優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)

「自立とは自分で考えること」
メインストリーム協会副代表:玉木幸則さん(2003年4月23日・午前)

記録と編集:伊藤友美子さん・稲積真理子さん

―玉木幸則さんの紹介―

ゆき:  今日は、玉木幸則さん、西宮市のメインストリーム協会の副会長さんをお招きしました。メインストリーム協会という名前を聞いたことある人、手を挙げていただけますか?こんなに少ないの?(笑)「メインストリーム協会を知らずに福祉を語るなかれ」というくらい、とっても有名な自立生活運動の組織です。

 では、「自立生活運動」って、分かりますか?『憐れみの福祉さようなら』という朝日新聞の社説をお配りしてありますので後で読んでください。11年前、91年12月に書いたものです。『福祉が変わる医療が変わる』(ぶどう社)という本に入れたとき「サービスの受け手が担い手に」という副題をつけました。「障害者」と聞くと、「かわいそうな人」「サービスを受けする人」と長年思われてきました。それを逆転させたのが自立生活運動です。
 もうひとつ、朝日新聞夕刊のコラムに書いた『鉄の肺の局長』もお配りしてあります。手足が動かないばかりか自力で呼吸もできないアメリカ・カリフォルニア州の局長、エド・ロバーツさんが来日したことがカルチャーショックになって、日本で自立生活運動が始まりまったことが書いてあります。
 現在、全国に117の自立生活センターが立ち上がっていますが、メインストリーム協会は1989年にできた老舗で、しかも、「おもろい自立生活運動」「みんなが社長」を目指しているユニークな組織です。
 ・・・・では、宜しくお願いします。

―玉木さんのお仕事―

玉木:  今日はテーマ的に何しようかなと思ってたんです。仕事は、簡単に言うと、どんな障害があってもですね、地域でその人らしく生活できるような社会環境を整備していく、もしくは生活していくために必要なサービスを提供していく仕事なんですね。で、そのことを最後の方にちらっと話できたらいいかなと思います。

ゆき:  今日は、ゲストの玉木さんが、海外からのゲストをお二人連れてきてくださいました。紹介してくださいますか?

玉木:  はい。自己紹介してね。

―ゲストのゲスト―

キム:  みなさん、初めまして。私の名前はキム・ゼ ウォンです。韓国の留学生です。今は、メインストリームで研修してますけど、色々勉強になりました。よろしくおねがいします。

ゆき:  東京にヒューマンケア協会という、1986年、日本に初めてできた自立生活運動の拠点があります。そこで2ヶ月勉強されて、日本語がもう、とても、上手です。でも、大阪の言葉は、ヒアリングがまだできないのですって。視覚障害をおもちです。

レイナ:  みなさん、こんにちは。私の名前はレイナです。台湾から来ました。私も研究生で、日本で色々障害者関係の福祉について勉強しています。おととい東京から大阪のほうに来ました。今、韓国のキムさんと同じメインストリーム協会で勉強しています。よろしくおねがいします。

ゆき:  お掃除の会社のダスキンが障害者リーダーを育てる活動をしておられます。初めは、日本の若い障害者を海外派遣して、リーダーに育てていたのですが、最近は、日本にアジアのみなさんを呼ぶことも始められました。その研修の場としても、メインストリーム協会が頼りにされています。
 では、玉木さん、再び、よろしくお願いします。

―言語障害のある方の声とは・・・―

玉木:  こんにちは。玉木と申します。結構僕は喋り好きなんです。今日、難しいことはあまり喋らんとこうかなと思ってます。では、最初に聞きたいんですけど、僕、言語障害があるんですが、言語障害のある人の声を聞いたことある方、ちょっと手挙げてください。・・・はい、少ないですね。なかなかねえ、イメージ的にですよ、言語障害があって、90分も大丈夫かいなと。ほんまに聞けるんかいなと。ひょっとして30分くらいでここでババーンて倒れるんじゃないかというようなイメージの方が多いと思うんですね(笑)。しかもね、最初僕の声ってのは聞きとりにくいと思うんですよ。こないだも某ラジオ番組でコメントとして僕の声が流れてたんですけど、僕もね、よう分からんかったんですよ(笑)自分でね。あれ?オレ何言うとったんやろな、と(笑)。それくらいねえ、僕の言葉ってのは聞きとりづらいということを自己確認しまして。でもね、これ不思議とねえ、30分くらい我慢して聞いとってください。そうすると、不思議とね、聞き取りやすくなるんですね。これは何でかっていうと僕がね、30分喋り続けてボイストレーニングをやってね、僕の声が聞きやすくなったのかっていうと、そんなことはないですよ。それはね、多分みなさんの耳の方が僕の声に慣れてきたんじゃないかな・・ということですね。これ多分実験で、今日確かめて欲しいんですけども、早い人やったら15分くらいで、遅い人でも40分くらいすればこの耳障りの良い声がですね、すんなりと入ってくんじゃないかな、という気がします。

―障害者に対するイメージ、間違っていませんか?―

玉木:  多分みなさん方、まだまだ障害者のイメージがね、あんまりよろしくないやろうというふうに思うんですよ。
 例えば、今日もね、僕、多分12時ぐらいになったらね、これもね、すでに汗でじわーっと濡れてきてますが、汗べたべたになってきてね。「あー玉木さん、一時間半も一生懸命喋ってくれて、汗いっぱい流してもらった」って変に感動されるんですけども、でも、これが僕にとって普通なんですよ。僕はちょっと歩くだけでも汗をかく。ちょっと食事をするだけでも汗をかく。汗をかかん方が調子が悪いというくらい汗をかく、っていうのが僕にとって普通なんですね。
 しかも「障害があるのにすごいですね」。すごいですねって言われても何を言われてるのか、僕自身いまいちピンときてないんですね。
 それぐらい、障害者に対する変なイメージというのが出来上がってしまっている。

―間違ったイメージの原因はなんだろう―

玉木:  その一つの原因としては、多分、一つはマスコミに原因がある。新聞とかテレビとかね。よく新聞なんかにも活字が踊ってますね。「障害を乗り越えて」!何を乗り越えるんですか?って(笑)。乗り越えなあかんもの、実は僕持ってるんやろか?・・・ね。そういう部分も今日のテーマにしていきたいなと。とりあえず乗り越えるっていう言葉が当てはまるんかどうかっていうことを今日みなさんに考えてもらいたいなと。
 もう一つはですね、「かわいそう」とかですね、「大変」「苦労してるやろう」とかですね、「障害があると暗いんちゃうか?」と・・ね。「私はなりたくない」とか色々素敵なイメージがものすごくみなさんの中にはあるかなと思うんですけども、そこの辺のことを今日コロっと変えてもらおうやないか、と。

―「障害者」という前に「玉木」を知ってほしい―

玉木:  私は障害者だから、とかですね、体が不自由だからっていう人の見方っていうのは極論いうと差別に繋がる。間違いなくね。それは今日の友達もそうだけど、あなた外国人だから、っていう見方、どうなんだろうか?よく高校生の子達にも言う言葉としては、「今日日の高校生は」・・・ね、「今日日の大学生は」。そういうひとくくりにした人の評価っていうのは多分心地よくないと思うんですね。
 それと「障害者」は、っていう見方、考え方っていうのは同じなんだよね。だから今日基本的に僕自己紹介だけで終わったろかって思ってるんですけども。障害者は、って言う前にですね、要はとりあえず玉木は・・・玉木はどんな奴やっていうことをですね、今日は知ってもらいたいなって思うんですが。まあ、自己紹介なんですが、余談ですけど。
 今から本題ですからね。本題が自己紹介で、多分一時間くらい自己紹介するんちがうかなって思うんですけど。
 えー・・いくつに見えます?68年・・生まれてます。

