[PR]

 東京都知事選が31日投開票され、元防衛相の小池百合子氏(64)=無所属=が初当選した。いずれも無所属新顔の元総務相の増田寛也氏(64)=自民、公明、日本のこころを大切にする党推薦=、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)=民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちなど推薦=らを破った。小池氏が政党の枠を超えた幅広い支持を集めた。

 女性知事は全国で7人目、東京都では初めて。既成政党の支援を受けない都知事の誕生は、1999年に石原慎太郎氏が鳩山邦夫氏(民主推薦)、明石康氏(自民推薦)らを破って初当選して以来となる。

 投票率は59・73%で、都心に大雪が降った2014年の前回(46・14%)を大きく上回った。

 当選確実になった後、小池氏は「しがらみなく自由に発言し、広がりのある政策を訴えた。所属や政党の帰属を超えて、新しい東京を求める方々の声が大きかった。これまでにない、見たこともない都政を進める」と語った。

 都議会に対しては「冒頭解散」を唱えて対決姿勢を鮮明にしていたが、「議会のみなさまとはしっかり連携させていただき、都民に必要な政治をさせていただきたい」と述べた。

 2020年東京五輪・パラリンピックの開催費用が膨張し、増えた分の費用負担のあり方が問題になっていることについては、「積算根拠を改めて出していただく」とした。リオ五輪の開会式への出席は見合わせる考えを示し、「数々の諸問題に早速取り組んでいきたい」と話した。

 「政治とカネ」の問題で舛添要一前知事が任期途中で辞職したことに伴う選挙戦は、舛添氏を支援した自公両党が岩手県知事を務めた元官僚の増田氏を推薦。野党4党は次期衆院選もにらみ、統一候補として知名度の高い鳥越氏に一本化した。前自民党衆院議員の小池氏が政党の支援を受けず立候補し、17年ぶりの「保守分裂選挙」となった。

 主要3候補で真っ先に立候補を表明した小池氏は、自民党に出した推薦依頼を取り下げて出馬。「東京の都連はどこで誰が何を決めているか不透明。ブラックボックスのようだ」と述べ、自民都連や都議会自民党を「敵」にみたてた。組織のしがらみがなく、信念を貫いて孤軍奮闘する改革者のイメージを強調。「東京大改革宣言」をキャッチフレーズに都政の透明化を打ち出した。

 選挙戦では、子育てや介護などの問題解決に女性の発想力が必要と訴えた。環境相時代に定着させた「クールビズ」の実績も挙げ、リーダーシップもアピール。自民党の国会議員らの支援は一部にとどまったものの、自民、公明両支持層のほか、野党の支持層も一部取り込み、多くの無党派層の支持を得た。

 建設省(現国土交通省)出身の増田氏は、実務経験と政策通をアピール。都民に関心が高い子育てについて、「就任して1カ月以内に地域別の待機児童解消プログラムをつくる」と公言。政府与党や首長との緊密な連携を掲げ、政策遂行能力を強調した。だが、知名度不足が響いて小池氏に後れを取った。党幹部も応援に入り、陣営がはがきや電話で支持層への浸透を図ったが追いつかなかった。自民都連が、党推薦の増田氏以外を応援した場合は除名などの処分対象になるとの通達を出したことに、自民支持者が反発。組織を固めることができなかった。

 鳥越氏は、告示2日前に立候補を表明。政界の外にいたことから「クリーンさ」をアピールし、市民団体や無所属の地方議員らも選挙戦を支えた。当初は準備不足もあり、政策について語ることが少なかったが、中盤以降は護憲や脱原発、非核都市宣言など国政の課題も掲げて野党支持層に訴えた。民進や共産などの党幹部も応援に入って追い上げをはかったが、支持層を固め切れず、無党派層の支持も広げられなかった。

     ◇

 こいけ・ゆりこ テレビキャスターとして活躍後、1992年の参院選で日本新党から立候補して初当選。新進、自由、保守の各党を経て、2002年に自民党入りした。環境相として「クールビズ」を提唱。防衛相時代には当時の事務次官と対立し、2カ月で退任した。10年には、女性初の自民党三役として総務会長に就いた。