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ジョーカー様

 投稿者:フェミニン  投稿日:2016年 7月27日(水)12時49分58秒
  一日に何回も見る状況にないものですから、今朝、起き抜けに板を見ました。
もう違う話題で荒れて(?)いたので、今さら書いても古い話題かと思いましたが、御礼だけでもと思い、昼休み中に取り急ぎ書いています。

何人かからレスがありましたけど、「どうナナメに読んだらそういう理解になるんだ」と、私自身、理解に苦しむものもありました。まあ朝の出勤前の気忙しい中での書き込みなので、至らない点があるのは承知していますが。

そうした中で、ジョーカーさんは真意を汲んで下さり、さらに的確な解説まで加えて下さいまして、なんかホッとしました。

>>先生の真意は、女性の副会長を誕生させたいのだが、それが許されないほど、男の世界(中枢)はどす黒いぞということではないか。その中に、安易に、創価学会の宝である女性を、放り込むわけにはいかないという判断なのではないか。

幹部から話を聞いたとき、私だけでなく、皆(といっても数人ですが)、そのように解釈したと思います。

私も、本質的には女性の会長、副会長に、何の抵抗も存念もありません。
ただ、時代は確かに男女共同参画が求められているとはいえ、学会の中はある種異様な世界であり、先生がそのご指導を示された頃と比べ、女性を就かせられない要因が本当に取り除かれたと言って良いのか、そこはやはり充分に考えなければならないと思います。

男女共同参画と言うのなら、むしろ女性の支部長や地区部長登用の方が、時代の趨勢であり、学会としても全国的な課題である支部長・地区部長不足の解消になるのではないかと思います。
もっとも、ジョーカーさんも仰っている通り、プライドや嫉妬から反発する壮年もいそうですけどね。

そして女性会長。
会長職は、単に副会長の先にある役職ではないのは、異論はないと思います。
戸田先生が、「一切衆生の異の苦は…」を引かれ、学会の会長職は苦しいものだという述懐が、小説・人間革命に描かれていますが、まさに男性・女性に関係なく、その意識と自覚こそが、会長職に求められるのではないでしょうか。

最近の会長職に就いている人を見ると、とてもそう見えないので、「会長になりたい」などと、安易にとんでもないことを言い出している輩が多いようですが。

すみません、もう昼休みも終わりますので、まずは御礼申し上げます。
ありがとうございました。
 

【仏法と病気の関係性】18/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時45分46秒
  最後に戸田先生の〝業病〟に対する指導の抜粋を記して終わります。(※読みやすいように変換)

――いまの世間を見るに、医者ではどうしても治すことができない業病の多いのには驚く。
本人の嘆きはもちろんのこと、家族の嘆きは筆舌につくせない。かわいそうでならないのだ。

何とかして一日も早くこれを治してやりたいものと思わざるを得ない。
凡夫の身として医者も治せない業病をどうして治すことができようか。

深く憂い、深く悲しみ、そのご指南を大聖人に受ける以外にないことを知って、
御書を拝見するのに明々白々として、これが治療の方法を知ったのである。

それはご本尊を信じてこれを行ずる、すなわち〝信力・行力〟が〝法力・仏力〟となって、
人の力では及ばない大現象をそこに出現するのである。

過去世の業因によって起こったところのものは、もっとも難病中の難病である。

たとえば、小児マヒ、精神病、脳水症等である。
治し難き業病の最も重いのは、過去世の法華誹謗によることは明らかである。
また、業病は過去世の謗法によるものだけではなく、現世においても同じく言うのである。

「軽き有り重き有りて多少定まらず」(御書一〇一〇頁)と仰せの軽いものは、
今世の業因によるものである。

法華経こそ一切の病の良薬であり、変毒為薬の妙なるものである。
謗法は毒であり、これを治しうる法は良薬である。

業病の因たる謗法の毒を法華経の力によって良薬に変ずるのであるから、
これすなわち変毒為薬である。

「人の地に倒れてかえって地によりて起つ」(同頁)、すなわち法華経誹謗の業因あるものは、
法華経以外のものによって、治すことはできないことは明々白々である。

いま一例をひく。

小児マヒの子供をもった親があったとする。子供は御本尊を拝むことができない。
しかし、親は御本尊を信じ行ずることができる。

この親が大信力を起こして大御本尊を拝み、折伏を行ずるならば、その子供は治るのである。

しかし、その子供があまりにも業因が深くして終生その病気に悩まなければならない場合は、
その子供は生きることができないで早く死ぬのである。

なぜ死ぬのであろうか。

それは小児マヒの子供を持つ親には、そのような子供を持つ業因があるのである。

されば、信心することによって親の業因が消えたとするならば、
小児マヒの子供を持つ宿命がなくなったことになる。

そうなると、これに応じて子供は治るか、死ぬかのどちらかでなくてはならないのである。

付記していっておくが、金を持てない、家を持てない、というような貧乏な暮らしの宿命は、
身の業病ではないけれども、やはり業病の一種になる。

医者でも薬でも治らないゆえに、といえば冗談になるが、
だれ人の力をもってしても、どうすることもできない。

ゆえに、そういう人は大御本尊を信じ、信力・行力を励まなければならない――

(戸田城聖全集第一巻一四二頁)

おわり
 

【仏法と病気の関係性】17/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時45分8秒
  たとえ信心を一生懸命がんばっていたとしても、私たちは生身の人間なのですから、
当然、病気にだってなるし、身体の調子が悪くなる時だってあります。

信心しているのに何でこんな病気になったのだろうと疑問に思うこともあるし、
病気をしたら信心が無いみたいに思う人もいるかも知れません。

しかし、法華経には「少なく病み少なく脳む」とあります。

多少の病気や身体に痛みがあったとしても、そんなにイライラしないで

「ああ、この病気のおかげで私は地獄に堕ちずに済むわぁ。よかった♪」

「持病の頭痛やヘルニアは、きっと今世で悪いことをしたからだわ !
もう謗法は絶対しないように気をつけよう。よかった、原因がわかって♪」

「病気のおかげで自分を見つめることができてよかった、功徳だわぁ♪」

というぐらいのおおらかな気持ちで病気とうまく付き合っていったほうが価値的です。

病気の根本治療はやはり「謗法を犯さない」ことに尽きます。
そのために〝謗法とは何か〟〝悪とは何か〟を学ぶことは必要なことです。

しかし、それでもやっぱり凡夫ですから間違いを犯すことだってあります。

もしも病気になった場合は、悩んで落ち込むより、
そこに意義や価値を見出し、前を向いて人生を生きていくほうが得です。

また必ずそういう境涯になっていけるのが日蓮仏法の真骨頂なのです。

結局、苦しみの〝生老病死〟の人生を、喜びに満ち溢れた
〝常楽我浄〟の人生に転換していくのが信心する最大の目的なのです。
 

【仏法と病気の関係性】16/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時44分23秒
  また、涅槃経には

「今世に悪業を成せば、来世には必ず地獄に堕ちて大苦悩を受けなければならないが、
〝仏・法・僧〟の三宝を供養することによって地獄には堕ちない。

そのかわりに現世にその報いを受けて〝頭と目と背の痛み〟となって現れる(通解)」

(御書一〇〇九頁)とも説かれています。

つまり、今世で正法誹謗の悪業を行えば来世に必ず地獄に堕ちるが、
それを悔い改め、反省してご本尊を信じ、広宣流布の実践に励んでいるなら、
地獄に堕ちるべき悪業の報いを現世で軽く受けることができるという意味です。

止観には

「もし重罪があっても、今世で軽く償う場合には悪業を消滅させるために病気になる」

と説かれています。

そしてそれが〝頭・目・肩・腰の痛み〟などの病気と現れ今世で罪業を消しているのです。

これらの経文や論釈は〝病苦〟という角度から、それを治す原理が明かされたものです。

だから

「信心しているのになぜ病気になるの、なぜすぐに治らないの」と

いちいち文句を言わずに、この病気で過去の償い(罪障消滅)をしているのだと思えば良いのです。

信心さえしっかりしていれば、嘆く必要はありません。
 

【仏法と病気の関係性】15/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時43分45秒
  「魔」や「業」による病は、生命それ自体の問題であり、結局、
自らの強い信心によって「病魔」を打ち破っていくしかないのです。

