こんばんは! Machinakaです。
度々すいません、これで三度目のシンゴジラ関連の記事です。
実は、
シンゴジラの上映からもう二日立った今でも、1日中シンゴジラについて考えている自分がいます。
何故なら、どう考えても「ヘンな」映画だったからです笑
ゴジラ映画って、ストーリー自体は簡潔なものだったんじゃないの? 何でこんなに複雑な作りにしたの?
ずっと考えてました。
例えば、、、
・今回のシンゴジラ、監督の庵野秀明は、どんなメッセージを伝えたかったのか?
・なぜあそこまでエヴァンゲリオンを意識した作りにしてしまったのか?
・今回のゴジラは、監督にとって何を象徴していたのか?
まだこの映画に対して、日が変わるごとに色んな解釈が頭をよぎりました。
はじめに、シンゴジラの深夜最速上映を見た直後に書いたブログがコチラ
machinaka.hatenablog.com
ゴジラ=原発や放射能の象徴だと考えました。
そして、今まで人知を超えたエヴァチルドレン(碇シンジくん等)や特殊な人間ばかりを主悪にしてきた庵野監督が、鬱病から立ち直った直後に作った作品は人間賛歌の映画だった、、、と歓喜していました。
人間賛歌=監督自身の病気から立ち直ったことの証拠なんじゃないかと考えたからです。
そして、鑑賞から10時間くらい経ってからのブログがこちら
machinaka.hatenablog.com
この時はかなり冷静になっていて、最初に書いた絶賛記事は、エヴァファンに対する過剰な接待に私がデレデレしてしまい、庵野監督を褒めちぎりすぎた、と自己反省した記事ですw
庵野監督がエヴァファンを意識しすぎて、ゴジラ映画というよりエヴァになっちゃったんじゃないかと考えるようになりました。
で、ここらへんでシンゴジラに関する解釈は終わりにしようと思いました。
しかし、夕食を作っている時に自分のブログのコメントを読んでいたら、そこにヒントが書かれていました。
勝手ながら紹介させていただきます。
僕の記事にいつもコメントを下さるモンキーさんという方です。
モンキーさんもシンゴジラに関する記事を書かれています。というか私の記事より断然人気で読み応えあるので、こちらも是非参考にしてください。
モンキーさんの記事では、シンゴジラの良いところと悪いところを列挙しつつ、自分の意見をきちんと表明している、大変読み応えのある内容です。
ブログ仲間のよしみとしてではなく、客観的な目線で言いますけど、モンキーさんの立場は決して「酷評側」ではないですよ。ただ、自分には合わなかったと言っているだけです。コメントには「お前は酷評してるけど、、、」みたいな意見が多いので一応伝えておきます。
monkey1119.hatenablog.com
はい、説明が多くてすいません。
例のコメントがこちらです。
特に以下の部分が私の好奇心をくすぐりました。
「あと今回一般市民の動向や気持ちが一切無視だったのは気持ちがのらない原因のひとつでしたね。」
そうです! 確かにおかしい!! なぜ一般市民の気持ちが全く伝えられなかったのか? なぜ内閣府の若手官僚の話ばかりしていたのか?
最近のアメコミヒーロー映画と比べると、とても違和感があります。
例えばキャプテン・アメリカの新作の副題は、「シビル・ウォー」です。シビルはCivil、、つまり市民という意味を持ってます。
この映画では、ヒーローが敵と戦うせいで、市民が犠牲になっていることに着目し、「正義のためなら犠牲を払ってもいいのか?」と観客に問いた映画でした。
machinaka.hatenablog.com
同じく市民の動向や気持ちが書かれた映画として、DCコミック映画の「バットマンVSスーパーマン」も挙げられます。ここではヒーローが裁判受けてますからねw
machinaka.hatenablog.com
はい。もちろんシンゴジラとアメコミ映画を比べるなんて、どうかしてると思うし比較対象になんかならないと思うかもしれないです。しかし、市民の気持ちをストレートに伝えた映画を鑑賞してきた私にとっては、この映画は非常に違和感があるのです。
私の今まで書いてきた記事の中で、「シンゴジラは人間賛歌映画!」と説明してきました。
例えば以下の文章が「人間賛歌映画」であることの説明です。
庵野監督は、正直人間が嫌いだと思っていた。何故なら、旧劇場版では人類補完計画を実行し人間は神になり、滅亡した。
エヴァQではサードインパクトを引き起こし、人間を全て絶滅させたからだ。
しかし、この映画は違う。碇シンジや、惣流アスカ・ラングレーや、綾波レイなどの超人類はいない。
そして、アメコミのようにヒーローは登場しない。
存在するのは、単なる人間である。私や、今このブログを読んでいる諸君等である。
東京が、そして日本がゴジラによって侵略される時、今この地球に住む我々人類は何をすべきか?
