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首輪付きちゃんの軌跡を転生モノ第一話風にわたしは、自分が何のために戦うのか解らなかった。
血まみれの手に綺麗なものを見つけたくって、探して探して、探して。
ようやく見つけた答えは、こんな世界は壊れてしまえという呪いと、ほんの少しの独善的な理想、わたしが理不尽を教えてあげれば人はわたしを教訓にもっと優しくなれるかもしれないという。狂った考え。
わたしはただの子供だった。無力な、緑の粒子と荒廃した大地に犯されて大地に朽ちる屍の仲間だった。人生が変わったのは何時からだと言えば、それは。最初の革新は彼女に逢ってからだと思う。
「ふん? なかなか良い素材じゃないか、お前。ここで死ぬには惜しい」
「ついてこい。小娘」
その人は元リンクスだった。綺麗で、不遜で、高潔な女性(ひと)。一時はわたしが一番に憧れた人。この人の後を追って、この人のために生きようと思った。彼女。セレン・ヘイズはわたしの"才能に"惚れ込んだようだった。わたしはリンクス候補になり、やがてリンクスになる。教えて貰えるものは全て教えてもらった。身につけることが出来る技術は全て身に着けた。傭兵として自分で生きる術を与えてくれたのもセレンさんだった。彼女の機動、戦術、心構え、教訓。リンクスになったばかりのわたしはある種彼女のコピーで、それはわたしのセンスと合わせれば破格すぎた。
《被弾ゼロ、使ったのはブレードとアサルトアーマーのみ》
《末恐ろしいな。帰還しろ。ホワイトグリントが戻ってくる前にな》
ただ、普段の厳しい言葉を若干弾ませているセレンさんを傍にして。小さな棘は最初の依頼≪ミッション≫で既にわたしの心に。
《どうした? さっさとしろ》
「この人たちは、どうしてここまで……必死に……」
セレンさんがなんと返したか、わたしは覚えていない。後ろ髪を引く思いを抱えたまま、急かされてラインアークを後にしたわたしはその日の晩に悟った。わたしはあの守備隊の人たちが羨ましかった。敵わない敵に挑んで引かなかったあの人たちは、なんて凄いのだろうと。ただ生きることに必死で。セレンさんに自分の力を見せて褒めてもらって、あとはお金がもらえればそれでよかった。そんなわたしの心に、あの初出撃の感傷は深く刻み込まれたのだ。あんな風に、必死になれるナニカを見つけたい。だから……。
「メガリス、ですか?」
「そうだ。どうも気に病んでいるようだからな」
「今度は向こうにつくのも楽しいだろう」
「……受けます。依頼なら是非もありません。ラインアークを助けます」
ちょうどその頃はわたしの迷いが本格化していた頃だった。セレンさんがその実、わたしの保護者や親というより単なるオペレーターとして振る舞っていたことに気付き自立を促されていて。従う価値観を見失った私は、何のためにリンクスをしているのかもわからなくなっていた。生きるだけならもうリンクスを辞めてクレイドルで一生楽に暮らしていける。それだけのお金が私にはもうあった。けどわたしは、わたしの力を捧げるナニカを渇望していた。様々なリンクスとの共闘。以来から垣間見る企業の恐ろしい陰謀。リッチランド農業プラント、そしてキタサキジャンクションに現れた不明ネクストから感じる得体のしれない恐怖感。何のために戦うのかわからなくなっていたわたしには、葛藤を抱かせるに至った最初のミッションの因縁。ラインアークに特別なものを憶えていた。
《ひ、被害……まったくの無傷……》
《これは……ホワイトグリント……いやそんなはずは……》
その日はとても身体が軽かったことを憶えている。そしてミッションの終わりとともに聴いた名も分からない誰かからの感謝の言葉も。その後、わたしは企業連とラインアークとの抗争にも参加し、彼らを守った。力のない人々を救うこと。それはとてつもなく綺麗な、わたしが闘うに足る理想だと思った。
――しかし結局、わたしは傭兵で。
『考えてください。なんのために戦うのか』
「……なんのために……なんで。 ……この力で……わたしは」
