おいしすぎる原子力利権と
100%「玉虫色決着」になる
有識者会議のしくみ
――古賀茂明×広瀬隆対談【後篇】
『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。
壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が第5刷となった。
本連載シリーズ記事も、累計179万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破。
9月18日(金)には「東京新聞」でも大きく掲載され、話題となっている。
このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者が、元通産(経産)官僚でベストセラー作家の古賀茂明氏と初対談。
話題を呼んだ【対談前篇】に続く最終回は、おいしすぎる原子力利権の裏側と、100%「玉虫色決着」になる有識者会議のしくみを徹底追及する。
(構成:橋本淳司)
“東電破綻”計画は
なぜ、幻となったか?
(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。
古賀 私は、フクシマ原発事故のあと、「東京電力を破綻させない」と決めたことが後々まで足かせになって、原発再稼働のレールが敷かれたと考えています。東電をつぶさないという方針は、東日本大震災3月11日の十数日後に決まりました。
3月末に3つのメガバンクが2兆円を無担保、無保証、最優遇金利で融資することが決まっていたのです。未曾有の大事故を起こして株価が暴落している企業に、普通、銀行は融資しませんよ。
ところがそうなったのは、当時の経済産業省の松永和夫事務次官と、全国銀行協会会長で三井住友銀行の奥正之頭取との間に、「絶対つぶさないから融資してくれ」という密約があったと言われています。
その時点で、東電は絶対つぶさないという方針が決まっていたわけです。
広瀬 私も、もちろん東電をつぶしたいと思ったけれど、被害者の救済があります。
東電という会社を残しておかないと、福島県民への損害賠償ができなくなるので、古賀さんと違う意見でした。
私は、東電の持つ、発電部門と送配電部門を分離して、発電所より大きな資産である送配電部門を、電気事業に参入したい会社、つまり今で言う「新電力」に全部売却して、そこで得られる大金で福島県民たち被害者への補償をさせたかったのです。
そうすれば、損害賠償ができるだけでなく、発送電分離も実現しますから、新電力の参入が容易になります。
でも、古賀さんは、銀行と株主にも責任がある、負担させろ、東電を破綻処理しろ、と言っていましたね。
(Shigeaki Koga)
1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。大臣官房会計課法令審査委員、産業組織課長、OECDプリンシパル・アドミニストレーター、産業再生機構執行役員、経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長などを歴任。2008年、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任し、急進的な改革を次々と提議。09年末に経済産業省大臣官房付とされるも、10年秋に公務員改革の後退を批判、11年4月には日本ではじめて東京電力の破綻処理策を提起した。その後、退職勧奨を受け同年9月に辞職。大阪府市エネルギー戦略会議副会長として脱原発政策を提言するほか、著書・メルマガを通じ活発に提言を続けている。おもな著書に『国家の暴走』『日本中枢の崩壊』『官僚の責任』『利権の復活』『原発の倫理学』など。
古賀 そう、私は「逆」の考えです。
東電を生かすために、国が多額の資金を入れると結局、国民負担が増えます。
東電の破綻処理をすれば、銀行の借金は、ほとんど全部棒引きにできます。損害賠償債権もカットされてしまうのですが、それは被災者支援法をつくってきちんと救済すればいい。
破綻処理をしっかりやれば、経営者を全員クビにでき、株価はゼロになり、株主責任も取れます。
そういう形で責任を明確にしたうえで、送電線ではなく発電所を個別に売るという案を出しました。
広瀬 実際に、その提案をどこに出したのですか?
古賀 融資が決まったのを見て、3日くらいで書いて、国家戦略担当大臣と、資源エネルギー庁などに届けました。破綻処理して優遇措置を設ける条件として、まず発送電分離をのませるのです。
つまり最終的には、東京電力が送配電だけの専門会社になる。まず、最初の2年くらいは、発電会社も含めてそれを持ち株会社化します。
東電から新たに生まれる個別の発電会社は、「大井火力」なら「大井発電所株式会社」というように、小さな会社とし、その社長は、全員外部から入れて競争させ、送電会社との間でいろんな交渉をやらせる。
その間に、どういう調整事項が必要なのか、現実に起きていることを見ながら発送電分離法の体系をつくる。
もちろん、それを規制する組織は経産省ではなく、独立の組織をつくる。そして、個々の発電会社を入札にかけて売却すれば、発送電分離が関東エリアでは完成する。
これがおおまかな提言の内容でした。
一時は民主党のなかで、仙谷由人さんも玄葉光一郎さんもそれがいいという話になっていました。
しかし、そこから電力の巻き返しがあって、5月すぎたら破綻させないことになっていたのです。やられましたね。
省内にも「反原発派」が5割!
おいしすぎる原子力利権とは?
広瀬 古賀さんが「発送電分離」を考えたのはいつ頃ですか?
