和歌山カレー事件の林眞須美や東京・埼玉連続幼女殺害事件の宮崎勤、そして、奈良女児殺害事件の小林薫――。いずれも日本社会を震撼させた殺人事件の被告人として、死刑判決を受けた者たちだ。月刊誌『創』の編集長・篠田博之は、これら死刑囚の「手記」を自らの雑誌で公表してきた。最近はインターネットでも、受刑者や被告人から届いたメッセージを公開している。その多くは世間で極悪人と断罪される犯罪者である。なぜ、そのような者たちの肉声を社会に届けようとするのか。その「発信の原点」はどこにあるのだろうか。
■右翼の攻撃を受け「編集部」を移転
篠田博之(64)が編集長を務める『創』の編集部は、東京・四谷の雑居ビルにある。7月の昼下がり、編集部を訪ねた。
事務所の一番奥にある机の上は、乱雑に置かれた書類や雑誌で、ほぼ埋め尽くされていた。わずかに空いたスペースにノートパソコンを置き、背中を丸めてモニターをのぞき込む篠田。近くにあるスチール製の本棚も、無造作に押し込められた書籍や雑誌で満杯になっている。もしも地震がきたら、ドドッと外にこぼれ落ちそうだ。
――こちらのオフィスはいつからですか?
「数年くらいだと思います。近くにいたのを合わせると、10年を超えるかな」
篠田が『創』の編集長に就任したのは、いまから35年前の1981年。黒柳徹子の自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーになり、寺尾聰が歌う『ルビーの指環』が大ヒットを記録した年といえば、思い出が蘇る人もいるだろうか。
いまは四谷にオフィスを構えているが、もともとは銀座に編集部があった。その後、紆余曲折を経て、神田神保町、赤坂と移転を繰り返し、現在の場所に落ち着いた。
「赤坂を引き払ったのは、右翼の攻撃があったからですよ」
篠田はこともなげに言う。
月刊『創』はメディア批評を基軸にしながら、社会のタブーに果敢に切り込む記事を世に送り出してきた。昭和天皇が1989年に崩御する直前には、テレビ局が「その日」に備えて極秘に作っていた「Xデーマニュアル」の内容をスクープしたこともある。それが右翼の反発を買い、8台の街宣車による猛抗議を受けたのだ。
「大家さんに出ていってくれと言われて……。家賃が高かったのもあるけれど、引っ越しの一番の理由は、右翼の攻撃ですね」
■反響を呼んだ「黒子のバスケ」脅迫犯の手紙
篠田は雑誌の編集長として、人生の半分以上を生きてきた。だが、最近はインターネットを使った情報発信にも力を入れている。2013年の秋には、さまざまなジャーナリストやライター、研究者が自分の記事を自由に発表するサイト「Yahoo!ニュース 個人」のオーサー(執筆者)になった。
――もっとも印象に残っている記事はどれですか?
「Yahoo!ニュース 個人を始めてすぐに投稿した『黒子のバスケ』脅迫犯の記事ですね」
当時、人気マンガ『黒子のバスケ』をめぐって、コンビニや書店に次々と脅迫状が送られる事件が起きていた。犯人は、NHKや共同通信などのマスメディアにも犯行声明を送ったのだが、『創』にはそれらをまとめて、しかも篠田あてのメッセージを付けて送っていた。
篠田は、Yahoo!ニュース 個人の記事で、「黒子のバスケ」脅迫犯から手紙が届いたことを写真つきで紹介した。
――なぜ、犯人の手紙を公表しようと考えたのでしょうか?