大聖人は

「悪逆を犯した阿闍世王は、提婆達多や邪見の六師外道から
指導を受けていたので、仏には帰依しなかったのである。

ところがマカダ国に天変地夭が絶え間なく起こり、他国からは攻められて
事態は悪化していくばかりか悪瘡すら王の身に出て、国土は一時滅びるかにみえたときに、

王もにわかに改心し、仏の前にきて懺悔したのでその罪は消えた(趣意)」

(御書九三一頁)と述べています。

「懺悔」とは一般的に
過去の罪を悔いてお詫びするという程度に使われていますが、
この言葉はもともと仏法用語からきたものです。

仏法でいう〝懺悔〟とは二つの意味があって、

一つは過去に犯した罪悪を悔い改めて、仏や菩薩、また師匠や衆人などに公開してその内容を述べるということ。
二つは「端坐して実相を思え」と仏典(観普賢菩薩行法経)にはあって〝実相を思う〟とは信力・行力にあたります。

つまり、阿闍世王の難病が治ったのは、過去の罪を悔い改め、
正法弘通に精進したからこそ、病気を完治し、さらに四十年も寿命を延ばすことができたのです。

大聖人は

「小罪であっても懺悔しなければ、悪道を免れることはできないし、
大逆罪であっても懺悔すればその罪は消える(通解)」(御書九三〇頁)と断言しています。

病苦というものは、病気になった本人も、その家族や周りの人たちも辛く悲しいものにさせます。

辛く悲しいからこそ治したいのは当然として、

何のために治りたいのか、治してこれからの人生をどう生きていきたいのか、

それを考え、答えを見つけて、ご本尊に訴えていくことも大切なのではないでしようか。
 

【仏法と病気の関係性】14/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時43分9秒
  たとえば、今までさんざん学会の悪口を言い、同志の悪口を言って、
好き勝手にしていた学会員やその子供が病気になると、

その人は組織の同志に向かって

「地区・支部で唱題会を設けて病気が治るように題目を送ってほしい、私も題目に挑戦します」と言う――。

それは別に悪いことではないし「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇頁)なのですから、
病気になったことによって今までの信心の態度を改め、新たに決意することは良いことです。

なにもわざわざ組織をあげて唱題会を開催しなくても、
それを聞いた同志は何も言わず一生懸命に題目を送ってくれます。

それが草創期から築きあげてきた学会の伝統であり同志愛です。

しかし、業病が出た場合は少し違います。

確かにご本尊に祈れば「罪として滅せざるはなし」なのですが、
なんでもかんでもご本尊に題目をあげれば、

過去世の罪が〝すぐに帳消し〟になるわけではありません。

盗んだ物や、危害を加えた人や物をそのままにしておいて、
ただ題目をあげて罪が消えるわけがありません。

盗んだものは元にもどし、危害を加えたら謝罪し、罪を償うのが道理です。

そうであるならば「病気を治してくれ」という祈りの前に、

まずは懺悔滅罪(ざんげめつざい)の祈りが先です。

過去の悪業や非礼をご本尊におわびし、心新たに自行化他の題目(本門の題目)を実践することです。

自行の題目も、化他行の題目も実践しないで病気になったから「治してくれ」と
同志やご本尊にすがるのは、ただの乞食信心であり、単なるゴロツキです。

そうではなく病気を機縁として、

仏法の偉大さを教えてくれた師匠と同志に報恩と感謝を捧げ、
日々の弘教拡大の実践をしていくことによって、

重罪が転じて軽く受けることができるのです。

これが転重軽受の原理であり、そうして初めて宿命転換ができるのです。
 

【仏法と病気の関係性】13/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時42分29秒
  話をもどします。

このように御書を通して〝病〟を見ていくと、病の根本原因を突き止めるのは
大変難しく、非常に複雑な条件が絡み合って病気が発症していることが分かります。

そういう意味においては

「一、四大順ならざるゆえに病む」
「二、飲食節ならざるゆえに病む」
「三、座禅調わざるゆえに病む」

の三つは、病院へ行って治療すればまだ治る病気だと思います。

「四、鬼便りを得る」
「五、魔の所為」

にしても、近年の医学は目覚ましい進歩を遂げていますから
幾分の治療効果は得られていますが、まだ完全完治とはいえない状態です。

しかし

「六、業の起こるゆえに病む」

というのは医師ではどうすることもできません。

涅槃経には

「世の中に最も治しにくい病人が三人いる。

第一は大乗教を誹謗する人
第二は五逆罪を犯す人
第三は一闡提(いっせんだい)の人

このような三種の病人は病のうちで極めて重い(通解)」(御書一〇〇九頁)とあります。

一闡提の人とは正法を信ぜず、悟りを求める心がなく、成仏する機縁を持たない衆生のことです。

つまり、この三種が原因となって起こる病は極重病であると説かれているのです。

一般の人や、たとえ学会二世、三世、四世の人であっても、
それを知ろうと知るまいとに関わらず、

純粋に信心に励む人をバカにしたり迫害したりすれば、
その罪業は極めて深く重いために滅することは難しいのです。

だからこそ、その悪業を原因として起こる業病は治し難く極重病になるのです。
 

あらッ !?

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)12時00分14秒
編集済
  昨夜のヤンチャな若造たちは、今日は板を荒らしてないねぇ 笑

言いたいことを言って、スッキリしたのかな ?

お昼すぎに、残りを投稿したいと思います。

大事なところだから、今日は荒らしてはダメだよん !

あっ、ごめんごめん・・・荒らしではなく一つの意見だったね ! 笑
 

謝っとけば

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月27日(水)11時43分20秒
  神奈川の被害者や被害者家族、関係者に謝っとけば!?

無神経だよ
 

有る意味凄い

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月27日(水)11時39分44秒
編集済
  たとえそう思っても、普通は言えないことをサラリと言ってしまうとこが、あなたが愛される由縁でしょう。おめでとう  

再建

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月27日(水)10時43分36秒
  >法則が発動するなら月替わりに国内で大きいのが来そうです。皆さま警戒してください。<

ネット上にはいろんな情報が飛び交ってる昨今ですが。
学会や政治の動きに、いちいちといっていいほど自然が敏感に反応してるようにこの数年は感じられるのです。
これは明らかに警告という意味でしょう。
もう日本はこの世界は福運が尽きかけてるぞ、と。

工作員と思われる方は自然災害を馬鹿にする発言も今回ありましたが。
もう数年経ってから『詰んだ』かも。

僕は当初は宗門と学会本部を想定してましたが。
宗門については「不明」ですが、学会本部は「詰んだ」ようですね。
機能どころではないでしょう。

誰にもどうにもならないほどに、暴走しすぎた4人組と追従する執行部。
本部はこれだけやりすぎてしまってもはや福運が尽きたのでしょう。
『詰み』です。

そうなると元職員三人さんへ一点集中し再建の流れでしょうか。
三人さんは非常に重大な使命をお持ちのようですね。

その三人さんと僕は同じ神奈川。
偶然とは感じません。
僕は僕で連携をしながらの流れの将来が読めるし、そこからやっと僕の使命成就の活動なのかな~と。
僕のこれまでの人生は、全てそのための下積みだったのがよくわかります。
今は下積みの総仕上げの時期でしょうか。
一時は死を覚悟したけど、どうやら生き延びて使命を全うする人生のようです。
なんだか大聖人様の竜の口を経験した感触ですけど。

僕は再建の下準備を進めていようと思います。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

ジョーカー様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 7月27日(水)10時03分20秒
  お言葉を返すようで恐縮ですが、この先、信濃町「中枢」が消失もしくは機能停止する事態をも想定して、それぞれ現場にいる我々は動かなければなりません。