ラインアーク防衛戦をただ一人生き残って数か月後、わたしは暗く照明を落とした部屋で悩み続けた。あの戦いでホワイトグリントを失ったラインアークは、瞬く間に行政を崩壊させていき、ほぼ無政府状態に陥って分裂していった。企業の管理社会下では見られなかった人々の活気ある姿。夢を語る子供の姿が思い起こされ、それにオペレーターさんの問いかけが何度も反響する。酩酊していく。結局わたしには何もできなかったし、答えも出なかった。汚染された大地に喘ぐ人々を見た。クレイドルの上で笑う老人たちの姿を想起した。絶望があった。無力感に襲われて。それ以来、わたしは依頼を終えると部屋に引きこもる事が多くなった。幼い頃から抱いていた企業に対する反感が沸々と蘇って、苦しむ人たちのため自分の力を奮う機会が欲しくて。
《初見となる。マクシミリアン・テルミドールだ》
送られてきたメールを開いて語られる内容に自分が集中していき引き込まれたのを憶えている。語られるクレイドルの真実に、パジャマ姿のまま画面に食い入って。わたしはORCAに入った。ラインアークの人たちを思い出させる、夢を語る人々。整備士のおじさんがわたしを子ども扱いして星座の話をしてくるのが楽しみだった。大人ぶってわたしの頭をガシガシと撫でる癖に、宇宙について子供みたいに夢を語る様子が眩しくて。他にもたくさんの情熱が感じられた。すぐにORCAを好きになった。部屋に籠ることもなくなって、独立傭兵で所在をカラードに誤魔化しやすかったのもあってビッグボックスで生活するようにさえなった。銀翁にリンクス戦争の話を聞いたり、メルツェルさんとチェスをしたり。とっても充実していた。
例えばある日の、メルツェルさんとのお話し。
「生き残った後のこと?」
「ああ。ORCAの戦いが終われば企業は宇宙進出を始めるだろう。となれば人類のパワーをこの地上で代理戦争に費やすことはない。ORCAとして宇宙に向かうにせよこの地上に残るにせよ、君の実力を超えた敵や動乱はもはや現れるまい。少々騒がしいが平和になるということだ」
「君の――傭兵稼業の中で手に入れてきたこれまで資産ならそういった戦後に大抵の夢は叶えられるだろう」
「でも……今は夢なんて考えられないです。そんな余裕、私には無くて……」
「確かに。今を疎かにしてしまうくらいならがむしゃらになってもいいかもしれない。だが今だけを見ている戦士は目の前の戦場しか見れない。人の死や理不尽に心を揺さぶられることも多い。対して未来を求めて戦うことが出来れば心が澄む。迷いなく戦うことが出来れば、君以上に強いリンクスはいないと私は思っているよ」
「夢を見つけてみなさい」
「夢……」
その瞬間に思い出すのは、リリアナに占拠されたクレイドルを守るために戦ったあの時のこと。自立型ネクストを追いかけて天空へ向かったとき。アサルトセルの攻撃がなければいつまでだって見上げていたかもしれない深い蒼穹。
「わたしは、綺麗な空が見たいです」
「初めてネクストに乗ってカメラから空を見たとき、感動しました。粒子も砂塵も無い空があんなに綺麗だなんて知らなかったから。わたし、この目であの蒼を見てみたいです」
あの穢い空とクレイドルは、わたしの心の、憎悪の原風景だった。それを無くす事が出来れば、胸の奥を苛む憎しみから解放される気がした。
「空か……。なら、リンクスを廃業する前に成層圏を飛ぶと良い。アサルトセルを排除すれば昇れるだろう」
「成層圏?」
「世界で最も美しい空だ。きっと良い心の区切りになることだろう」
「は、はい。見てみます!」
「でもそのために、まずはこの革命を成功させなくちゃですよね!」
そんな、お話。
《最悪の反動勢力、ORCA旅団のお披露目だ、諸君、派手に行こう》
そして始まるクローズプラン。ビッグボックスの演説で高揚した心に従って、わたしはカーパルスを襲撃しに行く。途上。
「派手に、ねぇ。なまっちょっろい火種だ。クク……。I'm a thinker♪」
通りすがりの旅団員。嘯き嗤ったその言葉が、やけに耳に残った。
その後に訪れたのは企業と傭兵に対する失望。カーパルスの襲撃で出逢ったノブリス・オブリージュ。ジェラルドジェンドリンは高潔な騎士だった。老人たちの思惑の下でなお自分の使命を果たそうとしていた。しかし。テルミドールのメールを開く前に逢ったレッドラム、スタルカ。そしてノブリス・オブリージュを侮蔑し、功を簒奪せんとしたトラセンド。傭兵の本質を、そしてあのジェラルドすら使い捨てと看破していた老人の醜さを垣間見たわたしは急速にORCAに心酔していく。
