少年だった私は数々の理不尽から悪の道へと足を踏み入れていった。
遅刻をする。
宿題をやらない。
授業中に寝る。
給食を残す。
思いつく限りの悪を尽くしていた。
家に帰れば、母親に反抗し、親父が帰ってきて殴られる。
そんな荒んだ生活をしていた。
あるとき、給食にナスが出た。
我が家では禁忌とされている忌まわしきナス。
先祖代々に渡って忌み嫌われ、我が家では決して食卓に上がることのないナスだ。
私は当然、手をつけなかった。
代々伝わる我が家の作法でもあるからだ。
残すことは作ってくれた人に失礼である。
そう躾られてきたが、ナスに限っては別だ。
我が家では許されていた。
滅多にない外食でナスが出てきた日には家長である父親が憤懣やるせない態度で店に文句を言う。
それくらい忌まわしき野菜のナス。
いつもなら教師の小言を聞き流せば、解放される給食だが、いかんせん最近の態度が悪すぎた。
給食の時間が終わり、片付けが始まっても私の食器はそのままだ。
教師は私にナスを食べることを強要した。
虐待?
いや、違う。
彼女は職務に忠実なだけだ。
むしろ私の態度が招いた事態だ。
つまり彼女は正義だ。
しかし、幼いながらも私は一端の悪である。
彼女の思い通りにはならない。
私は二度と正義に屈しない。
そう誓ったのだ。
元々熱血指導で有名な彼女は、私との対決姿勢を強めた。
片付けが終わり、昼放課が終わり、授業が始まる。
私はナスと向きあったままだ。
授業が終わり、掃除が始まり、みんなが帰る。
私はナスと佇む。
教師は私にナスは嫌いなのかと問いかける。
私は彼女に端的に伝えた。
あなたは宗教で禁じられた食文化をどう捉えているのか?と。
彼女は烈火の如く怒り出し、私は数発ビンタされ、ナスを食え!でなきゃ親を呼ぶ!と叫んだ。
これも虐待ではない。
むしろ私の作戦である。
親を呼ぶ。
もうこれしか私に救いの道はなかった。
ナス食否定派の棟梁である親を呼んで貰うしか私がナスから逃れられる術はない。
彼女だってナスと我が家の関係を責任能力のあるとされる親から聞けば悪いようにはしないだろう。
お互い不幸な時間を過ごした。
少なくない犠牲もあった。
しかし、私は許そうではないか。
異分化コミュニケーションとは最初はこういうものだ。
私たちは分かり合えるはずだ。
私にも非がある。
悪を標榜するが故につまらない意地をはってしまった。
それもこれで終わりにしよう。
母親が事情を説明すると解決されるはずだ。
ガラガラッ!
ドアが開かれ、救い主が現れた…
はずが…
「バカヤロウ!何やってんだ!」
お、親父だ…。
ガッシャーン!
私は絶望感を感じる間もなく、吹っ飛ばされた。
机の上の残ったナスもろとも。
ドアを開くなり私は親父にぶん殴られたのだ。
私はナスを全身に浴びながら仕事のできない親父を睨む。
「反省してるのか!」
もう一発、ゲンコツを貰ったところで教師が止めに入る。
遅いよ…。
教師は完全に狼狽えていた。
恐らく、自分が責められることも想像していただろう。
それに対して毅然とした態度で自らの教育論を語るつもりだったのだろう。
この結果は予想していなかったようだ。
突然、入ってきたかと思うと理由も聞かず息子に暴力を振るい始めたのだ。
誰だってこの父親は頭がおかしいと思うはずだ。
「先生!すいません!息子がご迷惑をおかけしました!この通り!ご勘弁してやってくださいませんか?家でキツく言うときますんで!」
そして親父は教師に頭を下げた。
下げたところで気づいたらしい。
「ところで先生。ウチのは何をやらかしましたかね?」
教師である彼女はドン引きしていたのを幼いながらも覚えている。
・・・
事情を教師より聞いた親父。
その傍らで、誰の口に入ることもできなくなったナスを黙々と拾う私。
何を言うべきか分からないという顔の教師。
親父はバツの悪そうな顔をしながら
「先生。すいません。ナスは私も食べられませんので、勘弁してもらえませんかね?」
と、厚顔無恥にも正直に白状する。
「今日はもうお帰りください。ご家庭で食べる努力も必要ですが今後は無理強いはしません。」
教師は無駄な時間を過ごしたとばかりにお終いにしようとする。
彼女は親にも説教する熱血指導で有名だったがさすがに仕事のできない親父が相手では躊躇するようだ。
私はゴミになったナスを処分し、机をきれいに拭き終わったところで解放されることになった。
親父が帰り道、珍しくジュースを買ってくれた。
口の中を切って鉄の味が残る私は炭酸飲料を買った仕事のできない親父に心のない礼を言い、トボトボ家路につく。
「ナスは仕方ないよな?ナスはな?無理だもんな?食べられないよな?」
一応、息子への罪悪感があるのか、情けない言い訳で口数が多くなる親父。
私は、もう正義とか悪とか無関係にいつかこの男を必ず倒すことを翌日腫れた頬に再び誓った。
続ける?