―結婚秘話!―

玉木:  今34歳です。34歳。で、結婚は早かったんです。何をどう間違ったのか(笑)。早かったです。結婚は26歳で。このままでは結婚するきっかけがね、まだその時は僕は、自分に自信が無かったっていうか、ちゃんとお付き合いしていた人がいて、その人と遠距離恋愛してたんですね。
 大学の先輩なんですけども、彼女は卒業して神奈川県に務めてて、僕は後追って卒業して、神奈川県に向かって行くと・・・関西人辛いですね。なかなか関東の地になじめない。
 それで、一応ね、埼玉の方に就職先見つけて行きかけたんですけど、断ってしまったんです。その断ったきっかけが、めちゃくちゃくだらんと思うかもしれんけど、そこのお昼ご飯呼ばれた。食堂でね。で、みそ汁が出てきた。色が黒かったんです(笑)。味もなんか違ったんです。「あーここで何年もこのみそ汁飲むんかー」思うとね、なんかさびしくなって。

 大阪になんとか就職したんですけども、大阪と神奈川でつき合ってて。一年・・(聞き取り不能)・・大方五年くらい遠距離恋愛してて。で、その時はまだ僕は自分に自信が無かったということで、変な話、これを逃すと後がない。これを逃してしまうともう(笑い)って。
 遠距離恋愛ってのは金かかりますよ(笑)。ほんまに。今電話料金もかなり安くなっていますけど、あれ、十年ほど前はもうちょっと高かったですよ。電話料金も。だから、電話代、月に一番多かった時でね五万円くらい使ってます。そんなに金使っとったらコレ生活できへんな、で、後はないし、もうこれは結婚しかないだろうと思って結婚したんですが、結婚してもう八年経った。

―二人のお子さん、広大くんと洋香ちゃん―

玉木:  それで、子供が二人いまして、子供、上の子は男の子で五歳です。広大(こうだい)くんて言いますが、またこの子がね、優しすぎて弱いんですね。なんかもう、ふにゃふにゃふにゃふにゃ・・・今朝もね、ずっとお母ちゃんに怒られて、「早よしなさい、遅れますよ」とか言ってね。
 下の子は二歳の女の子で洋香(はるか)っていうんですけど、この子が気が強いね。洋香も保育園行く気満々やから、お兄ちゃんに向かって「広大、行くよー」。どっちが上か分からへんなあ、て思いながら朝、横で見てるんですけど。まあそういう家族構造で。

―聞きたいのに聞けない、聞かない、人の障害―

玉木:  一番大事なとこやと思うんですけど、まず僕の障害のことをね、最後に説明しておこうかなと思うんですが、何でそんなこと言うかっていうと、なかなかね、人の体の特徴について言ってくれないね。なかなか聞いてくれない。特に日常会話に至ってはもう絶対触れない。ほとんどの人はね。
でも、それ不自然やと思いませんか?僕はね、結構敏感なんですよ。特に話してる人の相手の目を見てね、「あ、この人今、僕の体のこと気になってるな」「あ、聞きたそうにしているな」とかね、もうそれ、すぐ分かりますよ。
でねえ、一時間前に仕事とかで色々と話する中で、結果的に聞かないんですよ。これ不思議とね。でも、僕も気になってる。「この人聞いてくれんなあ」って思ってるんですけど、相手は相手で「あー、聞きたかったなあ」思いながら帰ってく姿があってね。これねえ、消化不良ですよね。

僕なりにちょっと分析してみると、なんで僕の障害のことを聞いてくれないかっていうことを考えた時に、一つはね、体のこと、特に皆さんから見ると、ウィークポイントですよ。体の悪いところ、そのことを聞くことは失礼なんちゃうか?もしくは体のことを聞いてしまうとその人を傷つけるんちがうか。ていうような気持ちが強いからなかなか聞いてくれない。聞いてくれないから話すきっかけも無いので、「結局なんであんな体なんやねん?」という疑問が残ったままずーっといってしまう。
でも、ほんまに仲良くなるとするんなら、まず最初に僕は自分のことをちゃんと分かってほしいなと思ってるんです。ちゃんと分かってもらって、その上でつき合って欲しい、ていうことがあって。僕は最初に、こういう場合は自分の障害の説明―すぐこんなんなってしまう。今、僕は汗いっぱいかいてますが、これも障害の特徴です。

―玉木さんの障害は「脳性麻痺」―

玉木:  この障害、脳性麻痺っていいます。この言葉よく聞かれてるんですけど、「じゃあ脳性麻痺について何か答えてもらえますか?」て聞くと、多分答えられないでしょう。ね。それはたぶんちゃんと聞いてないから。
 だから変な先入観も含めて、いろんな障害もそうですけど、自分が勝手に知った情報だけで障害を判断するていうことは多々あると思います。

―原因は出産時の事故―

玉木:  僕の場合、出産時の事故だった。出産予定日の一週間過ぎても出てこんかったんですね。
 一週間過ぎたらさすがに先生も不思議に思って、「あれ、このままほっといたら胎児死んでしまうなー」と思いながら、十日が経ったんです。十日過ぎても出てこんかったんで、もういよいよ出さなあかんということになって、いわゆる陣痛誘発剤とか陣痛促進剤という薬をお母ちゃんに打つわけですね。そうすると生みたくなるんですね。陣痛が始まって、破水が始まって、そののちに、赤ちゃんが出てくる、いう段取りやったはずなんですが。まあ、陣痛始まったと。破水も始まったと。
 ところが僕は出てこんかったんですね。よっぽどその頃から性格が曲がっとったかどうか知らんけど、なかなかしつこかったらしくて、今であればそこまでいくと、その、帝王切開ということで、お腹をあける手術をやる、ということですね。僕がいた病院はたまたま、その帝王切開術ができなかった病院やって、いわゆる自然分娩に頼るしかなかった。

 最終的に「もう出ない」っていうことで、UFOキャッチャーみたいなの掴むやつ。鉗子といいますが、鉗子分娩ででてきた。赤ちゃんが出てきて一番最初に何をするかっていうと、あれ、泣きますよね。あれ何で泣くかっていうと、実は「苦しかったー」「痛かったー」って思って泣いてるわけじゃなくって、あれは「今から肺呼吸を始めますよ」という証で泣くんです。ところが僕の場合は産声すら出てこなかった。ということは呼吸が止まってたっていうことです。だからいわゆる仮死状態で生まれてしまった。
 仮死状態で生まれるとなんでこんな体になるかっていう話なんですけども、結局ね、赤ちゃんの生まれた時っていうのは、一番最初に人間の中で一番体の機能が活発に動こうとしている時期やと思うんですね。歳行くごとに体は退化しますからね。もう、動かんようになって。もうあれが例えば、物忘れが激しくなるだとか。最近僕も、そんな歳じゃないのにね、パッて動くでしょ、二三歩歩いて、「あれ?今何で動いたんかな?」ていうことがたまーに出てき始めてます。もう、止まってるわけです。
 ところが、赤ちゃんのころは一番動こうとする、これが生きようとするわけですから、一番活発に動こうとしてる。そんな時に体に空気が行かないと、動くはずの機能が動かなくなってしまって。

―玉木さんの場合の症状は・・・―

玉木:  その一つが、僕の場合はたまたま脳なんですね。脳の機能がちゃんと動いてないわけですね。だから例えば今もですよ、「ちゃんと喋れ」っていう信号がでてるはずなんですけど、その信号機が若干壊れてるから、こういう声になったり、汗もそうですね。全部、脳のコントロールで汗の調整がやってますから、機械のコントロールがつかない時に、汗がいっぱい出てる。だから燃費が悪いんです。早い話が。燃費悪いですよ、ほんまに。そういう感じですね。だから歩く時もちゃんと歩けない。それはあの、信号伝達が悪いからそうなる。
 僕の場合はたまたまこういう形で障害という形が出たんですけど、人によってはまちまち。歩けない人もいる。発語も出来ない人もいる。自分で食事すら出来ない人もいる。いろんな人がいる。
 それを総称して『脳性麻痺』っていうんですけど、脳性麻痺にもほんとは色々ある。だからこそ最初に言うた、障害で人を見るんじゃなくて、その人を見る中での障害を理解するということがとても大事なんちがうかなあ、ていう気がします。

