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孤高の凡人

Anarchy in the 2DK.

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ハートのやつ

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私はお風呂が嫌いである。簡潔に申し上げると、それは『面倒臭い』という言葉で片付いてしまうのだが、とにかく私はお風呂が嫌いである。したがって、私は夏が嫌いである。夏は全身のミクロの穴から塩分が配合された水が湧き出てきて、王将の床と同等のベタベタが自身の頭、首、背中、その他あらゆる関節の裏側から洗ってよ、ねえ、洗ってよするからだ。

私は王将の床になりたくない。生まれて一度も王将の床になりたいと思った事はない。小学校の頃の作文に書いた『将来の夢』もスケボーの選手と書かれており、王将の床になりたいと思った事が一度もないということを裏付ける証拠も残っている。

王将の床になる為には、まず普通の床にならなければならず、普通の床とは、店舗ならば大抵エポキシ樹脂を成分とする塗膜で生成されており、私の体はエポキシ樹脂とはかけ離れ、主にタンパク質で作られている為、まず王将の床になる才能がない。才能がないにも関わらず、それになりたいと望む事自体が浅はかで、例えば、顔が昆虫の裏側みたいになっている女性が石原さとみになりたいと望んでも、そもそも石原さとみの才能がないので、絶対に無理。言い切る、絶対に無理。それと同じ理由、いや、私が王将の床になることは、更に望みが薄いと思われる為、私はそんな無謀なチャレンジをしない。私は堅実な男だからだ。なのに、このジメジメとした京都の夏は私を限りなく王将の床に近づけてくる。それはまるで昆虫の裏側のような顔の女性に対して、いけるってー、受けちゃいなよー。とモーニング娘のオーディションに応募させ、落選の通知を見てゲラゲラ笑うような鬼畜、外道のような行いであり、人として絶対にやったらあかん事である。だから私は京都の夏によって、王将の床になる事を勧められても、絶対に屈しない。私は昆虫の裏側の顔の女性とは違い、日々の瞑想により内観を常々行っているから、自分の事をとても深く知っているから、自分には王将の床になる才能は絶対にないと断言できるのであって、自分の道、自分の人生は自分で決めたい。そんな京都の夏に少しそそのかされたぐらいで、絶対にブレないし、屈しない。

しかし、外で遊んでいた私はすでに、頭、首、背中、その他関節の裏側がベタベタになっていて、触ると王将の床みたいになっている。これはひょっとするとひょっとするかも知れない。私は王将の床を目指してもいいのかもしれない。いやいや、騙されるな。そもそも私は人間という生き物であり、あのような無機質な王将の床になる事は絶対に不可能。目指したところで、挫折することは明白。再就職も出来ずに皿洗いのバイトをするような日々を送るのは絶対にごめんなさいなのである。というわけで、王将の床になるという夢は一旦諦めるにしても、このベタベタをなんとかしないと、寝る時に気持ち悪くって不眠症のようになってしまい、それが鬱を再発させて、会社を辞める。結果、王将の床にもなれず、まともに働くことも出来なくなり、家族が去り、ベタベタのまま死ぬ。これでは救われない。あまりにも無念である。やはり、ここは嫌い嫌いと言いながらも、お風呂に入るべきだろうか。それが京都の夏に屈した事になったとしても、私はそれを選択した方が幸せになれる気がする。

私はそう考えて、服を脱ぎ、お風呂に入った。

お風呂の隅にいる、あのハートみたいな形の飛ぶ虫、なんなん?

あのハートのやつ、なんなん?

(所要時間20分)

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