でも、メルツェルさんは未来の礎にビッグボックスに残って死に、掃射砲を護り切った後、銀翁――ネオニダスさんも粒子に耐えきれず死んでしまった。ORCAのメンバーが次々に居なくなっていく。気分は暗く沈んでいて、憂鬱な気持ちを吹き飛ばそうと空元気に振る舞ってばかりいた。テルミドールからの信頼が心の支えだった。
「よう首輪付き、随分ギラついた眼をしてるな。……模擬戦に付き合わないか?」
そしてそれが故に失望は深かった。
「読んだか?ならこれで解っただろ。ORCAは純粋な革命集団じゃない。宇宙進出を狙う企業とその足を引いた企業との戦争――リンクス戦争での残党が、勝者であるオーメルらに利用されて出来たに過ぎない」
「マクシミリアン・テルミドールの正体がオッツダルヴァだってことは理解したか? さて奴は元々どの企業の所属だ? オーメルだろう?」
「ORCAは企業の狗だ。宇宙進出のための、捨石なんだよ」
「企業の老人たちに復讐したくはないか? 騙していたテルミドールにぶつけてやりたくはないか?」
「因果応報ってやつを、思い出させてやりたくはねえか」
戦いに次ぐ戦い。決して良くはならない、悪化していく世界。特に企業の地上に対する答え《アンサラー》を見てから、わたしは老人たちに深い憎悪を抱いていた。フラッシュバックするのはあの緑の粒子が舞う不毛の大地で暮らした想い出。息をするにも喘ぎ、痛みで目が覚めのたうち回った日々。同時に、ORCAによって救いがあるならとも思って手を貸していたのに。テルミドールは最終的に、ORCAを裏切って老人たちの元に帰還するのだという。アサルトセルが排除されクレイドルが落ちた後、全ての咎をテルミドールと私たちに押し付けて。背後から最後のORCAに襲い掛かり、殺し、奇跡の生還を遂げORCAを打倒した英雄オッツダルヴァとして迎えられる。最後のORCAが、その時わたしでも、メルツェルさんだったとしても、真改さんでも。そして老人たちは、その犠牲を踏み台にして悠々と宇宙に進出するのだ。アンサラーを見れば解る。粒子に疲弊しきったこの地上を、穢れた世界を見捨てて。あの空を遺して。奴らは――!!
「お前の息苦しさの理由は首輪だ。リードが伸びる先はどこか。お前なら解るだろ、首輪付き?」
オールドキングが自分の首筋を忌々しげに撫でつつ、わたしの顔を覗き込んだ。お気に入りのアクセサリ。身に着けたチョーカーから幻の鎖が伸びてほくそ笑む老人たちに繋がっている錯覚。ひゅぅ、と息が漏れる。正義なんてどこにもなかった。傭兵では救えない。企業について老人の狗ではむしろ加害。革命者たちはただの独善的で哀れな駒で。ならこの力は何のために在るの?
――考えてください。なんのために戦うのか
「考えたよ……でも。もう、分からないよ……」
ぽろぽろと涙がこぼれてうずくまって、すごく惨めな気分。わたしにはもう何もわからない。従うべき道が見つからない。もう何も考えたくない。そんな時だった。オールドキングが一つの曲を掛けたのは。
その日の夜。わたしは彼の手を取った。
《四千万》
淡々と、わたしの新しいパートナーは地上へ激突して死ぬだろう人々を数えた。操縦席内のコンソールの一つでは噴煙を上げる巨大な空中プラットホームが斜めに傾きながら落ちていくのが映っている。私は片手間に機体操作しながらそれを横目にしてぼんやりと見つめている。位置間隔は覚えたからもうよそ見をしながらだってクレイドルのエンジンを壊せるのだ。
《お前を誘う前の俺の想定ならこの後老害どもを殺して終わりなんだがな。おかげで計画変更だ》
《先は長い。こんなことで一々喜んでも居られんしな。まだ――》
「――まだまだ腐るほどいますからね。淡々と愉しみますよ、オールドキング」
言葉を遮ってわたしは謳う。頬が吊り上がるのを感じる。通信端末越しにオールドキングの息を呑む音がした。これでわたしは敵になった。全ての人々の天敵。互いに互いを滅ぼし合う天敵に。
「フ、フフ……フフフフ……」