―障害者と分かった時のお母さんの反応―

玉木:  そういう感じなんですね、僕の障害ていうのはね。今度、母親の反応をちょっと紹介したいなあと思うんですけど、実は僕が障害者って分かったのは、遅れてたんですね、ごっつい。僕が聞いた話によると、三歳前ですわ。
 なんでそういう状況が起きるかっていうと、今であればね、乳幼児検診っていうのが行政のサービスで確立してますから、こないだ聞いた情報によると、西宮市では、えーと、三ヶ月検診では、受診率が93%くらいある。で、一歳半検診になっても、ちょっとそれは87、8%。で、三歳児検診でも85%くらい受診しているということで。だからその受診してる中でおおむね先天性の障害にいたっては、もう、三ヶ月検診でだいたい分かるみたいですね。

―羊水検査の目的とは・・・―

玉木:  良いか悪いかは別にしても、たとえば出産前であれば羊水検査があってね、羊水検査も法律の関係上、お医者さんが告知されるわけですね。告知というか、宣伝。「こういう検査がありますけど受けませんか?受けますか?そういう検査で障害が分かりますよ」ていう告知がある。
 実はうちの奥さんも告知されたんやけど、先生、僕が障害あるっていうこと知ってますからね。もう言い訳いっぱいするんですね、「いや、これ僕の義務なんですけど。言っとかないかんから言っときますけど」ということで、言ってるわけで。
 まあちょっと話それますけど、なんでそれを先生、気遣いながらうちの奥さんに言ったかっていうと、自分的には、出産前のその、羊水検査の、そのものは反対じゃないんですけども、羊水検査の使い方ですね。それが非常に問題があるやろうと。
 なんでかっていうと、障害があると分かった時点で生むか生まんかの判断ができる。それはもうおかしいですね。人間が人の命の重さっていうのを判断するから・・・もっとシャープな言い方をすると、「いるかいらんか決めていいですよ」っていうようなことですね。

 その検査を例えばうちの奥さんに俺がですね、「受けてこいや」って言ったとした時に、どうなるんかって自分で考えると、実はその検査をうちの奥さんに受けてもらうことによって、自分の存在を否定することになるんちがうか。もうこの世の中には障害者はいらなくて、もう、できれば内容が良くて。だからそのためには検査を受けて、生まさんようにしてもかまへん。ていうことは、いわば俺は社会にとって邪魔やと。今の社会にとって俺はお荷物やと。いうようなことを自分で認めてしまうことになるんちがうかと。
 だからそういうことは、やっぱしたらあかんやないか。特に人の命に関わることにおいては、人間のいわばエゴですね。エゴで、その、左右することではないやろな、と思います。
 これ話飛び回りますからね。自分の中で整理してください。

―玉木さんの障害がどうやって発覚したか―

玉木:  ほいで、そうそう、僕の場合は遅かったいう話ですよね。当時はさっき言うたように、まだ乳幼児検査が制度化されてなかった時でね。行政サービスのほうでね。
 なんで発覚したかっていうと、僕が高熱を出して、近くの小児科に連れてったわけですよ。僕は、一人っ子なんですけど、一人っ子はほんま大事に育てますよね。
 うちの子もそうやったけど、ちょっと熱出しただけでも病院ダーって連れてってね、ちょっと頭カツーンてやっただけですぐ病院連れてったりね。そういうことをやってたんですけども、二人目はね、結構ええかげんですよ。結果的にええかげんになってるだけなんですね。なにがええかげんかっていうと、ちょっと熱出しただけでは、あれですわ、冷えピタクール貼っとったら治るわーて。ちょっとこけて血吹いても、「痛い痛いの飛んでけー」で済ましたりね、二人目は。それは別にええかげんに育てたわけじゃなくって、一人目をちゃんと育てたから経験として、これくらいやったら大丈夫っていう判断がついてるからそうなってるだけですよ。まあ、親の言い訳ですけども(笑)。

 まあ僕は一人っ子なので、けっこう大事に育ててもらってたんですよ。だからちょっと病気してもすぐ病院に行って。
 そこでね、ある時先生がですね、診察終わってね、カルテ書きながら、「あ、この子脳性麻痺やから、なんか運動機能障害残るよ」てことをポソっと言われた。で、お母ちゃんは、自分の子は風邪ひいて病院連れてったんや。で、親としては、返ってくる言葉はもう出来上がってるわけですよ。「あ、この子風邪ひいてて当分熱も上がるやろうから、汗ふいてあげて、着替えもこまめにしてあげて、消化の良いものでも食べさせてあげなさい」ていう答えを聞きに行ってるわけですよ。
 ところが、返ってきた言葉は「あ、この子脳性麻痺やで。障害なんか残るで」ていうことを言うわけです。まあ、ショックなんでしょうね。ガーンて。その時は自分の家もどの道をどう辿って、何時間かかって帰ったか、そら、覚えてない。それぐらいショックやったっていうんですけども。

―なぜお母さんはショックを受けたのか―

玉木:  なんでショックを受けるかっていうことですよね。なんでショックを受けたんかっていうことですよね。
 これもちょっと自分なりに整理すると、一つはね、母性愛というものがあって、自分のお腹を痛めて生んだ子供やと。その子がね、五体満足な体でなく生まれた時にね、責任を感じるわけですね。「自分がこんな体にしてしまった」と。
 でも、ほんまは違うでしょ?妊娠して、普通に生活して、普通に出産しようと思ったけど、たまたまそれが上手いこといかんかったっていうことは、別に、お母ちゃんが悪いわけでもなんでもない。それなのに、まず自分のせいにしてしまう。それの大きな形でいくと、「ああこの子はもう私が一生面倒見ていかなあかん」これを言うと、「私が死ぬ時はこの子も死ぬ時や」と。そこまで思いよるんですね。「あんた、そんなに抱えこまんでもいいですよ」誰かが言うてあげんとあかんのですよね。

―障害児と分かった時、周りは・・・―

玉木:  それが、周りが周りなんですよ。周りもね、障害児は、やっぱりマイナスですから、プラスにならない。だから、嫁姑とか親戚、血縁関係、どろどろしてますよ。例えばうちのお母ちゃんが僕を生んだ時に、言ったか言われたか知らんけど、一般的な想像で言いますと、「ああ、障害児ができた」と。それは嫁さんの日ごろの行いが悪いから始まってね、嫁さんの血統が悪いんやとかね、家系に問題があるんやとかね、前世が悪かったとかね、何の根拠も無いことを周りは言うわけですね。
 今度、近所の人の反応はどうかっていうことを考えると、例えば、ある茶の間のね、夕食の会話の再現をしますと、「お父さん、玉木さんとこ赤ちゃん生まれたらしいよ」て、・・(聞き取り不能)・・、そうすると、お父さん「ほう、そりゃめでたいな、」って「祝いでも包んどこか」ていう話になりますね。
 そうするとお母さん、ココ(眉間)に皺寄せてね、「それがな、お父さん。どうもな、生まれた子供が障害児みたいやねん」と言いまして、そうするとお父さん、それを聞いた瞬間、・・(聞き取り不能)・・言うことが変わる。「そりゃ気の毒にな」。つい数十秒前までは「おめでたいな」言うとったのが、いきなり「気の毒にな」に変わるわけですね。

