気になったので書いておきましょう。
「本来の◯◯はこういうものだ、◯◯を汚すな!」
端折りますが、「本来クラウドファンディングはこういうものだ!このままではクラウドファンディングがダメになる!」みたいなトンチンカンな批判記事を読んだ感想です。
もっともっとクラウドファンディングを汚してしまいたくなる記事だ!/ クラウドファンディングを汚すのはマジで止めて欲しい - Outward Matrix https://t.co/OIQP814vyJ
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年7月25日
ほしいものがあるけどお金が足りないなら、クラウドファンディングやればいいと思う。集まらなければそれまでだし、集まればもうけもの。自分を切り売りしてみれば、マーケット感覚もつかめるしね。
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年7月25日
「本来◯◯はこういうものだ、◯◯を汚すな!」みたいな批判のカッコ悪さは異常。本来も何も、それは単なるあなたの思い込みでしょう、という。
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年7月25日
これはひとつの「トンチンカン・批判フォーマット」でして、ぼくもさんざ言われていますw
「イケダハヤト風情が作家を名乗るな」とか「お前は起業家ではない」とか。知らんがな!!
「本来の◯◯はこういうものだ、◯◯を汚すな!」的な批判のナンセンスさは、第一に、自分の正しさに固執している点にあります。完全なる「俺ルール」の押し付けですよね。
加えて、変化を受け入れるマインドが希薄です。クラウドファンディングにせよなんにせよ、あらゆるものは変わっていくわけです。人間だってもともとはサルじゃあないですかw
最後に、こういう人は、自分の力を過信しています。「本来の◯◯はこういうものだ!こうあるべきだ!」とブログで叫んだところで、世界は1ミリも変わりません。本質的な変化は止められないのですよ。
家入さんのツイートも拾っておきます。「インターネット的ではない」というのは面白い表現ですね。
クラウドファンディングとはこうあるべき、起業とはこうあるべき、なんて「あるべき論」が、その手段の可能性を狭めるというのは、歴史を見ても明らかなんだよな。高尚なものに仕立てたいのかも知れないが、それでは一部の人しか恩恵を受けられないものになってしまう、それはインターネット的では無い
— 家入一真 @CAMPFIRE (@hbkr) 2016年7月25日