元旦のできごと。

元旦に初もうでに行ったのだが、途中で、目についた光景があった。歩道の脇で、若いお母さんと小さい女の子が何かをしているのだ。

(何をしているんだろう?)

通り過ぎながら、なんとなく目をやると、二人の会話が聞こえてきた。どうやら四歳ぐらいの女の子がガードレールの端っこに足をぶつけてしまい、怪我をしてしまったようだった。女の子の足からは少量とはいえ血が垂れている。若いお母さんはバッグからティッシュを出そうとしているが、どうやらティッシュはないようだった。

「お母さん、いまティッシュないから、家まで我慢してね!」

通り過ぎながら、そんな声が聞こえた。

どうしようか迷った。私はティッシュを持っていたのだ。

女の子が怪我をしているのだ。止血の効果があるのかどうか分からないが、人として、ティッシュを差し出すべきだったかもしれない。

だが、私の持っていたポケットティッシュは封が開いたやつだった(しかもサラ金のやつだ)。見知らぬ中年男の差し出す使いかけのサラ金ポケットティッシュ。それはいかにも不潔だ。若い母親なら受け取らない可能性が高い。

「すいませんねえ。でも大丈夫です」

そんなことを言って、拒否される可能性が高い。だとしたら、私は老人に席を譲ったのに座ってくれなかったような不満を味わうだろう……。わずか一秒、二秒のうちで、私はそこまで考えてしまった。

今までの人生で、善意を断られたことがあまりにも多すぎた。前日の大晦日に、道ばたで、

「市役所までの行き方を教えて下さい」

と頼まれたのだが、いざ行き方を教えると、

「なんだ、そんな遠いのかよ」

と舌打ちをしただけで、その男はさっさと行ってしまった。実際、私が電車のなかで座席を譲っても「ありがとう」と言ってくれる人は滅多にいない。そんなことが積み重なると、「どうせ感謝されないんだろ」といったひねくれた考えが兆してしまい、親切にしようという気が起こらなくなってくるのだ。

最初から「ありがとう」を期待しなければいいのだけど、常識的な礼儀はどうしても期待してしまう。ところが、世の中には「ありがとう」を言わない人は驚くほど多い。お礼を言われるべき場面でそれを言われなかったという人はかなり多いと思うのだけど、やはりだんだん親切にしようという気がなくなっていくのではないか。

(ティッシュを差し出したいな)

と思いながら、結局、ティッシュは渡さなかった。

あの親子、いま、どうしているのだろう。

元旦に、こんなことがあった。

 

10 Responses to “元旦のできごと。”

  1. 猫の鈴 Says:

    あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も更新を楽しみにしています。元日に象徴的なご経験をされたんですね。私も、人に何かしてあげたらお礼を言われたいです。感謝されたいというより、とりあえず拒絶されてはいないことを確認したいです。

  2. けい Says:

    新年おめでとうございます。
    猫の鈴さん同様、今年も更新を楽しみにしています。

    善いことをするのはとても難しいですね。
    ティッシュを渡した方がいいのかどうか微妙ですね。
    ありがとうを言う人少ないですか。
    私もよく道を聞かれますがありがとうを言ってくれる人が多いです。
    言ってくれなかったら私も嫌な気持ちになると思います。

  3. 馬の助 Says:

    あけましておめでとうございます。
    ブログ読みました。それでも親切にしたいと思うのですか!?
    二条さんは、すごくいい人だと思います。
    僕は親切にする相手を選んでみたり、それでもうまくいかなかった時は、僕が一番助けを必要としていた時に、あいつらがしたように「見て見ぬふり」をしたり、そーっと気付かれないように通り過ぎたりします。
    滅私奉公じゃないのだし、礼を言われたくてやるのか?利益目当てにやるのか?と言われたら、その通りです。ロボットじゃないのだから、毎回毎回決められたルール通りに人助けをする訳ないじゃないですか。に・ん・げ・んですから。
    あいつらが俺達にやった事を考えたら、世の中に対して国家予算クラスの貸しがあっても、借りは微々たるものでしょう。(もし、俺達に含められたくなかったらごめんなさい。)二条さんは世の中に、ほんのわずかな借りがあるから親切にしているのですか?仕送りとかあるかもしれないけど、トータルで考えたら世の中への貸しに比べたら焼け石に水でしょう。
    そのガードレールの4歳位の女の子は可愛いかも知れないけど、後10年もしたら目も当てられない(以下略)なので…世の中なんてそんなものです。気にする程の事じゃないです。自分の幸福追求に集中しましょう。
    少しは楽になっていただけたでしょうか。