 そん中で、色々話してく中で、お見舞い・・・違う、「お祝いって言うても、それ、どうしよう。今困ってはるし、祝いどころちがうやろな」いうことになって、結果的に、「じゃあ、お見舞いでも渡しとこか」、まあ、お笑い話なんですけどね、そういうことに、実は、なってる。実は多いんですよ。
 ところがね、本来、命が生まれるということはごっつい良いことなんですね。ごっつい大切な事なんですね。で、その命に障害があっても、本来は無条件でねどんな人からでも、ね、祝福されるべきなんですね。
 ところが、障害ていうのが一つつくだけで、なかなか、生まれたこと自体も、喜んでもらえない。祝福されない。そういうね、障害の・・障害者像ていうか、障害像の在り方をね、今一度考えてもらう必要があるんじゃないかなという気がするんですね。

―障害者の情報の少なさがショックに繋がる―

玉木:  例えば、うちのお母ちゃんがショックを受けたんもですね、情報として、何も知らんかったわけです。例えば、障害の赤ちゃんが、僕は二歳の終わりなんですけど、いわゆる行政サービス上の障害者手帳を取得したのは六歳なんですよね。
 三年以上は、その行政サービスも含めた適切な情報っていうのが回ってなかった。伝わってこなかったわけですね。
 かたや、皆さん、お医者さんにかかる時は、健康保険証を持っていけば、今、一律三割負担になりましたけど、三割出して病院にかかることができるということは知ってるわけです。しかも、こういうことはみんな、学校では教えてない。なんでみんな知ったかっていうと、お母ちゃんに病院に連れて行かれて、お母ちゃんがやってる姿を見て、「その保険証何?」ていうことから始まって、知ったわけです。

 それと同じ情報のレベルとして、例えば障害児が生まれた時には、教育はこういう制度があり、こういうサービスが受けられますよと。教育は普通学校もあって、養護学校もあって、選択して入れるし、特別な教育も受けられるしとか、学校卒業して、就職とか、地域の小規模作業所があったり、一般就業できる人もいたり、それから進学する人もいたり、社会に出た時に一般就業できなかったら、施設とかあったりという、いろんなサービスのことが、さっきの健康保険の仕組みと同じくらいにね、みなさんの中に落ちてたとしたら、お母ちゃんみたいに、そんなに落ち込むことはなかっただろうと。そんなに自分に抱え込むことはなかったんちがうかな、という気がするんですね。

―「障害あるんなら治してやろう」の発想―

玉木:  まあ、幸か不幸か、うちのお母ちゃん落ち込みも早いけど立ち直りも早くて(笑い)、「そうか」と。「障害あるんか。しゃあない」。ここまでは良かったですよ。しゃあないから、もうこのまま生きていくしかないな、と思ってくれたら良かったんですけど、「しゃあない。あるのはしゃあない。それを治してやろう」と。今度またややこしいんですね。
 この治す発想ね、やっぱりまだありますね。マイナス。障害はマイナスで、できれば取り除いてあげた方がその子のためになる。それ、どうなんかっていうことですね。それで、何をするかっていうと、先生に聞くわけですよ。「先生、この子の障害治りますか?」って。当時は先生も自分が悪モンになりたくないからね、渋るわけですね。一言でもう「無理!治りません」て言ったらもう踏ん切りもつくはずなのに、「いやあー・・・どうかなあー・・・難しいとは思いますよ」とか言って、中途半端なこと言いよって。そんな事いうとお母ちゃんも勘違いして、「じゃあちょっとでも可能性があるっていうことですね」ていうことで、何が始まるかっていうと病院巡り。
 どこそこのお医者さんの腕がええでって聞くとそこに行くわけですね。で、そんなこんなで十軒くらい行って。で、うちのようなちょっと鈍い・・・言うたら怒られるけど・・お母ちゃんでも、二十軒くらい行ったら気付くんですね。「あ、やっぱりこの子の障害は治らへんのやなあ・・・西洋医学では」(笑)。
 次何するかっていうと、按摩でしょう、それから鍼・灸ね。そっちに走るわけですね。で、また十件二十件行って、「あーー、やっぱり無理なんやなあ、この子の障害は・・・医学では」とか言って、今度何するかっていうと、もう、神様仏様に走るわけですね(笑い)。
 それで、どこそこのお寺のお札が良いって聞いたらそこ行ってもらってきて。どこそこのお寺のお守りがいいって聞いたらもらってきたり。あと、神社のお札が良いって言ったらもらってきたり。振り向いたらキリスト教・十字架があったりして(笑い)、なんかこの家すごい家というくらい「治してあげたい」っていう気持ちがある。
 それは最初にも言ったと思うけど、母性愛ですね。良いか悪いかは別ですよ。そういう気持ちがあるということですね。

 でも結局は治りませんからね。別に治す必要も僕は無いと思ってます。
 これはね、あの、今日の話を聞いてすぐに分かるかどうかっていうと別なんですよ。僕は障害持って生きてきたっていうことにすごく誇りを持っているし、多分みなさん方が経験できないことも経験できてますからね。その上で今日来てみなさんに色々お話できるっていうことは、僕の特権っていうか、みなさん方が同じことここに来てやってください言われても、無理ですね。そういう意味では僕は良かったなって思ってるんですね。

―障害を自覚したのは小学校入学時―

玉木:  あと一つね、言っとくこと、体のことですが、あ、ちなみにまだ自己紹介ですからね、忘れんといてくださいよ(笑)。
 あのー、今度自分のことですけど、自分が障害っていうことを聞いた瞬間ていうとこにいくと、二歳の終わりくらいにね、障害の宣告があったと。その頃ね、僕が自覚してたかっていうと、しませんよ。間違いなく。うちの子未だに「僕は仮面ライダーアギトだ」とかやってますからね。「お前、俺の息子」とかツッコみますよ。「あー、そうか、かっこいいな」とか、言いますね。それくらい自分のことが分かってないくらいの子供です。
 みんなと違うなって明らかに分かったのは、小学校入学前の、いわゆる、あれですよ。就学前検診ていうやつでして、みなさんの記憶にあるかどうかは分かりませんけども、入学する時に、自分の入る学校に出向いてって、健康診断受けるんですよ。
 あれは僕が考えるに、明らかに健康な人と不健康な人、健常者と障害者を選別してるんですね。そこに僕まんまと引っかかりまして、ね。僕の順番がきても先生は聴診器当ててくれんかった。で、今でも覚えてますね。真ん中に小児科の先生が座ってて、こっちに教頭先生が立ってはって、こっちに保健室の先生が立ってはって、こっちの保健室の先生が「この子障害者やねん」と。「障害があるから養護学校に入れて下さい」とポーンと言うた。子供心に聞いたことは、「ここはあんたが来るとこ違うで」と、いうふうに聞こえたわけですね。

―小学校入学に試験と誓約書が―

玉木:  養護学校が義務化になったのは1979年ですから、僕が小学校に入学したのは1975年くらいやかな。義務化になる前ですよ。義務化になる前からもう障害者=養護学校という図式が出来上がっていた。それで、その時大変やったけど抵抗しました。「やっぱり普通の学校入りたい。入れてくれ」いうことで。それを言うとどうなったかっていうと、検査が始まったんですね。ほいで、小学校はみんな無試験なのに僕だけ試験受けて。たぶん大阪大学はいるより難しかったですよ。(笑い)だからといって僕が今入れるかっていうと、入れませんよ。大阪大学はね。
 要するに何を検査したかというと、自分の服が着れるかどうか。あと、食事が自分で食べれるかとかね。心理テストもやって、箱庭までさせられましたよ。箱庭と、一通りの心理検査、ジェノム検査。もう、六歳で経験してますからね、僕。それはすごいなと自慢できるんですけども。そういうのもあったんですよ。行動観察もされましたしね。その結果として、「この子やったら普通学校にいっていいですよ」という許可をもらって。そこで、「やっぱしあんたは養護学校や」って言われてたとしたら、僕の感覚でいくと多分、今日ここには来てなかったと思う。それくらい僕にとっては大きなターニングポイントだったんちがうかなという気がしますね。
 そんで、なおかつね、今であれば検診・・(聞き取り不能)・・教育委員会はこの許可を認めたけど、両親呼ばれて、一枚の紙を出された。誓約書って書いてある。どういう誓約書を書かされたかというと、ええ、学校にいる間については学校が責任を持ちますが、登下校については保護者が一切の責任を負って下さい。学校は関与しませんよ、という誓約書をとらされた。普通の子供はとってませんよ。僕だけですよ。それをもらわないと登校許可できないということです。