「この脅迫犯の渡邊博史君というのは、なかなかいろいろなことを考えている奴なんですよ。新聞やテレビは警察の意向を考えて犯行声明を報じないだろうとか、いろんなメディアの状況を把握したうえで『創』にアプローチしてきた。そういう状況を考えると、ボツにするわけにはいかないだろうと思ったんですよね」
篠田は報告記事をアップし、手紙に同封されていた菓子の写真も公開した。菓子袋には「毒入り危険/食べたら死ぬで/怪人801面相」と印字されたシールが貼られていた。
記事はネットを中心に大きな反響を呼んだ。すると、「黒子のバスケ」脅迫犯から2通目の手紙が届いた。
「記事を公開してまもなく、警視庁の刑事から電話がかかってきました。犯人の手紙は、NHKとかにも送られていたんですが、どういうわけか『創』にだけ一日早く着いたんですよ。毒入り菓子を置いたコンビニの店名まで書かれていたので、そういう中身だと書いたところ、驚いた警察が問い合わせてきたんですね。実際にそこに書かれた店で数時間後に菓子が発見されています」
――月刊誌では、なかなか起きない現象ですね。
「そんなふうに、事件と情報発信が同時に進行していくのが、ウェブの特徴ですよね。リアルタイムで対象との関係ができてくる。その意味では『黒子のバスケ』のような事件の渦中で情報を発信していくのは、ウェブならではだと感じました」
■ネットで情報発信の「選択肢」が増えた
ただ、月刊『創』という紙メディアの編集長である篠田にとって、インターネットは、自らの存立基盤を脅かすという側面も持つ。篠田は4年前、『生涯編集者』という著書を出版した。その最終章で、雑誌の置かれた危機的状況について、こう記している。
「かつては大手出版社のドル箱だった総合週刊誌や女性誌も、市場全体の低落が続き、大手雑誌でも採算割れするものが相次いでいる。恐らくインターネットの普及により、紙媒体そのものが市場を縮小させていることの反映なのだろう」
そんな「衰退する紙メディア」の住人が3年前、Yahoo!ニュース 個人で情報発信を始めた。これまでに100本以上の記事を公開している。何本かは100万ページビューを超えるスマッシュヒットとなった。
最近よく読まれたのは、次のような記事だ。
・「あまちゃん」能年玲奈“引退騒動”が提起した芸能マスコミのあり方
・『週刊文春』の「元少年A」直撃に本人が「命がけで来てんだろうな」と応えたことの意味
いずれも雑誌『創』が専門にしている「メディア批評」の領域に属する記事である。
――インターネットで積極的に発信するようになって、何か気づいたことはありますか?
「紙媒体だとメディアごとの『枠』があり、発行部数とか対象読者が限定されるんですが、ウェブの場合はそれが取っ払われる。読者はどこの媒体発の記事なのか、あまり気にしないで、1本の記事ごとに数十万人が読むこともある。これって、革命的なことですよ」
――そうすると、ネットでの発信はプラスになっている?
「ヤフーで100万人に読まれたら『創』が1万部伸びる、というわけではないですが、プラスに作用していると思います。我々が雑誌を発行しているのは、『何かを伝えたい』『発信したい』というのが根底にあるわけです。Yahoo!ニュース 個人によって発信の選択肢が増えたのは、すごくいい状況だと思いますね」
――ネットの特徴の一つとして、情報発信の双方向性があります。記事の下には、読者のコメントがつきますが、篠田さんは読みますか?
「ケースバイケースですね。コメントは、見ると落ち込むことも多いので、いちいち読まないようにしているけど、黒子のバスケ事件の渡邊君の記事なんかは、社会の反応を知りたいので丹念にコメントを読みました。匿名で無責任なものが多いとはいえ、指標の一つにはなる。ある種の社会の意見を反映していますからね」
■苦境の出版社経営「満身創痍でやっています」
先に触れたように、篠田は35年前、月刊誌『創』の編集長になった。以来、新聞やテレビなどマスメディアの内部事情を詳しく伝えるレポート記事と、独自の視点を持った論客による舌鋒鋭いコラムで、メディアに関心を持つ人々の支持を集めてきた。
だが、インターネットが社会に浸透するにつれ、発行会社「創出版」の経営は苦しくなっていった。特に、ドル箱だった『マスコミ就職読本』の売上が落ち込んだことが、大きく影響しているという。
「『創』のほうはそんなに落ちていないんだけど、『マスコミ就職読本』は激減ですよ。いまはウェブの時代ですから、就職情報を伝えるだけなら紙の本が成立しないんですよね。付加価値を付けることで辛くも生き残ってはいますが……」