世界が構造を変え、崩れ、のたうち、喘ぐ時。これで老人たちも気付くだろう。自分たちの陰謀がどれだけ愚かしい事だったかを。わたしの失望を思い知れ。因果応報を思い出せ。後悔しろ。
《六千万》
もっと。もっとだ。もっと命を散らせ。もっと……!そうすれば、それだけ人類は教訓を得る。わたしが殺せば殺しただけ、恐れられただけこの革命の後、人は優しくなれるはずだ。
《人類の悪意そのものへの革命。いいじゃねえか相棒。所詮殺すしかないって辺りも俺好みの結論だ》
《もう聴こえてねえだろうが、感謝してるぜ。セレン・ヘイズ》
《お前が殺すことだけ教え込んでくれたおかげで、俺の相棒はこんなイカした女になったんだ》
爆音がした。これでまた一基、目障りな空中プラットホームが墜ちる。正面のコンソールには確かに真新しい黒煙を噴くクレイドルとその甲板上の戦意を喪失し何もかもを諦めた様子のノーマルたち。
《八千万。子供の癇癪じみてはいるが、そんなお前の純粋さに惚れたんだ相棒。The deep-sea fish loves you forever("俺たち"はお前にぞっこん).ってやつさ》
「ええ、たっぷりと付き合ってもらいます」
首輪を壊した責任を出来るだけ取ってもらわないと。自分で引用しておいて聞きたくなったのかパチリと音がして、向こうの通信からあの日の曲が流れだす。わたしも次のクレイドルに向かう傍ら、腕を伸ばしてスイッチを入れる。ヘッドセットの片耳から、彼の聴いている曲のアレンジが流れ出す。二人で歌いながら片手間に機体を動かして。
《アイムシンカーとぅーとぅーとぅーとぅとぅー♪》
「はうぇとぅだんど ぁぅ。ぷっしゅお らんだらん♪すてーいん ざうぇい とぅざさん。のめのーみー♪♪(路を逸れ落ちてしまった。ずっと思い詰めてぐるぐる廻ってる♪あの太陽へ続く道はどこでしょう。わたしに教えてくれる人もいない♪♪)」
《「一億♪」》
《貴様は、わたしの葛藤も、分裂した想いも、ORCAの誇りも……! よくも台無しにしてくれたなッ!》
「あいむすりーぴんげ のーしんきんぐ えにもー♪ へーあーうぉんとぅー すぃーざらいじんぐさぁん♪」
《お前の演説は[ザザ]滑稽だったぜ、テルミドール。と、そろそろ俺もお別れか? ククク》
《くっ……お許しください、王大人(ワンターレン)……》
《[ザザザ]――よくやったリリウム。なに、次の代替品はもっとうまく造ればよい。ふふふははは……》
《でぃーぷしーふぃっしゅ らぶずゆ ふぉーえばー♪ おーる あぅすゆあ しんきんぐおーばー♪》
《どうやら俺たちはここで終わりみたいだな。あばよ相棒[ザ――――]》
《落ちろ! 獣が!!!》
《あうとすぺーすふぇん さむわんうぇいとぜあー♪ さうんど じぇっとぜい[ザザザ―――ズゥン]》
《死んだか……。慰めにもならん》
《惜しいな。若すぎる》
《当然の報いだ……! 貴様は、ORCAの名を貶めた!》
《終わりか。ああ、わたしも今そちらへ行く。説教を楽しみに――待て、なんだこれは!》
《再起動っ!? ぐおおっ!?》
《バカなッ!アレはオーメルのAIだった筈だ!?生身でなぜ生き返る!!?》
《――いむ――んかー あ――くどぶれいきっ だうん♪ あいむあしゅーた あ どらすてぃっくべいべー♪》
《ぬかった……! ホワイトグリントの例があってフィードバックし損ねるとは……!! なんたる[ザ――――]》
その後のことはもはやただの蛇足だ。
《――――ッッ!! [――ザザ]ぜ! なぜ裏[――ザ]たッ!! お前が狂わなけれ[ザザ]RCAの意志を遺[ザザ―ザ――]たのにッ!!!! 何故っ……!!!》
《ハァッ……! ハァッ……! ……っっすまない、ロイ。……後をたのむ……》
《……当然か。わたしが見込んだのだからな》
カーパルスで私たちを止めるためにやってきた人間をまず殺した。オールドキングは残念なことにここでお別れになった。わたしは母であり姉であった人を殺し。裏切り者の旅団長を沈め。老人の玩具の息の根を止め。無責任な自己研鑽者を血祭りにあげ。妬ましくも唾棄すべき理想家を黙らせた。地上に汚染の痕を引くアンサラーを落とし、多くのアルテリア、全てのアームズフォートを破壊した。
