を止められるとは思っていない

 

いまはインターネットでどこからも発信できるから

東京に拘る必要はどこにもない

 

長い付き合いだった

これからも連絡くれないか

 

これから僕にできること

都会で起こったいろんな土産話を持って

君の訪問客になること

アクセスログ

おはようございます。僕が、否定的なコメントに振り回されて、心を痛めてるのではないかと、ご心配されている方々がいらっしゃいました。ありがとうございます。僕は、大丈夫です。そのための開放ですから。いろんな思いから、「許せない」という気持ちが先行してのことでしょう。おそらく、今日450万アクセスを超えます。「10日足らずでこの数字は驚異的な数字だ」ということを聞かされました。良い意味でも、悪い意味でも注目をされているのだと思います。

 

ますます、言動に細心の注意を払わなくてはならないと思っています。否定的な意見には、「なるほど」という心構えを持って受け止めています。ただ、揶揄してくるだけのコメントは、心に響きません。4百50万アクセスのうち、そういう揶揄するだけのコメントは、5人ほどです。アクセスログ解析というのがありまして、その方たちの使われているプロバイダーが同じものなので、分かるのです。

 

僕が、これを書くのは僕のためではなく、応援してくれる方たちが、イヤな思いをされているのではないかという見地からです。みなさん、許して上げて下さい。様々な感情によって行動されているだけです。

 

また、毎日ここを訪れるメディアも相当量になっています。一般人を装って書き込みをされているメディアもありす。応援してくれている方たちに、動揺を与えるのは控えていただきたいと願っております。情報収集、保身のためでしょう。僕は、自分の身を証し、すべてを受け入れております。後、半月少々です。これからも、よろしくお願いいたします。

 

また、盗聴集団の嫌がらせは、一切なくなりました。彼たちも必死だったのでしょう。僕のパソコンに侵入しようと一生懸命でした。パソコンのコンソールログには、証拠が残っておりまして、1秒間に40から60の外部アクセスがありました。それらは、姿を隠すために有名なネットショップサイトを踏み台にしてのアクセスでした。今現在は、すっかり無くなっております。ここで発信をすること、逆に手を差し延べることで、それらが無くなったのだと思っております。みなさん、ご心配をおかけしました。ここは複雑なパスワードでログインを行っておりますので、このブログが削除されることはないでしょう。今後も、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

ASKA

 

メイリン

僕の家に居たキャバリア犬「美齢(メイリン)」は、2年前の12月20日に、この世を去っていきました。17歳と4ヶ月の命でした。とにかく人間が好きで、好きで、お客さんや、宅急便のお兄さんにも愛想を振りまき、名前も覚えられていました。人間が好きなのは、この犬種の特徴らしいです。吠えるということをしません。ちぎれんばかりに尻尾を振ってすり寄ってきます。ご飯が好きで、与えると、一気に食べてしまう子だったのですが、教科書どおり、死ぬ二日前は、何にも口にしませんでした。

 

死ぬときですか?それは、それは辛かったですね。その日は、夕方ぐらいから、ぐったりとし始めて、夜8時を過ぎた頃から声を上げ始めました。苦しいのか、痛いのかが分からないため、ただ、身体をさすってあげたり、病院から貰ってきた点滴をしてあげたりしました。人間の場合、点滴は血管に刺すものですが、犬は、そうではありません。どこに刺してもいいのです。点滴をすると、小康状態になりました。少しだけ眠ってくれるのです。安心します。しかし、それも長くは続きませんでした。深夜12時を回るころ、息が荒くなり、再び声を上げ始めました。どうすることもできません。家族みんなで、囲みました。名前を呼び続けました。そして、1時半を過ぎた頃、心臓は止まってしまいました。

 

直ぐに、心臓マッサージをしました。一度は戻ってきてくれたのですが、また声を上げはじめましたので、それが美齢にとって良いことなのかの判断はできませんでした。もう、2回目は止めようと。平均12~13年が、この犬種の寿命なので、もう十分生きてくれのだという感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そして、5時半頃、みんなに囲まれながら死んで行きました。とにかく良い子でした。怒ったことがありません。同じ経験をされた方は、たくさんいらっしゃると思います。家族の一員ですからね。お葬式もしました。骨は、庭に埋めました。もう、犬を飼うのは止めようと思いました。

