1973年、ミック・ジャガーは日本入国を拒否された。
武道館での公演のために来日する予定だったのだが、過去の大麻所持による逮捕歴を理由に、日本国への入国を許されなかった。ミック・ジャガーがいなければ、ローリングストーンズというグループは成立しない。前売り券がすでに売られていた公演はすべて中止となった。
ローリングストーンズ1973年幻の日本公演である。
1970年代のことをおもいだすとき、この幻の公演のことがまず浮かぶ。
なぜだかわからないが、この公演中止を聞いたときの残念さが、70年代らしい気分として、強くおもいだされるのである。
当時、僕は地方の中学三年生だった。
地方に住んでいる中学三年生が、東京でのロックグループの公演に出かけられるわけがない。(公演は武道館だけの予定だった)。おそらく自分たちの住んでいる都市で公演があっても、親に許してもらえなかったとおもう。(前年、映画『小さな恋のメロディ』を夜になってから友だちと観に行こうとして、親に大反対されたくらいである。そういう小さい世界に住んでいた)。
ライブで見られるわけもなく、その公演地の東京へさえも行けない、(高校受験直前の中学三年生だからそもそも余裕がない)、でも、ローリングストーンズが日本に来る、というだけで興奮していた。すごい、日本も捨てたものじゃない、とおもっていた。
しかし来日しなかった。
残念だった。ただ寂しかった。
日本は、世界水準から遠いのだ、と悲しかった。
ローリングストーンズが日本に行くと言ってくれてるのに、日本が(おそらく政府の誰かが)来るなと断ったのだ。ひたすら悲しかった。
世界が遠かった。言いようのない諦めと、大きな失望に包まれていた。それが70年代の、僕が知っている空気だった。
1962年、ビートルズが出現して、世界の風景が変わった。
それ以前にもチャック・ベリーがいたし、エルビス・プレスリーもいた。
でもビートルズはまったくちがっていた。心揺さぶるロックンロールでありながら、圧倒的にポップであり、乱暴で、情緒的で、そしてどこまでもセクシーだった。1962年10月に1枚目のシングル、63年1月に2枚目のシングルを出し、あっという間にスターダムにのしあがった。
ローリングストーンズがデビューしたのは1963年である。
かれらはべつだんビートルズの跡を追ってデビューしたわけではない。ただ暴風のようなビートルズブームの中、少し遅れてイギリスからデビューしたロックバンドとして、たびたびビートルズと対比された。初期のマネージャーを務めたアンドリュー・オールダムがもともとビートルズ宣伝の関係者だったこともあり、優等生タイプ(アイドル系統)のビートルズに対して、不良のイメージのストーンズとして売り出された。(オールダムは最初はビートルズと同じ揃いのストライプのスーツ姿で売りだそうとしたのだが、メンバーの誰もが従わなかったために方向転換した、という)。
60年代半ばのストーンズはいくつかの代表的なヒット曲を出したが(サティスファクション1965年、黒く塗れ1966年)圧倒的なビートルズの活躍の前にその存在感を示せなかった。1968年に出た『ベガーズ・バンケット』あたりから日本でもようやく知られるようになり、ビートルズが自然に溶解していくような空気のなか、その存在感を大きくしていった。70年にビートルズがふわっと解散したあと、ローリングストーンズはあらためてその底力を示し始め、あっというまに巨大なロックバンドとなった。
そういう状況での来日公演だったのだ。
ミック・ジャガーが29歳だったことをおもうと、そのときに来日していたらずいぶんと印象が違っていたんだろうな、とおもう。痛恨の極みである。(行けないんだけど)。
ローリングストーンズの日本公演が実現したのはこれから17年後、1990年のことである。
昭和も終わっていた。ミック・ジャガーも46歳になっていた。いろんなものが変わっていた。
60年代のストーンズの写真を見てると、メンバーの醸し出す圧倒的な色気にくらくらしそうになる。20代の伸びやかな彼らの姿を見ると、野生の動物の美しさしか感じられない。