 ほんで、おかあちゃんとしてはもうこれ一枚にハンコつくだけやったらつくわ、っていう感じでついたんですけども。やっぱしおかしいことですね。今やったら、そういうことしてる・・・(聞き取り不能)・・・やったら、大きな社会問題ですからいろいろ問題になりますが、当時は残念ながらそれは当たり前やった。なんか「当たり前」も実はね歴史とともに変わってくるっていうことですよね。それがすごく大事なことやないんかな、と僕は思いますけども。

―普通学校と養護学校に分離―

玉木:  こんなことおかしいという僕の本題には全然到達しておりませんが、普通学校と養護学校との分離教育の問題ではね、いろいろ論議がなされているんですけれども、明らかにね僕はね、分離教育あかんなあって思ってるんです。僕も普通学校に行ってよかったな。実は僕、高校は養護学校に行ってますから、両方を比較できるわけですけれども。
 普通学校に行ってよかったと思うのは、一つまず、養護学校推進派の人たち、親御さんとかね、学校の先生とかの言い分聞くとたぶん、養護学校に入れることによってこの子達は苦労するだろうってね。いじめとかあったり、学校についていけなかったりするから。だからとりたてて分けてあげて、その子達に応じた教育のやり方のね、指導をやれるってことで言ってるわけです。じゃあ養護学校はね、ほんまに個別教育やってね、きっちりとね、障害児教育やってるかというとやってませんよ。間違いなく。どんな風にやるんか知らんけど、あの、授業もね僕が行ったところみると、8人の養護学校ですから一クラスでして、40人のクラスで先生1人が教えるのと、8人のクラスで先生1人が教えるのとどこが違うねん、というとほとんど同じですよ、これ。あきらかにちっちゃくなって障害児集めただけ。しかもその情報量っていうの非常に少ないですからね。あの養護学校っていうのは普通学校に順ずるものですから、例えば教科書一冊一年間に与えられたとしても、終わらんかったら終わらんかったで、まええか、ですむとこですよね。だから養護学校に学ぶみなさんの情報量よりもかなり濃い情報量で卒業する結果になる。

―大事なのは慣れるということ―

玉木:  そんなことよりも、僕は人と人との接点ていうか、つながり、慣れることが大事なんですね。今日最初に言った冗談のような話ですけども、どうですか、僕の声。慣れましたか?普通に聞けています?最初よりも気が抜けて力抜いて聞いてます?それなんですよ。ごっつい大切なことはね。確かにね、僕も普通学校に行って最初は思った。もうめっちゃ・・・(聞き取り不能)・・・かった。これは事実ですわ。ま、子供ってゆうのは珍しいものが好きですから、ちょっと珍しいもの見るとつっつきたくなるもんです、ね。そのつっつく一つとしては、僕の物真似から始める。歩き方のまね、しゃべり方のまね、それがエスカレートすると、ちょっとこかしたろかってね。そういう風になってくるわけですよ。
 ところが、同じ教室で勉強も一緒にやって、給食も一緒に食べて、掃除も一緒にやって、で・・・(聞き取り不能)・・・にも参加して登下校も一緒にやるっていうことによって、そのクラスに玉木がおって当たり前になる。その玉木はよおこけてるのが当たり前になるんですね。その玉木の声はあの声ですとかね、玉木の字が汚くて当たり前になってくるんですね。いや、ホントにね。たまにね、僕もね調子よくて字もキレーに書くときあったらね、みんな寄ってきてね「今日玉木字きれいやなー」って言いだすんですよ。挙句の果てに「今日調子悪いんかあ?」とかいって。そやから僕の字が汚いってのが当たり前になってくるわけですよ。

ところがね、最初に言った大人の心配、いじめられるんちゃうかなっていうのはありえへんと思いますね。よっぽどいじめるやつは性格悪すぎるかね、よっぽどその人に羞恥心がないかっていうとこですよね。もしね例えば1年生から6年生まで毎日僕のものまねをやる、例えばこかすとかね、そういう子供がいたと仮にしたら、ね、小学校卒業するときに、たぶん卒業式のときに校長先生に表彰されるやん(笑)あなたよく6年間毎日毎日よく同じことをやり続けてました。いや、ほんとですよ。あのオオブンシャモシの言葉とかで「継続は力なり」とか。あれいかに人間が同じことをやり続けることが難しいかっていうことであって。
 だから、そういうことですね。結局子供が、悪い言葉で言うと飽きっぽいんです。すぐ飽きる。おもちゃでもそうですやん。ちょっとつこうたら「もういいわ」って新しいの欲しいって言いますよね。で、いい言葉でいうと慣れやすい。慣れるっていうことが実は障害者理解ということを考えるときには一番大事なことなん違うかな。慣れるということですね。

―分離教育の弊害―

玉木:  それを慣れる環境でないんです、今の社会が。学校もそうです。未だに分離教育をすすめてる。国連からでもごっつい日本は圧力かけられてますからね。先進諸国の中で分離教育を主に推進してるの日本だけですからね。1993年でしたかね。国連の障害者機会均等に関する基準規則っていうのが出たのは。その内容でいくと、教育とか交通とか就職とか、いろんな分野にわたって障害者に関する機会均等とはこういうものやてゆうことが、名目とされた。

 その中の教育問題のことみていくと、教育は基本的に統合された環境で教育されて、初めて機会均等であるというすばらしい名文がある。にもかかわらず、その障害者の機会均等に関する基準規則は、未だに日本は批准してない。そこらへんのね、教育って部分をしっかりと考えていかないと、なかなかその社会とともに生きるとかね、ノーマライゼーションていう言葉がね実はもう今お題目になっとるん違うかなという気がしますけど。最近小学校の総合科目かなんかの教科書にもノーマライゼーションという言葉が出てきますけどね。僕らから実際なはそんな言葉をさらけてこなかったんですね。だから、子供のうちからノーマライゼーションていう言葉は知っているわけです。知っているけどね、じゃあね、何がノーマライゼーションかというところが、全然普及していないということです。もういっぱいついしゃべりますね。せっかくやから、時間がないにもかかわらず。せっかくやから言うとこうかなと思って。こっから本題にはいります。(笑い)

―身辺自立とは?―

玉木:  結局ね、僕らは自立生活っていうことをずーっとゆうてるんですけども、これをね、言い続けなあかんかっていうことなんですよね。一つはその自立の話をしていきましょうかね。自立っていうとね、もういちいち聞くと時間がないのでね、皆さん方の代弁を僕がかってに思い込みにしますが、一般的に僕三つくらい分類されてるかなと思うんです。自立の考え方がね。
 まず一番目に出てくるのがね、みなさんもうちの子みたいに5、6才になった時、朝ぐずぐずしてね、トイレもいかない。「おかあちゃん起こしてー」とか言ってね、「おかあちゃん着替えさせてー」とか、うちの息子も言うとるわけですよ。ならうちの奥さんがね、「ああ、もう広大君あんたお兄ちゃんにもなってるんやから、自分でできるでしょう。」って、「ちゃっちゃと着替えなさい」と怒るわけですね。それはどういうことかというと、自分のことは自分でやりましょうていう、身辺自立ですよね。身辺自立ていう考え方ですよね。それはもうちっちゃい時からもう教えられてるという。

