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寅🛀風呂~大阪桃源郷~

~大阪🍑桃源郷(シャングリラ)~

在日韓国人【コリアンジャパニーズ】の血

差別を知らない子供に差別を教える大人

生前、僕の母方の祖母は、キムチのことを「朝鮮漬け」と呼んで頻繁に食べていた。その割には、それを市場で売っているコリアンジャパニーズのおばさまを陰で「チョーセン」と呼び、蔑むのである。

(美味しい美味しいってその人が漬けた漬物食べてるくせに、妙な人だな?)

孫である僕は当然、優しい祖母は好きだったけど、彼女の朝鮮人・韓国人・中国人に対する差別意識だけは、全く理解できなかった。世代の問題なのか、教育の問題なのかよくは分からないが、失礼な話、そういう祖母に対して(心の卑しい人だな)と子供心に思った記憶さえある。

そしてそれと時期を同じくして、中学校の道徳の授業で「被差別部落」と呼ばれる地域の話を聞かされもした。それはまだ差別など意識したことのない子供に、差別の存在を教えているような授業にも思えた。僕の中でどんどん膨らんでいく違和感。

(・・・何なんだこの授業?そういう歴史を知り、恥じて、悔いて、改めろという意味合いの授業なのか?子供というやつは無邪気なだけに、時に物凄く残酷にもなるものなのに、わざわざ学校で、公式で教える必要があるのだろうか?)

人間という生き物が本質的に差別をする生き物であるなら、いずれ子供から大人になってゆく過程で、誰もが色んなことを知るだろう。現に僕は幼少時代から祖母のそういう発言を耳にしてきた。被差別部落地域の存在も、授業で教わった時点ですでに知っていた。なぜなら僕の暮らす町の隣町の公民館には「石川さんの再審を勝ち取ろう!」という看板が大きく掲げられていて、親に直接尋ねたことがあったからだ。

「あれは一体どういう意味なの?」

うちの母親は、差別意識の強い祖母の娘とは思えないほど差別や偏見のない人だ。

「あれはね、冤罪と言って、無実の人が、どこそこの生まれだという理由だけで犯人にされてしまった事件の、裁判をもう1度って意味よ」

そうやって親がさり気なく言った言葉というのは、意外に心の深部まで刺さるものだ。以降、僕は周囲の人間が被差別部落地域に対して差別的な発言をしても、聞く耳を持たなくなった。別に「自分は差別をしない人間だ」と特筆しているわけではなく、要は「普通の感覚」は持ち得たということだ。当たり前だが、人間には同じ血の色が流れ、同じ物がついているわけで、逆に言えばそれを理解できない輩こそ、僕からすれば「愚鈍」ということになる。

差別を忌み嫌う人間の本能

ただ親や学校に教わるまでもなく、既に殆どの人間の中には差別や偏見に対しての「嫌悪感」は「本能」として備わっているのかもしれない。

事実、幼かった僕は祖母の発言を耳にする都度(この人を反面教師にしよう)という気持ちになったし、それどころかコリアンジャパニーズのおばさんが漬けたキムチをむしゃむしゃと食べる彼女を、白眼視していた側面さえある。

笑顔も優しさも小遣いをくれる大好きなおばあちゃんを、内心白眼視、だ。子供をなめてはいけない。子供は、大人が考えるより遥かに冷静なのだ。

道徳の時間に差別や偏見がいかにみっともない、恥ずかしい、情けないものか教えるのは悪いことではないとは思うが、僕にとってその授業の進め方は、あまりにピンと来ない内容だった。

(このド下手な教え方は、逆に差別の助長に繫がらないだろうか?)

