薬物依存症 
(Substance- related disorders)

九州大学健康科学センター 山本和彦
 
      
 
1990年代後半から、大麻や覚醒剤、コカインなどの薬物を違法に使用し て逮捕され、マスコミをにぎわす芸能人が目につくようになりました。グローバル化が進んで国境を越える人の往来が激しくなり、海外との交流が密になるにつ れ、多様な薬物が違法に出回るようになりました。今や大麻や覚醒剤、幻覚剤、抗不安・鎮静薬は日本でも簡単に入手できるようになり、有害な薬物の使用と、 それにともなう薬物依存症が増加しています。2001年に押収された大麻は過去最高の量で、メタンフェタミン系幻覚剤MDMA(エクスタシー)の押収量も 過去最高になったと報じられています(読売新聞2002年2月21日)。

欧米や東南アジア・南アジアではヘロイン使用者が多く、1980年 代にヘロイン依存症患者の間でHIVの感染爆発がおこりました。またアメリカではコカインが大量に消費され、コカインを用いた異性間性交でHIVがじわじ わと広がっています。海外では、麻薬・薬物依存症として阿片やヘロイン、コカインが大きな問題となっていますが、日本では阿片・ヘロイン使用者は極めて少 数です。日本では覚醒剤・有機溶剤(シンナー)による薬物依存症が多く、近年大麻や幻覚剤、抗不安・鎮静薬による薬物依存症が増えています。ここでは麻薬 (阿片、ヘロイン、コカイン)以外の、日本で馴染みの深い薬物の依存症について概説します。
 

薬物について

アメリカ精神医学会がまとめたDSM-IVには、薬物依存症をおこ す薬物としてアルコール、覚醒剤、カフェイン、カンナビス(大麻)、コカイン、幻覚剤、有機溶剤、ニコチン、オピオイド(モルヒネ・ヘロインなど)、フェ ンシクリジン(PCP)、抗不安・鎮静薬の11種類があげられています(DSM-IV 1994: 175-194)。合法的薬物であるアルコール、カフェイン、ニコチンを除けば、日本で馴染みの深い薬物は覚醒剤、カンナビス(大麻)、コカイン、幻覚 剤、有機溶剤、抗不安・鎮静薬ということになります。
 

薬物の使用

外部から薬物を体内に入れると、薬物の効果(薬効)で心身に何らか の変化が生じます。精神科で治療に用いる薬物の量(常用量)は比較的少なく、常用量の薬物で大きな心身の変化をおこすことはほとんどありません。しかし常 用量以上の薬物を急に体内に入れると、心身の変調をきたします。また、幻覚剤のような中枢神経に作用する薬物を体内に入れると、一過性に精神状態が変化し ます。このような状態を薬物酔い(substance intoxication)といいます。
 
薬物酔いによるhighを覚えて、頻繁に薬物を用いるようになると、日常 生活が障害されます。このような状態を薬物乱用(substance abuse)といいます。薬物乱用がエスカレートして薬が効きにくくなったり、薬物をやめると禁断症状が出たり、薬物を得るためにいろいろ努力をしたりす るようになると薬物依存症(substance dependence)と診断されます(DSM-IV 1994: 175-194)。
 

薬物酔い

覚醒剤やカンナビスなどを体内に入れると、気分が著しく変わり普段 と違った行動をとるようになります。攻撃的になったり、気分が高揚したり、幻覚がでたり、思考・判断力が鈍ったりします。highの状態になると、仕事が できなくなったり、学校をサボったりします。しかし通常、この効果は一過性で、薬物が体内から解毒・排泄されると元の状態に戻ります(DSM-IV 1994: 175-194)。
 

薬物乱用

薬物酔いの状態を快(good trip)と感じると、薬物を繰り返し使うようになります。このような状態が一定期間続くと、学校に行ったり、仕事をしたり、家庭の役割をはたしたりする ことができなくなり、結局退学したり、リストラされたり、家事を放棄したりしてしまいます(DSM-IV 1994: 175-194)。
 
薬物を使った状態で車を運転したり、機械を動かしたりするので事故がおこ りやすく、薬物の違法使用で警察に捕まることもあります。薬物によって気分が変調をきたしているため、他人との争いが起こったり、友人・異性関係が破綻し たりします。しかしこの段階では薬物を増やしたり、禁断症状がでたり、薬物を入手することに専念したりすることはありません(DSM-IV 1994: 175-194)。
 