老人たちの籠る最後のクレイドルでの戦い。全ての企業の支援リンクスの生き残り、そして傭兵。数えきれないノーマルたちを動員した戦いすら、児戯に等しい。壮観な程の全戦力を結集しての決戦に、わたしは勝利した。なにも守るものが居なくなり、据え付けられた砲台も全てが煙を吹いている。最後まで抵抗を続けたロイ・ザーランドの乗機マイブリスがエンジンの横で朽ちている。雲の上で、わたしはカメラアイ越しに質のよい調度品で整えられた老人たちの議場を覗き込む。震え、怯える視線が、実に心地いい。
《どれほど失敗しようが。恨まれ、報復を受けようが。イレギュラーが現れようが。"次はもっと上手くやればいい"。あなた達の信条はそれでしたよね》
わたしが殺したリンクス。リリウム・ウォルコットの死に際してわたしは彼女の主人――王小龍(ワンシャオロン)の言葉を聴いていた。
《先代の女帝の代替品。次の調教のモデルケースの一つ。随分と面白いことまで口走ってくれたものです》
《この手では殺してやらない。必死で生き延びる手段を探す姿、粒子で疲弊していく姿、そして燃料を失って地上へ落ちていくときの顔を。良く見せてもらいます》
さようなら。老人たちの末期の声にただそれだけを返した。
後はなんてこともない。オールドキングが生前言っていた通り、わたしの信奉者、協力者(彼曰く"深海魚"たち)はわたしが思うよりも存在していた。わたしは彼らと、企業に対して殲滅戦争を続けた。企業が作り上げた管理社会の崩壊がわたしの中間目的になる。老人たちが死んでも後を引き継ぐものが現れ、管理社会を継続しようとするのは必然だった。黒幕が倒れればハイおしまいにはならないのだ。企業による世界秩序のなか数世代にわたってそれが継続してしまった以上、そこに住む人にとっては企業の管理社会は生まれた時からずっと慣れ親しんだ普遍的な日常だから、大多数の人々は現行の社会秩序を支持していた。だけどわたしは、そんな世界の継続を認めない。
コロニーアナトリアの最期の代表、エミール・グスタフが著した回想録は失陥の経緯を説明する前、前史としてアナトリアの状況を語る際こう述べた。"人々はコロニーに押し込まれ、糧食を得るためだけの労働に従事していた"と。クレイドルなどで暮らす一般市民の生活は常にこの延長上にあった。人々――というより企業従業員はその多くがクレイドルに逃れたと言え、待遇面では企業の社会秩序はリンクス戦争時よりさらに悪化していたのだ。時間が経つにつれて法はより厳格になり、ついには善意の改革者すら全貌を掴めない巨大な奴隷産業が成り立っていたと言って良い。人は何も考えず。夢も情熱も持たず。言われるがままに働き、用意された場所で暮らし、用意された服を着、用意された物を食べ、計画通りに交配する。それがクレイドルや、企業の地上プランテーションでの日常だった。わたしがラインアークとORCAに惹かれた一端もそこにある。あそこには自由や宇宙進出を夢見た人たちが集まっていた。人類の未来に希望があると信じた人たちが。それは同時に企業による管理社会を拒絶した人たちの集まりでもあった。だから一部の地上生活者どころか自由を求めた過激な革命家や、そういった雁字搦めの体制のために強い恨みを抱いた人々――娘の薬を買えなかった夫婦、恋人と引き裂かれ企業の上位者に貪られた青年、ただ食べて眠り企業の診断通りの相手と子を作って死ぬだけの人生に嫌気がさした老人などもわたしに協力した。わたしは殺した。いつの間にか恨みらしき感情はとっくになくなっていたけど、わたしはもうするべきことを決めていたから、計画通りに事を運ぶため手加減せずに暴れまわった。その過程で何が起こるかを見つめながら。……時折、自分のしていることがどこかテルミドールに被って見えて、もっと信じるべきだったかもしれないと思うのは感傷だろうか。貴方ともっと話し合えばよかった。テルミドール。