ゴジラに屈するべきか? それとも、日米安保条約を結ぶアメリカにすがるのか?
いや、我々日本人は、日本人らしい方法でゴジラに立ち向かう方法があるのだ。
そして、5年前。我々は未曾有の大震災に見舞われ、原発の安全神話は崩壊した。
しかし、何が起こっても僕たち日本人は逃げなかった。今生きている全ての日本人、そして全世界の人類こそ勝者なのだ。
まさか、庵野監督から人間の素晴らしさ、生きることへの素晴らしさを教えてもらうとは思わなかった。
machinaka.hatenablog.com
しかし、今一度考えてみると、人間賛歌映画であるのに、長谷川博己さんを代表する内閣府の若手官僚ばかりがフューチャーされていて、一般市民の気持ちは一切伝えられていません。
若手官僚も、一般市民も、同じ人間です。
『人間賛歌型映画と言っておきながら、これじゃあ「官僚絶賛型映画」じゃないか!!』
と、強い自己矛盾が起こってしまいました。。。。
そして、一度原点に返ってこのシンゴジラを解釈してみようと思いました。
「そもそも、庵野監督はこの映画で何を伝えたかったのだろう?」
「そして、ゴジラとは何の象徴だったのだろう?」
と。
シンゴジラの場面を、パンフレットをめくりながら最初から最後まで回想してました。
そして、とある結論に達しました。
「シンゴジラは、庵野監督自身の葛藤や苦悩が具現化された恐怖の象徴」、だったのではないかと。
一般市民に前田敦子さんやその他豪華キャストなど、ちゃんと演技ができる人がいたのに使わなかったのは、内閣府チームだけに集中したかったのと、庵野監督自身が一般の声に耳を傾けたくなかったんだと思います。何故なら、彼は大衆に媚びずにひたすら自分の作りたいものだけを作ってきたから。
今一度考えると、あの若手官僚チームって、庵野監督が経験してきたアニメ制作現場と似てるのかなぁと思ったんです。
基本的にはデスクワークだし、ゴジラがいる現場にはたった2回しか出くわさないからです。
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例えば、アニメ制作現場のリアルな描写を徹底した、アニメ制作会社の「進行・制作」が職業の女の子を主役にした、水島努監督の「SHIROBAKO」の制作現場と非常に重なったわけであります。
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ちなみに、庵野秀明監督もSHIROBAKOに本人役として出演してますww この時は鳥肌立ったなぁ、、
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で、この「SHIROBAKO」でも、一般市民の気持ちは一切出てきません。特に、このSHIROBAKOでアニメ監督をしていた木下誠一(実際のモデル:水島精二 代表作:鋼の錬金術師)が徹底して行っていたある言葉が印象的でした。
(アニメが放送されている時は)
「ネットは見ない!!」
http://livedoor.blogimg.jp/niwakasokuhou/imgs/f/b/fbed54cb.jpg
つまり、自分がアニメを制作している時は、一般観客からの意見は見ないようにしている、ということです。まだ脚本(アニメでいう絵コンテ)が終わってない、アニメ放送が終わってない時点では、観客の意見は耳にしないようにしようという表明です。
何故庵野監督の話をするのに、この SHIROBAKOのアニメ監督を引き合いに出すのかというと、庵野監督とこの木下監督が非常に共通点が多いからです。
この木下監督は、過去に作った原作付きアニメ作品で非常に高い評価を得ており、数多くの受賞を獲得し、一般の観客からも高い評価を得ていました。
しかし、オリジナル作品の「ぷるんぷるん天国」では、脚本が間に合わず、そのせいでアニメ制作全体の進行が遅れたため、作画崩壊やストーリーが破綻してしまい、世間から大酷評を受けました。
一方の庵野監督は、テレビでエヴァンゲリオンを制作し、序盤から中盤にかけて、大変高い評価を得ていました。
特に最初の「ヤシマ作戦」、、、今回のシンゴジラの「ヤシオリ作戦」と似ていますね。
http://ses.txt-nifty.com/photos/uncategorized/2011/03/13/ca3h0134.jpg