 

2年が経ちました。やっぱりダメなんです。子供の頃から、ずっと犬と共に生活をしてきた僕には。皆さんがここで「ASKAブログロス」という言葉を使ってくれていますが、僕のドッグロスは埋まりませんでした。2年経っても消えないのです。新しい家族を迎えようと決めました。いろんな犬を飼ってきましたが、キャバリアを経験してしまうと、もうキャバリア以外は考えられないのです。

 

美齢と血が繋がっている犬を探しました。兄弟は、みんな死んでいました。ブリーダーさんは、もう経営を止めたとのことでした。一応、孫、ひ孫を探してみるとのことでしたが、「(血縁は)無理だと思いますよ。」とのことでした。

 

それから、数ヶ月。電話がかかってきたのです。広島県で見つかったと。そして、ちょうど赤ちゃんがお腹のなかにいると。生まれて直ぐに、広島まで飛びました。もう、半年になりましたが、何でしょうね。あの人なつっこさは。

人間が好きで、好きでどうしょうもないようです。犬種ってあるんですね。

ASKA

君の声

君の声

 

 

ひび割れた心にクリームを塗って

しっかりと自分を抱きしめてみよう

 

ごめんよ

こんなふうに、こうなるまで

こうなっちゃって

 

明日とか

朝とか

夢とか

音符とか

全部無くしちゃって

 

ごめんよ

こんなふうに、こうなるまで

こうなっちゃって

 

気がつくと僕は死体だったんだね

絶望の剣を背中から受けて

 

頬に当たる冷たい石畳に慣れて

これが自分の温度だと思い込んじゃっていたんだよ

 

今日ね

嵐ではぎ取られた隣の映画館の屋根の隙間から

太陽の光が錨を降ろしたロープのようになって届いてね

ここが闇だったと気がついたわけさ

 

手巻き時計がいつ止まっちゃったのかも

僕は知らない

長針と短針がだらりと腕を下げているよ

 

だけどね

ひび割れた心の中から希望だけは流れ出ずにいたみたい

光に当たった希望が光合成のようになって膨らんでね

もう一度人生を冒険しようと語りかけてくる

 

そして僕が立ち上がった瞬間に

絶望の剣は抜け落ちた

 

こんなに自由じゃないか

僕はいまドアのノブを掴んで

この部屋を出て行くタイミングを伺っているところ

 

このドアを開けたら

景色はどこかの路地裏かい

それともどこかの草原かい

 

きっと目に映った景色が今の僕さ

君の声のする方へ歩いて行くよ

 

僕の名前を呼び続けて欲しい

君の声が風のようになって

僕の前に道を作るんだ

 

あの日のように

あの日のように

自信と過信

自信と過信

 

 

人前に立つことは難しい

堂々となりきって見せることは

自分に酔うこととは違う

 

僕は腹八分という言葉が嫌いだ

限りなく10に近づいていたい

 

胸に潜んだロックの静寂が聞こえるか

胸に弾けるバラッドのシャウトが聞こえるか

 

上手くやれているという自負は無い

いつもいつでももの足りない

 

実の評価より強気になること

実の評価より弱気になること

共に大きな間違いだ

 

僕の心を

通訳無しで伝えたい

 

古き時代に生まれたものは健康的であり

新しい時代に生まれたものは病的である

 

もし賢者が正しいことしかしないなら

愚か者には絶望しか与えられない

 

勝手に育った理由と信じすぎた自由は

ときに恐ろしい不幸をもたらしてしまう

 

自信と過信は紙一重なのだから

初ワンマンライブ

僕らCHAGE&ASKAは、アマチュアの頃から怖いもの知らずでした。活動をするということに関して、自分たちが感じる空気感、肌触りだけを信じて活動していたのです。裏を返せば情報に疎いということになります。周りのアマチュアアーティストが、どんな活動をしているのか、全く興味がなかったのです。ライブというものは、ホールで行うものだと思い込んでいました。そうではなかったのですね。どのアーティストも、50名ほどのお客さんの前で、パフォーマンスし、経験を積み重ね、実力をつけ、そして東京へ向かいました。そして、多くのアーティストが、夢破れ、福岡に戻って参りました。と、いう話さえ、デビューしてから知ったことなのです。

