2016-07-25 城福監督の解任に思うこと
多摩川クラシコを0-1で負けて、これでセカンドステージ1勝4敗。
そして、昨日、城福監督は解任された。
ここまでの負けは、ロスタイムの失点(鳥栖戦ではなんと2失点)が2回、後半に3失点の大逆転負け(VS浦和)、川崎戦は後半まで耐え抜いてセットプレイ崩れの失点・・・負け方にものすごくインパクトがあって、こんな負け方が続くチームはそうそうないよね、と言われるくらいの代物。まあ、いかにもFC東京らしいのだが、このフィーリングは、ACLの上海上港からずっと続いていたから始末が悪い。
私が気になっていたのは城福監督の試合後のインタビューとその表情。
上海上港の時には、最後に力尽きたが、やりきった感があり充実感に満ちていた。しかし、徐々に黒く焼けた顔に青味が差し、言葉が支離滅裂に、質問の意味さえ分からないのか、独り言のごとくぼやきになっていった。こりゃ相当、精神的なダメージを食らっているなあと感じてしまった。
そもそも、無茶苦茶だった。
2年間も引きこもり戦術しかやってこなかったマッシモ東京では選手がとてももちませんと、攻撃的思考をチューニングしようと考えたまではよかったが、
ACLのプレイオフそして本選のために、実質、与えられた準備期間はたったの2週間たらず。
そして、そのまま開幕に突入し、加えてJ3参戦が追い打ちをかけた。
監督にできることは、選手個々のコンディション管理と、マッシモ時代の戦術を踏襲して、カウンターの精度を上げることと、攻撃のスタイルを少しずつでも上積みすること。
これを超ハード日程をこなしながら実行するというのだが、Jリーグはそんなに甘くない。
こんな状況で、よく監督を引き受けたと思うよ。
というか、こんな状況の中でビジョンを共有して監督できるのは城福さんしかいなかった。
乱暴に言えば、城福なら言うことを聞いてくれるとフロント(立石GM)は読んだのだと思う。
つまり、扱いやすいと・・・・
こんな状況下で「頂き」なんてビジョンをよくもまあ、ぬけぬけと言えたもんだと、ずーと思っていた。
いや、問題は「今年」成し遂げる目標に据え、サポーターを喜ばせたことだ。
新しいサッカー「アクションサッカー」つまりは「ムービングフットボール」を志向し、第一次城福政権でなしえなかったサッカーにもう一度トライして、3年計画で「頂き」をというのが私の解釈だ。
去年は4位だったから、今年は頂点へ、なんという安直な発想。
サポーターのそうありたいと願う声の大きさを無視できなかったのだろう。
はっきり言おう、FC東京は弱いのだ。
マッシモの戦術は「イタリアのカテナチオの伝統」とか、「ウノゼロの美学」とかいろいろもてはやしていたが、
ようするに降格圏内の弱小チームの戦い方だ。しかも、無茶苦茶体を張って、守ることだけに集中しないとできないサッカーを追いこんでいった。
前線にスピードスター(武藤)かビックスター(平山)がいないと点が取れないサッカーだ。
弱いからそんなサッカーをしたのか、そんなサッカーをしたから弱くなったのかそれはわからない。
ただ一つ言えるのは、そんなつまらないサッカーはFC東京の文化になりえないということだ。
今年からある程度の長い時間がかかっても、誰もが納得する、本物のFC東京のサッカーをつくっていく予定ではなかったのか。
時間がかかる作業だと、一朝一夕にはできないと、ずっーと城福監督は言っていた。
ボールも人も動く、セクシーでダイナミックなサッカー。
川崎も、浦和も、鹿島も、広島も、2年やそこらで各々のサッカー文化を築いたのではない。
最低でも4年、監督が代わっても同じサッカーをやりつづけ、追い込んでいったから、強くなったんだ。
サポーターはなんで初年度の試行錯誤に耐えられないのか。
本気で俺らのチームは今年、優勝できる力があると信じているのだろうか。
目先の一勝だけに、なぜあんなにこだわるのか。
なぜ監督をリスペクトできないのか
そして、フロントはなぜサポーターの声におびえるのだろう。(私にはそういう風にしか見えない)
城福監督は解任された。
全くのゼロベースだ。
ここからどんなふうにチームをつくっていくのか、
新しいビジョンをサポーターとともに、どう共有し続け内容を積み上げていくのか、
しっかりと見届けたいと思うし、その過程を楽しみにしないといけない。
これもまた、サッカーの味わい方の一つだと納得するしかない。
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