巌本新太郎
2016年8月1日04時04分
精悍(せいかん)な顔つき、鍛え上げられた筋肉質が土俵で躍動する。オオカミが敵に襲いかかるような激しい取り口。31日、61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方、秋元貢(あきもと・みつぐ)さんは、「ウルフ」「小さな大横綱」の愛称で女性や子どもにも人気を呼んだ。
北海道南西部の渡島(おしま)半島で生まれた秋元少年は、体育の授業ではいつも先生に頼まれ、同級生に手本を見せるほどスポーツ万能だった。中学時代はバスケットボール部に所属していたが、各部の助っ人に引っ張りだこ。人づてに「すごい少年がいる」と聞いた同郷だった当時の九重親方(元横綱千代の山)は、秋元家に通い、口説きに口説いた。相撲に興味のなかった少年に放った「飛行機に乗れるぞ」の言葉が、昭和最後の大横綱千代の富士を生み出すきっかけとなった。
一気にアイドル的な人気を得だしたのは入門から10年がたったころ。1981年の1年の間に関脇、大関、横綱の三つの地位で優勝するという偉業を成し遂げ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。
30代に入ってから、真の黄金時代が訪れた。東京・両国の国技館のこけら落としがあった1985年に30歳を迎え、以降、引退までに重ねた優勝は19度。昭和の大横綱の先輩である大鵬ですら30歳になってからの優勝は1度で、まさに大器晩成型の横綱だった。
優勝31度は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。53連勝(昭和以降3位)、通算1045勝(史上2位)などの記録を打ち立てた。91年5月、夏場所初日に18歳の貴花田(現貴乃花親方)に敗れたのを機に現役引退を決意し、3日目に表明した。当時35歳。「体力の限界、気力もなくなった」という言葉とともに貴花田に敗れた一番は、世代交代を強く感じさせた。
翌日に60歳の誕生日を控えた…
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