薬物依存症

薬物乱用を続けていると薬物耐性(tolerance)ができて、 薬物が効きにくくなります。以前と同じ効き目を得るために、より大量の薬物を体に入れなければなりません。このような状態で薬物使用を一時的にやめると、 禁断症状(withdrawal)が出て不快なつらい思いをします。今の自分の状態はマズイと自覚して、何度も薬物を減らしたり使うのをやめたりします が、結局元のもくあみになってしまいます。薬物を手に入れるために多くの時間を費やし、薬物のためには努力を惜しみません。薬物は体に悪いと自覚していま すが、やめると欲しくなり(craving)、どうしてもやめることができません(compulsive drug-taking)。このため、通常の日常生活を送ることができなくなっています(DSM-IV 1994: 175-194)。
 

禁断症状(離脱症状)

薬物を一定期間、大量に使うと体が薬物に馴染み、耐性ができます。 急に薬物を減らしたり、やめたりすると、心身に著しく不快な症状が生じます。このような禁断症状の出る人は、ほとんどが薬物依存症の患者です。薬物を体に 入れると不快な症状が消えるので、薬物が欲しくてたまりません。禁断症状のために、イライラして攻撃的になったり、仕事ができなくなったりします。禁断症 状はアルコール、覚醒剤、コカイン、ニコチン、オピオイド、抗不安・鎮静薬による依存症患者にでますが、カンナビスや幻覚剤(LSD)、有機溶媒による依 存症患者ではあまりでません(DSM-IV 1994: 175-194)。
 

覚醒剤

アンフェタミン(amphetamine)やメタンフェタミン (methamphetamine)は一般に、覚醒剤(シャブ、speed)と呼ばれます。またアンフェタミン・メタンフェタミンの構造を含む合成薬物と して、MDMA(エクスタシー、Adam)やMDA(love drug)などがあります。日本では覚醒剤は静注で使われ、MDMAやMDAは経口的に使われます。
 
覚醒剤を体に入れると、highの状態になります。多幸感があり、力がみ なぎったような感じがして快活になり、おしゃべりになったり、大言壮語をしたりします。highのため性欲が高まり、空腹感を感じません。人によっては神 経過敏になり、不安感におそわれたり、落ち着きのない行動をとったりします。身体症状として頻脈や瞳孔散大、発汗や悪寒、嘔気・嘔吐などがあります。覚醒 剤を大量に使うと、意識混濁や昏睡をきたすことがあります(DSM-IV 1994: 204-212)。
 
覚醒剤の味を覚えて頻繁に使うようになると、覚醒剤依存症になります。空 腹感がないので体重が減り、不安や妄想がでて精神状態が不安定になります。さらに進行すると幻覚がでて錯乱状態になり、攻撃的・暴力的行動をとるようにな ります。覚醒剤を使い続けると薬剤耐性ができて薬が効きにくくなりますが、逆に少量の覚醒剤で効きすぎる現象(sensitization)がおこること もあります。
 
覚醒剤をやめると禁断症状がでて、覚醒剤から離脱するのが容易ではありま せん。薬が切れると全身倦怠感がでて動けなくなったり(crashing)、逆に興奮したりして社会生活が障害されます。覚醒剤の中断で食欲はでますが、 睡眠が不安定で不眠や過眠になり、生々しい不快な悪夢に襲われるようになります。このような不快な症状に耐えられず、覚醒剤に再び手を出します。一旦使い 始めると連続して大量の覚醒剤を使う状態(speed run)に陥り、依存症が一層進んでいきます(DSM-IV 1994: 204-212)。覚醒剤を長期に使うと、統合失調症(精神分裂病)様の精神障害をおこすことがあり、覚醒剤による精神障害は統合失調症のモデル疾患にな りうると言われています。
 

カンナビス

カンナビス(Cannabis sativa)のてっぺんの葉や茎を乾燥させてたばこ状に巻いたものをマリファナ(marijuana)、カンナビスのてっぺんからしみ出る樹液を乾燥さ せたレジン様物質をハシシュ(hashish)と言います。ハシシュを蒸留して濃縮したものがハシシュ・オイルです。通常カンナビスはたばこ状にして吸い ますが、時には食べたり、お茶や食べ物に混ぜて使ったりすることがあります。カンナビスに含まれるTHC(delta-9- tetrahydrocannabinol)が幻覚作用をもっており、マリファナは1?5%のTHCを含んでいます。癌の化学療法で嘔気・嘔吐のある患者 や、食欲不振のエイズ患者の対症療法にカンナビスを用いることがあります。
 
カンナビスを吸ってTHCを体に入れると多幸感が出て、笑ったり多弁に なったりします(good trip)。また時間感覚のゆがみが出て、時間がゆっくりゆっくり流れていくような感じがあります。判断力が低下し、体の動きが鈍くなります。身体症状と して、カンナビスを使って2時間以内に眼球結膜の充血や食欲亢進、口渇、頻脈がでます(DSM-IV 1994: 215-221)。
 