  4. kou Says:

    二条さん。あけましておめでとうございます。今年もみなさんと同じく更新を楽しみにしております。
    二条さんのように「善意を断られたことがあまりにも多すぎた」わけではありませんが、私も「親切心」を働かせようと思ったときにいろいろ考えてしまって、結局はその状況を見過ごしてしまう……ということが間々あります。
    そこで今回の内容に関連する文章を引用したいと思います。私はこの姿勢に少し勇気をもらいました(指図する意図などは決してありませんので、ご参考までに)。

    相手の立場に立って「よかれ」としたことが、逆に相手に憎まれるかもしれない。相手に害悪をもたらすかもしれない。何をしても、最終的には「読めない」のが人間関係というものである。純粋な思いやりとは、こうした場合も見越して行為すること、そして結果に対してはキチンと責任をとることである。言いかえれば、「思いやり」の押しつけをしないこと、「喜んでもらう」という報酬を求めないことである。〔…〕老人に席を譲ろうとしたところ、「老人あつかいして失礼な!」と非難されても、荷物を持ってやろうとして泥棒にまちがえられても、しょげないこと、過度に傷つかないことである。むやみに謝る必要はない。シッカリと自分の意思を伝えて、誤解を指摘すること。そして、それに懲りずにまた席を譲り、荷物を運んでやろうとすることである。
    中島義道(1997)『〈対話〉のない社会 思いやりとやさしさが圧殺するもの』PHP新書 pp.146-147

  5. バラ Says:

    こんにちは。

    二条さんの仰っている事、良く分かります。

    拒否された、否定された経験が多いと、他人に何もしてあげたくなくなりますよね。

    私も、一瞬考えますが何もしません。

    でも、席を譲るという事は継続しています。まだ拒否されていないので……。

    拒否されたその瞬間から辞めると思います。

    今後、拒否されたら舌打ちするなどの反撃をするのはいかがですか??

    私は聞こえるか聞こえないかのボリュームでやります。

    抵抗していきましょう!!

  6. 二条淳也 Says:

    猫の鈴さん

    あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

    そうですよね。やっぱりお礼を言われたいですよね。それが普通の感覚だと思うのですが。。。

  7. 二条淳也 Says:

    けいさん

    あけましておめでとうございます。今年ものんびり更新していくつもりです。

    女性はわりと、お礼を言われることが多いようですね。男性のほうが、警戒心を持たれるようです。

    お礼を言われなかったら、やっぱり不快な気持ちになりますよね。

  8. 二条淳也 Says:

    馬の助さん

    あけましておめでとうございます。

    素知らぬ顔で通り過ぎたら、それはそれで気持ちのいいものではないので、難しいところです。

  9. 二条淳也 Says:

    kouさん

    あけましておめでとうございます。更新を楽しみにして下さって、ありがとうございます。

    中島義道さんの本は私も大量に読んできましたが、実践することは難しいかなと思います。中島さん自身、上手に生きられない人みたいですね。

  10. 二条淳也 Says:

    バラさん

    へえ、バラさんは席を譲っていますか。拒否されていないというのは、羨ましいですね。

    親切を拒否されたら、やっぱりちょっとこたえますよね。

    聞こえるか聞こえないかのボリュームというところに、バラさんの繊細さが表れているようで、ちょっと微笑ましかったです。

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