60年代から70年代にかけて、ロックミュージックはどこまでも若者のものだった。10代と20代の人間だけが聞く音楽、と信じていた。30歳になってもロックを聴くというのは、特殊なポジションの人しかいない、とおもっていた。 ドント・トラスト・オーバー・サーティと本気で言っていたし(なにしろこちらは中学生だから)、ロックミュージシャンは27歳で死ぬのが本物なのだと、本気でおもっていた。(なにしろまだ14歳だったのだ)。
ドント・トラスト・オーバー・サーティ、30歳を越えた人間は信じるな。
自分が30歳を越えたらどうするかは、まったく考えてなかった。27歳くらいで死ぬんじゃないか、とぼんやり考えていたくらいだ。
60年代後半から70年代に入ったころは、世界は何となくそういう空気で覆われていたような気がする。若者がやり出すことが大きな力となっていって、世界が何となく変わっていく気配があった。若者であることだけに意味があるようで、自分たちが30歳以上の存在=きちんとした社会構成員になるなんて想像しなかった。
ひょっとして、それは守られたのではないか、という気がしないでもない。
ふと。
おもうのは、1973年の中学三年生に「ストーンズはこのあと40年、70歳を越えてもロックをやり続けるぜ」と語りかけると、どうおもうだろうか、という想像である。
おそらく。 「あほなこと言うな」 と答えるだけだとおもう。
もしくは。 「うそ言うたらあかん」
そう答えるしかない。
21世紀になって、70歳を越えて現役のロッカーであるローリングストーンズを見てみると、とてもかっこいいとおもう。でもそれは2010年代からの視点である。
1973年に「70歳のかっこいい現役ロックンローラー」は想像できない。どんなことをやっても不可能だ。30歳を越えると、もうロックなんかやるもんじゃないと考えていた時代である。ポール・マッカートニーがビートルズを抜けると言い出したのは、つまりビートルズがなしくずしに解散されたとき、ジョン・レノンは29歳、ポールは27歳だった。(リンゴ29歳、ジョージ27歳)。ビートルズは完全に20代の音楽だったのだ。それがすべてを象徴している。
1972年の自分にこのあとストーンズは繰り返し来日し、50年を越えてやる、と教えてやりたい
「ロックシンガーは27歳で死ぬ」と言われていた。
ローリングストーンズの最初のリーダーだったブライアン・ジョーンズは1969年の6月にグループから追い出され、その三週間後の7月3日、27歳で自宅のプールで溺死した。
史上最高のギタリストと称されるジミー・ヘンドリックスは、1970年9月16日にロンドンのホテルで27歳で謎の死を遂げた。
その18日後、1970年10月4日、ロサンゼルスのホテルで女性シンガーのジャニス・ジョプリンがヘロインの過剰摂取によって27歳で死んだ。
そして、1971年7月3日、ドアーズのヴォーカルのジム・モリソンは、やたら太って、パリで27歳で死んだ。
これだけ続けば充分である。四人とも人気のミュージシャンだった。四人とも27歳だった。すべて死に不審なところがあった。だから「ロックスターは27歳で死ぬ」と言われた。地方の中学三年生は、それを聞いて、素直に納得していた。そういうものなんだとおもった。
ただ、27歳で死んだロックスターはごく一部だけである。多くのミュージシャンは28歳になり、30歳を越え、やがて40歳になっていった。そしてそのままどんどん年老いていくのである。
そんなことを、想像していなかった。
きちんと想像してなかったのがよくなかったのかもしれない。
1980年、ジョン・レノンが40歳で死んだ。
60年代の熱狂と70年代の〝引き延ばされた情熱〟が終わった瞬間だった。
ブライアン・ジョーンズもジミー・ヘンドリックスも、ジャニスも、ジム・モリソンも、みんな、不審な死であった。でも、ジョン・レノンは、街中で(ダコダハウスの前で)、人が見ている前で、まぎれもなく殺された。いろんなことが終わった瞬間であった。
60年代後半の熱気は「若者たちの時代」として70年代も巻き込んでいった。
世界は素晴らしいとおもって進んでいたが、おそらくどこかで間違った小さな角を曲がってしまったような気がする。
70年の〝引き延ばされた情熱〟と〝間違った小さな角〟をすこし振り返ってみたい。