http://anianieva.up.n.seesaa.net/anianieva/image/ayanamino_egao1.jpg?d=a2
そして、忘れもしない第19話「男の戦い」
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/990/06/N000/000/000/127916578614916230698_019.jpg
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俺的には、この時の加地リョウジが山寺宏一さんのベストアクトだよ、、、、
http://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20150127%2F32%2F3940092%2F78%2F240x320xff2f089415ec02e8f5453f17.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=600&qlt=80&res_format=jpg&op=r
はい、私的には、「男の戦い」がベストだと思ってます。まさに神回。
そして、「男の戦い」以降、エヴァは狂ってしまった。。。
「男の戦い」以降の次回予告は、いかにエヴァのアニメ制作が遅れていたのかを象徴するような、とんでもない予告編でした。。。
エヴァ 次回予告集
もはや原画や台本を予告編にするっていう、、、、 今考えれば、放送事故だったよね、、笑
ついにはアニメ制作現場を写す始末。。。
そして、伝説の最終回、、、
これまでのストーリーとは一切関係ない話が流れて、綾波レイが人間になったり、エヴァが一切出てこない学園モノになってたり、、、、
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エヴァンゲリオン、感動の最終話のラスト!!!
この放送のせいで、これまで絶大な人気を誇っていた庵野監督が、一転大酷評にさらされることに、、、
もちろんファン達は大ブーイング。社会問題になったりもしましたね。そして、「テレビ版の仕切り直し」として、劇場版が作られたりもしましたね。。。
シン•エヴァンゲリオン劇場版と旧劇エヴァンゲリオンの予告
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おそらく、このエヴァンゲリオンでのトラウマが、庵野監督を苦しめてしまったのではないかと思うのです。
エヴァのおかげで飯が食えるようになったのに、エヴァのせいで精神を病み、飯を受け付けなくなったのです。
話を戻しますと、SHIROBAKOの木下監督も、過去作で大きな失敗を犯してしまい、トラウマを持った。このせいで、一切ネットの意見=一般観客の意見を見なくなったんだと思います。
つまり、庵野監督もエヴァでの失敗をきっかけに、観客の意見を見たくなくなったのではないかと。。。
だってそうですよね、自分の作品が酷評されているだけでなく、「○○監督死ね!!」って名指しで殺害予告を得ているのですから、、、
そりゃあエゴサーチしたくないよw
で、シンゴジラの話に戻りますと、ゴジラに襲われている一般市民は、テレビ版のエヴァンゲリオンを代表する庵野作品を見た一般観客を象徴しているのではないかと思うのです。
そして本作のゴジラは、庵野監督自身の葛藤や過去のトラウマ(テレビ版エヴァ)の象徴
だと思うのです。
以上の文脈を踏まえると、主演の長谷川博己さんは庵野監督自身を投影したキャラクターで、シンゴジラに対してデスクワークで立ち向かう姿勢は、庵野監督が長年経験してきたアニメ制作現場のシーンと重ねていると思うのです。アニメ制作は、実写映画と違ってほとんどデスクですから、、、
http://pbs.twimg.com/media/Cf8sRFFUIAQVGkn.jpg
現場の指揮官である長谷川博己は、アニメ監督だった庵野秀明と重なる部分があるのです。
そして、長谷川博己がエヴァと対峙するシーンは、たった二回だけです。
一回目はゴジラに打ち負かされて挫折を経験したシーン。
これは、庵野監督が渾身を込めて作ったテレビ版エヴァの失敗を重ねてるんだと思います。
象徴的なのは、長谷川博己さんがゴジラに敗北を喫し、カメラがぶれぶれになってグラグラするシーン。
このシーンは予告編の最後に使われています。なぜこんなシーンを予告に入れる必要があったのか?