―経済的自立とは?―

玉木:  次に、皆さんくらいの年ですか。大学生になって、例えば夏休みでも、ごっつい長い。もうくそみたいに長い。その時に家でぶらぶらしてると、おかあちゃんに呼び止められるわけです。「あんたな。休みやから何しようと、そりゃ勝手やけど、せめて小遣いくらいはバイトでもしたらどないやねん」大阪のおばちゃん強いですよ。もう、あんたにかじられて、すね、おかあちゃんのすねなくなってるやないか。もう、見てみ」とか言われてね。
 最近不況ですから一般的には就職も少なくって、ね、就職活動してても思うように会社行けんから、おかあちゃん当分あの、フリーターで過ごそうと思ってるんや。とかいうたら、またおかあちゃんに怒られる。(笑い)「あんた何言うてんの。」って怒りだすんですね。で、よくよくきいていくと、「少なくてもいいから月に決まったお給料がもらえて、社会保険完備でね。有給も年間29くらいあって、少なくてもいいから年に二回ボーナスがあるとこ行きなさい。」もう、これあきらかに昔の終身雇用の考え方です。要は自分の稼いだ金で食っていきなさいよっていう考え方ですね。これが経済的な自立ていうことですね。

―精神的な自立とは?―

玉木:  最後に精神的な自立ていうことあるんやけど、これはもう、いろんな考え方があります。もう十人おれば十通りの考え方があるというても過言ではないです。
 例えばどういうことかというと、二十歳を過ぎればもう立派な自立してるとかですね、親から巣立ったときとかですね。社会人になったときに初めて自立や。これがだんだんエスカレートしますと、社会人になって結婚して所帯持ったときに自立や、子供ができて、子供が成人したときに自立や、というね。もう極端な人になると、人間死ぬときが自立やとか、わけのわからんこと言うくらい、いろんな考え方があります。

―障害者も自立できるのだ―

玉木:  今じゃあ、身辺自立なり、経済的自立なり、精神的な自立の考え方に、例えば重度の、最重度の肢体不自由の障害をもった人をあてはめてみましょう。自分のことは何もできません。ご飯も自分で食べられません。トイレも自分でいけないというその人にあてはめてみると、自分のこと自分でしましょうてゆわれても、動けないんですよね。できないわけです。自分で歩いてみ、言われても歩けないわけですよね。ほんな、いわゆる身辺自立はできない。そういう方がね、例えば働く意思があったとしても、今の社会のシステム上ね、最重度の障害者を胸張って雇用してる企業があるかてゆうと、ほとんどないわけです。働く意思があっても働けない状況がある。
 結果的には経済的な自立はできないことになりますよね。ましてや、そういう障害をもった人が結婚します、いうことになった時にたぶんね、大方の人は「なんで自分で稼いでるわけでも人が結婚するの」ってゆう疑問がでてきたり、ましてや、出産になってきたら、「誰が育てるの」ってゆうこと言う人も出てくるわけですよね。そうなってくると、じゃあ、障害をもった人、特に重度の障害を持った人は自立できないのか。自立した生活を送ることができないのかということになります。
 でも僕らはそうは思ってないわけですよ。この世に命をもらって出てきた以上は、どんな人でも自立した生活を送っていける可能性があるわけです。可能性と言うよりも、言いきれますね。もうどんな人でも自立できるんです。もっと過激に言うと、自立せなあかんのです。これね、難しいようで簡単なようで難しいんです。

―自立とは自分で考えること―

玉木:  じゃあ、何が自立かってゆうことにいきますと、例えば僕がね、服を着れない人と想定しましょうか。今から二通りの着方を説明します。一つはおかあちゃんに着せてもらう。一つはヘルパーさんを事前に依頼して、ヘルパーさんに手伝ってもらう。二通りの着方があります。
 まず一通り目。朝6時半頃におかあちゃんにおこされるわけですよ。「あんた、今日大阪大学行くんやろ。早起き。」って起こされて、「も、ちゃっちゃと着替えな。もう脱いで脱いで。はい、シャツはこれ。ズボンはこれ。」で、全部ぱーって着せられて出てきました。ていうのが一通り目の着方ですね。
 二通り目の着方は、僕が事前にヘルパーさんに予約して、23日はちょっと朝早く来て欲しい。7時くらいに来てください。ていうことで、7時にヘルパーさんがきた時点で、じゃ服を出してください。上から三段目の引き出しにねずみ色のポロシャツが入ってるんです。上から四番目の引き出しに、黒いジーパンが入っています。出してください。で、パジャマも脱がしてもらってシャツを着るときに、「僕は左手が悪いから、左手から手を通してください。次、右手を通してください。最後に頭を通してください。僕は首が太いからね、ボタンを二番目まではずしてくださいね。」とかいうことを、全部指示を出して服を着てきました。
 皆さんから見たときにはその違いはわからないですけども、明らかに違ってますよね、この二通りの着方ってのは。

 最初に言ったほうはほぼ間違いなく100%すべておかあちゃんの都合で動いているということです。6時半に起こそうと思ったのもおかあちゃん。この服を着せようと思ったのもおかあちゃんですよね。実は僕の趣味じゃないかもしれん。「こんなくさい色着れるかあ。」って思ってるかもしれん。この順番に着せようと思ったのも、実はおかあちゃんが着せやすい順番であってね、僕が着せやすい順番じゃないかもしれないんですよ。
 ところが、二個目に言うた、ヘルパーさんに着せてもらうということは、全て僕の都合で動いていると言うことですね。7時に起きようと思ったのも僕やし、この服を着たいて思ったのも僕やし、どの順番でどういう風に着ようと考えてるのも僕ですよね。

 同じ「服を着る」ていうのを一つとってみてもこれだけ明らかに違うんですよね。もう簡単に言うと、結局自立って言うのは、自分の生き方。自分の生き方をちゃんと自分で考えて、それをちゃんと実行できていくことが本当の自立なんや。自己決定、自己選択ゆうのは、生活をちゃんとできていくことが本当の自立なんやね。これはね、とりたてて障害者の自立って言うてますけど、実は皆さんにもあてはまることなんです。それをあえて障害者に当てはめてるていうことは、皆さん以上に障害者はその、自己決定、自己選択ということができてないていうことですね。できる環境におかれていないっていうことなんですよね。

―自己決定、自己選択は難しい―

玉木:  例えばね、何でそんなことを言うかって言うと例えば、親子関係でいくとね、例えば在宅で長いこと30年も40年もおかあちゃんに介護してもらったていう人でいくとね、もうね残念ながらね、おかあちゃんに要望なり意見ができなくなってるんですね。僕よくゆうてるのは人間関係の中で親子関係が一番いびつや、ゆうてるんですけど、なんでいびつかっていうと、おぎゃーって生まれた瞬間からもう絶対上下関係できてますね。もう間違えなくね。たまに子供に指摘されるわけですよ、親の間違いとかね。そうするとホンマは認めないとあかんのやけど親の特権で、なんや親に向かって変なこといいやがって、とか言ってねじ伏せるんですよね。それが親子関係ですよ、一般的な。そこにね、介護の依存っていうものが入ってくるとね、もうね言えないわけです。こうしたいああしたいとかいうことはね。

 例えば、昨日の晩おとうちゃんとおかあちゃんが激しくけんかしてたから、朝からおとうちゃんおかあちゃん口きいてへんかった。そういう時にかぎっておしっこが近いんですわ。ありますよね。さっき行ったとこやのにもっかい行っとこかという時がね。ほんで、そういう時に限ってけんかした。今言うとおかあちゃん怒るやろうな。「あんた、さっき行ったとこやんか」とか怒られるから言えへんから、あと一時間くらい我慢しとこうか。そこで、したい本当の生活、これができてないんです。それが自分で動ける人やったら黙っていけるわけですが、それがいけないってことはやっぱし、それなりのコントロールで自分でやりながら生きていくしかないわけですよね。