それをもたらすのが人為的に引き起こされる有事であるのと破局的な自然災害であるのとを問わずです。
また、先生がご健在のうちか亡くなられてからの事であるかに関係なく、今日起こるかも知れない事象として考慮に入れる必要があります。

仮に首都機能が壊滅するような事態が生じた場合、日本全土が無政府状態の混沌に突き落とされる危機に陥ります。
そうなった時、各々が住む町や村の数十人または数百人単位の認知可能な範囲での人間関係を基礎として自律的なコミュニティを形成し、社会秩序を維持しゆく方途を探らなければなりません。
創価学会の地区やブロックといった末端組織が今、そうした地域社会の再構成・再起動に寄与し貢献しうるフットワーク、人間力というべきものを兼ね備えているか、各人が所属する組織の現状をよくよく省みる必要にも迫られています。

21年前の大震災で、被災者の苦境を知らぬふりで固く門扉を閉ざす日顕宗寺院を目の当たりにしました。
今の学会本部の有様を見れば、危急時にどのような対応を取るか推して知るべしでしょう。
原田氏は長らく消息不明、一人難を逃れてどこかに高飛びしているやも知れません。怪鳥だけに。。。
だから、正木待望論だの女性会長・副会長だの言ってる場合じゃない。それどころではない総罰が降りかかってくると覚悟して、今いる場所で創価の旗を一人掲げて闘いを起こしていかなければ組織依存からの脱却はかなわないと思います。

日本時間の7月21日0時13分頃、南太平洋バヌアツ諸島付近を震源とするM6.0の地震が発生しました。
法則が発動するなら月替わりに国内で大きいのが来そうです。皆さま警戒してください。




 

ありがとうございます!

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月27日(水)10時02分41秒
  グリグリさんありがとうございます!m(_ _)m

教学が正しいものかの確認は自己責任が基本と実感してます。
例えば僕が出してる河合師範のあの講義にしても、単刀直入に「感謝」を言ってないことですね。
池田先生の指導にしても、ほんとに正しいものか、また具体的にどのように正しいのか、それを確認するのは信仰する本人の自己責任と思います。

苦労をして結果を出すからこそ歓喜と確信の持てる性質を損なわないために、あえて肝心な「感謝」を言わないのだろうと判断してるのです。
とはいえ、今はもう疲弊しすぎていて、単刀直入にしないと、功徳を得る前に亡くなったり退転してしまったりと、ハードルを下げる必要性があると感じます。

グリグリさん以上に優しく話すのはそう簡単なことではない様子は僕でもわかります。

ともかくもありがとうございます!m(_ _)m

ところで、実をいうと、夕べは撹乱があったり他でヤボ用があったりでちょっとだけしかまだ読んでないのですf^^;
今日は時間ありそうなので丁寧に読んでいこうと思いますm(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

パー?

 投稿者:妖刀  投稿日:2016年 7月27日(水)09時57分46秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/52741
大好きとはなんだろう? ミーハーのファンの集いか?

ところで、昨夜からのアラシ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52741 輩
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52745 記者クラブ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52747 パセンジャ
同一人物ってバレバレ、も~ちょっと、頭を使ったほうがいいじゃないか。

ところで、パセンジャってなに?
もしかして、Passenger パッセンジャーの事?
 

太ちゃんさんへ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)09時34分27秒
  どうぞ、好きに使ってください。
いちいちグリグリなんかに許可をとる必要はありません。

そのために書いてます。

しかし、なるべく分かりやすく書いているつもりなのですが・・・

分かりますよねぇ 笑

これ以上、簡単には書けないから もし分からなければ後は本人の努力ということで !
 

グリグリさんありがとう!

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月27日(水)09時16分24秒
  これだけ充実した内容ですごいです!
ありがとうございます!m(_ _)m
ぜひ役立たせて頂きますm(_ _)m

ところで、今回のものを、僕側でやってるまとめ用掲示板やブログやグリーにいる同志へ向けてなどで、使わせて頂いてよろしいでしょうか?

病気に関するものはネット上にないわけでもないけれど、どれも高度すぎていて今の組織情勢に合わない(理解するのが困難)なものばかりなんです。
実際に必要になってる状況だと、むしろまだ理解できない状態が普通だろうことがわかるからです。
そのため後世のためにぜひ残してあげたいのです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

【仏法と病気の関係性】12/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時46分59秒
  では次に「遺伝」という角度から見ていきましょう。

〝親の因果が子に報い〟という言葉がありますが、

親から子や孫に体の形や性質が伝わる現象を遺伝といいます。
血液型や体質が親から子に伝わる現象などもそうです。

生物学などは遺伝を体形、体質、性質などに関わる伝播を問題にして論じているのに対して、

仏法ではそこからさらに一歩深い性質や思想などの
いわゆる〝生命の傾向性〟にまで踏み込んで論じています。

また親子に限らず、兄弟、夫婦、さらには社会、世界という単位でも
一つの傾向性をもった生命が集まるという広げた概念を説いて、

それを「眷属」と呼びました。

遺伝と眷属の考え方の違いは、根本的には遺伝がその〝仕組み、仕方〟を述べているのに対して、
眷属はその〝因果〟を明らかにしているところです。

つまり、親から遺伝を受けた〝仕組み〟が明らかになっても、
その遺伝を〝なぜ〟受けなければならないのかは遺伝学では解明していません。

つまり「なぜ自分が病気に・・・・」という悩みは、遺伝学では解決しないのです。

たとえば、色盲で生まれたのは、その生命の過去の原因によって、
色盲という結果をもって生まれたのでありこれを〝宿命〟といいます。

その現れ方は「色盲になる遺伝子をもった親のところへ生まれてくる」という形になるのです。

色盲という病気が宿命であるならば、その宿命をどのように転換していくのか
ということになれば、これはもう遺伝学の分野ではなく、仏法の領域です。

そしてそれを完璧に解き明かしているのが、大聖人の仏法(大生命哲学)なのです。


・・・つづく (たぶん夕方)
 

【仏法と病気の関係性】11/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時46分20秒
  さて、大聖人は

「大乗教を信奉している人々でも、それが劣っているにもかかわらず、
我が宗は法華経よりも勝れているなどと言う人たちが多く出てきている。

もし権力者がこの誤りを用いれば、これによって三毒・八万四千の病(伝染病など)が起こる。
大乗教の人々が自らの依経をもって治そうとしても、かえって病はますます倍増し悪化する。

また彼らが法華経で治療にあたっても功力は現れない。なぜかといえば、
経は勝れてはいるが〝行者が誤った者〟だからである(趣意)」(御書九九六頁)

と述べています。

信心していても「身の病・心の病」で何年も苦しんでいる人がいます。可哀そうでならない。

しかし、一度ゆっくり立ち止まって上記の御文を自分に当てはめて考えてみてはどうでしょうか。

同志が御書や信仰体験(病気)を通してアドバイスした話を
しっかり聞いて、その通りに実践しているだろうか。

自我意識にとらわれ、利己主義になっていないだろうか。

御書根本・池田先生根本で信心している同志を軽んじてはいないだろうか。

我流の信心をしていないだろうか。

誰のせいでもありません。苦しんでいるのは自分自身です。
自分自身が自らの行動で治していくしかないのです。

まずそう決意して、医師に依存するのではなく、
医師の助けをかりながら病気と向き合うのが、もっとも健全なのだと思います。
 

【仏法と病気の関係性】10/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時45分40秒
  原理はこれと同じで、大乗教が絶対と思い込んで

法華経に敵対し、法華経よりも勝れているなどの邪見を起こせば、

極めて深刻な諸病を誘発してしまうのです。

それは部分による全体の混乱は、生命の調和を極端に破壊していく方向に導くからです。

ちなみに、涅槃経には阿闍世王の故事が記されていますが、

それによると、提婆達多にそそのかされて悪逆を行った阿闍世王は、その後、
強い後悔の念から熱を出して五十歳になる年の二月十五日に全身に大悪瘡(悪いできもの)ができ、