そう感じた旅寅少年は、素直な意見を当時の担任である藤井女史にぶつけた。彼女は僕が心底心酔できる、数少ない「大人」だったのだ。先生は苛立ちを隠さずに言った。

「エラい冷めた顔で授業聞いてたからアンタの気持ちには気付いてたけど、これは私ら教師によっても意見が分かれるとこやねん。ま、でも私は概ねアンタと同じ気持ちや」

親友

「僕の人生」というちっぽけな、とるに足りないような物語においてさえ、とても重要な登場人物というのは存在する。いや、それは別に僕の人生に限ったことではなく、「君の人生」にも「アナタの人生」にも存在するだろう。

「特別な人」

そういう存在は、誰にとっても稀なものだ。なかなか巡りあえるものではない。ただ稀少な存在であるからこそ、出会った時の衝撃は小さくはない。よほど愚鈍な人間でもない限り、特別な人に出会えば胸の鈴は鳴るし、心の琴線はふるえると思う。

 (あれ、この人、何かちょっと違う・・・?)

僕は42年間生きてきて、そういう人と3名だけ出会ったことがある。

内訳は男性2名に女性1名、男性2人の方が同期で、女性の方は1歳年上だった。その内、今でも付き合いがあるのは男性1人だけだ(1人は永眠し、1人は交際後に別れた)もちろん言うまでもなく、残った男は僕の親友だ。

ただ、別にしょっちゅう会うような関係でもない。

同じ大阪に住んではいても、僕と彼は暇だからと軽々しく会うような間柄にはならなかった。上手くは言えないけど、隣で慣れ合うことよりも、少し距離を空けて、お互いを触発し合うような関係になったのかもしれない。1年半ほど前、久々2人で飲んだ時、彼が口にしたセリフは鳥肌モノだった。

「お前が元気でやってさえいれば、俺にはそれで十分や」

僕は彼を心から尊敬していて、彼にだけは負けたくないとも感じている。全然違うジャンルで生きている2人は正直勝負のしようもないんだけど、彼からガッカリされるような男にだけはなりたくない。僕はずっと彼の「特別」であらねばならないのだ。

いや、そうありたい。

そんな意味のないプレッシャーを、彼と出会って以降、僕は常に自分に与えてきた気がする。自らが強い光を放つ「恒星」である彼をして、

(相変わらず旅寅は笑かしよるわ)

と言わしめるのには、背伸びが必要な時もある。僕は彼ほど魅力がある人間でもなければ、彼に比して、器も物凄く小さい。でも今更、彼に対して「惑星」になるわけにはいかない。局地戦ではともかくとしても、大局的な曲がり角では、どうしても、彼の視線が痛いのだ。

(アイツに笑われるような選択はすまい)

内心は損得や欲に一瞬心が揺らいだ時にも、自分を曲げず、自分を通したことは、1度や2度じゃない。(あの時打算だけで動いていたら今頃大金持ちだったな)というような話は、実際複数回あった。

でも最後の最後にはいつも、マイルールに反する話は蹴るようにしてきた。金は、そりゃ喉から手が出るほど欲しい。が、彼が見ている。歳を重ね、清らかな少年はさすがにもう僕の中にはいないが、とはいえ、最高の男に「友」と見初められた自身を汚すことを許さない自分もまだ、決して、死に絶えてはいないのだ。

皆さんは「海がきこえる」というジブリアニメを観たことがあるだろうか?個人的に物凄く好きな作品なんだけど、そこにこんな語りが出てくる。

「中等部 高等部の六年間を通じて、松野と僕は一度も同じクラスにならなかった。それにも関わらず僕は松野を親友だと感じていた。僕の中で 松野の存在は、ほかの連中とは ちょっと違っていた」

もうずいぶん昔、まだ僕が物凄く若かった時、この場面で(そう・・・そうなんだよなぁ・・・)と深く頷いたのを今でも覚えている。

僕らは高校1年の時同じクラスになり、3年間を同じ教室で過ごしたからこの物語の2人とは異なるパターンなんだろうけど、ただ出会った時から、2人でいる空間だけは他の人間といる場所とは景色が違うことは感じていた。

(何でコイツといるとこんな平凡な出来事や時間さえ特別に感じるのだろう?)

