先日、静岡の沼津へ出かけた際、ふらりと立ち寄った店にスーパーに、「ハイラーメン」というインスタントラーメンが売っていた。
【北海道で発売されている「ダブルラーメン」】
袋にドーンと大きく「マルちゃん」のマークが入っているものの、東京では見たことがない商品だ。最近流行している「ご当地限定商品」というやつですか、とお店の人に尋ねたら、意外な答えが返ってきた。
「マルちゃんマークが初めて使われた商品で、昔は全国で売っていたそうですが、新しい商品が出たことでどんどん置かれなくてなって今では静岡県内の店でしか置いてないんですよ」
確かに、東洋水産の「商品情報」を除くと、発売日は「1962年」とある。ちなみに、インスタントラーメンの元祖が「日清チキンラーメン」だというのは、あまりにも有名だが、こちらは鍋で煮込んで、、粉末スープをといたどんぶりに入れるタイプの元祖らしい。
50年以上ひっそりと静岡のみで売れ続けるラーメン。なんだか絶滅危惧種みたいだなと思ったら案の定、一部のインスタントラーメン愛好家から「幻のラーメン」なんて言われているらしい。
一体どんな味なのか、と好奇心から買ってみたら、昔ながらのちぢれ麺で、スープはチキンラーメンのようにあっさり味ではなく、白濁してトロッとしていた。子どものときによく食べた駄菓子屋の味的なものをイメージしていたが、2010年に48年ぶりに味が全面リニューアルされたということもあってか、ジャンク感はありながらも今風の味で普通にうまい。
今度はもうちょっと多めに買ってみよう。そう思って次に静岡方面へ向かう予定は、と考えているうちにはたと疑問が浮かんだ。
いろいろな新製品が出回るという状況は静岡だって変わらない。なぜこの地の「ハイラーメン」だけは生き残ることができたのか――。
●なぜ静岡だけで売っているのか
まず考えられるのは、静岡県民が「ハイラーメン」が好きでたまらないという、『秘密のケンミンSHOW』でいうところの「ケンミングルメ」だという可能性だ。確かに、かの地には、「富士宮焼きそば」なんかもあるわけなので麺類好きがたくさんいそうなイメージがある。
実際に今から14年前の『毎日新聞』(2002年9月1日)は、「ハイラーメン」が売れ続けている静岡について「即席めんとの関係は古く、強い」と評し、その理由として「有名なラーメン街などがない」「農漁業が盛んな地域は、繁忙期もすぐ食べられるためインスタントが売れる」などを挙げていた。
ただ、47都道府県の中にはラーメン文化がない地域など山ほどある。農漁業が盛んな地域もしかりであるし、仮に「即席めん文化」があるにしても、数多くの新製品がある中で「ハイラーメン」が追いやられないことの説明になっていない。
また、2012年~2014年の総務省家計調査の平均値を抽出した方のランキングを見ると、静岡は東京、沖縄に次いで即席めんの消費量が少ない。(「都道府県別統計とランキングで見る県民性」より)
消費量だけで「人気」を推し量ることはできないが、さすがにワースト3の地域で50年以上も同じ商品が支持されるのには特別な理由がなくてはならない。事実、静岡よりも即席めんを消費している44の地域では、「ハイラーメン」は消え去っているのだ。
悩んだところでラチがあかないので、製造元の東洋水産に聞いてみることに。
取材を申し込むほどの話でもないので、お客様相談室に電話をかけて質問をしたところ、こちらが恐縮するほど丁寧に、理由を教えてくれた。
担当者の方曰く、静岡だけで「ハイラーメン」が売れ続けているのは、東洋水産の創業者が、静岡の出身者だということで、創業当時から長いお付き合いをしているお店や業者が県内に多くあり、いまだに置いてくれているというのだ。
「そんな理由?」と思う方もいるかもしれないが、個人的にはこれを聞いて妙に納得した。東洋水産の創業者・森和夫氏は業界内外に広く「ファン」がいることで知られているからだ。
●「ハイラーメン」が生き残れた理由
インスタントラーメン業界のカリスマといえば、「世界のラーメン王・安藤百福(あんどう・ももふく)」をイメージするだろうが、森氏も負けていない。というより、実際に彼らは火花を散らした「ライバル」だった。
両者の対立が注目されたのは、1976年。東洋水産が米国で設立した現地法人「maruchan」のカップめんの製法を、日清が特許侵害だと訴えたことだった。
『大抵の企業は、安藤の気迫におじけづき降参するが、森は真っ向から対決した。米国の裁判所を舞台にした両社の激しい応酬は裁判慣れしている地元企業をも驚かせた。結局、二年後に和解が成立したが、安藤にとって森は最もやりにくい相手らしい。日清食品と特許紛争を経験した明星食品社長八原昌元も「森さんは食品業界では珍しく気骨のある人」と一目置く』(日経産業新聞1984年6月12日)