悪臭を放つため人々が近づくこともできない状態になり三月七日に死ぬと予言されました。

阿闍世王の母がいろんな薬をつけたが、かえって悪瘡が増えるだけで少しも軽くならなかった。

阿闍世王は母に対して

「この悪瘡は心から生じたもので四大の不調和から起こったものではないから、
世間の者がこの病を治せるといってもその道理がない」と言います。

阿闍世王の悪瘡はおそらく今でいえば、末期の皮膚ガンと思われます。

阿闍世王は自分をそそのかした提婆達多が生きながらにして地獄に堕ちたことを知り、
自身の悪業への後悔から仏法に帰依し、仏の慈悲によって救われ、

その後、四十年も寿命をのばして釈尊滅後もおおいに仏法を宣揚し、
第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど仏法のために尽くしました。
 

【仏法と病気の関係性】9/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時45分6秒
  それらを簡単にまとめると、

そもそも生命の表層部に現れる煩悩(三毒)は、浅く弱いものもあれば、
心の奥深くから強烈に湧き起ってくるものもあります。

仏法はそうした人々の〝煩悩(三毒)〟の浅深に応じて、
浅い法から深い法へと重々の法門を立て分けて説いたのです。

浅い煩悩(三毒)ならば、浅い法でも治療できますが、
深層部から湧き出てきた深い煩悩(三毒)ならば、深く勝れた法でなければ治すことはできません。

たとえば、社会的・心理的ストレスによって起こる〝怒りや欲望〟が原因で、
心の調和が乱れたとしても、これらはまだ心の深層部までは及んでいませんから、

小乗のような劣った法でも調整し快復させることができます。

ただし、小乗教の浅く劣った教えに「執着」して大乗教に背くと、
その心の煩悩(三毒)が原因となって、さらに治療がむずかしい難病(心の病)を生ずるのです。

小乗教に執着する人に起こる特有の心の病は、善良な人とは比較にならないほど

強い自我意識にとらわれた〝利己主義〟です。

これによって出てくる煩悩(三毒)は、
社会的・心理的ストレスによって起こる煩悩(三毒)よりも一段と強烈なものです。

たとえば、他者への瞋りは心身症(皮膚病・胃腸障害など)を引き起こします。

社会的・心理的ストレスによって起こる瞋り(心身症)はまだ根が浅いですが、
小乗教に執着した人が起こす瞋り(心身症)は根が深いのです。

この場合、どちらも病気(心身症)としては同じですが、病気(心身症)を引き起こしている

〝瞋り〟が、何を対象とし、生命のいかなる深さから出てきているかによって、

治療の難易度は全く違ってくるのです。

つまり、小乗教に執着することによって起こった二乗の心身症は、大乗教によって
利己主義を打ち破り、利他の精神に転換させない限り治すことはできないということです。
 

【仏法と病気の関係性】8/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時44分28秒
  さらに大聖人は

「身の病は医学によって治せるが、心の病は仏法でなければ治せない。
その理由は、心の病は〝三毒〟を基本として起こる病気だからである(趣意)」(同頁)

と述べました。

三毒とは〝貪・瞋・愚(とん・じん・ち)〟の三種類のことですが、

具体的に言うと

「貪」とはむさぼるように愛する・溺愛・偏頗な愛情という意味です。
「瞋」とは瞋恚(しんに)ともいい、いかりのことです。
「愚」とは愚癡(ぐち)・おろか・無智という意味です。

つまり、人間の心のなかに渦巻く〝三毒〟をはじめとするさまざまな煩悩により
〝心の世界〟の調和が乱れることによって心の病が起こるということです。

たとえば、親が偏った愛情や溺愛で子供を育てると大抵の場合、

その子供はわがままに育ち、成長すると親に反抗するか、もしくは家庭内暴力に発展するか、
もしくは社会に適応できない大人に育つ可能性があります。

親は親で無智と愚かさゆえに、親自身がそういうふうに育てたとは思わず、
子供に対して怒り、グチり、自分の思い通りにならなくなって、

いつしか「うつ状態」に陥って苦悩する――。これなどは典型的な三毒による心の病です。

要するに〝心の病〟とは、生命の濁りによって引き起こす病であるとともに、
生命の濁りが原因となって身の病も起こる場合があるのです。

そして心の病が原因となって起こる身の病は、単に身体の治療だけでは
根本的解決にはならず、他の病気と同じ症状でも治りにくい状態が続くのです。

仏法では心の領域は広大であり、空間的にも時間的にも宇宙大であると説きます。

大聖人はこのような広大な領域をもつ心の病には「重々に浅深・勝劣に分かれている」(同頁)

と述べ、五重の相対を通して心の病の浅深・勝劣を論じました。
 

【仏法と病気の関係性】7/18

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月27日(水)08時43分43秒
  これらは病の起こる原因の違いによって立て分けたもので

原因の深さによってもその対処法は変わってきます。

たとえば、肝臓の病気を持つ人でもその原因が、
お酒を飲みすぎたことによって肝臓の病気になったのか、

それとも酒もタバコもせず、
健康に気を使っていた人が突然、肝臓の病気になったのか、

同じ肝臓の病気を持つ人でもその原因はさまざまです。

このように一応は六種類に立て分けていますが、

実際のところは本人が専門の医師に調べてもらい、
本人の話や信心状態をよく聞かないと正確な対処法はわからないということです。

また、御書には「人には二つの病があって、一つは身の病で四百四病あり、
二つは心の病でこれは三毒と八万四千の病がある(趣意)」(御書九九五頁)とあり、

止観には「四大はこれ身の病、三毒はこれ心の病」とあります。

〝四百四病、八万四千病〟というのは、
実際の数字というよりそれほど「多数ある」という意味だと思います。

身の病とは四大(地水火風)の不調和が引き起こす病気のことで、四大の質、量ともに
調和している時は健康ですが、そのバランスが崩れた時に病気になると考えられています。

四大の不順をもたらす原因としては、気候の変化、食物の過不足、生活リズムの乱れなどが挙げられます。

大聖人は「身の病はたとえ仏でなくても名医が薬で治療することによって治すことができる(趣意)」

(御書九九五頁)と述べています。
 

清廉潔白な人物

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2016年 7月27日(水)04時48分43秒
編集済
  以前、ここの掲示板でしたでしょうか、別のなんらかの記事だったでしょうか、読んでなるほど、と思ったことがあります。
清廉潔白で、まったく攻撃する弱点が見当たらない、非の打ちどころのない人物を蹴落とすために用いられるのは、異性問題のデマをでっちあげて拡散することだ、と。
池田先生を貶めようと、あの手この手で週刊誌がにぎわっているなか、先生は、ゆうゆうと変わることなく、広布の指揮に汗しておられたのを思い出します。
 

JACK 様

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2016年 7月27日(水)04時02分44秒
  御回答、ありがとうございました。そうですか。行事予定表の扱いは、地域によってばらつきがあるのですか。学生時代の東京、地元にもどってからも勤務関係で何度か地区を渡り歩きましたが、すべて行事表は全員に配布されていましたので、それが当たり前だと思い込んでいました。
地区協議会に参加していないひとには、協議会できめられた座談会の日時、またあとで打ち出された行事を書き込んであげて訪問時に渡しておりました。しかし、昨年秋ごろから、ある役職以下の人には配布できない、ときびしくなったので、憤慨しておりました。少々誤解もあったようです。ありがとうございました。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月27日(水)02時30分4秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-10-28 【創立記念日祝賀協議会】

■ 一、栄光燦(さん)たる学会の「創立の月」、おめでとう! (大拍手)
 全同志の尊き健闘ありて、わが創価学会は、すべてに勝って、創立76周年の「11・18」の佳節(かせつ)を、最高に晴れ晴れと迎えることができます。
 本当にありがとう!
 本当におめでとう!
 日本全国、そして全世界の同志のさらなるご健康とご長寿、ご尊家のご多幸とご繁栄を心から祈りつつ、祝賀のスピーチを留めさせていただきたい(大拍手)。