―入所施設の実態―

玉木:  こんど入所施設の話もちょっとしとくんですが、入所施設のね、働いてる人だとかですね、胸はって「入所施設におっても自立した生活を送っていくことが可能だ。可能なんだ。」ってゆう人もいるんですけども、残念ながらそれは僕ありえないと思う。そこでね、施設の職員さんとかね、入所施設では自立できませんよってことをちゃんとゆうてくれればね、ええんですけどね。なんか知らんけど「自立は可能だ」言うからね、ちょっと待ったれや、ゆうことになってくるんです。

 なんであかんかてゆうと、大前提として集団生活ですよ。集団生活ゆうのは一定の「ルール」があって、決まりごとがあって、その中で生活しますから、自己決定、自己選択ゆうのが、「ルール」の次にきますね。間違いなく、その「ルール」の一番大きなのは日課というものです。日課。一般的な日課いきますと、6時半起床いうのがだいたい標準ですね。6時半起床で7時半に食事。ね、6時半になったら順番に起こされていくわけですよ。機械的にね。「あともうちょっと寝たいねん。」日曜日やったら「11時くらいまで寝たいねん。」とかいうときありますよね。そういうこと言うと職員さんが軽い脅しをふりまくんですね。「今起きてもらわんと、いつ起きれるかわかりませんよ。職員手が少ないし。どうします?」ね、そこまで言われると、「あ、起きとこかな。」

 次食事もそうですね。わしはもう朝はごはんと味噌汁に限るねんゆう人は、食堂にいくと牛乳とパン。どうしようわし朝は味噌汁のみたいな思っても、朝飯に提供されてる食事はそれだけです。ね、だからそこの選択は食べるか食べないかなんですよね。(笑い)いやほんまにね。でもみなさんがたやと「やあ、いや、こんなんやったら、学校行くときコンビニ寄っておにぎり食べよ。」ってできるわけですよ。それもできないわけです。
 今度は入浴でいくとね、早い季節やったら朝10時くらいから入るところってある。じゃあ昼飯が12時、また1時半頃から昼の入浴ね。晩飯で一番早いとこ、僕が知ってる一番早いとこってゆうのは4時半です。4時半。最近病院とかではね、いろいろ文句も出てね、6時に晩飯っていうとこが増えてきて、しかもあったかいものが、わりと出るようになってきた中で、障害者施設ていうのは4時半、5時当たり前っていうのはね。そういうことなんですよ。その時間にご飯食べてしまったら、いわゆるゴールデンタイムにおなかがすくわけですよ。8時くらいに小腹がすくってね。皆さん方やったらたぶんあの、2、3件。犬も歩けばコンビニにあたるていうことで、ちょっと行けばね、もうおにぎり、サンドイッチ、ラーメンなんでもあるわけですよ。気軽に食べることができるわけですけども、施設だと外出許可がいるんですね。おにぎり1個買いに行くのにね。なんでね、担当のはハンコ、責任のハンコ、事務長のハンコ。ハンコ5個くらいもらわんとおにぎり1個買えへん。それはやっぱしね、異常ですよね。

 その頃になると、今度は「はい、自分でベッドにあがれる人は終身準備ですよ。」て、8時にですよ。なんで8時になったんかていうことを友達に聞いてくと、遅出の職員が帰宅が9時半や。しかもその職員さんの最終バスが9時38分かなんかで、それに乗らすためには逆算していくと8時くらいから終身準備を始めないとバスに乗れないという状況があったそうです。その施設ではね。
 そこまでいくとね、誰のための生活施設なんかと。ほんで障害者の方の生活施設であるとこがね、結果的には職員が食っていくための生活施設になってると、これ明らかなんですよね。ほいで、これがやっぱ今の福祉施設の現場やと思ってくれても過言じゃない。これあきらかに利害相互関係が生まれてますからね。利用者の方の生活を安定させていいものにしようと思うと、職員が犠牲にならないとあかんねん。職員さんの生活安定さそうと思うと、やっぱり利用者さんのね、生活を犠牲にせなあかんという。もう、あきらかに対立関係にあります。そういう状況の中で、本当にね自立した生活ができていくのかていうと最初からムリです。これは絶対ムリです。そのムリな状況があるていうことを、やっぱり皆さんに知ってほしいんですが。

―施設をなくせるのか?―

玉木:  そうは言うもののね、今すぐに、その施設をなくして、全部地域に移行できるかていうと、その社会基盤ていうのが全然できていないわけですよね。だから現状としては、施設もいるわけですね。いるかぎりはそこの施設のその生活環境なり、そのサービスのあり方なりをちゃんと考えていかなあかん。考えていってやっぱし外部の人にもオープンにしてチェックをしてもらう必要がある。そのために今はやってるのが福祉の中で言う「第三者評価」ていうものですね。その「第三者評価」も入れるから、施設の差別も一定に安定される。僕はそこで一定ていうのは、逆にね、施設がビジネスホテルみたいになっても困るんですよ。障害者にとって、「あ、ここいいやんか。ここ天国やわ。」て思ってもろたら、それはそれで困る。で・・・もうあと5分しかない。

ゆき:  はい、少し質問のお時間を。

玉木:  はい。あの、結局ね、何がいいたいかというと。その、この前障害者の福祉政策ってゆうのは施設ありきの考え方ですよね。障害者はとりあえず施設に入ったらええねん。施設で暮らしていけたらいいやろう。って考え方がやっぱり強かったんですよね。でも施設があるからですよ。みなさんそう思うんでしょ。ほな皆さんがたからすれば、今の施設で生活したいか。できるのか。って聞かれたときにはたぶん「いや、私はいいわ。」って言うでしょ。います?この中で「いいよ。私はもう卒業したら施設に入りたい。施設で生活したい。」いませんよね。

 でも障害があるからしゃあないねん。それはそれでえーねん、今の現状がこうなんやから。そういうね、発想はね、やっぱしおかしいから。やから、これから皆さんに考えてみてほしいのは、自分たちのしたい生活はどんなんや。自分たちが地域で生活するときはどうゆう暮らしなんや。そのことが実は障害がある人でもできていかなあかんのですね。それを実現するために今の社会福祉のサービスがある。社会保障のサービスがある。地域の行政サービスがある、ということなんですよね。で、そのことをやっぱしみなさんに考えていってもらいたいと思います。それを実践していってるのが、お手元にある「メインストリーム協会とは」っていうパンフレットとか、メインストリームが西宮市・・・(聞き取り不能)・・・擁護生活支援事業ていう相談事業の仕事の展開です。それが今からの地域福祉のキーになってくる事業になるんちがうかなと思ったりします。ということで、ほんまにあとね、3時間くらいいるかなって気がしてるんですけども、とりあえず、あの、これで終わりにしたいと思います。あの質問あればなんありと言ってもらったらいいんですけども。手挙げてください。質問てゆうとなかなかあがらへんのですよね。

―マスコミの影響について―

学生:  玉木さんが最初に障害者に対する偏見とかはマスコミの影響が強いとおっしゃいましたけど、その偏見とか、価値観とかを変えるのをマスコミが大きな影響を与えてると思うんですけど、そのへんはどう考えていはるんですか?