 

初めてのワンマンライブは、大学4年生の時に、福岡の「ももちパレス」で行いました。キャパ800人です。なぜ、そこを選んだか。 YAMAHAポピュラーソングコンテストが、そこで行われていたからです。それだけです。もちろん他のホールもいくつかは知っていましたが、小さなところからコツコツと、いう考えがまったくなかったのです。僕は「ももちパレス」に直接交渉に行きました。パレスの方は、僕らのことを知っておられました。アマチュアながら、テレビ出演などをしていたからです。その方は、僕より少し年上ぐらいの方でした。

 

「コンサートをやりたいのですが、3ヶ月後ぐらいで会場が空いている日はありませんでしょうか?」

「空きはありますが、イベンターや企画会社はとおさないんですか?」

「どこも、知りません。」

「ここのキャパは800人ですよ。」

「ええ。知ってます。ポプコンに出場していますから。」

CHAGE&ASKAさんは、まだ早いんじゃないですか?」

「そうかもしれませんが、もう決めましたので。」

「いやぁ、危険すぎるなぁ。」

 

アマチュアで、そこを使用するという前例がなかったのです。その担当の方は、やんわりと断って来ました。

 

「会場費、ミキシング、照明など、その他を含めて○○万円はかかりますよ。」

 

思ったよりも、高額でした。その時です。表情です。担当の方の表情に見覚えがあったのです。

 

「この人、どこかで会ったことがある・・。それも、近しい間柄だったはず・・。」

 

記憶の中のページを一気にめくりました。そして、ヒットするまでそんなに時間はかかりませんでした。

 

「あの、もしかして、大野北小学校出身ではないですか?」

「えっ!?そうですけど。」

「やっぱりー。お久しぶりです。お家は、学校の斜め前のアパートでしたよね?」

「何ですか?何で知ってるんですか?」

「一緒に、ドッチボールや野球してたんですよ。お家に遊びに行ったこともあります。」

「なーんだ、そうなんだ?」

 

両者、話し方は、一気に砕けました。友人のような話し方になったのです。

 

「ね、何とかならないかな?」

「お客さん、大丈夫?」

「やってみないと分からない。でも、600人ぐらいは入るんじゃないかと思う。」

「プロでも、600人は入らないよ。」

「自分で言うのも何だけど、もう中高生は僕らのことを知ってると思うんだ。」

「プロモーションとかチケット売りは?」

「告知ポスターと、手売り。」

「3ヶ月で?」

「3ヶ月も、6ヶ月も、(お客さんが)入らないときは、入らないから。」

「分かった。協力しよう!」

「経費も、トータルで安くしてくれない?」

「上と、交渉してみる。」

 

 

その頃、僕らを応援してくれていた中高生を、各学校からひとりずつ代表して集まってもらいました。CHAGE&ASKAデビュー時代に行った、決起集会の小規模なものです。ポスターやチケットが出来上がったのは、3週間後ぐらいでした。いよいよです。手売りが始まりました。ポスターは警察の目を逃れながら、真夜中、至る所に張りました。当時、僕らは7人で編成されたバンドでありましたので、7人が中心となり、各方面に飛び散りました。数日間おきに情報が入ってきます。今日は○○枚、○○枚と。中高生たちは頑張ってくれました。それまで味わったことのない高揚感で、毎日が充実しました。そして、ついに、ライブ3週間前に800枚のチケットが完売したのです。無いチケットには価値が生まれるもので、その後もチケットは売れました。当時、消防法も強くは規制されていませんでしたので、立ち見の分も用意しておいたのです。

ライブは1100人以上のオーディエンスに囲まれて大成功いたしました。

 

今は、情報にすべてを委ね、慎重に行動しますが、「何も知らない」ことの強さも経験しています。恐怖は、新しいことをやる前に必ず顔を出します。恐怖は、弱い心を見逃しません。つけいってきます。しかし、何も知らなければ、恐怖には見つかりません。

ASKA