もう、タイトルで言いたいことは言ってしまっているのですが、お暇なら最後までお付き合いください。
とあるプロブロガーだかメディアクリエイターだかの記事で、大学を中退したいと思っているという大学生に対してアドバイスをしたというのがあったんです。
「周りの言うことに惑わされるな、自分で決めろ。」という体で、「俺はあんな下らんもの直ぐ辞めたぜ。俺スゲェ!!」と学生を煽りつつ、安っぽい自慢に終始する内容でした。
低俗でツマラン記事でしたが、アドバイスを求めてきたという学生に対して思うところがあったので書きます。
辞めたいのなら辞めたらいい。ただし、恥ずかしくない態度で
こんな相談を他人にするところをみると、辞めるか続けるか悩んでいるというよりは、辞めるための適当な理由(言い訳の方が良いかな)を探しているのだと思う。
こんなもん、プロブロガーどもに相談したら辞めろって言うに決まっている。何かに挑戦しようというのではなく、逃げるわけなので、背中を押してもらうってのともちょっと違うな。やっぱり、辞める言い訳を探しているのだろう。
なら、辞めたら良いんじゃないかな。今みたいな状態で大学にいたって、ズルズルとお金と時間を無駄にしそうだし、思い切って辞めたって良いと思うよ。結果的にそのほうがプラスになることだってあるかもしれない。
ただし、辞めるのであれば、恥ずかしくない態度で辞めてもらいたい。
もし、大学を辞めるとなれば、その立場・地位はどういうことになるのだろうか。「自分の人生を生きてもらいたい。」などとプロブロガーにアドバイスされて、それでもなお親の脛をかじるようなこともしないのであろうから、きっと社会人として立派に自立していくつもりなのでしょう。
であれば、大学を辞めるにしても社会人として、大人として恥ずかしくない態度を示してもらいたいと思うのです。
支援してくれた人を裏切るな
さて、社会人として、大人として恥ずかしくない態度とは如何なるものなのだろうか。
これは人によって線引きも違うだろうから一概には言えないし、これを書いている自分自身、他人に「社会人として恥ずかしくない生き方をしています。」と自信を持って言えるほど高潔な生き方もしていません。
ですが、「これは社会人としては見苦しい」と思う態度であれば挙げる事が出来るし、そういうものは割と皆同じように思うものだし、だからマナーというものが生まれるのだと思います。
そんな見苦しい行動に支援者への裏切りがあります。
「将来、こんな仕事がしたいんです。」「ここで勉強がしたいんです。」そんな子供の願いに応えて、支援してくれた両親に対して、「大学がつまらないので、行きたくない。」そんな理由で、ろくに説明もせずに退学なんてして良いわけがありません。
アドバイスをしたプロブロガーは頑なに大学へ行くことを拒否して認めさせたそうですが、それって、お菓子売り場やおもちゃ売り場で泣き喚いている3歳児と何が違うんでしょうね?
自慢げに書いていましたが、この態度・対応が社会人として有るべき姿だとは思えませんけどね。どうなんでしょう。
もちろん、親が子に対してする支援というのは見返りを求めたものではありません。無償の愛というやつです。しかし、だからといってそれに甘えるのは格好悪くないですか?
親や友人ら、自分を心配してくれる人にシッカリと説明もせずに、蒸発するように消えてしまう態度って社会人としどうなんでしょう。納得してもらえないにしても、せめて、どうして辞めたいのか、これからどうするつもりなのかを誠実に話すべきです。
自分の居場所に疑問を持つのは普通。少数派などではない。
「大学に疑問をもった時点で少数派人間である、だから周りの多数派の意見に惑わされるな」という趣旨の、分かったような分からんような主張を展開されていました。
なぜ少数派の人間が多数派の人間の意見を聞いてはいけないのかよく分かりませんが、とりあえず、そこは置いておいて、大学に疑問を持つことが少数派なのかって話をします。
皆さん、自分の居場所に何の疑問を抱かずに過ごされていますか?
そんなことないですよね。
この学校で良かったのか?
この会社で良かったのか?
この人と結婚して良かったのか?
全てを見通せる神の目でも持っていない限り、人間はみな悩み、考えるものです。そんなものは当たり前なのです。
だからこそ同じように悩む、悩んだ経験のある人に相談するのです。そして、その上で自分で決め、自分で責任をとっていくのです。
「みんなと違う俺スゲェ!!」ってやりたいなら勝手にどうぞ。
自分の人生に納得するためにも
一度きりしかない人生だし納得できるものにしたいですよね。だから何ごとも自分の意志で決めていかないといけない。
だけど、何を基準に決めればよいのだろう。
私は30過ぎのオッサンだけれど、学生から見れば結構なジジイだけれど、だけれど自分の人生が何たるか、自分が何者なのかすら未だにわかっちゃいません。
そりゃそうです。30年ちょっとしか生きていないのだから。
人間個人が経験できる事柄なんてたかが知れています。だから私たちは先人の残したものを見て、読んで、物語を疑似体験します。身近な人たちと相談や議論をしては自分にはない知見を得るのです。
そうやって個人で出来る経験以上の情報を得て、それを材料に意思決定をしていく。
別に誰かに促されて選択しているわけではありません。決めるのはあくまでも自分。だけれど、そのための材料は一人で集めたのでは絶対に十分ではないのです。二十歳そこそこの学生ではなおのことだと思います。
どうが、自分の人生に納得するためにも、一部の耳触りの良い言葉に惑わされることなく、様々な人に相談して下さい。あなたに批判的な意見、つまりはあなたは持ち合わせていなかった知見こそが、耳を傾けるべき意見です。そういう意見と、あなたの意志や考えを総合的に判断して下さい。
では、また。