東京中を破壊するゴジラが、いつも素通りする場所とは? 「シン・ゴジラ」が暗示する日本のあやうさ

2016年07月31日(日) 中川右介

中川右介賢者の知恵

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伊福部の音楽を使ったことで、物語のストーリー上は1954年の『ゴジラ』とも、それ以降のゴジラ・シリーズからも独立していたはずの『シン・ゴジラ』は、それでもやはりゴジラ・シリーズの最新作なのだと認識させる。

本作には、続編を作ろうと思えばいくらでも作れるだけの材料がばらまかれている。

はたして、新たなシリーズとなるのだろうか。

* * *

最後に、昨今の日本映画は、とくに大作となると「製作委員会方式」で作られているが、『シン・ゴジラ』は東宝の単独の製作だ(製作プロダクションは東宝映画と、シネバザール)。

複数の企業が出資してリスクを分担する製作委員会方式は、巨額の資金を調達できる利点はあるが、関係各企業の意向が現場に下りてきて創作活動が不自由となるなど、弊害が出ている。

関係者が多ければ多いほど、無難な選択となり、野心的な映画など生まれない。

東宝は、自社の大事なゴジラの新作なので、製作委員会を作り他社からの出資を受ければ、利益も分配しなければならないので、自社のみでの製作にしたのだろうが、これは英断と言える。

「終」という昔ながらのエンドマークで終わるのも、いい。

中川 右介(なかがわ ゆうすけ)
1960年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部文芸科卒業。2014年まで出版社アルファベータ代表取締役編集長。映画、歌舞伎、クラシック音楽、歌謡曲についての本を多数執筆。最新刊に『戦争交響楽』(朝日新書)。その他の主な著書に、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』『悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東』(幻冬舎新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)等。

 

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