玉木:  その通りです。だから例えば、僕なんかやと新聞の取材やとか、テレビの取材とか受けるときとか。受けるときに、「間違えても『障害を乗り越えて』とかっていう文章は書かんとってね。それはあかんよ」って。こないだも、僕、朝日新聞の取材を受けて。いつやったかな、つい2週間前の全国版にばーんって載ったんですけども、普通ね取材、ちょっとした取材なら2,30分ぐらいで終わって、ありがとうございましたって、しゅーって帰って、勝手に文章作って、ぼーんって載るんですけど、今回は丁寧に、まず取材1時間くらいやってもらって、それから帰って、原稿書いたやつを読んでもらいながら、また電話で1時間半くらい、ああだこうだと、その表現はどうのこうのとか、そう書くとこう伝わってしまうとかという細かな部分までやりとりをしながら、マスコミに出してもらうっていう作業がね、しんどいと思うけどやけど必要やと思うし、逆に間違った表現とか、伝え方をしてる状況が出たときには、それに対して、ちゃんと抗議をするなり修正を求めるなりってことをきっちりと当事者の立場でやっていく必要があるかなと考えてます。

ゆき:  他にどうでしょうか

―障害者への「慣れ」を作れる環境―

学生:  お話ありがとうございました。僕は、玉木さんが小学校のときに、真似されたりとか、生徒さんからいろいろちょっかいを出されたと思うんですけど。その時に、なんていうんですかね、思った気持ちというか、こう敵意じゃないけどなんていうんですかね。このやろうっていう、やりかえしたいとか、いじめられたらいじめかえすっていうか、やり返すみたいな、そういうようなやり取りがあったんですかね。

玉木:  あのね、うちのおかあちゃんごっつい強い人でね。泣いて帰るとね。僕に怒るんですよ。「ほな学校やめとくか。」すごいでしょう、うちのおかあちゃん。で、「いや、学校行きたいから。」て言うと、「ほな行っておいで。」って。それで、「嫌なことは嫌って言うておいで。」てゆうておこられてたので、やり返してたというか、あの、まあ反撃もしたけど。で、あの全部がそういう子達じゃないですやん。ね、だって友達もおるから、友達とかが「やめとったげよ。なになに君」とかゆうのもある中での、そういう環境やったからやっぱり全然違います。全部が全部ね人間そうやけど、やさしい人でなくていいと思います。性格もあるし、考え方もあるから、その中でどう生きていくか、どう鍛えられるかも含めてね。人間の大きな面で育成していくことやと思って。だから、そういうこともあるんやっていうことを障害当事者は理解して生きていかんとあかんのに、やっぱりリスクっていうか、守られすぎてるから、ちょっとなんかあったときには、つまずいてしまうっていう現状はね、いっぱいあるわけで、何が変えていくかていうと、大きくなってからね、いろんなこととかやっぱりしんどいですよ。やっぱし環境で変えていく必要がある。

 何でこれがわかったかていうと、余談ですけども、僕の子供を保育園に迎えに行ってるんです、毎日。そうすると1歳から行ってますから。1歳の子は、あの、区別ついてませんからね。僕が行くと楽しそうで、1歳の子が、よその子が寄ってきて、「おっちゃん、だっこ。」とかいうから、しゃあないから、「よっしゃよっしゃ。」とか言いながら。うちの子は帰りたくないから逃げ回ってる状況があって、で、そうやって行ってますから、5歳になった今でも、その1歳から来てた子は、「おっちゃん、こっちむいて。今日これ作ったんやで。」とかって、普通に会話ができるんですよ、ね。「今日広大君こんなことしとったで。」ちくってきたりね、するんですね。途中から入ってきた子供っていうのは、最初はやっぱり遠巻きで見てくる。なんやあのおっさん。もう変やぞ。って言うことは、3歳くらいでもう入ってる。で、聞いてくるんですね。「おっちゃんなんでそんなんにへんな声してるの。」って。子供の表現おもしろいですよ。変な声って。「変か?」って。「おっちゃんの声普通なんやけどなあ。」っていう会話をしながらその、近づいていくわけであって。

 やからその、本当に会話をする、接する、同じ環境で生活することが、大事かていうのが、実は僕が小学校時代にも経験してるし、今も経験してること。それはたぶん一生大事なこと。だから会話が大事。本当に話をきく、本当に話をするってことが大事なんやろうな。やからその中でその、アイデンティティっていうのか、自分の質なりが関係しますけど、基本的にいろんな人がおるんやでっていうことを障害当事者もそれから障害を持たない人も皆が理解していくことが、ごっつい大事なことなんちがうかなって思います。

ゆき:  ありがとうございます。

―日本の学校システムの見直し―

学生:  ありがとうございました。えっと、私は、「施設ありきっていう福祉政策だった」っていお話、目からうろこが落ちる思いできいていました。ええと、私の中学は障害児学級ていうのがあって、その時に私がちょっと疑問に思ってたのは、「交流」っていう言葉を使って、一緒に運動会とか、そういうのは一緒にやるっていうふうに。交流って言葉はちょっと不思議だなって思ってました。
 でも、国語とか算数とか学科の勉強を同じようにあの、知的障害がある生徒とするってのは無理だと思うので、だから障害児学級があるってこと自体は疑問には思わないんですけれども、交流っていう不思議な言葉とかいうのを含めて、あの障害児学級っていうのはどういうふうに。今日養護学級の話はでてきたんですけど、障害児学級の話は出てこなかったので。

玉木:  養護学級も障害児学級も同じことなんですけども、結局ね、国連とかで言う、統合された環境でおこなう教育っていうのが、すべてがすべて全部同じことをしなさいっていうことじゃなくて、その学校にいるいろんな人が通っているんやっていうことが、まず大前提なんですね。僕が思うにね、その障害児と健常児っていうことで分けてしまうからごっつい問題があるんであって。

 例えば皆さんも記憶にあると思うけど、小学校のときに本読み苦手な子がいましたとか、九九が苦手な人がいましたとか、いろんな人がいたわけですよね。でも今の学校教育の仕組みでいくと、1つのクラスで同じことを同じスピードでやるから、そういう人たちが目立ってくる。でも、本来なら、本読みが苦手な人でもちゃんとできたほうがいいに決まってるし、どの人が負担に思わん感じで、勉強ができていけばいいにきまってるんですよ。そうすると、その学校の中で、「じゃ、あなたはこの時間ここでやりましょうか」とか、実は障害をもたない人の中でもそういう特別な、サポートっていうのがいるわけですね。ほいで、それが障害があっても同じわけであって、そういういろんな機能がもちあわさった学校であって勉強する。だからね、今の日本の学校のシステムで、統合とかね、そういうことを進めていくことはまだまだ難しいと思います。だから学校の中にもいろんな機能を作っていく必要があるんやろうな思っています。

―交流を広げること―

学生:  興味深いお話どうもありがとうございました。私は、当事者の方から直接お話を聞けるっていうのが、すごく貴重だなあって思っています。ただその、社会の人に話を聞いてもらいたいと思っているけれど、玉木さんと違って、出て来れない状況にあるんじゃないかなあっていうのも思っているんです。そういった表の場面に出て来れない人を少しでも知ろうと思うんであれば私たちはどういった手段をとればいいんでしょうか。もしアドバイスあればお願いします。

玉木:  それね、「ピンポイント攻め」ていうんですけどね。たぶんね、例えば僕とか、お付き合いて言うたら語弊があるね(笑い)お知り合いになって、例えば僕のその人間関係の中から実はたどっていくと、そういう人にも出会ったりすることは十分あるって。最初からね、イメージの中でね、・・・(聞き取り不能)・・・家ん中閉じこもってる人おるやろうから、その人の話を聞きたいからその人を探したいていうことじゃなくて、とりあえずきっかけはなんでもいいから作っていくと、その中にいろんな人と出会っていくっていうことは、とても大事なん違うかなと思います。
 ただ、たぶんね、今おっしゃった、その人のほうが多いと思います。僕みたいなん変なやつ少ない。まだまだ少数派なので、逆に言いたいって思えない人のほうが多いと思います。もう自分らはこうでいいねん。人のお世話になってたらそれでええねん。ゆう人の方がたぶん多いと思います。そういう人たちに対してじゃあこれからどういうアプローチをしていけるかということうを一緒に考えていけたらなあと思っています。

ゆき:  ありがとうございました。
 さらに質問したい人はお弁当をもって、私の研究室にきてください。
 ゲストのお三人に感謝の拍手を。

(拍手)

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