時代の正体〈360〉条例はなぜ必要か(上)国際基準となお隔たり

ヘイトスピーチ考

 特定の人種、民族に対する差別をあおるヘイトスピーチを巡り、規制条例の制定を求める声が川崎市で高まっている。ヘイトスピーチ解消法が施行され、市内ではヘイトスピーチを繰り返す男性が主催したデモが中止に追い込まれた。それでもなお、条例はなぜ必要で、求められるのはどのようなものか。市民グループの学習会と市人権施策推進協議会で始まった審議から考える。

 「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が7日に開いた学習会。講師を務めた神奈川大法科大学院の阿部浩己教授(国際人権法)がまず説いたのは、人権を守るための国際基準だった。

 国際人権条約は、人間が人間であることを前提とし、世界中どこでも等しく差別をされないというグローバルスタンダードを示すものだ。条文は一見、無機質で面白みのないものだが、人間の経験、不条理に対する怒りがくっきりと刻み込まれている。人々が生きてきた地域、職場、家庭といった身の回りの出来事を背景にしている。だからこそ、条約は私たちの身近なところで生かされ、使われなければ意味がない。

 それは実際に使えるようになっている。憲法98条に示されているように、条約は私たちの国内法でもある。そのことをまず知っておく必要がある。

 人種差別撤廃条約第2条1項(d)
 各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。
 自由権規約第20条2項
 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。


 へイトスピーチは人種差別撤廃条約、自由権規約に違反する行為だ。条約に加入している日本でヘイトスピーチはすでに許されないものになっていた。ヘイトスピーチ解消法は、そのことを法律という形で確認したものといえる。

 6月3日施行の解消法はヘイトスピーチは許されないと宣言し、国や自治体に解消へ向けた取り組みを求める。いわゆる理念法で、禁止条項と罰則規定は表現の自由との兼ね合いから盛り込まれなかった。一方、付帯決議では、被害が深刻な自治体は「施策を着実に実施する」と強調されている。

 国際人権条約が示す国際基準で重要なのは、何人もヘイトスピーチを受けない権利があるということだ。この基本的人権を最も必要とするのは、実際に差別を受け、敵意や暴力の対象となる集団であり、ほとんど例外なく少数者(マイノリティー)である。

 締約国の大半は何らかの規制をしており、そこが日本と決定的に違う。国際人権法上、表現の自由は絶対のものではないと考えられている。表現の自由は一定の制限に服するということはまったく疑問がない。ヘイトスピーチの規制は正当なもので、法律で禁止し、規制しなければ自由権規約20条2項違反になる。

 その意味でヘイトスピーチ解消法は禁止規定のない理念法であり、20条2項の要求に合致するものではない。同項を根拠にわれわれは法の制定を求めることができる。

 人権とは闘い取られてきたものだ。人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果が人権であり、それを保持するため世界各地で積み重ねられてきた闘いの結晶として、たくさんの人権条約がある。

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