よっぽど大事なシーンだったのではないかと感じます。
私には、このシーンがテレビ版エヴァンゲリヲンの失態を犯した庵野監督に見えるのです。。
そして、ゴジラ(=庵野の過去のトラウマ←TVエヴァの失敗)に対して、非常に負い目を感じてしまったと。
そして、ゴジラの暴走を止めることができずに一般市民が多くの犠牲になってしまいました。つまり、これが我々一般観客なのです。エヴァに期待し、最後まで見てしまった。。しかし、その中身は大変なものだった。。
街の壊滅はエヴァに対する、そして庵野監督に対する失墜を象徴するものだと、、、
そして、シンゴジラが一旦沈黙し、復活するまでの時間は、テレビビ版が終了して、旧劇場版や新劇場版を作るまでの締め切りのメタファー、おそらく、当時の逼迫した制作環境を思い出しながら脚本書いたんじゃないかなぁ、、と思うのです。
中盤では、ほとんどデスクワークのシーンばかりですしね。あれがアニメ制作現場と重なると思うんです。
テレビ版のエヴァの最終回が放送された時は、今回のシンゴジラと比べ物にならないくらい大酷評だったわけで、あの時の悔しさや当時出来なかったことを映画で実現したんじゃないかなぁと思うんです。
余談ですが、映画「シングストリート」でジョンカーニー監督が青春時代できなかった事を映画で表現するような感じです。。。
シンゴジラの考察目的で来た人は驚かせてしまってすいません。こちらの映画もシンゴジラと負けず劣らず名作ですよ!!!
machinaka.hatenablog.com
そんな長谷川博己(=庵野秀明)が、同僚に支えられつつ復帰していく、、これは庵野監督のコメントに象徴されるように、庵野監督が妻や仕事仲間から助けられて復帰することと重なっているように感じるのです。
http://www.khara.co.jp/2015/04/01/『シン・エヴァンゲリオン劇場版』及びゴジラ新-3/
そして長谷川博己(=庵野秀明)がゴジラと対峙する二回目のシーン。つまり最後の対決シーンですね。
これは、庵野が鬱病から復帰し、映画製作を始められるようになり、ようやくゴジラ(=庵野の過去のトラウマ)と対峙できる心の準備ができたことを象徴しているように感じます。
で、最後はゴジラに打ち勝つ。それは庵野監督が、自身の過去のトラウマに打ち勝つことを象徴していると思うのです。
ゴジラを倒してハッピーエンドなのに、ハリウッド映画みたいに壮大な音楽が流れて歓喜乱舞しないですよね?
ちなみに、僕がイメージしてる歓喜乱舞ってのはアルマゲドンのラストみたいな映像です。
アルマゲドン 主題歌
ないのは、日本人だから勝利しても大人しい反応である、ということを強調したかったのと、アニメ制作会社のリアルな雰囲気を出したかったからなのでは?
劇中のテンションとしては、「あぁー、納期間に合ったよ」ぐらいの反応でしたよ。
仕事終わって、背伸びする感じです。
こんな官僚、劇中にいませんでした?笑
http://www.freelife.jp/wp-content/uploads/img/senobi1.jpg
そして、最後の長谷川博己のセリフ「まだ終わってない」は、庵野監督自身のアニメ制作・映画制作を継続するという意思表明に他ならないのです。
やはりこの映画は、庵野監督の声に耳を傾けられるかどうかで評価が分かれると思います。絶賛した私もエヴァファンであり庵野監督が好きですし。
そして、エヴァのおかげで飯が食えるようになり、エヴァのせいで精神を病み飯を受け付けなくなった過去を持つ庵野秀明が、作品のあらゆる決定権を司る「映画監督」としてシンゴジラを作るのですから、エヴァのセルフオマージュがあっても仕方ない。
この作品は単なるゴジラ映画ではなく、庵野監督自身の威信表明でもあるためです。
私的には、映画の評価って監督と観客との双方向的なコミュニケーションが出来たかどうかで良し悪しが決まると思ってるので、それが出来る人がいても出来ない人がいても、どちらも存在していいと思うんです。
全ての人を好きになれないのと同じで、僕は庵野監督を好きになった側なんです。
今、ツイッターやブログでシンゴジラについて賛否両論ありますが、要は庵野監督を好きになれるかどうかです。
みなさんはシンゴジラ、、もとい庵野肯定派?庵野否定派?