カンナビスを大量に使うとLSDのような幻覚作用がでます。また、不安に なってパニックをおこしたり(bad trip)、離人感や現実喪失感がでたりします。カンナビスを頻繁に使うと体重が増え、学校をサボったり、仕事を休んだりするようになります。カンナビス を得るためにいろいろ努力をするようになると、依存症と診断されます(DSM-IV 1994: 215-221)。
 
カンナビスは、アメリカで最も頻繁に使われている違法薬物です。1991 年の調査によると、アメリカ市民の3分の1が過去に一度はマリファナを使ったことがあります。10%の市民が過去1年間に、5%の市民が過去1ヶ月間にマ リファナを使ったと答えています。1980ー85年の調査によると、アメリカ市民の5%が、過去に一度はカンナビス依存症・カンナビス乱用になったことが あります(DSM-IV 1994: 215-221)。
 

幻覚剤

幻覚をおこす薬物として、LSD(Lysergic acid diethylamide)、メスカリン(mescaline)、MDMA(覚醒剤の項)、インドール・アルカロイドなどが知られています。これらの薬物 は通常経口的に使われ、長期間使っていると薬物耐性ができて効きにくくなります。禁断症状はほとんどありませんが、幻覚剤がたまらなく欲しくなることがあ ります。
 
幻覚剤を体に入れると、色彩や音などの感覚が強烈に感じられます。現実喪 失感や離人感があり、幻覚を体験します。たとえばLSDによる幻覚では、”オーラ”や”気”のようなものを感じたり、見たりします。あるLSD使用者は 「オーラが見えてくる。一本一本の指からエネルギーがパーッとでているのがハッキリ見える。エネルギーが視覚化される」と表現しています(臨床精神医学 27: 865-874)。
 
一般に幻覚剤使用者は、幻覚が現実ではなく薬物によることを自覚していま す。また音を見る、音を触るなどの異体験がでることもあります。幻覚がでたあと不安や鬱、判断力低下などがでて、学校に行く、仕事をするなどの社会生活が 障害されます。身体症状として、瞳孔散大や頻脈、発汗、振戦などがあります。幻覚剤は半減期の長いものが多く、幻覚剤を使うと薬が体から抜けるのに数日か かります(DSM-IV 1994: 229-236)。
 
幻覚剤を頻繁に使うと、耐性ができて薬が効きにくくなります。またbad tripとなって、不安や恐怖でパニック状態に陥ることがあります。1991年にアメリカで行われた調査では、市民の8%が過去に一度は幻覚剤を使ったこ とがあると答えています。26?34歳の年齢層では、実に26%が幻覚剤を経験しています。幻覚剤を使うのは若い年齢層が多く、加齢にしたがって幻覚剤の 使用は減ります(DSM-IV 1994: 229-236)。

 
フラッシュバック 

幻覚剤を使ったことのある人は、幻覚剤を使っていないにもかかわら ず、幻覚剤使用中に経験した幻覚や症状を体験することがあります。これをフラッシュバックといいます。フラッシュバックでは、地形がゆがんで見えたり、視 野の端っこが動くように見えたり、風景が真っ赤になったり、色が強烈になったり、動く物の残像がストロボスコープに照らされているように見えたりします。 このような症状がしばしば現れると、社会生活が障害されます。フラッシュバックは、幻覚剤のことを考えるだけでおこることもありますが、暗いところに入っ たり、心理社会的ストレスにさらされたり、不安や疲労があったりするとでやすくなります。フラッシュバックをおこした患者は、(実際には薬物を使っていな いにもかかわらず)これが薬物による幻覚であることを自覚しています(DSM-IV 1994: 229-236)。
 

有機溶剤

依存症をおこす有機溶剤として、ガソリンや接着剤、シンナー、スプ レー塗料などがありますが、日本で最も多用されるのはシンナーです。ビニール袋に入れたり、タオルや布にしみこませたりして、有機溶剤を口や鼻から吸いま す。有機溶剤を多用すると薬物耐性ができて効きにくくなりますが、禁断症状はほとんどありません。
 