数年後、企業の力が大きく減退すると、改革のための打倒を目的に協力した人々は次第にわたしの元を去っていった。一部にはわたしの意図に気づいたらしい人も居たけどどうでも良かった。それよりなによりも私は狂喜する。数年越しの殺戮の朝夜を超えて、ついに期待通りの反応が起こったのだ。彼らは形骸化した企業を元にして生存圏を築き上げていく。中核になったのは旧ラインアークの指導者層だったようだけど詳しくは知らない。そのころには私たちの勢力は人数で言って桁が二つ減っていたし、実際の技能者数などで言えばそんな数字よりはるかに弱体化していたから、もはや情報も碌に入ってこなかったのだ。人類が団結し、俄かに希望が現れると彼らは急速に力を付け、わたしを非難するようになる。わたしは、もはや生に絶望して恨みをぶつけたいだけの人たちを引き連れて闘争を継続しつつ、彼らの成長を見守った。そして最後には、団結した人類の軍勢が現れた。どうやったか復活したホワイトグリントと対峙して、開戦の前の話し合いでいくらかの言葉を交わしたとき、ホワイトグリントのオペレーターさんを泣かせてしまったのが少し申し訳なかった。何億と殺しておいて今更だけれどあの人の問いかけがなかったら今のわたしは居なくて、たぶん企業の首輪付きで終わっていたから。あの人には――フィオナさんには感謝している。
それが最後の戦いだった。
《さようなら。縛られたリンクス。……おやすみなさい》
ほんの数時間後、ホワイトグリントの――いや、ホワイトグリントⅨseraphのもっていたライフルがわたしのカメラアイに迫ってくるのを最後にモニターが消える。重い音を響かせて、わたしの機体は膝を折った。AMSから迸る情報の大波がわたしの頭に特大の不快感と痛みを伝えて、わたしは耐えようとしても耐え切れず少しずつ意識を落としていく。銀翁や彼と同じく――いや二人の症状ほど酷くはないだろうけど――長くコジマ粒子に汚染された身体は、もう敗北によるAMSフィードバックに耐えきれる状態ではなかったのだ。
でも満足だった。わたしの戦う理由は理不尽を許す世界を破壊すること。そして事後、立ち上がった意志ある人々に打倒されることで彼らを讃えること。ホワイトグリントが規格外《イレギュラー》なら、わたしは叛逆者《イレギュラー》。罪を背負わず罰されない者、陰謀家を気取って自分は安全だと思っている者を、私は許さない。そんな支配者を許す社会も。
今なら断言できる。根底にあるのは、緑の粒子と砂塵の舞う中、自分を見下ろして悠々と飛ぶ揺り籠を呪った幼い想い出だ。親も兄妹も、ついぞ何の夢も希望も持たず、淡々と自分の死を受け入れて死んでいったあの記憶。絶望というのはそういうものだった。わたしだけが、あの時小屋を這い出て生きたいと足掻いた。大声でクレイドルに叫んだ。そうしてセレンさんに出会った。
それはつまり、私の人生の始まりは「あんな世界は間違っている」。ただそれだけの想いにあるということだ。そして夢のためにも、アンサラーなんて物を浮かべる連中が許せなかった。誰かがこの荒廃した世界を立て直そうとしても、企業秩序下にある限りその意見は無かったことにされるだろう。よしんばわたしとかが出資して、諦めずにこの星が再生しても、奴らはまた喜々としてこの大地を貪る。カメラアイ越しに補正しなければ見れない空。何時か生身で透き通る蒼穹を仰ぎたいという夢は、企業秩序下では絶対に叶わない。アンサラーがそのよい証拠だ。
だからわたしは戦った。人が夢も希望も持てない社会、この瞳で砂塵も粒子も無い空を見てみたいというわたしの夢、その夢を壊した連中、幼い頃から積もり積もった恨み。七割くらいが個人的な復讐で、最後の一線を二つの思想が後押しした。停滞していた現行社会を壊して人類の未来を切り開く大義――という言い訳か――と、恨みと絶望のままに世界を荒らし回ったわたしたち"深海魚"の存在は、この虐殺が風化してしまうまでの間、以降の管理者に少なからぬ自重を求めさせるだろう。そんな考え。
……狂っていることは認める。けどどちらにしても老人たちは排除するべきだったと私は信じる。実際、企業秩序があった頃の人々は義務的に戦ってただ死ぬことを受け入れてばかりだったけど、わたしを倒しに来た人たちは団結していて、涙が止まらなくなるくらい美しかった。人類の可能性。戦うことで未来を切り開く意思があった。思った通りの成果は出せたと思う。だからわたしは、満足して瞳を閉じれる。"必要経費"と割り切って屠殺してきた何億と言う命に、身勝手な罪悪感を感じながら。
「ああでも、成層圏を……世界で一番きれいな空を見れなかったのは……残念……」
その言葉を遺して、わたしはその日、敗北し、死んだ。
ぱちり。