古賀 最初に発送電分離の話を出したのは1997年です。
当時私は通産省から、OECD(経済協力開発機構)に出向していたので、OECDを通じて、日本に発送電分離を勧告させるようにしました。
1997年1月の「読売新聞」に、発送電分離の記事を一面トップに書いてもらいました。
当時の佐藤信二通産大臣が、中国電力とケンカしていたことも背景にありましたが、「電気料金の内外価格差縮小のためには、供給体制も見直す必要がある」と発言したのです。
そのとき、「これを仕掛けたのは古賀だ」と、通産省(現・経済産業省)の中で大問題になりました。自民党と、電力会社が大騒ぎして、「古賀をクビにしろ」と要求したと聞いています。
それ以降、私は資源エネルギー庁に足を踏み入れられなくなりました。一切シャットアウトです。
広瀬 当時の通産省には、改革派もいましたよ。通産省が経産省になったのは2001年ですが、2000年頃、通産省内は原発派と、反原発でガス利用などの省エネ技術推進派に分かれていて、五分五分でした。
私たちの側についてくれた官僚が半分ぐらいいるので、これは希望があると思っていたのです。そこに古賀さんがいたことは、当時知らなかったのですが。
古賀 そう、だから当時の資源エネルギー庁の次長が「電力改革をやれ」と号令をかけて、下は一斉に動きました。
しかし、途中で国会議員や電力会社から攻撃され、ガタガタになりました。次長は保身に走り、半分くらいの官僚はそこにくっついて、うまく逃げましたが、残りの半分くらいは完全にやられました。
広瀬 その改革派だった人たちは、現在どこに行ったのですか? 内部に残っていないのですか?
古賀 若手は冷遇されて、やめました。2、3人は残っているでしょうか。被弾せずにかわした連中は、けっこうエラくなっています。
広瀬 経産省内に、どんな変化があったのですか?
古賀 2003年くらいまでは経産省の中に改革派がいて、その頃までは私たちが完全に主流でした。私は経済産業政策局という部署で改革派のリーダーでした。
ところが、改革が進んで産業が自由化されれば、官僚の利権がだんだん小さくなります。そこで、改革派が一掃され、迫害を受けるようになりました。
当時、私は「経済産業省経済産業政策局経済産業政策課長」と「経済産業」が3つもつくポストで課長をやっていましたが、そこからボンボン飛ばされました。
外郭団体に出されたのです。それもおかしな時期にです。外に出ると、普通2年間は同じ部署にいますが、任期途中で、そこからまた飛ばされました。
広瀬 要するに見せしめですね。
古賀 そうです。改革によって利権が小さくなるなかで、残っている最大の利権は「原子力」でした。
広瀬 官僚にとって利権というのは、天下りのことですか?
古賀 そう、原発の天下りが最大の利権です。電力会社や原発企業に天下りをすると、給料は年間何千万円ともらえますし、交際費は青天井です。海外旅行だって「出張」という名目で好きなだけ行けます。
最高のレストランで毎日飲み食いし、最高のゴルフクラブでプレーして、年に何回か「視察」と称して海外旅行に行けば、最高のもてなしを受ける。そういうポストなのです。
「有識者会議」は、
なぜ“玉虫色決着”となるのか?
広瀬 哀れなもんだ。もうひとつ、古賀さんに聞きたいのは「有識者会議」です。
どうしようもない学者や、肩書き人間たちが勝手にデタラメ議論をやって、原発でも軍事でも、政策を決めていますが、あの連中はどうやって選ばれているのですか? 官僚が選んでいるんですか?
古賀 そう、官僚が選びます。担当課で、まず数十人から100人くらいのリストをつくります。
基本は関連分野の研究者ですが、市民代表的な人や、女性も入れます。配分としては、役所の意向に明確に賛成する人を6割入れます。
広瀬 最初から、過半数を必ず確保するわけだ。
古賀 そのうえで中間派を20~25%、反対派を10~20%くらい入れます。
15人の有識者会議であれば、賛成派を過半数の8人、中間派4人、反対派3人ぐらいです。
次に役所がやることは、中間派をしっかりコントロールして賛成に近づけることです。反対派の3人のうち、柔軟性がありそうな2人には何度もご機嫌伺いに行き、親密になって反対意見を言いにくい雰囲気をつくります。
広瀬 公平に見えるように、わずかな数の反対派を入れて、アリバイづくりをする。狡猾なやり方だ。
古賀 会議前には「明日はこういうことをやります」「こういう方向に持っていきます」と説明し、「この点がおかしい」と指摘されたら、一つひとつ反論します。
その途中で、「先生のおっしゃることもよくわかるのですけど、そろそろまとめないといけないし……」などと言って、肝心の議論を中断させるようにします。
こうして議論しているうちに、強硬に反対を訴えるひとりは、端から見ていると「変な人」に見えてきます。座長もわざと、その人に発言させないようにします。すると、その人は、ますますムキになって発言しようとします。
会議が終わると、担当課長が記者に向かって、「聞いたろ。あの人は本当におかしいんだよ。この間も説明に行ったらバカなことを言っていたよ」と嘘八百を言います。
広瀬 人格攻撃をするわけですね。あの人は変な人だ、近づかないほうがいい、と。
古賀 最後まで反対派がいたほうが「公正な会議」に見えるのでわざとそうします。結局は役所の意向でまとまり、最後にひと言「こういう(反対)意見もありました」と書き添えるだけで、事実上はそれを骨抜きにして無視します。
絶望的な状況に希望はあるか?