●異体同心が永遠の指針
 一、有名な「諸法実相抄」に仰せである。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)と。
 この「地涌の義」の大法則通りに、今、新しい人材が続々と使命の大地に躍り出て、新しい力を発揮しながら育ってきている。
 これほど、うれしいことはない。
 創価学会の前途は、太陽が赫々(かっかく)と昇りゆくように、限りなく明るく開かれている。
 先輩は、伸びゆく後輩を大切にすることだ。
 後輩は、先輩のよいところを見習って、大いに力をつけていくことだ。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(同1463ページ)
 この永遠の指針のままに、学会は「異体同心」で団結していくことだ。
 全員が尊き使命を持った地涌の菩薩である。
 全員が偉大なる広宣流布の同志である。
 我々には何一つ、差別はないのである。
 なかんずく、牧口常三郎先生は、「下から上を動かせ」と常々、教えられた。
 「上から命令を押しつけるのではない。下からの意見をどんどん聞いて、いかしていくのだ」 ── これが、先生の正しい価値観に基づいた組織論であった。
 その通りに実践してきたから、学会は常に活力を漲(みなぎ)らせながら、発展してきたのである。これからも、この鉄則を絶対に忘れてはならない。

●如説修行の人を諸仏・諸天は守る
 一、戸田城聖先生は遺言として、「信心は日蓮大聖人の時代に還(かえ)れ! 」と言い残された。これが、戸田先生の叫びであられた。
 創価学会の「創立の原点」とは、まさしく「大聖人の精神」に立ち返ることである。
 ここに、初代、2代、そして3代の創価の師弟を貫く魂がある。
 御聖訓には、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同989ページ)と説かれている。
 この「日蓮が如く」との仰せを違(たが)えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈(あっくめり)」「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の大難を乗り越えてきた。
 だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。
 無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。

●師匠の大恩(だいおん)
 一、仏法の根幹は「師弟」である。
 戦後、事業が挫折し、絶体絶命だった戸田先生を、青春の一切を捧げてお守りしたのは私である。
 先生は、その私に第3代を託し、全身全霊で育ててくださった。
 先生が、病弱だった私をどれほど心配され、どれほどの思いで御本尊に祈ってくださったか。その大恩は計り知れない。
 私は戸田先生の弟子である。
 その誇り高き自負を抱(いだ)いて、師匠のため、学会のため、広宣流布のために、あらゆる難を一身に受けながら、あらゆる批判に耐えて、私は、ここまできたのである。
 この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。
 「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。「師弟不二」に徹し抜いていけば、今の何倍も、学会は発展していくことができる。
 仏法の師弟を忘れた恩知らずの輩に、大切な学会を食い破られてはならない。妙法の宝剣で、魔と戦い、魔を断ち切っていくのである。

■ マズロー博士(アメリカ最高峰の心理学者)は、権力の魔性を鋭く喝破し、それを超克(ちょうこく)していく「リーダーシップ」のあり方を示している。
 博士は、警鐘を鳴らしている。
 「権力の獲得は、大抵の人達を、善よりも悪の方向に導いてしまう傾向にあるというのが私の印象です」(エドワード・ホフマン編、上田吉一・町田哲司訳『マスローの人間論』ナカニシヤ出版)
 人類の宿命的な命題であるといえよう。
 これを大転換していかない限り、不幸の流転を止めることはできない。
 博士は論じている。
 「権力を求める人間は、その権力を持つ資格のない者である」
 「仮にこのような人間が権力を得た場合、まちがった権力の行使をやりかねない。
 すなわち、征服、圧迫、人を痛めつけることなどによって、利己的快楽をほしいままにし、意識的、無意識的に権力の乱用をすることになる。このような人間がリーダーとなった場合、義務も、職務も、目標も、すべて忘れさられてしまう」(原年廣訳『自己実現の経営』産業能率短期大学出版部)
 仏法では、こうした権力の魔性を「他化自在天(たけじざいてん)」すなわち、「自分以外のすべてを、自分の手段として利用しようとする、生命の根源的な傾向性」としてとらえる。そして、その魔性を本源的に打ち破り、自他ともの幸福を目指す道を説き明かした。
 この戦いは、仏法を根本とした「人間革命」運動の一次元であるともいえる。
 だれよりも、まず指導者自身が、「人間革命」することである。

●「軽蔑」する心が指導者を狂わす
 一、有名な『プルターク英雄伝』に、ある将軍の人生が描かれている。
 それは、強敵を打ち破り、多くの戦いで勝利を重ねて名を馳せた、ローマのルクルス(ルークルルス)である。
 彼は、勇気も智略も備えた将軍であった。
 しかし、ある時点から「順風(じゅんぷう)が止んだように」何事もうまくいかなくなってしまったという。兵士たちの心も離れた。
 その「最大の原因」は何であったか。作家プルタークは洞察している。
 それは、「すべての人を軽蔑して自分に比べればまるで価値がないものと考えていたことである」と(河野与一訳、岩波文庫。現代表記に改めた)。
 他者を尊敬できない「傲慢(ごうまん)」、他者を大事にできない「慢心」が一凶であったというのである。
 ゆえに彼自身が、自分の兵士たちから軽蔑された。
 我らの世界においても、幹部は断じて威張ってはいけない。また、威張らせてはいけない。
 特に、女性に対して威張る幹部を許してはならない。

●庶民を守り抜け
 一、ともあれ、「民衆とともに」「民衆の中で」「民衆のために」 ── ここに、広宣流布の大運動の永遠の軌道がある。
 日蓮大聖人が、なぜ「民の子」として御聖誕されたのか。ここに、民衆仏法の甚深(じんじん)の意義がある。「民の子」に生まれたがゆえに、法華経の行者として三類の強敵を招き寄せたのである。
 日寛(にちかん)上人は「悲門(ひもん)は下を妙と為す、即ちこれ慈悲の極(きわみ)なり」と記しておられる。
 仏の慈悲の門は、庶民として生まれ、大勢の人々を救うことを「妙」となすのである。
 人類の99パーセントは「民衆」である。仏法は、一握りの特権階級のものなどでは絶対にない。全民衆、全人類を救うためにある。
 そのために、御本仏自らが庶民として出現され、民衆を尊び、民衆の味方として戦い、生き抜かれたのである。
 後継の日興(にっこう)上人も、また日目(にちもく)上人も、見栄っ張りな三位房(さんみぼう)らのように、当時の最高学府に当たる比叡山などに遊学されなかった。
大聖人にどこまでも常随給仕して、師とともに法難を受けきっていかれたのである。
 創価の三代も、同じ精神である。
 大事なのは庶民だ。庶民を守り、大切にする。牧口先生も、戸田先生も、そして私も、その一点に心を砕いてきた。
 無冠の庶民が一生懸命、戦ってくださった。それを諸天善神、そして大聖人が護ってくださった。だから学会は、ここまで発展した。
 無名の庶民の母が、幼子(おさなご)を背負って折伏に行き、馬鹿にされ、悪口を言われながら、必死に戦ってきた。
 こういう方々の戦いで、広宣流布を成し遂げてきたのである。
 目的は庶民の幸福だ。幹部は、その目的のためにいる。このことを忘れてはならない。
 学歴や自らの地位に傲(おご)って、こうした庶民を馬鹿にするような人間を、絶対に許してはならない。
 見栄っ張りは危ない。こういう人間が幹部となって、威張り出すと、学会が壊されてしまう。利用されてしまう。
 そして結局、本人も仏罰を受けることになる。
 だからこそ、こうした人間には厳しく言っていくことだ。
 私は、庶民に尽くしゆくリーダーを育ててきた。訓練してきた。
 そして、庶民のための学会をつくってきたのである。
 私は、200の名誉学術称号の栄蛍も、大学に行けなかった同志に捧げる思いで拝受している。
 ともあれ、創価学会は永遠に民衆の側に立って戦う。
 この一点を改めて確認しておきたい。
 戸田先生は高らかに宣言なされた。
 「いったい誰が、庶民を護(まも)るのか?それは、学会である! 」
 「庶民が強くなるとは、どういうことか?学会が強くなることである!」
 これが我らの永遠の精神である。