苦しい台所事情の中、2014年の秋には、作家の柳美里が、何年かにわたり『創』の原稿料が支払われていないとブログで暴露する騒動も起きた。
事態が落ち着いたあと、創出版の代表も務める篠田は、Yahoo!ニュース 個人に騒動の経緯を説明する記事を投稿した。その中で、同社が2012年に関係者に呼びかけた経営支援策について明かしている。
「『創』を休刊させることも考えたが、がんばって続けてほしいという声も多く、執筆者からも『創』を支えようという提案があった。そこでその時期、連載執筆者の方々に、支払いを待っていただいたり、あるいは原稿料を会社への出資へ回していただくことをお願いした」
このような依頼の結果、カンパや出資をしてくれた支援者は約50人にのぼり、その金額は約1000万円に達した。しかし、その後も出版不況は悪化の一途をたどっており、創出版の経営も改善していない。従業員も契約期限が切れても新しいスタッフを補充せず、いまや編集部は、実質的に篠田1人だけという状況だ。
「多くの人の支援を受けているので、私自身もう10年以上、会社から報酬は得ていません。それが経営者としての責任だと思っています。本来だったら、編集部も4人ぐらいいないとダメなんですけど、今はほとんど私だけで、満身創痍でやっています」
そうつぶやく篠田の机の脇には、仮眠用のベッドが折り畳んだ状態で置かれていた。
体力の限界をとうに越え、いまにも走りをやめそうなマラソン選手ーー。創出版の現状はそうたとえることができるかもしれない。けれども、月刊誌『創』の編集長であり、Yahoo!ニュース 個人のオーサーである篠田博之の言葉を聞いていると、まだまだ意気軒昂だと感じられるから不思議だ。
インタビューに答える様子にも、悲壮感はない。ときには笑いながら、ひょうひょうとした語り口で、文字にすると重い言葉を投げかけてくる。この篠田の雰囲気が犯罪者たちの心を開き、「この人に手記を託そう」と思わせているのかもしれない。
■「裁判が終わっても、事件が終わるわけではない」
『創』のようなインディペンデント系の雑誌は、大手マスコミと違うことを発信することに意義がある。そう口にしながら、唯一無二の情報発信を続けているのだ。その一つが、犯罪当事者の「手記」の公開である。『創』ではこれまで、連続幼女殺害事件の宮崎勤を始めとする犯罪者の手記を数多く掲載してきた。
最新の『創』8月号には、紅白出場経験もあるロックバンド「ヒステリックブルー」の元ギタリスト・ナオキ(赤松直樹)の「手記」が掲載された。彼は、女子高生ら9人に対する強制わいせつ・強姦の罪で懲役12年の刑に服している身だ。
――獄中の受刑者から「手記を掲載してほしい」という要望があれば、『創』に載せるということですか?
「常に取り上げるというわけではないんですよ。むしろ掲載しないほうが多い。ナオキの場合は性犯罪なので、以前なら見送っていたようなケースですね」
――今回、掲載に踏み切ったのは、なぜ?
「薬物や性犯罪について、いまのマスコミ報道ではダメだと思っているからです。裁判が終わったからといって、事件が終わるわけではない。薬物や性犯罪の有期刑の場合、受刑者はいずれ社会に出てくるんです。裁判の確定後に何を考えたのかがものすごく重要なのに、マスコミは全くフォローできていない」
――どうして、そうなってしまうのでしょうか?
「いまのマスコミって、組織が縦割りになっているために、一つの事件をずっとフォローして追いかけていくことができないんですよね。事件の発生時は警察の記者クラブが取材して、そのあと、裁判所の司法クラブに移る。そして、判決が確定してしまうと、事件の報道がぷつっと切れるんですよ」
――たしかに、社会の注目を集めた事件でも、受刑者の情報はほとんど報じられていないですね。
「たとえばナオキなんかは、社会とのパイプが切れた状態で10年とかを過ごして、妻とも離婚し、何にもなしで社会に復帰してくるんですよ。うまく適応できないと、どうしたって、自分を追い込むことになる。こんなことをやっていたら、犯罪は減らないだろうと思いますよね」
■犯罪の「社会的な意味」を引っ張り出す
大手マスコミと異なるインディペンデント系メディアの役割として、篠田が強く意識しているのが、社会全体からバッシングを受けている「少数者」の声を拾い上げて、世の人々に伝えることだ。
――なぜ、少数者の声を取り上げるんでしょう?