広瀬 われわれから見ると絶望的です。
どれもこれも「有識者会議」を見ていると、「おまえらのどこに知識があるのか。何の権利があってデタラメを決めるんだ」と言いたい!
安倍晋三がやっていることは、すべて人事を独占したファシズムです。
古賀 昔、私が日米構造協議を担当していたとき、米国がすごく怒りましたよ。「日本の政策の決め方はおかしい」と。
審議会の委員は役所が勝手に決め、すべてお膳立てしているのに、いかにも第三者の意見を聞いています、みたいな顔をしている、と言ってね。審議会の人選を公募にし、経歴などを発表して選び、議論の途中経過も100%公開にしろ、と。
広瀬 まったく同感です。人選を公募にし、会議の委員をわれわれ市民が選ぶというのは、いい方法ですね。
古賀 私は、日米構造協議のときにそれをやろうとしました。
たとえば、委員の中に必ず消費者の代表を入れなければいけないとか、いろんなことを政府のルールに書いたのですが、いまは完全に無視されています。
でも、公開については、民主党政権のときはかなり徹底して行われ、映像を生で流すこともかなりやっていました。
広瀬 議論が公開されるのはいい。誰が何を言ったかわかる。アメリカ・ヨーロッパに比べて、日本人の伝統的な欠陥は、秘密主義ですからね。
古賀 それをネットで生放送し、「○○委員がこんなバカなことを言いました」などとツイッターとかで拡散していくといいのです。そうするべきだ。
広瀬 古賀さんには、これからも大いに期待しています。大声で世の中を変えてゆきましょう。
2回にわたる対談、内幕が分って面白かった。ありがとうございました。
(おわり)
なぜ、『東京が壊滅する日』を
緊急出版したのか――広瀬隆からのメッセージ
このたび、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』を緊急出版した。
現在、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍超。
2011年3~6月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」、甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」(文部科学省2011年11月25日公表値)という驚くべき数値になっている。
東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻だ。
映画俳優ジョン・ウェインの死を招いたアメリカのネバダ核実験(1951~57年で計97回)や、チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増。フクシマ原発事故から4年余りが経過した今、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』で描いたおそるべき史実とデータに向き合っておかねばならない。
1951~57年に計97回行われたアメリカのネバダ大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出した。220キロといえば、福島第一原発~東京駅、福島第一原発~釜石と同じ距離だ。
核実験と原発事故は違うのでは? と思われがちだが、中身は同じ200種以上の放射性物質。福島第一原発の場合、3号機から猛毒物プルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これがセシウムよりはるかに危険度が高い。
3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多いからだ。
不気味な火山活動&地震発生の今、「残された時間」が本当にない。
子どもたちを見殺しにしたまま、大人たちはこの事態を静観していいはずがない。
最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか?
同時に、日本の原発から出るプルトニウムで核兵器がつくられている現実をイラン、イラク、トルコ、イスラエル、パキスタン、印中台韓、北朝鮮の最新事情にはじめて触れた。
51の【系図・図表と写真のリスト】をはじめとする壮大な史実とデータをぜひご覧いただきたい。
「世界中の地下人脈」「驚くべき史実と科学的データ」がおしみないタッチで迫ってくる戦後70年の不都合な真実!
よろしければご一読いただけると幸いです。
広瀬 隆(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『日本のゆくえ アジアのゆくえ』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。
1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。大臣官房会計課法令審査委員、産業組織課長、OECDプリンシパル・アドミニストレーター、産業再生機構執行役員、経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長などを歴任。2008年、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任し、急進的な改革を次々と提議。09年末に経済産業省大臣官房付とされるも、10年秋に公務員改革の後退を批判、11年4月には日本ではじめて東京電力の破綻処理策を提起した。その後、退職勧奨を受け同年9月に辞職。大阪府市エネルギー戦略会議副会長として脱原発政策を提言するほか、著書・メルマガを通じ活発に提言を続けている。おもな著書に『国家の暴走』『日本中枢の崩壊』『官僚の責任』『利権の復活』『原発の倫理学』など。