●臆病は敗北
 一、日蓮大聖人は、御書の中で何度も次の涅槃経(ねはんぎょう)の文を引いておられる。
「もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵(おんてき)である」(御書236ページ等、通解)
 戸田先生はこうした御文を拝し、叫ばれた。
 「『仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)』の責を知り、かつ仏敵を放置しておくわけにはいかん」
 「内なる敵が最も卑怯だ。その敵は断固、追放せよ!」
 これまでも、嫉妬に狂い、私利私欲に溺れ、大恩ある学会に反逆した人間がいた。学会を分裂させようと、もくろんだ輩がいた。
 仏法では、「嫉妬」は「提婆(だいば)の心」として戒(いまし)められている。
 嫉妬、陰口、陰湿 ── こうしたことから団結が破壊される。心が分断される。それは学会の世界ではない。
 悪の本質を鋭く見破っていかねばならない。
 さらに、こう教えられた。
 「戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!」
 臆病では、正義は守れない。
 私は青年時代、弟子として、戸田先生を守り抜いた。先生を守ることが正義を守り、学会を守ることであると確信していたからだ。
 一番正しい人を守るなかに、すべてが含まれるのである。
 先生は、訴えておられた。
 「わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな! 信心の利剣(りけん)で、魔を断ち切っていけ」
 また、先生の講義をずる休みした幹部に対しては、「分かっていると思ったら大間違いだよ。聞くたびに境涯がひらけるのだ」と厳しく叱咤しておられた。
 さらに、戸田先生のご指導に学びたい。
 「大聖人の哲学は深い。これでよいというときはない。途中で慢心(まんしん)を起こしたら退転(たいてん)だ」
 「経文にも、信心強盛の人の処(ところ)は、我此土安穏(がしどあんのん)と説かれている。
 なんで恐ろしいことがあろうか。
 さまざまな世情(せじょう)に、学会幹部は一喜一憂して紛動(ふんどう)されては断じてなりません。そんな心弱い、惰弱なことでは、広宣流布の大業(たいぎょう)を遂行(すいこう)することは、決してできない」
 時代が乱世であるからこそ、強盛な信心を奮い起こし、わが同志が一人ももれなく「無事安穏」で、功徳を受けきっていけるように、聡明にして確信ある指揮をお願いしたい。

■ リーダーは、だれよりも勇敢であれ! ── 私はこう強く訴えたい。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 リーダーは正義を叫び抜くことだ。学会を破壊しようとする敵に対しては、断固たる破折の鉄槌(てっつい)を加えていくことだ。
 大聖人は、民衆を不幸に陥れる誤った思想を徹底して破折された。牧口先生もそうだった。
 叫んだ分だけ、善は拡大していくのである。
 結びに、戸田先生の言葉を紹介し、私の記念のスピーチとしたい。
 「いま、私には、前進があるだけだ。
 闘争があるだけだ。そして勝利があるだけだ。
 前へ前へ向かって!」
 まっすぐに、伸び伸びと、攻撃精神を発揮して、明るく、足音高く、前へ進んでいく。これが学会精神だ。
 「創立の月」から、ともに、新たな戦いを開始しよう!
 きょうは、本当にありがとう! (大拍手)

 

アーカイブ

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 7月27日(水)02時15分2秒
  いつものように寝る前にアーカイブを見ようと

今日は先生のご指導コーナーをクリック

先生のご指導そして朝日の文字起こしもアップされていたので、感動しました

ありがとうございます
勉強させていただきます
 

「蔵の財よりも身の財 身の財よりも心の財第一なり」

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月27日(水)01時48分4秒
  池田門下のはしくれさん、驚きました。
なぜ我が家の座右の銘をご存じなのですか。
「蔵の財よりも身の財
   身の財よりも心の財第一なり」

まさか身内って事は無い・・・・よね。
あまり誉められるのになれていないので、こそばゆい思いです。
以後、勘弁してください。

ひらがなプロジェクトに投稿します。
土餅供養御書、阿那律果報由来の2編です。

あんぽんたん、執行部と荒らし撲滅のため・・・還著於本人の文証を上げときます。
報恩抄
P321
第29章 真言破折を結す
原文
 調伏の、上首・御室は、但、東寺をかへらるるのみならず、 眼のごとく、あひせさせ給いし、第一の天童・勢多伽が、頚切られたりしかば、調伏のしるし 還著於本人の、ゆへとこそ見へて候へ、 これは、わづかの事なり、此の後、定んで、日本国の、諸臣万民、一人もなく、乾草を積みて、火を放つがごとく 大山のくづれて、谷をうむるがごとく、 我が国・他国に、せめらるる事出来すべし、

第29章 現代文
 しかも、北条幕府を 調伏した 上首たる 御室は、ただ 東寺を 追われるのみではなく、目に入れても 痛くないほど かわいがっていた 第一の 天童、勢多伽が 首を切られたゆえに、調伏の結果は、かえって 還著於本人となって、自分の 災いが 重なったことが わかるのである。
 これらは、弘法の 邪義、真言の 邪法からすれば、まったく わずかの 現証にしかすぎないのである、真言の邪法を 用いつづけるならば、その後、かならずや、日本の 諸臣万民は 一人もなく 乾草を 積んで 火を放ったごとく、大山が くずれて 谷を うずめてしまうがごとく、わが 日本国が 他国に 攻められるという 未曾有の 大事がおこるであろう。
報恩抄 講義録より、原データは赤鬼氏・・・に感謝。
 

ジョーカー様

 投稿者:池田門下のはしくれ  投稿日:2016年 7月27日(水)00時40分32秒
編集済
  ありがとうございます
悪人にとって先生の真心と会員の健気な心は最大の利用価値があります
故に先生は心配され何度も「騙されな!」と教えて下さっています

今日は午後から凄い投稿量で
原因はどうやらIKEDIAN様の信平問題の投稿にあるようで

裁判所に「訴権の濫用」と断罪されたことは周知の事実

訴権の濫用とは、事実がないのに訴え、訴えることに意味があり、そのことだけで相手のイメージダウンを狙ったと判断されたのだと思うのですが?
つまり、狂言訴訟

皆、結論分かっている
IKEDIAN様が先生を貶める為に投稿したのではないことは明らか
それなのに、何故、その事件の真相を解明をしようとしているIKEDIAN 様を批判するのか?
怪しい臭いがしますねー(笑)

たくさん工作員が出没しているので、却って興味が沸きました
工作員の皆様
逆効果です!
皆様のおかげで余計興味持ちました
おそらく閲覧している多くの会員も却って興味を持った人が多いでしょう

最近はすっかり聖教に登場しない原田会長
宿板を名誉毀損で訴えたいでしょうが、そんな事をすると却って、話題になり逆効果であることが分かっているようで

しかも、ネットを見ると宿板だけでなく、あること有ること
全部訴えたら、会員の財務が大きく減ります
会員からも「大人げない」と批判されるし、話題になって逆効果だし
そんなこんなで工作員が檄を飛ばされ、がんばっているのでしょうか?
だとしたら、却って興味を持たれ失敗です

今日一日の工作員の出没は異常
信平問題の今後の展開、たくさんの人が楽しみにしています

JACK様
虹と創価家族様
赤胴鈴之助様
文字起こし等ありがとうございます
再読させていただきます

赤胴鈴之助様
かつて、先生は青年部に言われました
「名誉も地位も功徳も要らないと草創期の青年部は戦った」

まさにその1人が赤胴鈴之助様ですね

「蔵の財よりも身の財
  身の財よりも心の財第一なり」
先生はこのことを青年に教えて下さったように思います
そして、それはまさに先生の生き方そのものです

先生が日本中、世界中走り回られていた時に先生と共に戦い抜かれた黄金の青年時代を過ごされた赤胴様

結果、蔵の財、身の財にも恵まれ
今また、全てを投げ打つ覚悟で先生と共に戦われる大先輩の心意気に感動致します
ありがとうございます

学会はこういう方がたくさんいるから強いです
それに比べて、伸一会、何やっている?
情けない
名前倒れだ
秋○会に名前変えたら?
 