ご存じのように、日清はチキンラーメンの特許を開放しました、とカップヌードルミュージアムやらで誇らしげに胸を張る一方で、競合を特許侵害等でよく訴える。そんなゴリゴリの武闘派を前にしても、自らが正しいと信じることを貫く森氏に惚れ込む人は少なくない。作家・高杉良氏もそのひとりだ。森氏を口説き落とし、ご本人をモデルにして、恫喝的な手法を使って競合の邪魔をする「日華食品」に立ち向かう不屈の経営者を描いた小説『燃ゆるとき』(角川書店)を執筆している。
森氏は静岡県賀茂郡田子出身。また、地域の財界人を多く輩出をしている下田北高校のOBだ。お膝元でシンパも多い中で、これだけ魅力ある人物ならば、東洋水産びいきの販売店・流通業者が多くなるというのも容易に想像できる。
もちろん、森氏が地元・静岡の活性化に積極的だったことも無関係ではない。
魚肉ソーセージなど加工食品がメインだった東洋水産が「ハイラーメン」の生産を開始したのは、1960年に設置された焼津工場。つまり、即席めん事業参入時点から、森氏は故郷で勝負をかけていたのだ。
●北海道に対して何か「思い」があった
地元愛はその後の立ち振る舞いからも分かる。田子でカサゴの漁獲が減ったと聞けば、稚魚を放流した。その後、放流事業は東洋水産の社会貢献活動となり今年で18回目を迎えている。
このような森氏の「静岡愛」が地元の方にも伝わっているからこそ、50年以上も「ハイラーメン」が支持されているのではないのか。
なぜそのように感じるのかというと、「北海道」のケースもあるからだ。実は東洋水産には「ハイラーメン」と同じくらい歴史の長い即席めんが今も売られている。「ハイラーメン」が出た翌64年に発売し、現在も北海道民に愛されている「ダブルラーメン」だ。
こちらは、「ハイラーメン」のように全国発売をしていたわけではなく、ハナから北海道限定商品として世に出された。ライバル・日清が北海道に工場をつくったのが1978年ということを考えると、驚くほど早い北海道進出だ。
水産加工会社である以上、北海道に目をつけるというのは分からんでもないが、即席めん事業自体が全国でもそこまで軌道にのっていない段階だ。なぜ森氏は誰よりも早く「北海道民のための即席めん」をつくろうと思ったのか。
お亡くなりになっているので、真相は分からないが、個人的には北海道に対して何か特別な「思い」があったのではと考えている。
その理由は「依田勉三(よだ・べんぞう)」だ。
は? 誰それ? と思うかもしれないが、北海道土産で有名な「マルセイバターサンド」で知られる「マルセイバタ」(初の北海道産バター)を製造した人物だ。慶應義塾大学で学び、北海道開拓の重要性に目覚め、開拓者集団「晩成社」を率いて帯広を開拓した「十勝開拓の祖」として知られている。
北海道ではわりと有名な人だが、実はあまり記録が残っていなかった。それが1994年、それまで見つかってなかった勉三直筆の手紙など80点が帯広百年記念館に寄贈された。
『勉三直筆の手紙などを贈ったのは、東洋水産社長の森和夫さん(78)=東京在住=。森さんは静岡県松崎町の出身で、勉三の古里。同じ町で森家と依田家の付き合いがあったらしく、以前から森さんの実家にこれらの資料があったそう。同社が帯広で子供のスポーツ大会のスポンサーなどをしている関係もあり、「眠っている資料を役立ててもらえれば」と寄贈した』(1994/10/08 北海道新聞)
●本当の意味での「ご当地商品」
依田勉三という郷土の偉人と同じく、北海道を重要なエリアだと考えていた可能性はないか。そうでなくとも、思い入れの強い地域だったことは間違いないはずだ。
いずれにせよ、森氏と縁の深い静岡、北海道という2つの地域に、50年以上のロングセラー商品がそろって存在しているというのはまぎれもない事実だ。
森氏にとってこれらの商品は、その土地に生きる人々の生活を豊かにしようという思いがこめられた、本当の意味での「ご当地商品」ではなかったか――。
依田勉三の資料を寄贈した翌年、森氏は社長を退いた。会長職となってからは時間に余裕ができたのか、故郷・静岡の発展に尽力。先ほど触れた田子の放流事業などがスタートしたのもちょうどこの時期だ。
そんな森氏勇退のタイミングで、日清が当時の世界最大規模となる製めん工場を、東洋水産の焼津工場からほど近い場所に建設した。安藤百福氏の次男で社長の宏基氏は、「本州の中央部で物流面で便利であることと、水、電力が豊富なこと」(1995/04/13 静岡新聞)を進出理由として挙げた。
宏基氏といえば、マーケティング部長時代、「どん兵衛」を生み出したことで知られている。先の小説『燃ゆるとき』では、あれは当時空前の大ヒット商品となっていた「マルちゃんのカップうどんきつね」(「赤いきつね」の前身)をパクったものとして描かれた。
「日華食品」なんて悪役に仕立てた森氏への「意趣返し」のようにみえてしまうのは、考えすぎか。
(窪田順生)
読み込み中…