こんにちは、Shin(@Speedque01)です。最近ブログやTwitterでコメントや言及いただくことが増えてきました。
当たりまえですが、ネット上にはいろんな方がいます。ぼくと同じようなサラリーマンもいれば、起業家もいる。フリーランサー、音楽家、大学生、ニートもいます。
そういう人たちの意見を眺めていると、「マジでこの人すごいな・・・!」とびっくりすることもあれば、「この人本当に大好きだ、超応援したい」と思うことがよくあります。逆に、「なんでこの人はこういう考え方しかできないんだろう・・・」と、ネガティブな感情に囚われることもあります。
それは、その人の属性には関わりがないことに気づきました。つまり、「フリーランサーだから嫌い」「プロブロガーだから嫌い」というわけではないということです。ぼくは企業に属しているサラリーマンという属性ですが、その属性と遠い人(フリーランサーやニート)でも、尊敬している人や応援したい人はたくさんいます。
属性により感情が動かされるワケではないとすると、では何がぼくの感情をこうも揺さぶるのでしょう?
具体例を思い出しつつ考えてみたら、こうなりました。
実力 x 自己否定可否で好き嫌いが分かれる
縦軸に実力、横軸に自己否定可否を取り、4象限のマトリックスで整理したところ、これまで感じていた感情の揺れがきれいに整理できました。
- 実力があり、自己否定もできる = 超尊敬。ついていきたい。
- 実力があるが、自己否定はしない = 尊敬。いろいろ学びたい。
- 実力はないが、自己否定しながらがんばっている = 応援したい。自分もここに位置していると思いたい。この位置の人大好き。
- 実力ないのに、自己否定せずに「ありのままの自分でいたい」「社会が悪い」とかいっている = ムリ。
1の「超尊敬」ゾーンには、ぼくの上司や親友、奥さんなど、「ずっとこの人と一緒にいたいな」と心から思える人が入ります。こういう人たちのように、いつかなれればいいな。
2の「尊敬」ゾーンには、メチャクチャ優秀な同期や先輩が入ります。有名ブロガー的な人にもこのゾーンは多い気がする。それこそイケハヤさんとか。
ぼく、イケハヤさんの未来ある若者を迷わせる扇動振りには閉口しているのですが、あそこまでブログを書いたりお金を稼げたりするのは素直にすげーなとは思っています。
3の「応援」ゾーンは、「仕事がうまくいかない」「病気で苦しんでいる」などなどいろいろ課題を抱えながら、必死でがんばっている人ですね。素直で頑張り屋でそれでもうまくいかなくて、自分を責めてたまにうまくいって喜んで・・・という人たち。
超大好き。こういう人たちのためになりたい。がんばりすぎてこわれないでね。
4の「ムリ」ゾーンね・・・。仕事上でもいますけど、ネット上にたくさんいますね。ちゃんとした仕事をしたりだとかお金を稼いだりとか人のためになったりしていないのに、「ぼくがわたしがいつでも正しい、自由に生きている自分サイコー↑↑」みたいな人。ちょっと自分と違う意見が来ると「これだから日本はダメなんだ!!」みたいな人。
ムリだなって思ってしまいます。
「オンリー1」に価値なんかない
グローバル人事コンサルティングファームであるヘイ・コンサルティングのディレクター、山口周氏のキャリア本「天職は寝て待て」に、ぴったりくる一節がありました。
ナンバー1とオンリー1という対比の構造で考えてみた場合、ナンバー1を目指すにはいまの自分を部分的には否定しながら、より高い目標へと自己を駆りたてていかなければなりませんが、オンリー1であれば、そうした自己否定を経ずに安易に自己充足することが可能である、という違いが見出されます。
オンリー1という言葉は、競争の序列から離れた個人が、それでもなお内在的に価値を有していることを示唆しているように思われますが、実際には「世界に一つだけしかない」ということはそのまま価値を持っていることを意味しません。
足元に転がっている石コロでも全く同じ形のものは世界に二つとないわけで「世界に一つだけのオンリー1なんです」と言われても、価値判断をする側としては「は?だから何?」としか応えられないでしょう。つまり、これらのレトリックは、ナイーブな人たちを慰める一種の「まやかし」でしかないということです。
ここで問題になってくるのが、いわゆる「自分探し」の問題です。最近の若い人を見ていて危なっかしいなと思うのは、過剰な自己愛の時代を生きてきたために、多少でも「自分らしくない」と思える事態に向き合うと、すぐにそこから逃げてしまう傾向があることです。しかし、オンリー1であることをSMAPが肯定してくれても、実生活の上で他者が肯定してくれるかどうかはまた別の問題です。
20~30代前半といった時期に「自分らしさ」を追い求めて自己肯定しようとする度合いが高ければ高いほど、後になって自己否定せざるを得ない状況に追い込まれてしまう可能性が高い。であれば、逆に若いときは不自由さ、自分らしくないことにも「ある程度」は耐える、ということも必要なのではないか、と私は考えています。
現実から目を背けて、「自分は今のままでいいんだ、自由な生き方をしているんだ」とごまかし続けるのももちろん当人の自由ですが、山口氏が指摘している通り、それは「後になって自己否定せざるを得ない状況に追い込まれてしまう可能性が高い」わけです。にっちもさっちもいかなくなる前に、「自分はここがダメだ、ちゃんと改善しなければ」と部分的に自分を否定し、誠実に周りと向き合う姿勢が不可欠だと考えています。
自分自身を全肯定してはならない
最終的に自分の味方となってくれるのは自分しかいません。「おれならできる」と思うことは、自分の精神を正常に保つためにも確実に必要なことです。それができないと、人は2週間と持たず壊れます。
ただ、それだけでもダメなのです。
今の自分の能力や社会的地位、そういうものに安住した時点でその人の伸びは止まります。「まだまだ全然自分はダメだ」と思いながら、そのダメなところを可視化し、改善するためのアクションプランを立て、改善し続ける、そうしなければどんどん人として腐っていくと感じます。
ぼく自身、仕事も勉強も人との関わり方もすべて、満足できるレベルに到底達していません。満足できるレベルというより、「なんでここまでできないのだろう・・・」と自己嫌悪する毎日です。そういう自分の甘さ、ダメなところをしっかりと言語化し、周りに共有し、改善を求める、そういうふうに毎日を過ごしていきたいなと考えています。