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月27日(水)00時32分27秒
  イケディさまに御礼を申し上げます。

伸平問題、あれは、池田先生が、デンバーに行かれ、帰国された直後ではありませんでしたか。

池田先生がおられない間に、なんと卑怯な、と憤ったものでした。

当時この問題については、闇が多く、分からない部分が相当あると思われました。

なぜなら、件の女性が企図した事件だとは到底考えられないようなマスコミリーク。
できすぎた話のクサさ。

少なくとも、5人くらいの人間が、海外歴訪中の池田先生をワナにおとしめ、
池田先生の人格を穢そうという意図がプンプン。
ホン慣れしている人間なら、分かりすぎるくらいのクサさでしたね。

しかし、当時の幹部の説明は、一本調子で納得いくものではありませんでした。
つまり、首謀者についても、曖昧に伸平だのヤマトモだのと決めつけるだけ。

これこれこうです、という誠実な説明(いつも隠蔽臭がするので、これはないかも)ものではなかったのです。
はっきり言ってウヤムヤ。

本当は、ヤマトモどころか、54年組とでもいうべき虎視眈々の輩が、
しゃあしゃあと知らん顔で企図の翼にいて、糸を引いていたのではないでしょうか。
そのように疑いが晴れない私のような者のためにも、追撃の手を緩めずお願いいたします。

イケディさまがご提供される過去資料は、その辺りをつぶさに知るいい機会の提示であり、
大変にありがたいことだと思っております。
このような正直さと、捜査鑑識の現実主義がないと、54年の総括はできません。
これは一種の白眉、ヤマとでも言うべきでしょう。

ですから、批難なんぞ、なんのそのの気迫を持たれて、どうかお続けくださいませ。


ところで、因縁ふっかけて、しつこい、ヤの字が来たようです。
不愉快ですね、バカセンジャ。
うっせえぞ、バカセンジャ。

信濃町さまが本物だから現れるのだと思います。

 

同盟題目ありがとうございました。

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月27日(水)00時13分6秒
  みなさんおやすみなさい<(_ _)>

太ちゃん明日は一緒に始めようね
 

JACK様

 投稿者:IKEDIAN"U"  投稿日:2016年 7月27日(水)00時07分30秒
  ご配慮、ありがとうございます。

目的の為には手段を選ばない手法にうんざりしていたところです。

労をとっていただき、ありがとうございました。
 

不軽菩薩が理想様 行事予定表について

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月27日(水)00時04分28秒
編集済
  行事予定表をあげられないなんてあるのですね。
確かに不可解な話です。

行事予定表の扱いは、おそらく地域によってかなりばらつきがあるものと思われます。

私が居住する地域の場合、行事予定表は地区部長会の出席者向けに、「たまに」配布されています。
そのため、持っている人が限られていて、基本は地区部長以上の壮年部幹部が持っており、婦人部幹部は支部婦人部長以上が持っているくらいでしょうか。
少なくとも、地区婦人部長は持っていないようです。
また、地区部長が個人的に人脈がある場合、予定表より先に、座談会の日程が地区部長に知らされることもあります。
なぜ不定期配布なのか、なぜ配布対象に偏りがあるのかは謎です。

本当は3ヶ月単位で、座談会の週や、本幹の週など、各種予定が、決まっているはずですが、地区内への連絡は遅く、私の場合は、当日午前中に連絡が来たり、連絡そのものが来なかったりしています。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 7月26日(火)23時57分4秒
  今晩は
皆様 ありがとうございました
皆様に感謝します ありがとうございました
おやすみなさい
 

週刊朝日1981年4月17日号 まとめ

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月26日(火)23時34分39秒
  〔資料画像〕
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52467

http://6027.teacup.com/situation/bbs/52468


〔テキスト〕
はじめに http://6027.teacup.com/situation/bbs/52640

その1
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52641

その2
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52642

その3
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52643

その4
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52644

その5
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52645

その6
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52775

その7
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52777

その8
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52783

その9
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52786

その10
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52788


資料提供:虹と創価家族様
テキスト化協力:赤胴鈴之助様



 

パセンジャって何者?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月26日(火)23時31分49秒
  お下劣、お下品な方ww
職員かなww
こんなの養う為に財務やりたくないね~
同じ創価学会員でなければいいなあ
学会員なら軽蔑するね~
 

パセンジャ様

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月26日(火)23時12分5秒
編集済
  管理人はどちらにも与しませんが、
以下の投稿は残してあげますので安心しなさい。


掲示板52792 2016/07/26 23:06:38 パセンジャ
即削除体制に入ったな(笑)

まともな質問に答えることもできず、遁走か(大笑)
どうやらこちらの発言を即削除する体制に入ったようだな。
弱い弱い。堂々と論戦で勝負してみろよ。

それができないのは、自信がないからだな。

徒労は好かんので、しばし沈むが、信濃町某よ。
お前が師敵対の大謗法漢であることは間もなく証明されるだろうよ。
 

輩 様、パセンジャ様

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年 7月26日(火)23時05分45秒
  先生の弟子ならば、自分がどうなろうとも気分がどうであろうが、忍辱の鎧を着て、すべてを耐え忍び、師を宣揚し続けるのが報恩の人生であると思います。
先生はよく叫べ!だまっているな!と言われていました。
当時は、選挙とか、外部に対してとか思っていましたが、内部の悪、ずるがしこい幹部に対してであったと今は、確信しています。
魔の本質は分断です。
慈悲魔と言うのがあります。
これは母親が子を思うばかりに、伴に地獄にあることが分からず、不幸の道へ行ってしまうものです。
物事は、何かしら必ず、それを引き起こす存在があります。
その本質を探ろうとすれば必ず、葛藤しなければまらない問題に直面します。
その時、どう判断していくか、何に行動の中心にしていくかはそれぞれです。
私は御本尊と先生の指導です。
 

Jackさん

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年 7月26日(火)23時05分14秒
  大変な労作業ありがとうございました!
まだ全ては読めていませんが、しっかり読ませていただきます。
 

記念にどうぞ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月26日(火)23時03分43秒
  http://megalodon.jp/2016-0726-2258-37/6027.teacup.com/situation/bbs

こんな時間まで妨害のオシゴトをがんばってる工作員へプレゼントです
撹乱の歴史の一ページがまた増えましたね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

週刊朝日1981年4月17日号 その10

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月26日(火)23時02分42秒
  ――今後、こうした事件はまた起こると思いますか。

池田 油断はできませんね。
他の宗教団体をみますと、ほとんど戦時中に弾圧を受け、ちりぢりばらばらになり、相当の苦しみを経ています。
それを思うと、どちらかといえば、うちは戦後ですからね。
戦前もやられましたけれども……。
一つは、そういうような見方もしなければいけない。
これだけ大きくなると、どうしても隙間ができる。
また、あまり完璧にしようとすると反発がでる。
多くの人がついてこない。
歴史の常で、大きくなった場合には、外部から内部への影響、内部から外部への影響という関連性から、いろいろなトラブルが予想されます。

――近い将来に予想されるわけですか。

池田  それはわかりません。
予見者ではないですから。
ただひとつの連鎖作用というものは、どこの団体でもシコリとなってあるものですから。
たとえば、こないだも、ある大会社の首脳の方々と話をしたんです。
そしたら、時代とともにいかに注意してもどうしてもひずみができてしまう。
そこでずいぶんチェック機関をつくって防ぐけれども、やっぱりいろんなことが出てくる、これは異口同音にいいましたね。
いろんなことが出ちゃう、それが大きくなればなるほど、その度合いがひどいものである。
どこで問題を回避するか、ただ黙って専門の人が監視してるんだったら、これはできるかもしれないけれども、自分たちにもさまざまな仕事がある。
その間隙というものが手落ちになって問題が起こり、事件になってしまうというんですよ。
このへんが心配のタネなんです。
しかし、きゅうくつばかりではいけないし、寛大さが必要です。
大河の流れをつくりあげていくことが大切なのです。
他の教団と違って、三百六十五日、何百万の人が動き、語り、前進させていくという団体ですからね。
ですから、そういうことにのみ神経質になっていたら、とても大胆な目標へ進んでいくことはできません。

――最後の質問です。
山崎の事件も初公判が間近(四月十日)になって、一つの大きなフシ目を迎えるわけですが、ここまできての心境は?