確かめたことはないけど、多分、それは向こうも感じていたと思う。人と人との「絆」というものはお酒と同じで、熟成するには時間がかかる。取るに足りないはずの平凡な関係だって、大切に育めばかけがえのない繋がりになり得るし、逆に、運命の出会いを果たした宝石のような存在さえ、色んなモノが噛み合わなければ、簡単にぶつかって、自分の上を通り過ぎてしまう。

そんな中、ごく稀に、出会いからそれほど長い時間を経なくても特別なものを感じる人というのが現れる。その稀少な人達の中で、色んなモノが上手く折り合って、噛み合って、奇跡的に残る一握りの、ずっとそばにいられる存在一。

そういう友を持ち得たとしたら、それをこそ「親友」と呼ぶのだろう。

男同士というのは決して簡単ではないので、そんな存在は貴重・稀少もいいとこだ。限られるどころか、一生そんな存在を1人も得ることなく、死んでゆく人もいるだろう。僕はそんな「友」と42年で2人も出会えた。21年に1人、出会えた計算だ。そう考えれば、63歳まで生きればあと1人くらいは、親友と巡りあうのかもしれない。

楽しみだ。これからどんなエニシやキズナが、どんな風に僕の目の前に現れ、そして育ってゆくのか。古来、男の人生を豊かにするのは、

「良き仕事、良き女性、良き友」

この3つだと言われるが、そう思えば、僕の人生は幸せだったのかもしれない。やりたいことをして、歳相応に恋もして、良き友や家族も得た。大金は得られなかったものの、我ながら人生的な落第はしていないと思う。普及点、人並に人、足りえた。

まだ総括するには若過ぎるかもしれないが、恐らく、これからも僕が、譲れないものを譲ることはない。マイナーチェンジは何度も遂げるだろうけど、不器用でも無様でも、根っこのところだけは、彼の「友」として胸を張れる自分でいたい。

それが42歳のオッサンの想いだなんて、まったく、我ながら青くさい話である。

 コリアンジャパニーズ

1つ気になることがある。それは「たまたま」で片付けてもいい話なのかもしれないが、その人生で出会った特別な3人中2人は、くしくも在日韓国人、いわゆるコリアンジャパニーズである。愛した女性と、前述した彼だ。 2人は結構かしこまって、それを僕に打ち明けてくれた。

彼女の方は、交際してすぐの居酒屋で、

「私、実は名前が2つあるの。両親からは日本人の男性との交際は禁止されてるの」

というカミングアウトがあった。

彼の方は、初めて彼の家に泊まりに行った日に、雑魚寝の場でそんな話になった。

「な、旅寅、俺の下の名前、何とも思わんか?」

「かっちょいい名前じゃん?「宗林(仮)」なんて」

「俺さ、在日韓国人やねん。気付いてた?」

「うん。・・・ってか、そういうのいちいち改まって言うんや?(笑)」

「いやいや(笑)一応な、変な名前やと不思議に思われんのも嫌やしさ(笑)ま、またその辺のことは追々話すから聞いてくれや」

確かそんな他愛もない会話をした記憶がある。

以降、2人の間でそれは特に話題にはあがらなかったが、それから何年か後、彼がそのことで、愛した日本人女性と結婚できないという壁にぶつかったことがあった。僕は、彼がなけなしの金をはたいて買った指輪をドブに捨てるのを、見届けることになったのである。

 (・・・なんだかな。そんな話、まだあるんやな・・・)

相手の女性は当初は親を説得しようと試みたが、結局(皆に祝福される結婚がしたい)と翻意し、別れを告げてきたという。差別、という奴だ。妙な話だが、相手がコリアンジャパニーズだと祝福できない人がいるというのである。

