記事詳細
【被爆71年】
救護の記憶、絵本に 岡山の元教員
50年以上続けたのは、被爆直後の広島で聞いた負傷者の叫び声が耳から離れないからだ。全身をやけどして動けない人に水をあげると一瞬表情が和らぎ、しばらくして亡くなった。「保護活動をすることが弔いになれば」。小さくつぶやいた。
5月、米国のオバマ大統領の広島訪問をテレビで見守った。プラハで核廃絶を訴えた大統領が被爆地で何を語るのか。息をのんだが「核をなくすための強い意気込みを期待していたほど感じなかった」と肩を落とした。
ただ、希望を見た部分もあった。「人として、原爆は許せるものではないという気持ちはあったと思う。原爆は使うべきではないと世界にアピールすることを強くお願いしたい」