池田  一つの結末は結末として、私どもは後世にも社会にも責任をもっています。
その結論を見定めなければならないと思っています。
しかし、それはそれとして、やはり宗教本来の仏法を基調にした文化、平和に協力専念することは、また重要です。
逡巡ばかりしていては前に進まない。
私もいままで以上に前進をしたいと思うし、メンバーにも前進をお願いしたいと思います。
(おわり)

以上で週刊朝日の文字起こしを終わります。
 

週刊朝日1981年4月17日号 その9

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月26日(火)23時00分1秒
  ――これまでのインタビューの中で、しきりに山崎正友のワナにはまったことを悔やんでおられました。
これは名誉会長自身の心情はもちろんのことですが、加えて進言者がいなかった、もしくは進言したいという者がいても進言する雰囲気が名誉会長周辺になかった、と一般には受けとめられていると思う。
この点はいかがでしょう。

池田 やむをえないと思いますね、そう受け止められても。
だけど、毛沢東の話は古いけど、川の中へ落っこちた場合、賢くなって、もう落ちなければいい、こういうことの積み重ねが第二の失敗を未然に防ぐことになっていくんじゃないでしょうか。

――そうすると、そういう面では、かなり注意深くなられたということですか。

池田 とくにこれからそうなっていかざるをえないと思います。
ただ、私のだまされやすい性格は変わらないでしょうね。
だから北條さんはじめみんなが、現実に注意をしながら、しっかりと油断しないでお願いしたいという気持ちです。

――こんどの一連の事件を周辺の人たちがじっと見ていて、それが勉強になればいいなということですか。

池田 ええ。
そういう事態をいくつも経ながら、苦汁をなめてもらうことが、未来への最大の教訓だと思います。
あんまり順調に過ぎた場合に、いつかもっと根本的な破壊にうながる場合があるかもしれません。
またいろいろなことを経験しましたけれども、宗教団体といっても人間の集まりですし、隙間も出ますし、世間知らずもあって、敵はねらいやすいですし、それで書けば売れるし……。
 

何を全力で闘争?

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月26日(火)22時59分44秒
  逃走の間違え?笑い  

自分のことを言ってますね。自爆のブーメラン。あっ!串を認めましたね。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月26日(火)22時59分7秒
  攪乱情報を容認しているお前に聞いているんだが  投稿者:パセンジャ
投稿日:2016年 7月26日(火)22時54分21秒
何も戦っていないから安直なことしか言えないんだよ。
偉そうに内部の人間を疑うような攪乱情報を流すお前が、
まず当時何をしたのか言うべきなんだよ。

言えないのは、何もしていないからだろう?(大笑)

こちらは全力で闘争していたよ。
 

週刊朝日1981年4月17日号 その8

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月26日(火)22時58分44秒
  (※池田先生の回答が続きます。)

三男坊は勉強というと反発するし、クラブ活動といえば気違いみたいにやる。
まずいな、どうするかと思ったんです。
それで、あるときチャンスがあってね、本当にお前は何になりたいかといいましたら、小学校の先生になってみたいんだ、という。
結構だ、と。
それからやっぱり目ざめましたね。
でも、教育問題というのは本当にむずかしいですよ。
私の家庭においても、いま、こんなのんきなこといってますが、実際にはずいぶんと頭を悩ましたものです。

――さて、長時間にわたったインタビューも終わりに近づきましたが、あといくつかの質問が残っています。
その一つですが、いま名誉会長の周辺にはいい参謀、部下がそろっていますか。

池田 現実にもう北條体制ですからね。
その意味においては、すばらしい二十年、三十年来の同志とともに、いろいろ経験を積んできた人、それから手塩にかけて育ててきた人間が、どうやら第一級の中核に入ってきましたから、私はまあまあと思います。
 

串使ってるのはお前もだろ(大笑)

 投稿者:パセンジャ  投稿日:2016年 7月26日(火)22時57分50秒
  みんな知ってるよ(大笑)  

何をどのように全力で闘争していたんですか? この下衆な言い方は反板でしょうね。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月26日(火)22時56分37秒
編集済
  早く答えろよ、信濃町某(大笑)  投稿者:パセンジャ
投稿日:2016年 7月26日(火)22時49分28秒
一言でいいんだよ。
言ってみろよ。
 

先に聞かれたんだから先に答えろよ

 投稿者:パセンジャ  投稿日:2016年 7月26日(火)22時56分34秒
  逆質問して逃げた気になっている場合じゃないぞ(大笑)  

わかりやすい妨害の荒らし

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月26日(火)22時56分3秒
  ですね~(笑)

4代以降の会長は、いかに間違った運営してきたか、非常にわかりやすい妨害の荒らしとなっております(笑)

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年 7月26日(火)22時55分28秒
  信濃町の人々さん

師匠から面と向かって直接指示を受けたことを重要視するあたりがなんだかなぁという感じですね。
指示を受けずとも戦うのが弟子の心というもの。
まぁ、ある意味イケディアンの住人さんが呼び寄せたんですけどね(笑)
 

週刊朝日1981年4月17日号 その7

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月26日(火)22時55分10秒
  ――いま教育ということが出ましたので、うかがいますが、生活に困ったとか、病気だとかということがきっかけで学会に入信する人が多かった。
これは記録を見てもそう出ているが、いまはどうでしょう。
親と子どもの問題で――最近の事件としては金属バットで父親を殺すとかいうこともあったが――そういうことで入信する人はいますか、最近の傾向としては。

池田 多いです。
子どもに対する悩み、それは考えられないほど深くひどい悩みの状況と判断します。
だいたいいま、子どもを持つ人の悩みが多いですね。
そういう悩みで入信なさる方が少なくないですね。

――それに対して、たとえば子どものことで悩んでいる、という相談を受けたときは、どう答えられますか。

池田 ケース・バイ・ケースですけど、根本的には、やっぱり信心をしっかりやり通してください、と。
これがまあ根本になりますね。
具体的には一つは、お子さんを自分の子どもという概念だけできめつけてはいけない。
ということは、親子といっても、子供は立派な人格をもっている。
だから、有事であるとか、尊敬するとか、または子どもの意思がどういう意思なのか、なぜ暴走族に走らなければならないかという病根、そこを祈りながら、その病根をどうするかということに注意しなくちゃいけない。
ただガミガミ、いけない、いけないという。
これでは駄目。
たとえば、原則としては、私は父親があんなに怒ったらいけない、とこういいます。
母親が起こるのは、むしろこれは愛情ですから、子どもというのは逃げないわけです。
だから母親が怒って、今度は父親が同じように責めるというのはいけない。
ごくありふれた考え方ですけど。
私は、相談にくる親たちにこう話してあげるんです。
子どもの人格を認めることが第一です。
私の家のことで恐縮なんですが、うちには三人の子どもがおりますけどね、長男坊は高校の先生をやっています。
次男坊は大学の職員、三男坊も大学生で、小学校の教諭になりたいといって教育の勉強をしています。
全部自分の意思に任せました。
長男坊の場合には、小学校から非常に堅くてまじめで、勉強はできるほうだったと思う。
早起きして勉強してました。
夜は勝手なことをしておったでしょうけどね。
うちは私も妻も家をあけることが多く、子どもばかりおいていましたから。
わりあい体が弱かったので、勉強なんかそんなにしなくてもいいよ、体を達者にしろ、運動をしと、といってたんです。
それで短距離なんか相当速い選手だったようですね、高校時代は。
これは成功しました。
次男坊の場合は、デブチンで、デブオ、デブオと呼ぶんですけどね、これはどっちかというと学究肌じゃないわけです。
マラソンなんかも高校で一番ビリだったですね。
これには反対に中学の二、三年から、勉強しなきゃだめだぞっていったんです。
少しずつ上がって、大学院に行ったときは相当成績もよかったようです。
 

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