「いまのメディアは一つの方向に向けて一色に染まってしまう傾向があるんですよね。それはすごく危険なことです。少数派の意見こそ正しいというのは間違っていると思うけれど、あまりにも乱暴に一色になって、エモーショナルに一つの方向に進んでいくという動きに対しては、『違う声もある』ということを伝えていくのが大事なんだと思います」
――そのあたりは、篠田さんの「発信の原点」とも関わっていそうですね。
「少数者の声なんかで、大事なことなのに全然伝えられていないということがある。メディアがちゃんと機能していない局面も多いんです。いまのメディアって、ものすごく巨大化したように見えるけれど、同じ種類の情報ばかり流していて、意外と大事なことが抜けている。そこを伝えなければいけないというのが、私の動機になっていますね。
社会に伝えたいと思う事柄に接したときにメディアの力を使って伝える、しかもそこに反応があるということは、とても大きなことです。それを経験していくうちに『これはどうしてもやらないといけない』と、ある種の使命を感じることがあります。世の中に伝えられていないことを知ったとき、どうしても自分が伝えないといけないな、と」
――少数者といっても、被告人や受刑者の声を載せると、反発があったりしませんか?
「実は、被害者から直接、抗議がくるというのはあまりないんですが、テレビなどで手記が取り上げられると、一般の人から『犯罪者の肩を持つのか』と怒りの電話がかかってくることがあります。被害を加えた人間が偉そうなことを言っているわけだから、載せた側に対する反発だって当然出てきますよ。それを押してやっているわけだから、それに伴う責任も負わないといけないということは感じますね」
――責任というのは?
「加害者の手記を掲載するということは、被害者からみれば、雑誌も共犯関係なんですよ。そこに踏み込むわけだから、ある種の社会的責任が出てきますよね。たとえば、(東京・埼玉連続幼女殺害事件の)宮崎勤については、途中で投げ出せないという責任を感じていました。『こいつとはどちらかが死ぬまで関わらないといけないな』と。なんだろうな、人助けというよりは、ジャーナリズムの責任です。
宮崎勤とは12年間つきあったんですが、死刑が確定してからは接触がかなり難しくなりました。最初は特別に接見を認められていたのが、私が内容を公表してしまうためにだんだん厳しくなって、接見も手紙もダメになってきたんです。そのまま処刑されずにいくと、家族などにならない限り彼と接触できなくなる。そうなったら、どうしようかと。永山則夫(注:獄中で小説や手記を執筆した死刑囚)の場合は、支援者の人が籍を入れたりして家族になりましたから。
宮崎勤は、私がそういうことを具体的に検討する前に処刑されたんだけど、ジャーナリズムとして責任を全うするということは、そういうことを迫られる局面も来るかもしれないなという気持ちは持っていましたね。もしそれ以上続けるんだったら、養子縁組をするとか。『そこまでしてやる覚悟がお前にあるのか』と迫られる、という感じは持っていました」
――そこまでして発信するのは、なぜでしょう?
「犯罪は、社会を映す鏡だからです」
――どういうことですか?
「犯罪の当事者は、当面の利益のために動いているんだけど、その中に、犯罪者も意識していないような大きな社会的な意味が隠されていることがある。それが『犯罪は社会を映す鏡』ということです。たとえば『黒子のバスケ』脅迫事件などは最初は単なる愉快犯と思われていたけれど、逮捕後接見を重ねてわかったのは、犯人の渡邊君はまさに格差社会の落とし子ということでした。将来に絶望し、死んでしまおうと思ったのだけれど、その前に社会的成功者である人気漫画家に一太刀浴びせて死んでやりたい、そのための脅迫だったのです。実際、拘置所に入れられたときは『エアコンのついた場所で生活するのは高校のとき以来だ』と言っていました。それまでは塀の中より貧しい暮らしで、年収200万を超えたことがないという日雇い派遣などの生活を続けていたわけですね。
そういう社会的意味を、引っ張り出すことが、我々の仕事です。起きてしまった犯罪から考えるべき事柄を言語化して伝えることで、初めてみんながいろんなことを考える。それこそが、メディアの役割なんだと思います」
プロフィル
篠田博之(しのだ・ひろゆき)
1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を20年以上にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま文庫)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。
聞き手・執筆・構成:亀松太郎
撮影:山本宏樹/deltaphoto
※※※
Yahoo!ニュース 個人に寄稿する“オーサー”たち。政治からスポーツ、エンタメまで、幅広い分野の専門家であるオーサーは、なぜ発信を継続するのか。その理由に迫る特別企画『発信の原点』をシリーズでお伝えしています。
第1回 原田謙介さん