蹴球探訪
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【首都スポ】7人制ラグビー リオへバックアップから逆転代表 鈴木彩香2016年7月31日 紙面から リオデジャネイロ五輪の新種目、7人制ラグビーの男女日本代表に、頼れるアネキ&アニキが帰ってきた! 6月29日発表の日本代表選手団ではバックアップ要員とされながら、五輪直前に代表内定選手に繰り上がったのが、女子のベテラン、鈴木彩香(26)と三樹加奈(24)=ともにアルカス熊谷=、男子の豊島翔平(27)=東芝=だ。鈴木は、2007年に高2で7人制日本代表入りして以来、日本の女子ラグビーを引っ張ってきたパイオニア。度重なるケガと病気を乗り越え帰ってきたお姉さんラ組女子が、サクラセブンズ(7人制女子日本代表の愛称)を表彰台へ導く! (大友信彦) 「選ばれなかったメンバーや、最後の北海道合宿にいなかった選手たち、女子ラグビーのすべてのメンバーの思いを背負って、リオで戦ってきます」 アヤカは言葉を選ぶように言った。7月21日に品川区の立正大キャンパスで開かれたリオ五輪女子ラグビーの日本代表選手壮行会。立正大大学院OGで、同大職員でもあるアヤカは、6月29日に発表された「日本代表選手団」ではバックアップメンバーだったが、翌日から行われた最後の北海道合宿を経て7月16日に発表された「リオ五輪内定選手」では逆転で代表入り。 「自分自身は、何度ケガをしても、絶対にオリンピックに間に合わせるという思いでリハビリに取り組んでいました。北海道合宿でも『自分は最後にきっと選ばれる』と信じていました」 日本の女子ラグビーにおいて、アヤカは特別な存在だ。高2の2007年に17歳で7人制女子日本代表入り。10年には20歳で日本代表主将にもなった。華やかなルックスもあり、女子ラグビーの象徴として各種メディアからもひっぱりだこになった。 しかし、当時は女子ラグビーの選手層も薄く、国内のチームも少なかった。小学生時代から同級生だった山口真理恵はオーストラリアへ、ユース時代の仲間だった加藤慶子は英国へ留学するなど国外で自分を磨いたが、アヤカは日本に残った。立正大院を卒業した14年には、地域密着のクラブチーム、アルカス熊谷の設立のために、普及・育成から強化まで、女子ラグビーの環境改善に尽力した。だが、その成果が表れ始めたその年から、ケガや病気に襲われるのだ。へんとう腺膿瘍(のうよう)で繰り返し高熱を出し、右足甲の関節損傷、左膝の靱帯(じんたい)断裂…。 「ひとつケガが出たら、どんどん出てきました。でもそのおかげで自分と向き合ってリハビリできました」 昨年11月の五輪予選では復帰してリオ切符獲得に貢献したが、今年5月には太ももを肉離れ。最終セレクションを前に戦列を離れた。だが浅見敬子ヘッドコーチ(HC)は、アヤカの復調を信じていた。 「以前はラグビーが上手なだけだったけど、この4年間で意識も変わって世界で戦える体になった。苦しんだと思うけれど、今は体を張って仲間を生かせる選手になった」(浅見HC) もともとはBKのアヤカだが、現在はFWに入ることが多い。 「サクラセブンズには転向組も多いから、ラグビーを知っていて体のサイズもあるアヤカさんがFWに入ると頼りになる」と浅見HC。経験値が高く、引き出しの多いアヤカがFWに入ればそれだけ戦術のオプションは増え、ボールを動かす日本の特徴をより出せるようになる。アヤカの復調が待ち望まれていた理由だ。 「戻ったら、マリエ(山口)は『信じてたよ』と言ってくれました」と言ったとき、アヤカは少しだけうれしそうな表情を見せた。小学生のときからともに世界を目指してきた親友とともに五輪へ。夢の舞台は目の前だ。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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