なぜ中毒者は言い訳するのか

私は最近まで、自分が「インターネット中毒者」ではないと思い込んでいました。ところが、インターネットを手放そうとすると、ある種の中毒症状があることを自覚しました。例えば、「都合のいい理由をつけて、自分を騙して、再度使おうと試みる」「無意識にスマホやパソコンに手が伸びている」というような症状です。

いま、「ネット中毒について記事を書く」ということを理由としてインターネットを使っていますが、まさにこの事実が、「自分を騙して、再度使おうと試みる」ということを表していると気がつくのです。(もはや、一切の、説得力はありません。)

ここでは、インターネットというものを、理性的に使うための方法ついて考えていきます。

インターネットを使う目的

さて、あなたは、「インターネット」というものを、どのような目的で使っているでしょうか。私が思うに、きっとこういった答えが一般的だと思います :

  • SNSで人と繋がるため。
  • ニュースを見るため。
  • 情報発信のツールとして。
  • 論文を検索するために。
  • ショッピングのため。
  • 地図や乗り換えの検索をするため。
  • クラウド上のコンテンツを扱ったり保存するため。
  • ゲームをするため。
  • 動画を見るため。
  • 求人検索のため。
  • githubでホットなプロジェクトのソースコードを読むため。
  • お気に入りの数学ブログを読むため。 …etc.

要するに、「様々な目的でインターネットを使うことができる」ということです。これはインターネットさえあれば、単にあらゆる情報を「入手」できるだけでなく、「発信」したり、「創造」したり、「遊ぶ」ことだってできるということです。

素晴らしい時代ですね。

必要性とは?

ところが、私はそういった”一見すると素晴らしいように見えるインターネット”に対して、疑問を持っています。特に「インターネットを使う必要があるのか」という点において、ひどく悩まされるのです。

まず、”とある数学マニア”の言葉を引用します。

インターネットは2つの生物と2つのモノで喩えられる。生物は99%の野良犬と1%の人間であり、モノは99%の生ごみと1%のダイヤモンドである。99%の野良犬は本能的に生ごみを貪るが、ダイヤモンドの価値を見出すことはない。理性を持った人間は、汚い生ごみをかき分けて懸命にダイヤモンドを探そうとするか、さもなくばそんな手間をかけることを諦めるだろう。そして、人間の中のさらに1%のみが、鉱山を知っている。

この文は一体何を意味しているでしょうか。

インターネットの5つの側面

まず、私が思うに、インターネットには以下のような側面があると考えます。

1, 商業的
2, 利便的
3, 政治的
4, 娯楽的
5, 学術的

もし、「インターネットが日常生活の支えになる道具」だとするなら、まず利便的側面が重要であるはずです。例えば、Google Mapのようなツールは乗り換え検索に欠かせないツールとなっています。

ところが、Google Trendを見てみると、2016/05/29の日本のTop検索は以下のようになっています。

もし多くの人が利便的な側面として最も利用しているなら、このようなトレンドは生じません。ところが、トレンドを眺めていれば、インターネットの娯楽的側面こそが、実は多くの人々が求めていることだとわかると思います。

中毒は利用者だけの問題にあらず

少なくとも「あなた」は、自分自身の行動を客観的に見れる賢い人間でしょうから、メールやSNS、あるいはゲームを利用して、ある種の中毒になっていると気がつくことがあるでしょう。

そしてあなたは、何かと理由を付けて使い続けているはずです。「ニュースを見るためならいいだろう」「趣味に関して調べたいのだ」とかなんとか。

もしあなたが中毒症なら、自身のスマホアプリの利用統計を見ることによって、「ニュースを見るためだけに使っているのではない」ということが明らかになるでしょう。(試しに確かめてみてください。)

実のところ、中毒症はあなた自身だけの問題ではありません。むしろ、面白いコンテンツを提供して依存させようとする提供者側の問題でもあります。ユーザが何を好み、どういった方法で情報やサービスを提供をすれば使い続けてもらえるのか…そういったことを提供者は日々分析しています。

あえて比喩を用いて明言を避けますが、要するに、「野良犬が生ごみに群がることを知っているからこそ、生ごみが生産されている」ということです。私が生ごみと呼んでいるものは、(偏見的な言明になりますが)芸能ニュースのような情報のことです。

