死刑でも構わない人って実質刑罰がないようなものですよね
7月26日、相模原市の障害者施設で凄惨な事件が起きました。
記事を書いている現時点で19人が死亡となっているこちらの事件ですが、容疑者はおそらく死刑になるのではと言われています。
現在の司法では最高刑で死刑であり、これ以上重い刑罰はありません。
今回の事件は、戦後に起きた殺人事件の中でも最悪レベルの事件であり、どんな判決が出ても驚きはしないのですが、ニュースで容疑者を見ていても、死刑を恐れているような雰囲気はありません。
そこでふと、死刑でも構わないという人にとって、実質刑罰がないようなものだなと思ったのです。
犯罪を犯した者を処罰する事が出来るのは刑罰しかない
犯罪を犯した者を処罰する事が出来るのは刑罰しかありません。
被害を受けた本人やその家族が処罰する事は出来ず、裁判所の判決に従って刑罰が決定します。
刑罰には、死刑、懲役刑、禁固刑、罰金刑など、いくつかの種類がありますが、もしもこれらを全て受け入れても構わないという人が犯罪を犯した場合、実質刑罰がないようなものです。
お金が有り余る程ある人が罰金刑を受けても痛くもかゆくないのと同じような話ですが、自らの命を何とも思っていない人が死刑を受けても痛くもかゆくもないのではないでしょうか。
もちろん意味がないとは思っていない
もちろん、意味がないとは思っていません。
死刑判決が出る事で犯罪抑止に繋がると言われていますし、凶悪犯罪者が世に出る事が無いとなれば、その分平和に繋がるのかもしれません。
死を受け入れたら何をしても良いのか
良い、悪いの話ではないのは重々承知しているのですが、これ以外の言葉が見当たらないのでこのまま進めさせて頂きます。
もしも、死を受け入れている、もしくはもう余命が残りわずかだと認識してしまっている人の場合、最高刑である死刑はもはや刑罰でも何でもない状態になります。
そうなってしまった場合、その人の主観で考えると、どんな犯罪を犯しても良いという感覚になってしまいます。
もちろん、他の人の命や財産を奪っても良いはずがありません。
あくまでそうなってしまった状態の人の主観での話です。
最高刑が死刑である以上、この状態の人に抑止効果がないという事になります。
死刑以上の刑罰は存在するのか
では、死刑以上の刑罰が存在するのかという話になりますが、死刑の方法を変えるくらいしか僕には思い浮かびません。
拷問の後に死刑などですが、その場の苦しみを与える事は出来ますが、それはどうなんだろうと思います。
結局、僕よりも何十倍も頭の良い人達が議論を重ね、色々と試行錯誤されてきて、現在の司法になっているのだとは思います。
しかし、何となく腑に落ちない点もあって、モヤモヤしてしまうのです。