ニーチェが有名な哲学者であるということは知っていても、この人が具体的にどんなことを主張したのかということは全く知らなかったので、この本がKindleの7月の月替りセールの対象に入っていた機会に購入して、ちびちびと読んでいました。
- 作者: 竹田青嗣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/01/24
- メディア: Kindle版
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専門家のありがたさ
まず、この本を読んで感じたのが、専門家・研究者のありがたさです。
この本の中では、ニーチェやその他の哲学者の著書の(の翻訳)がいくつかの場面で引用されているのですが、私には、最初何を言っているのかさっぱり分からないというものばかりでした(もちろん、断片的な引用であることによる難しさもあるとは思いますが)。
しかしこの本では、専門家の著者が、初学者の私にも分かりやすいようにそれを噛み砕いて解説してくれます。
専門家によるこのような解説がなければ、一般の人は哲学者がいったい何を主張しているのか、ほとんど理解できないでしょう。
これは、他のどんな専門分野にも言えることで、内容を一般人に噛み砕いて説明できる人は貴重です。
優秀な哲学者・研究者ならば、最初から一般人にも分かりやすく書いてくれよとも思いますが、そこは哲学者も人間、得意不得意があるということでしょう。
このあたりは、この前『アイデアのちから』を読んだ時に感じましたが、アイデア・思想は広まってなんぼです。
自分が良いアイデアを持っていると思っているならば、伝え方にも気を使ってもらいたいものですね。
ニーチェの思想
さて、本題のニーチェの思想ですが、本書を読んで私が理解したその大枠は、以下の様なものであったと思います。
- 「絶対的な真理」とか「正しい認識」といったものは無い
- 無数の解釈が存在する。
- 最も「種やグループの維持に役に立つ」「権力をもった」解釈が「真理」と呼ばれているに過ぎない。
- キリスト教の道徳の柱である禁欲主義、利他主義は、弱者のルサンチマン(恨み、妬み)から来ている
- 本来の「善」とは「権力」とか「強さ」といったものから派生するもののはずである。
- 自分が満たされた後に、他人を気にするのが本来の姿
- ルサンチマンの思想では、「強者(権力者)は悪い」という結論ありきで、弱者が持っている性質、強者が持っていない性質を「善」とするような逆転が起こった
- さらに、「苦しいのは誰か(強者)のせいに違いない」から「苦しいのは自分のせいだ」という転換が起こった。 そこから、人間的の本能的なものを全て否定する禁欲主義に発展していく
- そのような無理のある思想を信じて維持するには、絶対的な真理としての神が必要だった
- そのような起源をもつ禁欲主義や利他主義は人間を弱体化させている
- 近代科学や近代哲学は神を殺したように見えるが、キリスト教のルサンチマン的要素はそのまま受け継いだ
- それらは、キリスト教から絶対的な真理を求めようとする姿勢(真理への意志)を受け継いだのである
- そしてこれは、ニヒリズムにつながっていく
- ルサンチマンのある者は、ある意味諦めているので、来世とか子供とかに期待する。また世界に一矢報いようとする。
- そういった態度を辞めるにはどうしたら良いか→「超人」「永遠回帰」の考え方
- 「超人」:人間の新しい目標は「超人」を生み出すこと
- 「永遠回帰」:自分の人生も含めた宇宙全体が、何度も何度も同一のことを繰り返しているだけだとしたら、その行動を取りたいか?
- 永遠回帰は、生の一回生を利用して世界に復讐しようとするルサンチマンの欲望を無効化する。
- もし、人生でたったひとつの瞬間を肯定することができたら、それは全てを肯定したことになる。全てのものは繋がっているからである。
読んでみて、意外とすんなり理解できるなという印象でした。それは、ある意味ニーチェの思想が既にある程度世の中に受け入れられて広まっているということなのかもしれません。
ただ、「超人」の概念については、いまいち理解が出来ませんでした。
また、ニーチェの思想と仏教の思想を比べてみるのも面白いかもと感じました。
私が理解する範囲で、仏教の思想とは
- 強者だろうが弱者だろうが苦しい
- その苦しさの原因は、「もっともっと」という煩悩に執着することである
- そのことに気づき、煩悩を消し去った悟りの境地にたどり着けば苦しみは消え去る
- それによって、苦しい輪廻の輪から抜け出すことが出来る。
というものです。
執着を捨てろというのは、キリスト教の禁欲主義とも近いですが、その生い立ちが少し異なるようにも感じます。
確かに、この仏教の禁欲主義にしても、弱者のルサンチマンから出たと考える事もできますが、仏教を興した釈迦は何不自由ない裕福な王族だったということは注目すべきところでしょう。
また、苦しみから抜け出したいというのは人間の根源的な本能的な欲求であって、やり方は独創的ですが、それを求めることは仏教は否定していない訳です。
また、悟りを得ると輪廻から抜け出せるという点は、永遠回帰とは逆と捉えられなくもありません。まあ、輪廻に関しては、仏教が生まれた当時に輪廻があると人々に信じられていたことに対する単なる方便なのかもしれず、あまり深く考えなくても良いのかもしれませんが。
世の中には色んなタイプの人がいて、それぞれ、どんな哲学がしっくり来るかということは違うでしょう。キリスト教的な思想がしっくり来る人もいれば、仏教的な思想がしっくり来る人、ニーチェの思想がしっくり来る人もいるでしょう。
また、時代の要請というものもあるでしょう。
ニーチェが批判するキリスト教の禁欲主義にしても、仏教の禁欲主義にしても、それが広まってやがては権力者へも影響することによって、酷い不公平の世界を多少は平等に変え、人々がより幸せになるのに役立ってきたのだろうと思います。
この本を読んでいると、哲学というものがその思想を生み出した哲学者の個人的経験や時代の風潮への反動という形で生まれてくるのだなということにも気付かされます。その意味で、哲学はけっこう個人的なものなのだと気付かされました。
哲学というものが、人が人生にどんな意味を見出してどう生きるべきかということを語るということであれば、ニーチェが「絶対の真理はない」と言ったように「絶対の哲学というものもない」のだろうと感じます。
まとめ
Kindleの月替りセールで買った竹田青嗣著『ニーチェ入門』を読み終わりましたので、感想を書いてみました。ニーチェの思想をかなり分かりやすく噛み砕いて説明してくれていると思いました。タイトル通り私のような初心者が入門するにはうってつけの一冊でした。