あなたをあなた以上に知る誰か

トラッキング広告は、固有IDをあなたのブラウザのCookieへ保存し、Webページへのアクセス情報を横断的に収集・解析することができます。あなたがいつ、どのようなページに、どこからアクセスし、どのぐらいの間滞在し、どのページヘ抜けていき、そのブラウザはなんであり、デバイスはなんであるのか…ということが筒抜けであるわけです。

つまり、あなたがアクセスした経路をたどれば、あなたが何に興味を持っていて、どういった傾向をもつ人々に類似しているのかといったことが、分析されてしまうわけです。

想像してみてください。あなたが何を好んでいて何を嫌っているのか、といったことを完全に理解している営業マンがいる状況を。その営業マンがあなたに対して特定の財・サービスを利用するように誘導することは容易です。

インターネットと商業主義がつながっているということは、つまりそういうことなのです。私は商業主義を否定しているわけではありませんが、本来必要のなかったものを使わせようとする連中がいるのは確かです。

中毒症の思考はもはや自分の意志ではない

あなたがもし、「○○で必要だから使っているのだ」と自分の意志で考えていると思い込んでいるとしたら、おそらく、そのいくつかの利用目的は文字通り「思い込み」でしょう。というのも、あなたは何らかの売り込みによって、必要だと思い込まされているのかもしれないからです。アダム・スミスの言葉を真似すれば「悪魔の見えざる売り込み」とでもなるでしょうか。

そこで私は、自分が最近、何を最も使っているのか。それをGoogleのアカウント管理ページから調べてみました。

なるほど…残念ながら、私はまだ野良犬に成り下がっていないかもしれません。

しかし、こういったツールを用いて自己分析をすることは役に立ちます。私が自分に問いかけるべきことは、「これは、自分の意志で使ったのか」ということです。もし、本能的衝動に駆られて使ったのであれば、それは何かに騙されたのかもしれません。(例えば、性的に露骨な広告や動画を思わずクリックしてしまったなら…そういうことです。)

あなたも、衝動的にインターネットを使っているのか、それとも自分の意志で使っているのか、ということを、保存された利用履歴から分析してみると面白いですよ。そして、もしあなたが、必要もないことを、必要だと思わされて使っていたりするならば、一度立ち止まって、考えましょう。「これは本当に必要なのか」と。

修正不能な思い込み

最後に、「必要だと思い込んでいる状態」が危険であるという経験則を述べておきます。私の自己分析の中でアクセス数が高かった「wolfram|alpha(数式処理に関するオンラインツール)」については、思いついた数式を衝動的に検証したくなって使った、ということもあるのですが、それは私にとっての必要性でした。

つまり重要なのは、「必要性を認識する」ことなのですが、それははたして「必要」なのか、それとも、中毒的になるにつれて自分自身で「必要だと思い込んでしまった」のか。どのようにして区別ができるでしょう。

一つの基準は、日常生活でもっと重要なやるべきことがあるのに、それができなくなってしまっている状況が存在するかどうかです。あることを必要だと思い込んでいる場合の多くは、それよりも重要なはずの別のことを疎かにしています。

避けるべき危険な状態は、ある事柄について中毒的になることにより、もともと重要であったはずの別のことが重要ではなくなってしまうことです。これは、重要性そのものが逆転してしまっていることを意味します。このような状態に陥ると、自力で脱することすら困難になるでしょう。

おわりに

私が最初に用いた引用文を思い出してください。あなたは、本能的に生ごみを貪る野良犬でしょうか、それとも、生ごみに埋もれたダイヤモンドの価値を見極められる人間でしょうか。あなたは必要なものを探すためにインターネットを使っているのであって、「あなたを必要とする何か」に操られるためにインターネットを使っているのではないはずです。

もはや、インターネットに限った話ではありませんが、インターネットに限定するならば、私が得た教訓は以下のことです:

“野良犬が使う情報源(生ごみ)にアクセスするな”

ご精読ありがとうございました。

Link: https://yugenmugen.blogspot.jp/2016/05/are-you-dog-or-human-being.html