有機溶剤を大量に吸い込むと気分が変わり、判断力が鈍って攻撃的になった り、逆に無気力になったりします。しゃべり方がおかしい、フラフラして歩けない、手がふるえる、眼振や立ちくらみがある、ウトウト眠りこむなどの神経症状 とともに、幻聴や幻視、幻触などの精神症状がでます(DSM-IV 1994: 236-242)。幻覚としてたとえば、指先から糸や光が流れでるような感覚があります。仲間と一緒に有機溶剤を使うことが多く、指先から流れでる糸で互 いにあやとりをして遊ぶ、などという感覚を体験するそうです(臨床精神医学 27: 865-874)。自分の指からでた光が遠くのものを動かすような感覚や、自分がフワフワ浮き上がるような感覚がでることもあります。このような状態のた め、学校をサボったり仕事を休んだりすることになります。
 
有機溶剤を使う人は、薬物のにおいがしたり、口や鼻の周りに皮疹ができた り、眼球結膜が充血したりします。また有機溶剤を鼻や口から吸い込むため、呼吸器が障害されて咳が出たり、息苦しくなったりすることがあります。有機溶剤 を大量に使うと中枢神経が障害され、大脳や小脳が萎縮して元にもどらなくなってしまいます。有機溶剤依存症の患者では、肝障害や腎障害がまれではありませ ん(DSM-IV 1994: 236-242)。
 
有機溶剤は安価で入手しやすいため、若年者が最初に手を出す薬物と言われ ています。有機溶剤を使う年齢層は9?12歳頃から35歳頃までで、中高年は有機溶剤をあまり使いません。ピークは思春期で、有機溶剤使用者の70ー 80%は男性です(DSM-IV 1994: 236-242)。
 

抗不安・鎮静薬

全般性不安障害や不眠症の患者に抗不安薬・鎮静剤を処方することが あります。不安や不眠のある患者では不安がなくなり、よく眠れるようになります。しかし不安や不眠のない人がアルコールと一緒に抗不安・鎮静薬を飲むと、 薬が効きすぎてフラフラしたり、しゃべり方がおかしくなったり、手足の動きがぎこちなくなったり、眼振がでたりします。気分が変わって攻撃的になったり、 感情が高ぶったり、判断力が鈍ったり、薬が効いている間におこったことを忘れたりします。常用量以上の抗不安・鎮静薬を飲んでも、同じような症状がでます (DSM-IV 1994: 261-270)。
 
抗不安・鎮静薬を頻繁に使って学校をサボったり、仕事ができなくなったり すると抗不安・鎮静薬の乱用となります。薬物耐性ができて、抗不安・鎮静薬が効きにくくなったり、禁断症状がでたりするようになると、抗不安・鎮静薬の依 存症と診断されます。
 
長期間抗不安・鎮静薬を服用している人が急に薬をやめたり、多量の抗不 安・鎮静薬を飲んでいる人が薬をやめたりすると、禁断症状がでます。抗不安・鎮静薬の禁断症状はアルコール依存症の禁断症状と似ており、嘔気・嘔吐、頻
 
脈、発汗、血圧・体温上昇などの身体症状と、不眠、不安や手のふるえ、幻 覚などの神経・精神症状がでます。ひどい場合は全身けいれんがおこったり、せん妄状態になったりします。
 
ベンゾジアゼピン系の抗不安・鎮静薬は、病院で最も高頻度に処方される薬 剤です。アメリカでは毎年、成人市民の15%が抗不安・鎮静薬を処方されています。1991年の調査では、アメリカ市民の4%が、医療以外の目的で鎮静薬 を使ったことがあると答えています(DSM-IV 1994: 261-270)。
 

おわりに

欧米では麻薬・薬物が蔓延している国が少なくありません。、一部の 国ではマリファナが野放し状態 で、合 法化されたかのような有様です。タイや中国雲南省では阿片やヘロインが広がっています。
 
麻薬・薬物依存症の患者が多い地域は二つに大別され、両者の社会的条件は 一見矛盾しています。その一つはケシを栽培する地域か、ケシから作った阿片やヘロインの密輸ルートにあたる地域です。このような地域は経済的に貧しく、麻 薬が簡単に手に入るという理由で麻薬依存症が蔓延しています。もう一つは、経済的に豊かで麻薬・薬物にお金を使うことができる地域です。衣食住が満ち足り ると人は象徴的意識・意味によって心の充足感を得ようとする傾向が強まります。麻薬・薬物は、これに代わるものとして手軽で刹那的な心の充足感をもたらし てくれます。安定し、成熟した市民社会に生きる人々にとって、麻薬・薬物の誘惑は決して小さくはありません。21世紀の日本には麻薬・薬物依存症が広がる 条件が整っています。麻薬・薬物の蔓延を防ぐには、麻薬・薬物についての教育・啓発を行うとともに、麻薬・薬物の流通ネットワークを破壊する以外にありま せん。