Long Long Silk Bridge

おれは可能性を自分で閉じてしまう傾向があって、
そもそも可能性なんて信じない、いやむしろ可能性のみを愛好していて
それが具現化されることなんて興味がない、
つまり具現化されないことが成就となるわけだ。

こういうのは育った環境にも左右されるわけで、
おれは本来M気質ってわけでもないのに
一方で罵倒されることを望んでいて、
それは存在を否定され続けた少年期と同じ環境になることで
自己を存在させることができるというものなのだろう。

こんなのはよくある話にすぎないけれど
歳とってくるとそれが実感としてわかるようになる。
本で読んだわけじゃないよ、あんまりそっち系の本まで手がまわらない。
ただ自然と理解できるようになるわけだ。

歳をとるほど過去の記憶が重くのしかかってくるというのも実感する。
もちろん記憶から逃れられないのは現状が充実してないからなんだけど
充実なんかしたくない、意地でも忘れたくないって固執する心理も確かにあるだろう。
ムムム…なんだか小難しいことを言ってるようでもあるが
実のところおれは何を書いてるのかさっぱりわかってないのだ。
過去の怨みつらみを詳しく書き並べるつもりもない。
なにせわたくしの唯一ステキなところというのは
世界も人間も全部くたばっちまえ!って気持ちを
冗談と下ネタでしか表現できないところなんですもの。
まあそれがちっぽけな発散にはなってるわけだ。











ヨコタススムのSymbolって作品はとにかく美しい。
優雅でアンビエントでダンサブル。
クラシックよくわかんないからライヒくらいしか元ネタわかんないけど、
素晴らしいコラージュだと思う。

ほんとうに美しい。
昔よくこのアルバムを聴きながら
何か憧憬のようなものを感じていた。
焦がれる気持ちってのは大切だよ。



美しさっていうのは、共感する必要はないと思う。
自分と意見が違うものを全否定する人ってのがわからない。
たとえば映画で殺人鬼かなんかが恐ろしいことをする。
その行為に共感するわけではない。
でもそのシーンが美しければそれは美しいんだ。


ジャン・ジュネが美しいのは、彼が悪や犯罪を愛したのが
ワルぶってるとか世間への反抗なんてものではなくて、
ただただ悪が美しいから、そのためだけで
おれは悪を愛する気持ちはないけれど
そんなジュネは美しいと思う。




いま、20代の頃好きだったアーティストが落ちぶれているのを見掛ける。
自分と意見が違う者を全否定し、弱者であることを振りかざして
自分を正当化しようとひたすら他者を排除するのを。


何かを否定することで自己を正当化しようなんて馬鹿げたことだ。
自分が間違った人間だって認めるのがそんなに怖いんだろうか。
おれも弱者の側の人間だろうけど、
そんな自分に共感してほしいなんて思わないし、
おれは間違ってるし、自分を正当化したいなんて思わない。
だってそんなの全然美しくない。
自分より下は誰かを探すなんて。
そんなことより、自分には手が届かないほど遥か上にある
美しいもの、美しい人たちを仰ぎ見て
それに焦がれていたいものだ。





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