ただ、家族の反対を押し切れなかった彼女に対して、彼は失望もせず、理解を示していた。いつもは感情的な男がそれに関しては妙に冷静で、それを見た僕は、この国で生きるコリアンジャパニーズに向けられる差別の根深さを、改めて、知ったような気がした。彼は指輪をドブに投げ捨てた後、冗談っぽく言ったものだ。

「あの杭のとこに沈んだから、金に困ったら拾って質屋に行かなあかんな」

以降、彼は別の人と幸せな結婚を経た。でも僕の中には、あの日の彼の何とも言えない表情が、いまだに息づいている。

投げ捨てなかったモノ

「コリアンジャパニーズ」に流れる血の成分に、日本人と異なるものが流れているわけではないのは分かる。

でも僕が心底惚れた2人は、僕から見て、明らかに他の人達より人間的に魅力的だった。感性が豊かで、情に厚くて、向上心や反骨精神や向こうっ気が強くて、求心力が半端ない。それらがコリアンジャパニーズとして生きる中で育まれてゆく人間力なのか、遺伝されたDNAによるものなのかは分からないが、とにかく僕という人間は、そんな魅力的なコリアンジャパニーズに縁があるのだ。

最も惹かれた男女が共にそうだし、実は別れた前妻もそうだった。別にコリアンタウン近辺で暮らしているわけでもないのに、たまたま出会い、惹かれてみればその人はコリアンジャパニーズだった・・・というのが個人的に続いているのである。

1度ならともかく、それが2度、3度と続くと、さすがに考えざるを得ない。

(やっぱ、彼らには特別な魅力や人間力があるのかなぁ?)

そんな時、幾つかの「在日」を描く作品達に出会い、少し、腑に落ちたものだ

 

「奴らが哭くまえに」黄民基

「GO」金城一紀

「越境者 松田優作」松田美智子

 

彼らが生まれながらに背負う十字架の重さは、様々な作品で描かれている。でもそれを跳ね返し、世に出たコリアンジャパニーズの著名人は各界に山ほどいるわけで、結局は人間、どれだけ本気で、熱を持って生きるかどうかなんだろう。

「国境線なんて、俺が消してやるよ」

映画化された「GO」の中で窪塚洋介はそう宣言したが、きっとあの作品の主人公はその後、差別など吹き飛ばして輝いはずだ。

そして、現代。

僕の親友が指輪をドブに捨てたあの当時に比べれば、差別や偏見は随分穏やかになったと感じるが、それは決して消えたわけではないだろう。

とはいえ、僕は別に「不当な差別をやめよう」と大声をあげる気もないし、「在日特権を許すな」的な側にいるわけでもない。

別にコリアンジャパニーズや被差別部落出身の人に限った話じゃなく、全ての人間は大なり小なり十字架を背負っているではないか。

例えば女にモテたくてもブサイクに生まれた男はどうだ?一生冴えないまま終わる男もいれば、必死に働いて「財力」という違う武器を手に入れ、エステに行ったり整形したりしてコンプレックスを解消してしまう奴もいるだろう。それの是非はともかくとしても、人生とはバタつくことだ。バタつかない奴はそこで溺れるしかない。

思い通りにならないことなど誰にでもあり、誰もが理不尽の中を生きることに変わりはないわけで、でもどんな厳しい状況に置かれても、這い上がる奴は這い上がるし、折れる奴は折れるのである。

「コネ」を使う奴は確かにいるけれど、それを除けば「生まれ」など一切関係ないことは、わざわざ言うまでもないことだ。

僕の親友はコリアンジャパニーズだが、周囲の誰もが彼を愛し、彼に魅了されている。差別どころか、そこにあるのは尊敬や羨望である。

彼があの日投げ捨てた指輪は、もうドブの中で腐食したかもしれない。

でも彼があの日投げ捨てなかった何かは、その後の彼を新たな光へと導いた。

世を恨み、妬み、挙句に狂人のフリをして反撃できない弱者を19人も殺めた情けない男に、彼の爪の垢を煎じて飲ませてやれれば良かったと、しみじみ思う。

 

旅寅